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[9-2.3]南北アメリカ大陸の開拓①(探索編)

9-2.ヨーロッパ大航海時代

この記事で使用したPowerPointスライドは「note(グシャケン|note)」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドやWordプリントのダウンロードは記事の最後に貼ってあるURLから!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は大航海時代のアメリカ大陸の発見についてです。なぜアメリカ大陸はヨーロッパによって発見されたんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:スペインのアメリカ大陸発見の要因と、その後大陸に与えた影響とは?

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コロンブスのアメリカ大陸到達

コロンブスの西回り航路

ヨーロッパで香辛料の需要から、アジア航路の開拓が魅力的になり、国土回復運動(レコンキスタ)を完成させたポルトガルがアフリカ西岸を回ってインドに向かう航路を開拓したことで、ポルトガル王国は巨万の富を築くことになりましたよね。

しかし、その陰で同じレコンキスタを完成させたにも関わらず、アジア航路開拓でポルトガルに遅れを取った国がありました。

それがスペイン王国です。

スペイン王国は国土回復運動の最中に2つの王国が統合されてできた国家だったので、ポルトガルよりも海洋進出が遅れてしまっていたんです。

ポルトガル王国 スペイン王国 大航海時代

そして、そのタイミングでアジア航路開拓を目指す1人の航海者がいました。

それが後にアメリカ大陸を発見するコロンブスという人物です。

コロンブス

コロンブスはイタリアのジェノヴァ出身で、マルコ=ポーロの『世界の記述』などの書物からアジアに興味を持つようになり、アジア航路開拓を目指すようになった航海者でした。

そしてコロンブスはフィレンチェの天文学者だったトスカネリから、

トスカネリ
トスカネリ

地球は球体だから、アフリカ大陸に沿って行く東回り航路よりも、西回り航路の方が早くアジアに着くはずだ。

という地球球体説を信じてポルトガルのジョアン2世に自分を売り込みにいきます。

コロンブス トスカネリ

しかし、ジョアン2世は、

ジョアン2世
ジョアン2世

ポルトガル王国は東回り航路で開拓を進めているから、その案は却下だ。

ということでポルトガル王国からの協力は得られませんでした。

グシャケン
グシャケン

当時は地球は平面に広がっているという考えも残っていたので、西回り航路を実証するにはリスクが大きかったんでしょうね。

その後、コロンブスはスペイン王国にも売り込みにいきますが、スペイン王国も当時まだ国土回復運動(レコンキスタ)を完成させていなかったので、興味は持ったものの支援する余裕がなく断られてしまいます。

こうしてコロンブスの航海案はお蔵入りしそうになりましたが、ここでスペイン王国の状況が変わります。

スペイン王国がナスル朝のグラナダを陥落させて国土回復運動(レコンキスタ)を完成させたんです。

余裕ができたスペイン王国は、ポルトガルにアジア航路開拓に遅れをとっていた分を取り返そうと、女王のイサベルが、

イサベル女王
イサベル女王

コロンブスに航海を支援してアジア航路を開拓するわよ!

というふうに、スペイン王国がコロンブスの西回り航路を採用したことで、晴れてコロンブスはアジア航路開拓に出れることになりました。。

コロンブス イサベル女王の航海支援

コロンブスの航海とアメリカ大陸への到達

1492年、コロンブスはスペイン王国のイサベル女王の支援のもとで、西回り航路でアジアを目指す航海に出発します。

しかし、この大西洋を横断しようとした先でたどり着いたのが、アメリカ大陸だったんです。

約2か月あまりの航海を経て、コロンブスは現在のバハマ諸島のサンサルバドル島に到着しました。

コロンブスの航海 サンサルバドル島に到着

コロンブスは、

コロンブス
コロンブス

ここはインディアス(アジア)の東の外れにある半島の一部だ!

と、アジアへの到着が成功したんだと確信し、現地人とも接触して、彼らをインディアス(アジア)の人という意味で「インディオ」と名付けました。

グシャケン
グシャケン

ちなみに、北アメリカの英語圏では「インディアン」と呼ばれるようになりました。こちらの方が皆さんになじみがあるかもしれませんね。

インディアス・・・ヨーロッパ人がインドから東のアジア全域を指した地理的概念。

その後も約4回に渡って大西洋横断の航海を行って、資源を求めてアメリカ大陸への上陸も果たしましたが、コロンブスは最後まで「新大陸」だとは気づかず、アジアだと思い込んで生涯を終えることになりました。

グシャケン
グシャケン

新大陸での拠点(植民地)での混乱や資源が金や香辛料が思うように採れなかったことと、イサベル女王の死去などによって、コロンブスはスペイン王国から見放されてしまい、失意の中で病死してしまいました。

コロンブスの航海 インディオ インディアン
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南北アメリカ大陸の探索

トルデシリャス条約

コロンブスによる大西洋進出によって、スペインが本格的に大西洋へ進出していくことになり、すでに東周り航路で海洋進出していたポルトガルとの間で、領土をめぐる対立が起こるようになります。

グシャケン
グシャケン

そりゃポルトガルからしたら、スペインがアジア航路を開拓した(スペインの思い違い)ということは、商売敵になるということですから、面白くないですよね。

なので、今後新しい土地が見つかった際の対立を避けるために両国間で支配可能な領土の境界線を引くことにしました。

それによって結ばれたのがトルデシリャス条約です。

トルデシリャス条約の内容

・ローマ教皇が調停

・西経46度37分を境界線に指定

・東側をポルトガル、西側をスペインが領有

グシャケン
グシャケン

この条約のすごいところは、まだアメリカ大陸(新大陸)と認識されていなかったことと、ポルトガルとスペインが勝手に世界を東西に分けて支配しようとしたところでした。

トルデシリャス条約
グシャケン
グシャケン

ここからはアメリカ大陸を探索した人々を紹介していきます。

カブラル

1500年、ポルトガル王国はカブラルという人物を派遣して、南アメリカのブラジルに到達します。

カブラル
グシャケン
グシャケン

カブラルはヴァスコ=ダ=ガマの後にインドのカリカットを目指して派遣された船団だったんですよ。大圏航路から外れてたまたま到達した説と、意図して陸を探して到達した説があるようです。

ちなみにその後、カリカットまで到達して砲撃でムスリム商人を攻撃し、大量の香辛料を持ち帰ってもいるんですよ。

このカブラルのブラジル到達によって、ポルトガルも南アメリカ大陸に進出していくことになります。

カブラル
カブラルの航海

アメリゴ=ヴェスプッチ

現在のブラジルに到達したポルトガルは、この土地を探索するためにフィレンチェ出身のアメリゴ=ヴェスプッチという人物を派遣します。

グシャケン
グシャケン

アメリゴ=ヴェスプッチはフィレンチェの名家出身で、ポルトガルの派遣以前にスペインからも誘いと受けて大西洋の航海に出ていました。

アメリゴ=ヴェスプッチ

アメリゴ=ヴェスプッチは複数回の航海をおこない、南北に延びる地形から、

アメリゴ=ヴェスプッチ
アメリゴ=ヴェスプッチ

ここはインディアス(アジア)の一部ではなく、新大陸だ!

という考えに至り、コロンブス以降信じられていたアジアではなく、新大陸(ヨーロッパ人にとって)だということを発見したんです。

こうして、この新大陸は後にアメリゴ=ヴェスプッチの名前から「アメリカ大陸」と呼ばれるようになりました。

グシャケン
グシャケン

最後はスペイン王国の誘いを受けて東回り航路の開拓に尽力して、その道半ばで亡くなってしまいました。

アメリゴ=ヴェスプッチ 新大陸 アメリカ
アメリゴ=ヴェスプッチの航海

カボット

大西洋の東回り航路でアジアを目指したのはスペインだけではありませんでした。

大ブリテン島のテューダー朝イギリス王によって派遣されたカボットという航海者は、コロンブスに次いで大西洋の横断に成功して、ニューファンドランドなどに到達して北米大陸を探検しました。

カボット
グシャケン
グシャケン

カボットは北極圏まで進んだらしいですが、寒すぎて退却したそうです。

ちなみにカボットもコロンブスと同じくアジアの一部と思い込んで、ジパング(日本)を目指して最後まで航海していたそうですよ。

カボットの北米探査 北極圏

カルティエ

フランスのヴァロワ朝でもライバルのスペインの大西洋進出に対抗するために、西回り航路でのアジア進出を目指しました。

アジア航路開拓とアメリカ大陸での植民地獲得を目的に、カルティエという航海者が派遣され、現在のカナダに到達して、フランスのアメリカ植民地の先駆けとなりました。

カルティエ
グシャケン
グシャケン

カラティエも最終的にはアジア航路を開拓することはできませんでした。

カルティエのカナダ探索
グシャケン
グシャケン

ここまでの南北アメリカ大陸探索の内容を国ごとにまとめておきましょう。

南北アメリカ大陸の探索概要

[スペイン]

コロンブスがアメリカ大陸に到達。

[ポルトガル]

カブラルがブラジル到着。

アメリゴ=ヴェスプッチが「新大陸」を発見、呼称が「アメリカ大陸」に。※スペインでの派遣もあり

[イギリス]

カボットが北米探索。

[フランス]

カルティエがカナダ探索。

この一連の開拓事業によって、中南米はスペインとポルトガルが、北米はイギリス・フランスが支配していき、植民地開発がおこなわれていく根拠になっていきました。

バルボア

ポルトガルに次いで、アジア航路を開拓しようとしていたスペインはアメリカ大陸を抜けてアジア航路に向かう西回り航路をなかなか発見できずにいました。

グシャケン
グシャケン

なんせ新大陸にぶち当たってしまいましたからね。

要は、アジア航路開拓には太平洋を発見することが課題でした。

しかし、コロンブスのアメリカ大陸到達から約21年の時を経て、ようやく太平洋を発見することになります。

それがバルボアという人物が率いた船団でした。

現地の先住民から「南の海に黄金の国がある。」という話を聞きつけて、現在のパナマを探索したところ、南北アメリカ大陸が地続きであることを発見し、その先に太平洋があるのを目撃したんです。

これはヨーロッパ史上初の太平洋の発見になりましたが、太平洋に抜ける海路を発見すること自体はできませんでした。

グシャケン
グシャケン

しかし、アメリカ大陸の西側に海が広がっていたことが確認されたことで、「アジアに行けるんじゃないか!?」という期待感が高まることになります。

バルボアの太平洋発見 パナマ

マゼラン

太平洋の発見でスペイン国王は、

スペイン国王
スペイン国王

トルデシリャス条約に従えば、このまま西に進んで香辛料が採れるモルッカ諸島に到達すれば、スペイン領を主張することができるんじゃないか。

ということで、西回り航路でモルッカ諸島を目指して派遣されたのが、マゼランという航海者でした。

マゼラン

マゼランは南アメリカ大陸を南に沿って進んでいき、大陸の南端を超えてヨーロッパで初めて海路で太平洋に出ることに成功します。

グシャケン
グシャケン

この時にマゼランは「穏やかな海」という意味で”太平洋”と名付けたそうですよ。

マゼランはそのまま太平洋を横切って、約2年間の航海経て東南アジアフィリピンに到達することに成功します。

しかし、そこでマゼランはフィリピン現地人と争いになって戦死してしまいます。

船長は失いましたが、船団の1隻はそのまま西航路での航海を続けてアフリカをぐるっと回り、出発から約3年かかってなんとスペインに戻ることに成功したんです。

これでマゼラン船団は人類史上初の世界一周を達成したことになり、地球が球体であることが証明されました。

マゼランの世界一周
マゼランの航海

このフィリピン到達を足掛かりに、スペインはフィリピンの植民地化を進めていき、アジアへ進出していくことになりました。

グシャケン
グシャケン

フィリピンという名前はスペイン王フェリペ2世から取られたんですよ。

このフィリピンを拠点に銀の交易でがっぽがっぽ儲けるんですよね。

南北アメリカ大陸の探索概要

[スペイン]

コロンブスがアメリカ大陸に到達。

バルボアが太平洋を発見。

マゼラン船団が初の世界一周を達成。

[ポルトガル]

カブラルがブラジル到着。

アメリゴ=ヴェスプッチが「新大陸」を発見、呼称が「アメリカ大陸」に。※スペインでの派遣もあり

[イギリス]

カボットが北米探索。

[フランス]

カルティエがカナダ探索。

大航海時代 航海者まとめ コロンブス バルボア マゼラン カブラル アメリカ=ヴェスプッチ カボット カルティエ
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まとめ

MQ:スペインのアメリカ大陸発見の要因と、その後大陸に与えた影響とは?

A:スペインはポルトガルに対する海洋進出の遅れを挽回するため、西回り航路を支援してアメリカ大陸を発見した。その後、ヨーロッパ諸国の探検が進んだ結果、植民地支配が広がっていった。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回は、南北アメリカ大陸開拓②「征服編」についてみていきます。アメリカ大陸の先住民はなぜ短期間でヨーロッパ(特にスペイン)人に征服されてしまったんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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