世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回からはローマ文化についてです。
ローマ人たちはどんな文化遺産を残していったのか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:ローマ文化の特徴とは?
今回の時代はここ!
今回からは文化なので、とりあえず全体を示しておきますね。
ローマ文化の特徴
ローマ文化の特徴は、ローマの詩人であるホラティウスが有名な言葉を残しています。
征服されたギリシアが野蛮な征服者をとりこにした。
この言葉にはどんな意味が込められているでしょう?
この言葉が示すローマ文化の特徴とは、簡単にいうと
「ギリシアの模倣」です。
ローマはギリシアを征服して属州として統治していましが、文化ではギリシアの影響を強くうけて、ローマ文化としての独自性がなかったといわれているんです。
特に芸術ではギリシア文化を模倣したものがほとんどで、ギリシア彫刻は現在ほぼ残っていないのですが、ローマ時代の模倣品によって、現代でもギリシア文化が理解されているほどなんです。
でもローマは、それらの吸収した知識を統治に応用するのに長けていました。
特に実用的な建築や法律などでは優れたものを残して、後の文化に大きな影響を与えているんです。
加えて大帝国だったことから、ローマの文化的な重要性は、地中海を中心にその広大な領土の隅々にまでギリシア・ローマ文化を広げたことにあります。
そんな実用的な文化が発展したローマ文化を1つずつみていきましょう。
ローマ字とラテン語
たとえばローマが文化的に残した代表例といえば、ラテン語とローマ字ですね。
ローマ字はみなさんにもなじみ深い文字ですよね。
ラテン語はイタリア半島のラテン人の言語が領土拡大とともに広がっていきました。
ローマ字の起源は、ラテン人がイタリア半島の住民を通じて間接的にギリシャ語のアルファベットを受け継ぎ、自らの言語であるラテン語の表記に用いるようになったことにあります。
ラテン語は、キリスト教の神学で重要な用語として使われ、中世ヨーロッパでは学者たちが学術言語としてラテン語を使用していました。
その結果、キリスト教世界では国際共通語のような役割を果たすまでになったんです。
フランス語、イタリア語、スペイン語などはラテン語が変化したものなんですよ。
ローマ字も現在でも英語表記や日本語を海外向けに表記する際に使われたりしていますもんね。
さっそくローマ字など、みなさんにも身近なところにローマの文化的遺産がありましたね。
土木・建築
ローマの実用的な文化といえば、土木・建築技術ですね。
なんたって現在でもイタリアのローマには数々の帝国時代の建築物が残っていますからね。
イタリアが世界的な観光名所である理由の一つです。
もともとは初期に支配を受けていたエトルリア人から技術を受け継ぎ、それらを応用して帝国全土に公共施設を建設しました。
以下にローマの公共施設を紹介していきます。
ローマは征服戦争を繰り返していましたよね。
その際、常に軍隊や物資をなるべく早く移動させる必要があったので、それを可能にするために造られたのが「ローマ道」でした。
これは首都ローマから各方面へ軍用道路としてローマ道(国道)が整備されました。
最も古く、現在でも一部が残っている代表的なローマ道はアッピア街道です。
アッピア街道は軍用道路としてローマから南イタリアまで建設された石で舗装された道路でした。
アッピア街道は全長約540kmでその舗装の美しさから「街道の女王」と呼ばれているそうです。
このようなローマ道は帝国中に貼りめぐらされ、軍事用だけでなく商業用としても活躍して、ローマの経済発展に貢献しました。
当時から車道(馬車道)と歩道が区別されていて、とても実用的だったようです。
道の舗装も各地の土地の状況に合わせて変えていたそうですよ。
このように広大な領土にローマ道(国道)が整備されたことで「全ての道はローマに通ず。」と言われるようになったわけなんです。
都市にも様々な公共施設が建設されました。
特徴的なものでいえば、「公共浴場」です。
漫画や映画で話題になった「テルマエ=ロマエ」で公共浴場のイメージを持っている人もいるかもしれませんね。
ローマ帝国では歴代の皇帝が公共浴場を建設するなど、帝国内に多くの浴場がありました。
温泉などの浴場だと日本を想像しがちですが、実はローマにもその文化があったんです。
SQ:なぜローマ帝国では多くの公共浴場が建設されたのか?
日本では街中の「銭湯」をイメージする人が多いと思いますが、“ローマの公共浴場”は“日本の銭湯”とは大きく違っていたんです。
ローマの公共浴場は、一言でいうと単なる公共浴場ではなく“総合娯楽施設”だったんです。
最も大規模で代表的な公共浴場はカラカラ帝が建設した「カラカラ浴場」です。
カラカラ浴場にあった施設はざっとこんな感じです。
・大浴室(プール並み)、中央ホール、微温浴室、熱浴室
・運動場、遊歩道
・図書館
・庭園
・マッサージ室
・室内競技場(スポーツジム)
・食事場(食べ放題) etc.
これだけの施設が一つの公共施設に備わっていたんです。すごいですね。
しかも使用料は格安で、施設内の設備は使い放題でした。
飲食なんでただ同然だったみたいですよ。うらやましいですね。
現代でいう健康ランド的な存在でしょうか。
このように公共浴場は民衆の総合型娯楽施設として親しまれていたんです。
ではなぜ皇帝たちはこのような公共浴場を積極的に建設したんでしょうか?
これらの施設がたくさんあると民衆はどう思うでしょうか?
皇帝が公共浴場を建設する目的とは?
民衆は皇帝によって建設された格安の娯楽施設を利用することで生活満足度が上がり、政治への不満が和らぎます。
これによって皇帝は民衆からの支持を獲得できて、政治や治安を安定させることができたんです。
ローマ建築はレンガや円形アーチが特徴で、先ほども言いましたが都市ローマには現在にも残る遺跡が数多くあります。
●コンスタンティヌス帝の凱旋門
ローマにある凱旋門で最も有名で、大きさは高さ21m、幅26mにも及びます。
幅が学校にある25mプールとほぼ同じなので、大きいですね。
装飾も細かくて美しいです。
●コロッセウム(円形闘技場)
ローマの遺跡でも知名度の高いローマ最大の円形闘技場といえばコロッセウムですね。
このような闘技場では剣闘士による決闘や猛獣との試合、海戦の模擬戦などがおこなわれて、民衆の「パンと見世物」の娯楽として楽しまれました。
コロッセウムには約5万人が収容できて、地下から人力のエレベーターで猛獣を運び、時には会場に水を張って海戦の模擬戦をするなど、大規模な設備が備わっていたんですよ。
●パンテオン(万人殿)
パンテオンは、ローマの象徴的な神殿で、「すべての神々の神殿」という意味です。
“パン”は「全ての」を、”テオン”は「神々」を指し、「万神殿」としても知られています。
●ガール水道橋
多くの人口を抱えていたローマ帝国は大量の水を供給するために、サイフォンの原理を使った都市に水を引くための水道橋を各地に建設しました。
サイフォンの原理・・・水面の高低差を活用して液体を移動させるメカニズム。
その代表的なものがフランスにあるガール水道橋です。
これにはアーチ型の石積みやコンクリートで固めた水路など、高度な建築技術が用いられています。
ガール水道橋は高さ54m、長さは約300mにも及ぶ大型建築物でした。
単純な水分だけでなく、多くの公共浴場の水もこの水道橋によって支えられていたんです。
以上のような公共施設は皇帝や有力者が民衆からの支持を得るために、属州各地にも建設されました。
これらは帝国各地にギリシア・ローマ文化が広がっていたことがわかりますね。
まとめ
MQ:ローマ文化の特徴とは?
A:ギリシア文化の影響を強く受け、美術などは模倣に終わったが、建築や法律などの実用的な文化では優れたものを残した。帝国各地にギリシア・ローマ文化を広げて、現在でも文化的遺産を数多く残し、世界中に影響を与えている。
今回はこのような内容でした。
次回はローマ文化②(法律、暦法)についてです。現在でも使われている法律やカレンダーはローマ帝国の文化遺産の影響をうけているんですよ。
それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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