世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回は世界三大宗教の1つである「キリスト教」の誕生についてやっていきます。
どのようにしてキリスト教は誕生して、なぜ最終的にイエスは処刑されてしまったのか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:どのようにしてキリスト教は誕生したのか?
今回の時代はここ!
現在、キリスト教を信仰する人は世界人口の約3割を占めると言われています。
単純計算で約26億人以上の人々がキリスト教徒なんですよ。
そんな世界的宗教の誕生をみていきましょう。
キリスト教誕生時の状況
ローマ支配下のパレスチナ
みなさん、キリスト教がいつ、どこで誕生したか知っていますか?
実はよく知りません。
キリスト教が誕生したのは1世紀のローマ帝国のパレスチナなんです。
ではこの時にローマはどんな時代で、パレスチナはどんな地域だったのかをみていきましょう。
1世紀のローマでは、アウグストゥスが「内乱の1世紀」を平定して帝政時代が始まった時でしたね。
そしてパレスチナではヘブライ人がバビロン捕囚の後、独自の一神教であるユダヤ教を確立させていました。
ヘブライ人はセレウコス朝時代に支配をうけていましたが、反乱を起こして独立し、自分たちの王朝を建てていました。
しかし、ローマの将軍ポンペイウスによって支配されてしまい、ローマ属州になってしまいます。
属州下では、ヘロデ王がローマに協力することを条件に統治が認められて、ローマ総督の監督のもと、ベブライ人のヘロデ朝が建てられました。
キリスト教が誕生した時の状況を整理するとこんな感じです。
・ローマでは共和政から帝政に移行した時期
・パレスチナはローマ支配下のもと、属州としてベブライ人による統治
・パレスチナではユダヤ教が確立
イエスの登場
SQ:イエスの伝道の目的とは何だったのか?
ユダヤ教パリサイ派
ローマ支配下のパレスチナではユダヤ教が確立されていましたが、ユダヤ教も数百年の時が経って、考え方や解釈の違いから、いくつかの宗派が生まれていました。
その中でもパリサイ派と呼ばれる宗派は、神(ヤハウェ)の律法を厳格に守ることを重視していました。
パリサイ派の律法学者たちによって、民衆は日常生活を厳しく統制される一方、重税などの生活苦には耳を傾けてもらえなかったんです。
これによって民衆たちは、
この苦しい生活から救ってくれる人が現れてほしいな。
と現状からの救済を期待するようになっていきます。
洗礼者ヨハネ
ユダヤ教にはパリサイ派以外にもさまざまな宗派があり、中には当然、反ローマ支配や、改革を掲げる宗派もありました。
その中から現れたのが洗礼者ヨハネという人物でした。
ヨハネは簡単にいうと改革派の人間でした。
終末の審判が近づいている。悔い改めて洗礼を受けよ。
と、説いて回る改革運動をおこなっていました。
洗礼・・・身体を水に浸すことで宗教的な清めをおこなう儀式。ユダヤ教へ入信、改宗する際におこなう。
しかし、この洗礼運動はユダヤ教の神殿で祭司が行う「罪の許し」を否定するものだったんです。
なのでヨハネは最終的に王朝によって逮捕され、処刑されてしまいました。
イエスの登場
ヨハネは処刑されてしまいましたが、彼に洗礼を受けて新たに改革運動をおこなったのがイエスでした。
イエスは前29年頃から活動を本格的に初め、パリサイ派の形式的な儀式や腐敗を批判します。
神の愛は貧富の際に関係なく、みんなに与えられる絶対的な愛である。
その愛を信じて隣人を愛し、おのれの敵のために祈りなさい。
という絶対愛と隣人愛を説いて、パレスチナの各地を回りました。
「絶対愛」とは、形式的にではなく、心から神を信じることが重要だと説きました。
「隣人愛」は、律法によって人を罰するのではなく、自分を愛するように他人(すべての人)も愛する(または許す)ことが重要であると説きました。
加えてイエスは、
古い律法は救いをもたらさず、神の国は人々の心の中にやってくるのです。
とも説きました。
これは神の国(=平和、愛)は王朝(国家)によってではなく、心の内面によって訪れるものであるということを意味しています。
要は、「個人の考え方によって幸せになれるよ。」みたいな感じでしょうか。
自己啓発に近いかもしれませんね。
・絶対愛・・・神の愛は平等。
・隣人愛・・・すべての人に対して罰するのではなく、許す。
・神の国・・・平和と愛は心の内面によって訪れる。
つまり、イエスの伝道の目的をまとめると・・・
ここで押さえておきたいのは、イエスはあくまでユダヤ教徒として改革運動を始めた、ということに注意しておいてください。
イエスの伝道
イエスはパリサイ派を批判しましたが、ローマ帝国による支配に関しては肯定も否定もしていませんでした。
純粋にユダヤ教を変えたかったんでしょうかね。
イエスの教えを広めることで、生活が苦しい人々や差別を受けている(女性など)人々の心を癒しいきました。
だって神を信じ続ければ神から愛を与えられて救われるわけですから、そりゃ現状に苦しむ人たちは精神的に救われますよね。
このような出来事を通じて、ユダヤ教徒の民衆はイエスを救世主(メシア、ギリシア語でキリスト)と信じて、イエスの教えに従うようになっていきました。
そして次第にイエスは多くの信者を抱えるようになっていきます。
キリスト教の「キリスト」は救世主を意味していたんですね。
パレスチナが経済的に苦しい民衆が多かったからこそ、イエスの教えは民衆の心を打って急速に広がっていったんでしょうね。
イエスの死
SQ:なぜイエスは処刑されたのか?
イエスが民衆から救世主と信じられて、多くの信者を抱えるようになると、民衆たちはイエスに対して・・・
イエスは救世主として、国の指導者になってほしい。
という感じに、イエスに政治的な指導も期待するようになっていきました。
そしてイエスは信者たちと共に聖地であるイェルサレムまで赴きます。
これに対して危機感を抱いたのが、パリサイ派を中心とするユダヤ教の保守派たちでした。
なんかイエスってやつが我々のやり方を否定しているらしいぞ。
しかもたくさんの信者を抱えてイェルサレムに来ているらしい。
この異端児をどうにかしなければ!
ということで、ヘブライ人王朝のヘロデ王とローマ総督のピラトにイエスを訴えます。
ローマ総督のピラトも、「イエスはローマに対して反乱を起こすのではないか?」と警戒して、イエスを逮捕してしまいます。
しかし、決定的な証拠が無かったので、総督ピラトは一旦イエスに無罪宣告をします。
が、ここで民衆たちの意見が180度変わってしまったんです。
イエスを十字架にかけて処刑しろー!
意見の変わりようにビックリですね。
あんなにイエスに期待していた民衆がはなぜ、イエスの処刑を求めたんでしょうか?
ユダヤ教の民衆はイエスをどのような存在だと思い、何を期待していましたか?
イエスを救世主だと信じて、政治的な指導者として生活苦から解放してくれることを期待していました。
そうでしたね。イエスを救世主だと思っていましたが、ローマ総督に簡単に逮捕されてしまいましたね。
それによって・・・
イエスは救世主だと思っていたのに違った!
裏切られた!そんなやつは処刑だ!
という、期待を裏切られたことでイエスに対して処刑を求めたと言われているんです。
当然、パリサイ派による反イエスキャンぺーンで扇動された民衆もいたでしょうね。
無罪宣告をした総督ピラトでしたが、民衆からの要求に応えざるを得ませんでした。
そのようにしてイエスに死刑宣告が出され、30年頃にイェルサレム郊外の丘の上で十字架にかけられてイエスは処刑されてしまいました。
キリスト教関連でよく目にするイエス像は、十字架にかけられたシーンだったんですね。
ちなみに当時の「十字架の刑」はとても残酷な処刑法で、ここでは語れないので、個人的に知りたい人は調べてみてください。
ユダヤ教イエス派
パリサイ派による厳格な律法主義を変えようとしたイエスでしたが、道半ばで改革は絶たれてしまいました。
ここで注意してほしいのが、イエスが生きていた時点ではあくまで「ユダヤ教の改革」の過ぎず、それが受け入れられずに処刑されてしまったという点です。
イエスは「新しい宗教を始めた」わけではなく、「ユダヤ教徒として宗教改革をしようとした」に過ぎなかったんです。
なので、この時点ではまだキリスト教は誕生していなくて、あくまでイエス本人は「ユダヤ教イエス派」として活動していたことに注意しておきましょう。
なので、イエスの教えもパレスチナのユダヤ教徒に限定されていて、まだ世界宗教にはほど遠かったんです。
キリスト教の誕生
イエスの死後、残された弟子たちは危険を感じて身を隠していました。
そうしてしばらくすると、、、
イエス様を見かけたぞ!
という弟子たちが現れたんです。
弟子たちはこれをイエスの「復活」と考え、
イエス様の死は“人間の全ての罪をあがなう行為”だったんだ!
と信じるようになります。
そして、イエスは天界で最後の審判を下す救世主(メシア、ギリシア語でキリスト)であるという信仰が生まれて、イエス=キリストと呼ぶようになったんです。
この出来事をきっかけに始まったのがキリスト教なんですね。
なので、キリスト教はイエスの死後、弟子たちによって始まったことになりますね。
まとめ
MQ:どのようにしてキリスト教は誕生したのか?
A:ユダヤ教の厳格な律法主義の改革をしようとしたイエスが処刑された後、弟子たちによってイエスの復活が信じられ、神格化されたことで誕生した。
今回はこのような内容でした。
次回はイエスの弟子たちによるキリスト教の伝道活動をみていきます。キリスト教はどのようにして世界宗教へと変わっていったのか?
それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓
・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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