世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロード可です!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回はローマが最もと言っていいほど、後世に影響を与えた実用的な文化遺産である法律と暦法についてやっていきます。
いったいどんな内容だったのか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:ローマ法は現代にどんな影響を与えたのか?
今回の時代はここ!
ローマ法とは?
後世に最も影響を与えたローマの文化遺産の一つがローマ法なんです。
共和政時代の十二表法に始まって、帝政ローマの末期までに制定された法律をまとめてローマ法といいます。
以下が今回ご紹介するローマ法の流れです。
・十二表法
・万民法
・『ローマ法大全』
それでは順番にみていきましょう!
十二表法
十二表法は以前にも扱いましたね。
時代の流れや元老院などの組織の説明と一緒に見たい人はこちら!
初期のローマは法律は神官に独占されていて、その神官は貴族階級に限られていたんです。
なので平民には法律を知る機会がありませんでした。
そこで平民たちは、元老院に対して法の公表を要求して作成されたのが、十二表法でした。
十二表法は、市民の権利・義務が銅板に刻まれた成分法として制定されました。
これまで貴族(神官)によって、独占されていた慣習法を成文法として公表したわけですが、これによって法の手続き(裁判など)が神官から市民に移り変わっていきました。
今までは神官による「神の預言」だったのが、十二表法(成文法)によって「法による判断」が可能になったんです。
つまり、この十二表法によって貴族、平民ともに“法の下に平等”になったんです。
ここからローマ法が始まっていきます。
万民法
はじめ、ローマ法はローマ市民権をもつ人だけに適用される“市民法”と呼ばれるものでした。
しかし、ローマの征服戦争による拡大が進むと、その支配下に違う習慣を持った多くの異民族が含まれるようになります。
そうなると、ローマ市民にだけ適用される市民法だけでは処理しきれなくなってしまったんです。
そうして国内に“ローマ”での生き方を示すために、みんなが納得する共通の法律が必要になっていきました。
212年にカラカラ帝によって帝国内の全自由人に市民権が与えられたことで、ローマ法は市民法から“万民法”として機能するようになり、状況に応じて変化していくことになりました。
万民法の誕生後には、世界初の“法学”が誕生して、法学者たちが法や判例の研究がおこなわれたりもしました。
『ローマ法大全』
法の整備
SQ:なぜ帝政後期に法の整備が進んだのか?
ローマ帝国の後期にもなると、法律の整備が皇帝のもとで積極的におこなわれるようになります。
ではなぜ法律の整備が帝政後期におこなわれたんでしょうか?
ヒントは時代の流れです。
時代が経って法律が時代遅れになってしまったからですか?
そうなんです。
時代が経つと機能しなくなる法律もありますし、長い年月で法律も多岐にわたるようになったので、「整備しよう!」ということになったんです。
皇帝にとっては統治が上手くいくためには法律は必須です。
それらの法律を民衆に理解させるために、“法律をわかりやすい”ようにしなければならなかったわけなんです。
要は、法律がわかりやすくまとめられたものが必要になったわけなんです。
ユスティニアヌス帝の『ローマ法大全』
そのような理由から法律が整備されて体系化された代表例が『ローマ法大全』と呼ばれるものです。
『ローマ法大全』は6世紀に東ローマ帝国のユスティニアヌス帝の命令によって編纂(へんさん)されました。
皇帝から編纂の命令をうけたのはトリボニアヌスら法学者たちでした。
彼らによって『ローマ法大全』は以下のようにまとめられました。
・『勅令集』・・・歴代皇帝の法令をまためたもの
・『学説彙纂』・・・過去の重要な法学者の法解釈・学説を整理したもの
・『法学提要』・・・皇帝の定めた教科書
・『新勅令集』・・・ユスティニアヌス自身が出した法令をまとめたもの
この『ローマ法大全』によって、長年ローマ帝国の支配を支えてきたローマ法は集大成されたというわけです。
ローマ法のその後
ローマ法はローマ帝国滅亡後も、ヨーロッパ諸国の法律のお手本として尊重されました。
フランスやドイツの近代法にも影響を与えて、それが明治時代の日本に伝わって現在の法律に影響を与えているんです。
「契約の自由」やその「履行の義務」などの商業活動を保護する法律や、すべての人が本来持っている法律の原則を意味する「自然法」の考えなどが後世の法律に影響を与えました。
暦法
ユリウス暦
ローマでは太陽暦をもとに暦を数えていました。
太陽暦は実際の季節とずれてしまうので、閏月(うるうづき)をいれて調整していましたが、前1世紀ごろには実際の季節よりも約2か月ほどズレが生じていたんです。
これを再度調整するために暦法を改良したのがカエサルでした。
カエサルは太陽暦を改良してユリウス暦と呼ばれるものをつくりました。
太陽暦は1年を355日で隔月で閏月を入れていたのですが、ユリウス暦では1年を365日と4分の1として、4年に一度閏年をいれて調整する方法をとりました。
これによって暦と実際の季節が同じになるように調整されたというわけです。
今の暦法とほとんど同じですね。現在使われている暦法は、この後さらに改良されたグレゴリウス暦というものなんですよ。
ちなみに暦法は農産物に直接影響を与えますから統治者であるカエサルとしては大事な政策だったんですよ。
このユリウス暦はさらに改良を加えたグレゴリウス暦ができる16世紀までヨーロッパを中心に使われていました。
まとめ
MQ:ローマ法は現代にどんな影響を与えたのか?
A:ローマ帝国滅亡後もヨーロッパ諸国の法律の見本として尊重され、フランスやドイツの近代法の影響を与えた。それが日本の明治にも伝来して、契約の自由や自然法など、現代の法律にも影響を与えている。
今回はこのような内容でした。
次回はローマ文化③(文学、歴史、哲学)についてです。どのような考え方や価値観がローマでは生まれたのか?
それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓
・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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