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[6-2.1]セルジューク朝

6-2.西アジア

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したPowerPointスライドもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回から「西アジア」の情勢についてみていきたいと思います。イスラーム化した後の西アジアにはトルコ人が進出してきます。トルコ人の進出によって西アジア社会ではどんな変化が起きたのか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:セルジューク朝によって西アジア社会はどう変化したのか?

今回の時代はここ!

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成立以前

トルコ人の西アジア進出

イスラーム化が起こった後の西アジアでは、トルコ人が各地に進出していました。

その理由とは、アッバース朝カリフなどがトルコ系のマムルーク(奴隷軍人)を親衛隊として採用していたからでしたよね。

トルコ系遊牧民は騎馬技術に優れていたので、遊牧民の少年を奴隷として購入し、戦士として育成した後に親衛隊として重宝されていました。

軍事訓練だけでなく、コーランなどのイスラーム教学も学ばせることで、イスラーム教に忠実な戦士を育てようとしていたんです。

マムルーク 資料:『詳説世界史探究』山川出版社

このようなトルコ系マムルークを親衛隊にする方法が、各地のイスラーム政権で取り入れられた結果、トルコ人が西アジアを中心に進出、拡大していったというわけなんです。

グシャケン
グシャケン

逆にサーマーン朝はこのトルコ系マムルークを各地に輸出することで繁栄していましたね。

ちなみに奴隷として購入されたマムルークの多くが奴隷から解放され、軍事エリートとして各国で活躍しました。

マムルーク

カリフの権威低下

しかし、トルコ人の進出はアッバース朝(イスラーム帝国)の統治者であるカリフの権威低下の要因の1つとなってしまったんです。

SQ:なぜトルコ人の進出がカリフ権威低下の一因となったのか?

グシャケン
グシャケン

なぜカリフ権威低下にトルコ人が関わっているのでしょうか?

それは先ほど触れたマムルークについてです。このマムルークはイスラーム政権でどんな役割を担っていましたか?

軍事エリートして親衛隊などで重宝されていました。

グシャケン
グシャケン

そうでしたね。そのように国にとってなくてはならない存在へとなっていったわけです。

これが何を意味するかわかりますか?

軍事エリートとして、政治に発言するようになったんですか?

グシャケン
グシャケン

そうなんです。

軍事的に重要なポジションに就くトルコ系マムルークが多くなったことで、政治への介入を防ぐことができなくなってしまったんです。

軍事的に重宝されたトルコ系マムルークは、はじめはカリフに忠実でしたが、次第に勢力が増えるにしたがって政治に介入するようになり、各地に独立政権ができたことでアッバース朝は財政難になっていき、カリフの絶対的権力が下がっていったというわけなんです。

SQ:なぜトルコ人の進出がカリフ権威低下の一因となったのか?

トルコ系マムルークが軍事の中核を担い、勢力を増したことで政治に介入、独立したことでカリフの権威が低下した。

アッバース朝カリフの権威低下 マムルーク
グシャケン
グシャケン

そりゃカリフも自分の身を守るエリート軍人に反抗されると立場が危ないですからね~。

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成立

建国とバグダード支配

このようなトルコ人(マムルーク)の進出によってトルコ系イスラーム政権も誕生していきます。

10世紀の中央アジアのカラハン朝に始まり、11世紀にはトルコ系遊牧民がシルクロード通じて西アジアに移動を始めます。

トルコ人の西進
グシャケン
グシャケン

なぜ西に移動したのかというと、西の文明が発展していたので、経済的な利益を求めて西進していったというわけです。

そこでトルコ人によって誕生したのがセルジューク朝と呼ばれる王朝でした。

創始者のトゥグリル=ベクは、当時西アジアを支配していたブワイフ朝が内紛で衰退しているのに乗じて侵攻し、バグダードを陥落させてブワイフ朝を滅ぼしてしまいます。

グシャケン
グシャケン

もともとバクダードはアッバース朝カリフの支配下でしたが、軍事政権のブワイフ朝に支配されてしまい、統治権を奪われていましたね。

トゥグリル=ベク
セルジューク朝 トゥグリル=ベク

スルタンの称号

ブワイフ朝をバクダードから追放したトゥグリル=ベク率いるセルジューク朝は、強力な遊牧部族軍を使ってイラン・イラク・シリアなどを支配する強大なイスラーム政権へと成長していきました。

セルジューク朝

トゥグリル=ベクはスンナ派を掲げて、ブワイフ朝に代わって保護下に置いたアッバース朝カリフからスルタンという称号を与えられました。

このスルタンとは「支配者」を意味し、カリフから「行政権を与えられた者」として統治を任されました。

カリフはこれまでと同じように宗教的な権威だけを持つ存在として、スルタンの統治に利用されることになりました。

グシャケン
グシャケン

イスラーム教の権威を残して統治するほうが民衆も納得しますからね。

それは[5-1.7]イスラーム帝国の分裂で触れたブワイフ朝の大アミールと同じ理由ですね。

このセルジューク朝のスルタン制度から、その後のスンナ派イスラーム政権では君主の称号としてスルタンが使用されるようになっていきました。

グシャケン
グシャケン

ちなみにセルジューク朝はスンナ派だったことから、エジプトのシーア派王朝のファーティマ朝と対立することになりました。

スルタン
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統治

軍事のトルコ人と行政のイラン人

トルコ系イスラーム政権として一気にイスラーム圏を支配したセルジューク朝は、軍事面では初めは遊牧民の諸部族による軍隊が中心でしたが、次第にそれと並んでスルタン直属のトルコ系マムルークも重視されるようになっていきました。

しかし、行政に関してはイラン系民族が官僚として採用されて統治に当たっていました。

SQ:なぜ行政ではイラン系民族が採用されていたのか?

ではなぜトルコ系イスラーム政権のセルジューク朝はイラン系官僚を登用していたんでしょうか?

グシャケン
グシャケン

支配層のトルコ系はもともと遊牧民として生活していましたよね。

そのトルコ人たちが西進して、軍事力によって国家を建設した場合に、起こる問題とはいったいどんなことでしょうか?

もともとそこに住んでいた人々は定住型の生活をしていたと思うので、統治のやり方や価値観が違うと思います。

グシャケン
グシャケン

その通りですね。どこの時代でも起こり得ることですが、征服王朝であるトルコ系はその支配を受ける定住する他民族を統治しなければなりません。

特に西アジアはイラン系の定住民族が多かったので、彼らを上手く支配しないことには統治がうまくいかないんです。

王朝内には定住型のイラン系民族が多かったので、彼らを上手く支配するために行政官僚には勝手がわかるイラン系民族が採用されたというわけなんです。

SQ:なぜ行政ではイラン系民族が採用されていたのか?

国内に多く抱える定住型のイラン系民族の支配をおこなうために、定住民出身のイラン系民族を行政官僚に採用した。

セルジューク朝 イラン系官僚

宰相ニザーム=アルムルク

そういった事情で採用されたイラン系民族の官僚として代表的なのが宰相ニザーム=アルムルクという人物でした。

宰相(さいしょう)・・・政府の最高責任者または首相(この場合スルタンに仕える立場)。

このニザーム=アルムルクは、セルジューク朝の全盛期を築いた2代目と3代目に仕えていた宰相でした。

ペルシア語で「スルタン(君主)はどうあるべきか。」というスルタンの指南書的存在の『統治の書』を書くなど、セルジューク朝の成長に貢献した優秀な宰相だったんです。

加えて彼は、セルジューク朝を強大な国家にするためのエリート育成にも力を入れました。

国内の主要都市に司法や行政を担うウラマーを養成するためのマドラサ(学院)を設立して、スンナ派のイスラーム神学や法学の研究や育成に取り組みました。

特にニザーミーヤ学院は、ニザーム=アルムルクが創設したマドラサ(学院)で、イスラーム学問の中心地になっていきました。

グシャケン
グシャケン

ファーティマ朝にもアズハル学院というマドラサ(学院)が設立されていましたね。

宰相ニザーム=アルムルク、マドラサ(学院)、ニザーミーヤ学院 

イクター制

SQ:なぜイクター制が導入されたのか?

セルジューク朝ではイクター制と呼ばれる軍事奉仕制度を導入していました。

このイクター制とは、兵士一人一人に指定した土地の徴税権を与えて、お給料に見合う額を各自徴税してもいいよ、という制度でした。

グシャケン
グシャケン

この制度自体はブワイフ朝によって考案されたものでした。

ですがもともとその前のウマイヤ朝やアッバース朝では、王朝に納税されたものを一括管理して、予算に応じて兵士にお給料として支払っていました。

ではなぜセルジューク朝(厳密にはブワイフ朝)では、イクター制が導入されたんでしょうか?

グシャケン
グシャケン

これも実はトルコ人が関係しているんです。

トルコ系マムルークがアッバース朝で頭角をあらわすと、アッバース朝の政治に対して不満を持ち、徴税などを拒否し始めたんです。

それによって地方で独立政権が誕生し、アッバース朝の歳入が減少したことで衰退していきました。

なので、アッバース朝を実質支配したブワイフ朝では、兵士たちへの給料支払いに苦しむことになったんです。

そこで考案されたのが土地の徴税権を与えて各自お給料に見合った額を徴収させるイクター制だったんです。

なので、君主(大アミール、又はスルタン)からすると、

大アミール、スルタン
大アミール、スルタン

もうこちらでは管理できないから各自でやってくれ!

という感じでしょうか。(笑)

SQ:なぜイクター制が導入されたのか?

アッバース朝衰退に伴う財政難によって軍事俸給の中央管理が難しくなったため、各兵士に土地の徴税権を与えるイクター制が導入された。

このイクター制をセルジューク朝でも導入されたことで、西アジアに普及して各政権で使用されるようになりました。

イクター制
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神秘主義(スーフィズム)とイラン=イスラーム文化

ガザーリーの神秘主義(スーフィズム)

マドラサ(学院)では、イスラーム神学などが学ばれていましたが、その中でも有名なのが教授を務めていたガザーリーと呼ばれる人物です。

ガザーリーはニザーミーヤ学院のスンナ派ウラマー(神学者)の第一人者として日々研究をおこなっていましたが、イスラーム厳格に守る律法主義のウラマーと、感覚的な信仰の間で悩んでしまい、人生半ばで放浪の旅に出てしまったんです。

その放浪の旅の中で作り上げられたのが神秘主義スーフィズムでした。

ガザーリー
ガザーリー

形式的にシャリーア(イスラーム法)を守るだけじゃなくて、瞑想によってアッラー(神)と一体になることが真の信仰だ!

神秘主義(スーフィズム)とは、それまでのイスラーム法(シャリーア)を厳格に遵守するウラマーを形式的だと批判して、社会から離れて瞑想することで感覚的に神との一体感を求めようとする信仰でした。

ガザーリー、神秘主義(スーフィズム)

この信仰はウラマーたちの律法主義よりも感覚的でわかりやすかったので、修行するスーフィー(神秘主義者)のもとに崇拝者が集まってくるようになり、都市の職人や農民を中心に広がっていきました。

その後、拡大していったスーフィーたちは神秘主義教団を作るようになっていき、世界各地に信仰を拡大させていきました。

このようにガザーリーによって神秘主義(スーフィズム)を作り上げられ、イスラーム教が世界宗教へと成長していくのに貢献したんです。

神秘主義(スーフィズム)

イラン=イスラーム文化

また、ニザーム=アルムルクによって招かれたイラン人のウマル=ハイヤームは数学や天文学、文学などで活躍しました。

緻密な数学計算によって暦法を改訂したり、ペルシア語の四行詩集として有名な『ルバイヤートを書いてペルシア語文学を盛り上げるなど、イラン=イスラーム文化の形成に貢献しました。

ウマル=ハイヤーム、『ルバイヤート』
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西方拡大と十字軍

セルジューク朝は11世紀後半からビザンツ帝国が支配するアナトリア(現在のトルコ)に侵攻して、遊牧部族軍を使ってアナトリアの大半を支配することに成功します。

これに危機感を抱いたビザンツ帝国は、西ヨーロッパのキリスト教世界に助けを求めて、それに答えた教皇によってキリスト教国連合軍である十字軍が組織されました。

セルジューク朝、十字軍

十字軍によってイェルサレムなどが奪還されてしまい、イェルサレム王国など複数のキリスト教国が誕生した。

セルジューク朝も十字軍に対して対抗しながらも、その後約200年間もキリスト教国の存続を許してしまいました。

そして12世紀以降は王族の権力争いによって王朝が分裂してしまい、モンゴル帝国の(フラグ)によって滅亡してしまいました。

グシャケン
グシャケン

このキリスト政権とイスラーム政権が長期間並立したことで、西アジア社会はカオスな社会へとなっていきました。

セルジューク朝、十字軍、イェルサレム王国、フレグ(フラグ)
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まとめ

MQ:セルジューク朝によって西アジア社会はどう変化したのか?

A:トルコ系イスラーム政権としてスルタン制やイクター制を導入して、その後の西アジアの各政権にも継承されたことで、イスラーム世界の社会構造を作り上げた。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回は、長期間西アジアに存続した十字軍が西アジアにどんな影響を与えたかについてやっていきます。イスラーム政権は十字軍によってどうなってしまったんでしょうか。

それでは次回もお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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主な参考文献

『世界史の窓』世界史の窓 (y-history.net)

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社

6-2.西アジア
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