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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は再びローマ帝国に危機を訪れて、ついに帝国が東西に分裂してしまいます。そのうちの西ローマ帝国が早々に滅亡し、東ローマ帝国は長期間繁栄します。
なぜ西ローマ帝国は早々に滅びてしまったのか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:なぜ西ローマ帝国は滅亡したのか?
今回の時代はここ!

ゲルマン人の大移動
ディオクレティアヌス帝やコンスタンティヌス帝による改革によって、ローマ帝国は混乱が収まって安定するようになりましたね。
しかし、膨大な数の軍隊と官僚を支えるために民衆への税金は重たくなっていきました。
税金の負担が大きくなっていくと、属州は減税を求めて反乱が起こるようになってしまいます。

そして、それに加えて起こってしまったのがゲルマン人の大移動でした。
このゲルマン人の大移動によって、ゲルマン人が大量にローマ帝国内になだれ込んできて、帝国(特に西側)は混乱に陥ってしまいました。

テオドシウス帝
このようにローマ帝国内が混乱状態になってしまったので、帝国の分裂はもう免れない状態になったしまいます。
しかもローマ帝国はコンスタンティノープルが建設されて以来、帝国の中心が東側に傾いていき、西側はゲルマン人の侵入などで衰退の一途をたどっていました。
そんな中、379年に皇帝に即位したのが、テオドシウス帝でした。

テオドシウス帝は、国内の政敵を排除して帝国を政治的に再統一して改革に打ち込みましたが、広大な領土を中央だけで管理するのにはやはり限界を感じてしまいます。
そこでテオドシウス帝は自らが死ぬ間際、帝国を東西に分割して息子2人に分け与えることにしたんです。
これによってローマ帝国は東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂することが確定し、その後二度と統一されることはありませんでした。



この東西分裂は、後に言われるようになったらしく、この当時はまだ一つの国として認識されていたそうですよ。少しややこしいですね。
東西ローマ帝国
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)
東西分裂によって、東のコンスタンティノープルを首都として繁栄したのが東ローマ帝国でした。

東ローマ帝国はゲルマン人の侵入をうけたものの、さらにゲルマン人たちが西に進んだことで、被害が少なく済みました。
さらにコンスタンティノープルがもともと政治や経済の中心地だったので、軍事的にも経済的にも規模が大きく、各都市は商業でにぎわっていました。
首都の他にも、エジプトのアレクサンドリアやシリアのアンティオキアなど、大都市が健全だったので東ローマ帝国は繁栄していきます。
なので、東ローマ帝国は最終的には1453年まで続き、約1000年もの間、専制国家として繁栄したんです。

東ローマ帝国は「ローマ帝国」を自称していましたが、次第にコンスタンティノープルの旧称ビザンティウムから取られた「ビザンツ帝国」と呼ばれるようになっていきました。
だってもう都市ローマと関係ないですからね。

西ローマ帝国
一方、西のローマを首都としたのが西ローマ帝国でした。

何度も言うように、西ローマ帝国はゲルマン人の侵入の被害をもろに受けて、経済的に衰退していました。
首都ローマも例外ではなく、皇帝はゲルマン人の侵入から身を守るために早々にローマを離れてしまうほどでした。
その後、ゲルマン人の西ゴート族による侵入でローマは徹底的な略奪を受けてしまい、永遠の都ローマは荒れ果ててしまいました。
皇帝の権力はその後も細々と残ってはいましたが、ゲルマン人によって領土は縮小していき、皇帝権力もその時々の実力者によって操られるような存在になってしまいました。

もう東ローマ帝国と比べてボロボロな状態ですね。
次第に西ローマ帝国軍の中枢部もゲルマン人が担うようになっていきます。
ある時、実力者が息子を皇帝に就かせたことに不満を持ったゲルマン人傭兵隊長のオドアケルが反乱を起こし、皇帝を退位させるクーデターが起きてしまいます。
オドアケルはその後、皇帝には就かずに東ローマに服従する姿勢をとってイタリア総督として統治することになりました。

大国である東ローマからの侵攻を恐れたのか、不安定な治安を大国の後ろ盾によって統治しようとしたのかどちらかでしょうね。
これによって西ローマ帝国は476年に、わずか100年足らずで滅亡することとなってしまいました。

まとめ
MQ:なぜ西ローマ帝国は滅亡したのか?
A:ゲルマン人の大移動によって帝国内が混乱し、帝国の東西分裂によって被害の大きかった西側がさらに衰退していった。皇帝の権威も低下していき、最終的にはゲルマン人傭兵隊長のオドアケルのクーデターによって皇帝が退位させられ、滅亡した。

今回はこのような内容でした。

次回はローマの生活と文化についてです。ローマが残した文化にはどんなものがあるのでしょうか。
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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