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[6-2.2]アイユーブ朝

6-2.西アジア

この記事で使用したPowerPointスライドは「note」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドのダウンロードは記事の最後に貼ってあるURLから!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は十字軍と激しく抗争したアイユーブ朝についてです。十字軍とアイユーブ朝は西アジアにどんな影響を与えたんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:十字軍とイスラーム政権の抗争は西アジアにどんな影響を与えたのか?

今回の時代はここ!

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セルジューク朝の分裂

地方政権の分離・独立

西アジアは十字軍の侵入によって、複数の十字軍(キリスト教)国家が誕生して、イスラーム政権とキリスト政権が存在する複雑な社会になっていきました。

そんな中で西アジアを支配していたセルジューク朝は、十字軍に対して苦戦を強いられてキリスト教の進入を許してしまっていました。

十字軍との戦いでセルジューク朝が衰退していったのに乗じて、地方の実力者たちが次々と独立政権を成立させて、王朝が分裂していく事態になってしまいます。

本家のバグダード以外に、小アジア(アナトリア)、シリア、イラクに政権が分離・独立して合計4つの政権に分裂してしまいました。

グシャケン
グシャケン

小アジアにできたルーム=セルジューク朝などは、ビザンツ帝国との戦いに勝利して、第1回十字軍とも戦った王朝として参考書等にでてきますね。

セルジューク朝の分裂

ザンギー朝

その分離した政権のうち、イラクにできたのがザンギー朝(スンナ派)と呼ばれる王朝でした。

もともとセルジューク朝の部将だったザンギーがイラクで独立を宣言してできた王朝で、セルジューク朝に代わって十字軍との戦いの中心になっていきました。

それまで十字軍に対してイスラーム勢力は劣勢だったんですが、このザンギー朝はキリスト教国を1つ滅ぼして、その後に結成された第2回十字軍にも勝利するなど、初めて十字軍に対して優位に立ったイスラーム政権だったんです。

第2回十字軍を撤退させた後、ザンギー朝はダマスクスにまで支配を拡大してイラク・シリアを支配する王朝となっていきました。

ザンギー朝
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アイユーブ朝

ファーティマ朝の混乱

ザンギー朝は当時エジプトのシーア派政権だったファーティマ朝に部将を派遣してました。

その派遣された部将サラーフ=アッディーンサラディン)が、ファーティマ朝の実権を握っていき、カリフを廃止してしまい、新たにアイユーブ朝と呼ばれる王朝が建国されることになります。

グシャケン
グシャケン

以前まではサラディンという呼び名が一般的でしたが、これはヨーロッパでの呼び名が一般化したからだと言われています。

サラーフ=アッディーン(サラディン)
アイユーブ朝、サラーフ=アッディーン(サラディン)

SQ:なぜザンギー朝はファーティマ朝に部将を派遣したのか?

ではまずアイユーブ朝に触れる前に、なぜザンギー朝はファーティマ朝に部将を派遣したんでしょうか?

グシャケン
グシャケン

これはスンナ派政権のザンギー朝が、シーア派政権のファーティマ朝に対しておこなった政治戦略がヒントです。

当時、スンナ派だったザンギー朝はシーア派政権のファーティマ朝と対立関係にありました。

ザンギー朝
ザンギー朝

どうにかしてファーティマ朝を征服してスンナ派にしてやりたい

と思ってたわけです。

そんななか、ファーティマ朝では当時カリフが権力闘争によって形式的な存在になってしまい、行政がスムーズにいかなくなっていました。

そこに十字軍が侵攻して来て、有効な手段を打てずに苦戦を強いられます。

それに乗じて内乱も起こるなど、ファーティマ朝の社会は混乱してしまいます。

そんな危機的状況だったファーティマ朝は、十字軍との戦いを優位にしたり、内乱を鎮めるために、対立関係にあったものの軍事力が強力なザンギー朝に救援を頼んだんです。

グシャケン
グシャケン

一応同じ宗教ですし、十字軍に対する「敵の敵は味方」理論てやつですかね。

それに対してザンギー朝が、

ザンギー朝
ザンギー朝

この混乱に乗じて、部将を派遣してファーティマ朝の実権を奪ってやる

という政治的な意図によって部将がファーティマ朝に派遣されたというわけです。

SQ:なぜザンギー朝はファーティマ朝に部将を派遣したのか?

ファーティマ朝の混乱に乗じて、実権を掌握する目的で部将を派遣した。

ザンギー朝、ファーティマ朝、アイユーブ朝

成立

そして部将派遣後にファーティマ朝の混乱を終息させて、部将は宰相にまで出世していくことに成功して、ファーティマ朝の実権を次第に掌握していきました。

しかし、その後宰相を受け継いだザンギー朝部将のサラーフ=アッディーンサラディンが、さらに実権を握っていくと、ザンギー朝を無視してファーティマ朝カリフを廃止してしまいます。

そして先ほども言いましたが、それによって新たに建国されたのがアイユーブ朝だったんです。

グシャケン
グシャケン

ザンギー朝が乗っ取るつもりが、サラーフ=アッディーンの裏切りで逆に乗っ取られてしまいましたね。

ザンギー朝はもちろんこのアイユーブ朝は認めていませんでしたが、ザンギー朝スルタンが亡くなったタイミングを見計らってアイユーブ朝が侵攻してザンギー朝を併合してシリアを統一してしまいました。

アイユーブ朝、サラーフ=アッディーン(サラディン)
アイユーブ朝

十字軍との攻防

そんなエジプトとシリアを統一したアイユーブ朝最大の敵は、当時イェルサレムを支配していた十字軍でした。

キリスト教に奪われた聖地イェルサレムを奪還するために、サラーフ=アッディーンは十字軍国家だったイェルサレム王国と抗争します。

この抗争でサラーフ=アッディーンは勝利することができ、88年ぶりに聖地イェルサレムを奪還することに成功します。

キリスト教世界もこれに黙っておらず、第3回十字軍が結成されます。

サラーフ=アッディーン率いるアイユーブ朝は、十字軍の中心だったイギリス王リチャード1世(獅子王)の奮戦もあり激戦を繰り広げました。

最終的にはアイユーブ朝によるイェルサレムの主権が認められる代わりに、キリスト教徒の聖地巡礼を認める内容の和約を結んで終戦しました。

グシャケン
グシャケン

この戦いでサラーフ=アッディーンは、キリスト教徒を虐殺せずに捕虜として身代金で解放し、異教徒に対しても寛容な態度で接しました。

このような逸話からキリスト教世界でも勇将として評価され「サラディン」と訛って呼ばれるようになったそうですよ。

アイユーブ朝、サラディン、十字軍、リチャード1世

統治と滅亡

アイユーブ朝のサラーフ=アッディーンは、ファーティマ朝時代のシーア派を完全に排除して、スンナ派の統治をエジプトで回復させました。

ただし、スンナ派政権としてアッバース朝カリフの宗主権は認めていたので、カリフは名乗らず、あくまでスルタンとして統治にあたりました。

セルジューク朝の政治を見習って、兵士に対してはイクター制を導入し、トルコ系マムルークを軍隊の中心にした政策をおこないました。

グシャケン
グシャケン

このトルコ系マムルークが拡大していき、後にマムルーク朝が誕生することになります。

カリスマ統治者だったサラーフ=アッディーンの死後は、後継者たちによる権力争いによって領土が分割されていき、最後はトルコ系マムルーク軍のクーデターによってマムルーク朝が誕生したことで、アイユーブ朝は滅亡してしまいました。

アイユーブ朝の統治、滅亡
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十字軍の影響

聖地(イェルサレム)奪還を目指してアイユーブ朝などと抗争した十字軍は、イスラーム勢力にとって突然侵攻していきた侵略者そのものでした。

ではその十字軍によって西アジアにはどんな影響があったんでしょうか?

それについては以下の通りです。

宗教的対立

侵入してきた十字軍が複数の十字軍国家(キリスト政権)を成立させたことで、現地のイスラーム教徒とキリスト教徒が対立するようになり、西アジアはカオスで複雑な社会になってしまいました。

経済の変化

しかし、十字軍の進出によって西アジアと西ヨーロッパの交流の機会ができて、双方で交易がおこなわれるようになりました。

この交易によって双方の特産が交流し、経済の発展につながりました。

文化交流

交易はモノだけでなく、文化の交流もおきました。

イスラーム文化の医学、天文学、数学などの分野が西ヨーロッパに伝わって、その後の学問や科学の発展にもつながりました。

グシャケン
グシャケン

ちなみにこの時に、ラビア数字や代数学、香辛料などが西ヨーロッパに伝わったそうですよ。

西アジアには西ヨーロッパから建築技術や兵器が伝わったそうです。

このように、戦争による被害や犠牲も多く社会が複雑になってはいきましたが、他方で経済や文化の交流がおこなわれ、西ヨーロッパ(キリスト教)文化と西アジア(イスラーム教)文化の一体化や後の学問や科学の発展などの影響もありました。

十字軍の影響
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まとめ

MQ:十字軍とイスラーム政権の抗争は西アジアにどんな影響を与えたのか?

A:宗教的対立が起きて社会構造が複雑化したが、経済や文化の面で交流ができ、文化の一体化やその後の学問・科学の発展に影響を与えた。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回はモンゴル軍の侵入によって誕生するイル=ハン国についてみていきます。モンゴル勢力は西アジアにどんな影響を与えたんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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