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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回はルネサンスの「思考編」です。ルネサンスはどんな思考で進められて、現代にどんな影響を残したんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:ルネサンスはどのような思考で進み、現代にどのような影響を与えたのか?
ヒューマニズム(人文主義)
ギリシア・ローマ古典文化の復興

ここの部分は[11-1.1]ルネサンス①(始まり)と重なるところがあるので、復習になります。
14世紀にイタリア諸都市から広がっていったルネサンスは、それまでキリスト教の「イエス(神)や聖人」にフォーカスした価値観から、「人間の内面や身体」にフォーカスした「人間」中心の価値観で表現しようとした文芸運動でした。
なので、中世ヨーロッパでは忘れられていたギリシア・ローマ古典文化が再注目されるようになり、それらを復興させるために再び研究がおこなわれるようになったんです。

ギリシア・ローマ古典文化は一言でいうと、哲学や自然科学の研究を通して「この世はどのようにできているのか、人はどのようにいきるべきか。」を追求しようとした学問でしたよね。
このように、「人の内面や身体」に注目しておこなわれた文芸活動や思想をヒューマニズム(人文主義)といいましたよね。

SQ:なぜギリシア・ローマ古典文化は中世ヨーロッパで忘れられたのか?

では、そもそもなぜ中世ではギリシア・ローマ古典文化が忘れられてしまったんでしょうか。
それには以下の要因がありました。
①社会混乱による文化の断絶
②キリスト教中心の価値観と文献アクセスの制限

①社会混乱による文化の断絶
かつて地中海周辺に君臨していたローマ帝国は4世紀に東西に分裂してしまい、5世紀にゲルマン人によって西ローマ帝国が崩壊・滅亡してしまいました。
かつてのローマ帝国の都市はゲルマン人の侵入によって荒廃してしまい、文献や知識も継承されることなく土の中に埋もれてしまったんです。
このように社会が混乱してしまったことで、古典文化の継承が難しくなってしまったんです。

②キリスト教中心の価値観と文献アクセスの制限
その後、中世ヨーロッパではキリスト教が社会の中心になっていきましたが、ギリシア・ローマ古典文化は 「異教の文化」として敬遠されてしまいました。
ギリシアやローマの古典哲学の「人間」中心の価値観・思想は“危ないもの”とされてしまい、 学問の主役は神学になっていきました。
神学では人間の理性や感性よりも、神の真理(聖書)が優先されたので、 学問知識は教会や修道院が独占してしまい、古典文献も修道院の奥間に保存されるだけになってしまいました。
なので、古典の学問知識が一般の人々に触れることはほとんどなく、知識へのアクセスが制限されてしまったんです。
それによってギリシア語を読める人が激減してしまい、ギリシア文献は“読めないもの”になってしまいました。
ラテン語の文献も一部は残っていたんですが、それも限られた知識人のものに留まってしまいました。
このようにキリスト教の価値観と知識アクセスが制限されてしまったことで、古典文化が忘れ去られてしまったんです。

西ローマ帝国の崩壊による社会混乱で文化が断絶したことと、キリスト教中心の価値観によって古典が異教として敬遠され、文献へのアクセスが制限されたため。
これらが原因で忘れられたギリシア・ローマ古典文化ですが、十字軍後にイスラーム世界から学問がヨーロッパに入ってきたことで、古典知識の逆輸入が起きます。
そして、オスマン帝国に圧迫されたビザンツ帝国からも学者たちがヨーロッパに亡命してきたことで、再びギリシア語が学ばれるようになり、ルネサンスが起こったというわけなんですね。

ビザンツ帝国ではギリシア語が話されていましたもんね。

古典文化復興の先駆者
ペトラルカ
ペトラルカという人物は、フィレンチェ出身の文学者だったんですが、大学時代に培ったラテン語文学を知識を使って、古代ローマの歴史研究をおこなった人物でもありました。

廃墟になった遺跡を調査したり、修道院が保管していた古文書をあさって哲学者キケロの文書を発見して翻訳するなど、古典文化の復興に努めました。

文学のほうでは『叙情詩集』をキリスト教の公用語だったラテン語ではなく、イタリアの方言だったトスカナ語で書くなど、ルネサンス初期のヒューマニスト(人文主義者)としても評価されているんですよ。


ちなみにペトラルカは古文書の言語から、本物か偽物かを鑑定する技術も持っていました。この技術によって古文書研究が発展していき、ギリシア古典文明がヨーロッパ文明の起源だという考え方が出てきたんです。
ボッカチオ
一方、ボッカチオはペトラルカと同じ時代を生きたフィレンチェ出身の商人でした。

彼は仕事の傍らでラテン語を学びながら古典を楽しみ、黒死病(ペスト)の大流行の様子からリアルな人間像を描いた小説『デカメロン』を書きました。

黒死病(ペスト)からフィレンツェの郊外に避難した10人の男女が、寂しさを紛らわすために毎晩、1人が話をするというストーリーで、卑猥ではありますが、個性あふれる内容は近代小説の最初の傑作といわれています。
そしてボッカチオも文学だけでなく、眠っていた古文書の山から古代ギリシアの文学者だったホメロスの『イリアス』のギリシア語文献を発見して、それをラテン語に翻訳して紹介するなど、古典文化の再発見と普及に貢献しました。

このペトラルカやボッカチオの古典文化の復興はルネサンスの先駆けとなり、古代のイキイキとした人たちの姿が再現されることになりました。

科学
科学の発展
ルネサンスの活動は万能人が理想とされたので、その探究は科学にも及びました。
それまでの中世ヨーロッパでは、キリスト教の影響が強かったので、自然現象も聖書の教えで説明されることがほとんどでした。

でもそれだけでは全ての現象を説明するのは難しいですよね。
しかし、ルネサンスによってヒューマニズムが広がると、

その現象の説明って本当にそうなの?自分の目で確かめてみたい!
と、聖書の説明に疑問に思う人が増えていき、真相を解明しようという動きが出てきたんです。
これによってルネサンスでは、解明されていない自然の性質を明らかにしようとするルネサンス科学の研究が盛んになっていきました。

天体(地球球体説、地動説)
ルネサンスでは、中世でも研究されていた古代からの占星術や、金を創り出そうとする錬金術の知識を応用して、科学実験がおこなわれるようになります。

占星術は古代メソポタミアのシュメール人からおこなわれていましたし、錬金術もイスラーム世界でおこなわれて、それがヨーロッパに伝わっておこなわれていました。
特に古代から宗教などで「全ての根元」と表現されていた「宇宙」については未解明な謎が多く、それを知るうえで天体の動きから解明しようとする研究・観測がおこなわれました。
まずはフィレンチェ出身の天文学者で地理学者でもあったトスカネリによって、地球球体説が唱えられて、ヨーロッパ大航海時代に大きな影響を与えて、南北アメリカ大陸の発見にも貢献します。

それまでは地球平面説もあったんですよ。

トスカネリはコロンブスに西回り航路を勧めた人でしたよね。

さらに、16世紀にはポーランド出身の天文学者だったコペルニクスが、それまで常識だった地球を中心に他の天体が回っている天動説を否定して、地球が太陽の周りを回っている地動説を唱えました。

コペルニクスは天体学者である前に聖職者でもあり、医学者でもあるまさにルネサンスの万能人でした。

コペルニクスの時代は、キリスト教の聖書で太陽が動いている表現があることと、スコラ学でアリストテレスが提唱した天動説がそのまま採用されたことから、天動説が常識になっていました。

スコラ学とは、神や聖書の内容という抽象的なものをいかに現実的・論理的に説明するかということが研究された哲学でしたよね。そこで使われたのがアリストテレス哲学だったんです。


しかし、コペルニクスは天体観測を続けるうちに、

天動説では天体の動きが説明できない。
太陽は動いていなくて宇宙の中心であり、地球は太陽のまわりを年に一度回っている天体に過ぎない!しかも地球自身も一日に一回自転しているぞ!
ということを発見して地動説を唱えたんです。
地動説はコペルニクスの死後に本にまとめられて出版されましたが、ローマ=カトリック教会などからは、

これは聖書の記述に反するものであるから、妄想に過ぎない。
と、地動説を否定されてしまいました。
しかし、この地動説の考え方はそれまで聖書による価値観に衝撃を与えることになり、人々の世界観に大きな影響を与えることになりました。

ちなみにコペルニクスの地動説が正しかったと認められるのは、科学革命が起きた後の18世紀まで待つことになります。


錬金術、医学
他の科学分野に関しては、イスラーム世界から伝わった錬金術は結果的に金を創り出すことはできませんでしたが、実験の中で起きた化学反応などから金属を扱う技術が発達し、後に発展した化学の基礎になっていきました。
・硫酸・硝酸・塩酸などの化学薬品
錬金術の実験の中で、これらの酸が発見され、後の化学実験の基礎となりました。
・実験器具の発明
たとえば「バン=マリ(湯煎)」は、金属を加熱するための装置として錬金術師マリアによって考案され、今でも料理や化学実験で使われています。
・ガラス製造や金属加工技術の進歩
錬金術の過程で、素材の扱い方が洗練され、工芸や科学の分野に応用されました。
・医学への応用
錬金術を医学と結びつけ、病気の治療に化学的手法を導入しようとしました。
加えて、レオナルド=ダ=ヴィンチなどの万能人たちによって、はじめて人体解剖の様子を精密に書いた図も書かれるようになり、古代ギリシアから続いていた医学知識の誤りが次々に発見されて、人体の構造が理解されるようになっていきました。

こうした精密な人体解剖図も、絵画などの様々な文芸に精通していた万能人だからこそできた芸当だったんです。
人体の構造が正確に理解されるようになったことで、ルネサンスではこの知識を活かして、絵画や彫刻ではリアルで理想的な人体が描かれるようになっていきました。

まとめ
MQ:ルネサンスはどのような思考で進み、現代にどのような影響を与えたのか?
A:ルネサンスは「人間中心」の考え方であるヒューマニズムを広め、忘れられていたギリシア・ローマの古典文化を復興した。その結果、科学や芸術が発展し、現代の人間尊重や理性重視の価値観に大きな影響を与えた。

今回はこのような内容でした。

次回は、ルネサンスの3回目として「拡大編」についてみていきます。多方面での発展は、その後の社会にどんな影響を残したんでしょうか。
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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