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[5-2.4]ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の発展

5-2.ヨーロッパの発展

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回はビザンツ帝国の発展をみていきます。ある皇帝の登場で急拡大していきます。いったいどのような発展を遂げたのでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:ビザンツ帝国が1500年以上繁栄できた理由とは?

今回の時代はここ!

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ユスティニアヌス帝の帝国拡大

ゲルマン人の大移動によって西ローマ帝国はゲルマン人によって滅亡してしまいましたね。

その後しばらくは、西ヨーロッパに移動したゲルマン人たちはローマ帝国の生き残りであるビザンツ帝国(東ローマ帝国)を帝国の継承者として、その皇帝の権威を認めて服従していました。

グシャケン
グシャケン

ビザンツ帝国は東西の要衝として繁栄していたんで、うかつに敵にできなかったんでしょう。

そんな中、6世紀にビザンツ帝国の皇帝に就任したのがユスティニアヌス帝という人物です。

ユスティニアヌス帝 資料:サン=ヴィターレ聖堂のモザイク画より

彼にはある野望がありました。

ユスティニアヌス帝
ユスティニアヌス帝

かつてのローマ帝国を取り戻したい!

彼はかつて地中海世界を支配していた全盛期のローマ帝国時代の領土の回復を目指していたんです。

なので、彼は領土拡大を積極的におこなっていきます。

・北アフリカのヴァンダル王国を征服

・イタリア半島の東ゴート王国を征服(ゴート戦争)

グシャケン
グシャケン

東ゴート王国との戦いは、苦戦を強いられて約20年もの歳月をかけてようやく勝利して、イタリア半島を手に入れました。

西ゴート王国を攻撃して、イベリア半島の南部を征服

これらの功績によって、ユスティニアヌス帝はかつてローマ帝国が治めていた領土の大半を支配することに成功しました。

西側では領土拡大に成功し、東側ではササン朝ペルシアのホスロー1世と激戦を繰り広げて、領土拡大こそできませんでしたが、ササン朝の侵入を食い止めることには成功しました。

ビザンツ帝国 ユスティニアヌス帝

領土拡大に成功したビザンツ帝国でしたが、ユスティニアヌス帝の死後は財政の圧迫から衰退していき、イスラーム勢力などの進撃などによって領土は縮小していきました。

最終的にはギリシアや小アジア・バルカン半島などの地域に限定されていきました。

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ユスティニアヌス帝の内政

ユスティニアヌス帝は外征(領土拡大)だけではなく、内政の充実にも積極的でした。

グシャケン
グシャケン

ではいったいどんな政策をおこなったのか、みていきましょう。

『ローマ法大全』

ユスティニアヌス帝は自らも法律について勉強するほど、政治に対して熱心な人物だったので、皇帝即位してまもなく、法典の編纂に動きます。

それによって編纂された新法典が『ローマ法大全です。

これはトリボニアヌスという人物を委員長について作成された法典で、おもに、

ローマ法大全

・『勅令集』・・・歴代皇帝の法令をまとめたもの。

・『学説彙纂(がくせついさん)』・・・過去の重要な法学者の法解釈・学説を整理したもの。

彙纂(いさん)・・・さまざまな情報や資料を集めて整理・編集し、一つのまとまった書物や文書にすること。

・『法学提要』・・・皇帝の定めた教科書。

・『新勅令集』・・・ユスティニアヌス自身が出した法令(←死後に編纂)

引用:ローマ法大全 (y-history.net)

のようにまとめられたローマ法の集大成となっています。

この『ローマ法大全』によって、ユスティニアヌス帝はビザンツ帝国政治基礎を築いたと言えますね。

『ローマ法大全』
グシャケン
グシャケン

ちなみにフランスのナポレオンはナポレオン法典を編纂する際に、この『ローマ法大全』を参考にしたそうですよ。

ハギア=ソフィア大聖堂の建設と宗教政策

ビザンツ皇帝は政治、宗教の支配者として君臨していたので、ユスティニアヌス帝はその権威を示すためにコンスタンティノープル教会のための大聖堂の建設をおこないました。

これによって建設されたのがハギア=ソフィア大聖堂です。

ハギア=ソフィア大聖堂 資料:『詳説世界史探究』山川出版社

この大聖堂は首都コンスタンティノープルに建設されて、皇帝の戴冠式やギリシア正教会の総主教が置かれるなど、帝国の政治やギリシア正教会の中心となっていきました。

西アジアやギリシア、ローマなどの文化が融合したビザンツ様式を取り入れた代表的な建造物でもあり、現在でもトルコのイスタンブルで観ることができます。

ビザンツ様式・・・ドーム型建築とモザイク絵画が特徴

ハギア=ソフィア大聖堂の内部 資料:『詳説世界史探究』山川出版社
グシャケン
グシャケン

ハギア=ソフィア大聖堂は、後にオスマン帝国によってイスラーム教のモスクとして使用されたので、ドームの左右にある尖塔(ミナレット)はオスマン帝国によって追加されたものなんです。

ハギア=ソフィア大聖堂 ビザンツ様式

ユスティニアヌス帝はギリシア正教会を管理する身として、キリスト教にもとづく統治を心がけていました。

なので、他宗教を厳しく弾圧し、聖書の内容を疑問視するような哲学や学問も追放してしまいました。

ユダヤ教徒などが特に弾圧の対象となり、またアテネの学問研究所であったアカデメイアなどが閉鎖されてしまいました。

ユスティニアヌス帝 ユダヤ教弾圧 アカデメイヤ閉鎖

国内産業

SQ:なぜユスティニアヌス帝は養蚕業を取り入れたのか?

ユスティニアヌス帝は当時の中国(魏晋南北朝)から養蚕(ようさん)技術を取り入れて、絹物産業の基礎を築きました。

養蚕・・・蚕(かいこ)を飼育してその繭から絹糸を得る一連の工程。

ではなぜ養蚕を取り入れたのでしょうか?

グシャケン
グシャケン

当時の養蚕によってできる絹はどのような存在だったのか?

そしてユスティニアヌス帝の政策による影響はどのようなものだったのか?

を踏まえながら考えてみてください。

それでは解説していきますね。

ざっくり言うと、養蚕産業を取り入れた理由は、“経済的な安定と国家の繁栄のため”でした。

ではその具体的な内容を「経済」「文化」「政治」に分けてみていきましょう。

「経済」

経済的な理由としては、当時ユスティニアヌス帝は旧ローマ帝国の領土を回復するために、大規模な対外戦争を繰り返していました。

戦争はとにかく金がかかります。なので、次第に財政難になっていき、世界最大の交易都市コンスタンティノープルをもってしても経済的に疲弊していったんです。

なのでユスティニアヌス帝は、世界中で価値が認められていたシルクを生産する養蚕を推奨することで、国内での絹の生産を増やし、輸出品として利用しようとしたんです。

絹はとても高価な値段で取り引きできたので、交易都市を活かした輸出によって国家の財源を増やそうと考えたんです。

「文化」

文化的な理由としては、絹は中国から伝わった技術だったので、ビザンツ帝国でも人気があり、高い価値がありました。

絹製品は宮廷や貴族の間でもとても人気があったので、社会的な地位を象徴するものとされていました。

なのでユスティニアヌス帝は、この技術を取り入れることで、文化的にも発展できると考えたんです。

グシャケン
グシャケン

高度な技術をもっているだけで他国をけん制することもできますからね。

「政治」

そして政治的な理由としては、養蚕を推奨して農村で生産さることで、農民の生活水準が上がげて、農村の経済を活性化させることでした。

農村の経済が活性化して農民の生活水準が上がることで、帝国内の治安の安定化を図ることができたんです。

だって生活の不満の矛先は中央政府に向けられて逃亡や反乱につながっていきますからね。

また、農民の生活水準向上は、没落による都市部への流入を抑えることにも役立ちました。

グシャケン
グシャケン

この「経済」「文化」「政治」の点からユスティニアヌス帝は養蚕産業を取り入れたといえますね。

SQ:なぜユスティニアヌス帝は養蚕業を取り入れたのか?

高価な絹を生産する養蚕業を帝国内で取り扱うことで、経済や文化、政治の面から経済的な安定と国家の繁栄を目指したため。

ユスティニアヌス帝 養蚕
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まとめ

MQ:ビザンツ帝国が1500年以上繁栄できた理由とは?

A:交易の発展だけではなく、編纂で政治的基礎を固め、大聖堂建立などで宗教的権威を確立させ、養蚕業を取り込んだことで経済的にも発展することができたため、1500年以上繁栄することができた。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回はゲルマン人の大移動後の西ヨーロッパについてやっていきます。フランク王国が登場して西ヨーロッパの中心的存在へとなっていきます。

それでは次回もお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓

主な参考文献

『世界史の窓』世界史の窓 (y-history.net)

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社

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