世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回はフランク王国の全盛期を築いたカール大帝についてです。カール大帝の統治は西ヨーロッパに何をもたらしたんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:カール大帝は西ヨーロッパに何をもたらしたのか?
今回の時代はここ!
領土拡大
フランク王国では、クローヴィスによるメロヴィング朝の後、宮宰として権力を握ったピピンによってカロリング朝が成立していましたね。
ローマ=カトリック教会とも関係を深めたピピンの後を継いだのが、息子のカール1世でした。
のちのカール大帝と呼ばれる人物です。※以後「カール大帝」と表記
このカール大帝は自分が王であった大半の時間を使って領土拡大に努めました。
領土拡大の流れはこんな感じです。
イタリア半島を支配していたランゴバルド王国を完全征服し、カール大帝はランゴバルド王として戴冠しました。
ドイツ北西部に住んでいた、アングロ=サクソン系のザクセン人との長期にわたる戦争のすえ、彼らを征服することに成功してフランク王国に統合しました。
ドイツ語のザクセン(Sachsen)を英語表記にしたのがサクソン(Saxon)です。
アヴァール人は5世紀頃に南ロシアに現れた騎馬遊牧民で、ビザンツ帝国やフランク王国の度々侵攻して脅威となっていました。
ビザンツ帝国はアヴァール人の侵攻を防ぐために貢納して、それがアヴァール人国家の収入となっていたほどです。
しかし、カール大帝によって撃破されてしまい、フランク王国に組み込まれました。
イベリア半島のイスラーム勢力(後ウマイヤ朝)に対する遠征を行い、カタルーニャ地方を一時的に支配することに成功しました。
このようにしてカール大帝は、破竹の勢いで領土を拡大していったのですが、なぜこれだけ領土拡大を推し進めていったのでしょうか?
SQ:なぜカール大帝は領土拡大を推し進めたのか?
カール大帝がフランク王に即位した当時は、西ヨーロッパで中心的な存在ではあったものの、西からはイスラーム勢力(後ウマイヤ朝)が迫っており、東にはザクセン人やアヴァール人などの異民族が国境を脅かしていました。
加えて彼らは異教徒や他宗派だったので、これらの脅威からフランク王国やローマ=カトリック教会を守るための「防衛戦争」としての目的があったんです。
異教徒や他宗派の異民族からの防衛戦争
もう一つが、先ほどの防衛戦争に関係して、異教徒や他宗派の異民族を武力で支配することで、力づくで改宗させてキリスト教化させるという目的です。
キリスト教への改宗はキリスト教徒の使命でもありますからね。
異教徒のキリスト教化
このような武力に支配拡大で、王国を守りつつ、退けてキリスト教世界を拡大させようとしたんですね。
統治
遠征のたびにフランク王国の領土が拡大していったので、広大な領土を効率的に支配できるようにする必要がでてきました。
そこで、全国の領土を州にわけて、州ごとに伯という地方行政官を配置する伯領制が敷かれました。
この伯には地方の有力な豪族が任命されて、州の行政や軍事が任されていました。
要は伯領制=地方有力者への委任統治ですね。
伯の他にも上級貴族(国家運営に貢献している豪族)には公などの称号もありました。これは中世ヨーロッパに引き継がれていきました。
しかし、これでは伯に好き勝手される可能性があるので、国王が中央政府から巡察使を派遣して伯を監督させました。
巡察使は毎年派遣され、地方政治を監督、また民衆の不満を聞いて国王に報告させていたようです。
このような方法によって、カール大帝は広大なフランク王国の統治を効率よくおこないことができました。
地方行政官の伯は、役職を受ける代わりに国王からもらった土地を代々世襲していき、独立性を強めていきました。
これが後の封建制の領主となっていくことになります。
カロリング=ルネサンス
このようにしてカール大帝率いるフランク王国はビザンツ帝国に並ぶ強国へとなっていきました。
しかし、カール大帝は領土拡大や伯領制だけでなく、文芸復興にも力を入れていたんです。
文芸復興・・・文化、芸術の復興を目指した運動
カール大帝は宮廷に各地から学者を集めて、ラテン語による文芸復興をおこないました。
この文芸復興をカロリング=ルネサンスと呼びます。
ルネサンス・・・文芸復興
宮廷に招かれた代表的な学者としてはアルクインなどがいます。
彼はイギリス生まれの神学者で、ラテン語の教育や聖書の講義などをおこない、カロリング=ルネサンスの中心的役割を果たしました。
現在のアルファベットの小文字は、この時代にアルクインを中心に作られたんですよ。
カロリング小文字と言ったりもしますね。
SQ:なぜカロリング=ルネサンスがおこなわれたのか?
この文芸復興は単にカール大帝の趣味でおこなわれたわけではありません。(もしかしたら少しはあるかも・・・)
ではなぜカロリング=ルネサンスがおこなわれたのか?
その理由を「政治」と「経済」の面からみていきましょう。
まず一つ目の理由が「宗教的統一と権威強化」です。
当時、カール大帝はローマ=カトリック教会を保護する立場にあったので、キリスト教を広めて地位を確立させなければいけない立場にありました。
しかし、当時はキリスト教世界の公用語だったラテン語がゲルマン語などと混ざって別物になっていたり、ローマ字の表記も修道院ごとにバラバラだったりと、統一感がなかったんです。
なので、カール大帝は各地に学校を建てて、学問を通して官僚や聖職者を養成し、教義を含めたキリスト学の整備・向上に努めたんです。
このローマ字を統一する過程でできたのがカロリング小文字で、現在のアルファベットの小文字になっているんですよ。
これらの活動によって行政や宗教の言語が統一されて、効率よくローマ=カトリック教会の教義の確立に貢献することができました。
言語が正式なラテン語に統一されたほうが、王の権威を伝えやすいし、政治がしやすいですからね。
二つ目の理由が「経済発展」です。
文芸復興によって、学問や技術が向上したことで、農業や手工業が効率化されて、結果、経済発展に貢献しました。
加えて、カロリング=ルネサンスは、西ヨーロッパと他の地域との交易も促進しました。
高度な学問や文化は、それらを求めて周辺地域から人やモノが集まってきて、結果、商業活動の発展をもたらしたんですね。
これらの理由からカール大帝は王国をあげて文芸復興(カロリング=ルネサンス)をおこなったわけんなんです。
カールの戴冠
当時のローマ=カトリック教会は、ビザンツ帝国のギリシア正教会とは対立していたので、強力な保護者を求めていました。
そこで、当時フランク国王として勢力を拡大していたカール大帝に目を付けます。
フランク王国とはそれ以前から関係がありましたが、カール大帝がクリスマスを祝うためにローマ教皇のもとに訪れた際に、教皇レオ3世がカール大帝にローマ皇帝の冠(かんむり)を授けて、「西ローマ帝国」の復活を宣言しました。
これをカールの戴冠(たいかん)といいます。
この出来事でカール大帝率いるフランク王国はローマ=カトリック教会の強力な保護者として認定されたわけなんです。
教皇レオ3世は、[5-2.7]ローマ=カトリック教会②(聖像崇拝論争と東西教会の分離)に登場するビザンツ皇帝レオン3世と似ているので、注意しておきましょう。
このカールの戴冠は教皇レオ3世の事前告知なしのハプニング儀礼だったらしく、急な出来事に周りからの祝福もすごかったようです。
それだけ、ギリシア正教会に対抗するためにカール大帝を保護者にすることは意味があったのでしょう。
このカールの戴冠によって、ローマ=カトリック教会がビザンツ帝国の支配から独立してギリシア正教会と対等に対立する地位になりました。
加えて、フランク王国もビザンツ帝国と並ぶ政治的勢力として台頭することができるようになりました。
これらを総合すると、カールの戴冠によって西ヨーロッパ世界が政治的・文化的・宗教的に独立を果たしたといえるんです。
このようにローマ文化・キリスト教・ゲルマン人文化が融合した西ヨーロッパ中世世界が誕生して、フランク王国を中心に発展していくことになります。
以後、地中海世界は、「西ヨーロッパ世界」・「東ヨーロッパ世界」・「イスラーム世界」の3つに分かれて、それぞれ独自の歴史をたどっていきます。
まとめ
MQ:カール大帝は西ヨーロッパに何をもたらしたのか?
A:西ヨーロッパの大部分を統一し、カールの戴冠によってローマ=カトリック教会との関係が強固になったことで、西ヨーロッパ世界が政治的・文化的・宗教的に独立して、西ヨーロッパ中世世界の成立をもたらした。
今回はこのような内容でした。
次回は、西ヨーロッパ世界の中心となったフランク王国が分裂してしまいます。カール大帝の死後、フランク王国の各地域はどんな状況になっていったのか。
それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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