世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回はギリシア文化の中でも“歴史”と“建築”、“美術”についてです。これらはいったいどんな特徴があるんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:ギリシア建築や美術の影響とは?
今回の時代も割愛させていただきます。
歴史
ヘロドトス
前5世紀になるとギリシアでは、「歴史学」が登場しました。
アテネで歴史家として活躍したのが、ヘロドトスと呼ばれる人物でした。
ヘロドトスはイオニア自然哲学の影響をうけて、神話ではなく、多様な視点から歴史を探究して説明しようとした人物です。
彼の著書である『歴史』は、アテネの繁栄のもととなったペルシア戦争の歴史について書かれた歴史です。
この歴史書は、アテネからの視点だけでなく、アケメネス朝ペルシアを含むオリエント地域全体に対しても広い視野と豊かな知識によって書かれています。
ヘロドトスの歴史研究の方法は、その後の歴史学に大きく貢献して「歴史学の父」と呼ばれるようになりました。
「エジプトはナイルのたまもの」という言葉もヘロドトスが言った言葉でしたね。
トゥキディデス
トゥキディデスもアテネの歴史家で、著書『歴史』では同時代に起きたペロポネソス戦争についての記録が書かれています。
トゥキディデスの著書もヘロドトスと同じ『歴史』なので、内容の違いについて理解しておきましょう。
・ヘロドトス『歴史』・・・ペルシア戦争
・トゥキディデス『歴史』・・・ペロポネソス戦争
その内容は、厳密で冷静な客観的な視点が書かれていることが特徴で、自身も将軍として参加していたことが起因となっています。
将軍としては失敗して亡命生活を送り、アテネの敗戦後に故郷に戻って『歴史』を書いています。
トゥキディデスは『歴史』が完成する前に亡くなってしまい、その後は複数の歴史家たちによって引き継がれています。
トゥキディデスの正確で客観的な歴史研究も後に評価されて、ヘロドトスと同じく、「歴史学の父」と呼ばれています。
トゥキディデスは「ヘロドトスよりも正確で厳密な歴史書」を目標に書いていたそうですよ。
建築
建築・美術は、もともとどちらも神々に捧げる芸術として始まって、調和と均整の美しさが追求されました。
建築は主に神殿建築は代表的で、その柱から大きく3つの様式に分かれています。
●ドーリア式・・・荘厳(そうごん)で力強い。
荘厳・・・立派で威厳があること
●イオニア式・・・優美。
●コリント式・・・華麗。
ペロポネソス半島に進出したドーリア人とイオニア人は、それぞれ独自のスタイルで神殿建築を始め、ドーリア式およびイオニア式と呼ばれるようになりました。
これに少し遅れて、コリント式が登場しました。
ドーリア式
ドーリア式は、柱が短く、装飾をほとんど使用せずに屋根を支える構造で、「荘厳で力強い」という特徴があります。
アテネのペリクレス時代に15年もの歳月をかけて再建されたパルテノン神殿は、ドーリア式建築の傑作といわれています。
ちなみにこのパルテノン神殿の総工費は、当時の労働者1,200万~1,800万人分もの価値があったそうです。
現代の日本のサラリーマンの平均年収が約400万円なので、換算(1500万人分)すると約60兆円です。日本の国家予算の約6割です。驚愕ですね。(笑)
イオニア式
イオニア式は、柱の頭に渦巻きの装飾があり、「優美さ」が特徴です。
代表的な例としては、アテネのニケ神殿などがあります。
また、ローマのコロッセウムの柱の一部にもイオニア式が使われているんですよ。
この後のローマ時代から西欧建築に至るまで、イオニア式の建築は広く取り入れられていきました。
コリント式
コリント式は、柱の頭に複雑な装飾があり、植物や蔓(つる)のモチーフが装飾されているので、「華麗」と表現されているのが特徴です。
代表的な例としては、アテネのゼウス神殿などがあります。
ちなみに、このコリント式もローマのコロッセウムの柱の一部で使われています。
美術
人物彫刻は、はじめは古代エジプトに習って直立不動の姿勢で描かれることが多かったのですが、次第に人間のリアルな側面を描く写実的なものに変わっていきました。
代表的な彫刻家はフィディアスという人物です。人間の理想的な肉体美を彫刻によって表現しました。
アテネを代表する彫刻家で、英雄的将軍のペリクレスとも親交があり、ペルシア戦争で破壊されたパルテノン神殿の再建に携わりました。
そこでは総監督として、彫刻も担当しアテナ女神像を完成させています。
そのアテナ女神像は現在では残っていませんが、ローマ時代の模造品が残っているそうです。
本物は金と象牙でできていたそうですよ。神殿よりも費用がかかったとか。(笑)
あと、フェイディアスによって彫られた美しい肉体美のパルテノン神殿フリーズ彫刻は、大英博物館でみることができます。
まとめ
MQ:ギリシア建築や美術の影響とは?
A:神々に捧げる芸術としてはじまり、イオニア学派の影響をうけながら発展した。その様式は後のローマや西洋美術に影響を及ぼした。
今回はこのような内容でした。
次回はヘレニズム時代の文化についてやっていきたいと思います。ヘレニズム時代ではどんな考え方ができたんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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