世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした!
今回から新章である「遊牧民と東アジア」に入ります!古代文明を終えてそこから世界史は新しい段階へと入っていきます!
それではいきましょう!
MQ:遊牧民はなぜ強大な国家を築けたのか?
今回の時代はここ!
※遊牧民文化の出現から騎馬遊牧民が世界史に出現し始めた頃を指しています。
中央ユーラシアの草原とオアシス
SQ:なぜ中央ユーラシアには草原とオアシスがあるのか?
遊牧民が活躍した場所は中央ユーラシアという地域です。まあ聞きなれない地域ですよね。(笑)
ここはユーラシア大陸中央部を指し、大陸性気候を特徴としています。南から来るモンスーン(季節風)が山脈に遮られて乾燥し、寒暖差が大きいんです。
なので、山脈の北側は乾燥の影響で砂漠が広がっていて、その先に草原が広がっています。地理用語でいうと乾燥帯である砂漠気候とステップ気候ですね。
乾燥地帯ですが、山脈から雪解け水が流れてくる地域には緑が広がるオアシスも点在しています。
このオアシスには都市が作られ貿易の中継地として栄えていきます。ここが後に隊商貿易の拠点になっていくんですね。
隊商(たいしょう)貿易・・・ラクダや馬を利用した砂漠や草原のオアシスをたどる交易
草原ではその環境に適応した遊牧民が登場し、オアシスでは定住民が貿易によって活動していきます。
これらの人々は東西南北のいろいろな文明や国家と関係をもっていき、世界史を動かしていきます。
草原とオアシスが世界史をグローバルにしていくんです!
遊牧民の社会
SQ:草原地帯ではどのような文化が発展したのか?
中央ユーラシアは乾燥していて水源が少ないので、当然その大部分は農耕には向いていません。
なので、その代わりに草原を利用した牧畜文化が発展していきます。季節によってエサである草の生える場所が変わるので、ヒトもそれに合わせて移動する生活スタイルが定着します。
そうですね、このような人々を遊牧民と呼ぶんですね。おもな家畜は羊、馬、牛、ラクダなどです。
当然、遊牧民の生活は家畜に依存する形になるので、食生活は乳製品や肉が中心で衣服も毛皮が使用されました。寒暖差が激しい地域なので、冬は暖かそうですね。
季節ごとにお引越しが必要なので、住居も簡単に組み立てられるように、木製の骨組みとフェルトを使用する組み立て式住居でした。
ゲル・・・モンゴルの草原地帯で遊牧民が使用する組み立て式住居
生活の中で足らない栄養源やモノは、オアシス都市やそれを利用する商人たちから家畜と物々交換で手に入れていました。
現在は情報社会なので、最近の遊牧民もスマホを使ってインターネットを駆使しているそうです。ポータブルのソーラーパネルで充電しているらしいですよ。
このように衣食住をすべて家畜に頼っていたので、遊牧民にとって家畜は資産そのものだったんですね。
遊牧国家の形成
そんな資産の家畜の中でも馬は移動用家畜として重宝されましたが、時には農耕民との戦闘において騎馬としても活躍しました。
遊牧民はもともと銅を使用していましたが、前9〜前8世紀ごろには銅よりも硬い青銅の武器や馬具を使うようになって、戦闘力の高い騎馬遊牧民たちが世界史に登場します。
馬に乗って移動する場合は、自由自在に馬をコントロールする必要がありますよね。そのためにハミやハミ留め具が発明されました。現代の競走馬の口にもついているあれです。
機動力があって突進力もある騎馬は鉄器の普及でさらに攻撃力をまして農耕文明を脅かす存在になっていきます。具体的な騎馬民族は次回で紹介していきますね。
SQ:なぜ遊牧民国家は農耕民国家と比べて興亡が頻繁に起こったのか?
遊牧民は基本的に家畜に合わせて移動しながら生活をしていましたよね。なので定住民(農耕民)に比べて血縁関係がある集団での行動が多かったと考えられます。
なので、基本的には氏族(血縁関係のある集団)や、それらを束ねた部族単位で活動していました。
しかし、争いや助け合いなどの利害一致やカリスマ的リーダーの出現など、時には部族同士で連合を組んでリーダーシップのある統率者を中心とした遊牧国家が出現してくるんです。
今までの国家は城壁を構えた都市国家が中心でした。それは農耕に依存した経済体制だったからですよね。簡単に移動できないからわざわざ壁や立派な倉庫を築いたわけです。
しかし、遊牧民は家畜に依存する経済体制なので定住する必要がないので、都市国家というより部族国家の要素が強かったんですね。国家という意識よりも部族意識が強かったわけです。
国家の君主は統率された軍団を率いて農耕文明に侵入し、資源の略奪や征服を度々行いました。騎馬遊牧民の攻撃力は凄まじく農耕文化は歯が立ちませんでした。
中国文明はその最たる例で、各帝国ごとに騎馬遊牧民に翻弄され、時には撃退しますが、トータルで見ると何度滅びた原因になったことか、、、
ヨーロッパでもフン族の侵入がめぐりめぐって西ローマ帝国の滅亡に繋がっています。
遊牧国家は拡大していく中で遊牧民だけではなく、周辺の農耕民やオアシスなども吸収しながら複合的な強大な国家へと発展していきました。
それほど騎馬遊牧民は世界史に影響を与えているんですね。
その中で、遊牧国家は情報収集や経済発展のために度々商人を優遇していました。その商人たちが自由に東西に交易できたことで、東西ネットワークができて交易や文化交流に貢献しました。
彼らが利用したルートは「草原の道」と呼ばれ、のちに「オアシスの道」や「海の道」とあわせて「シルク=ロード」と呼ばれるようになります。
しかし、遊牧国家は決して強固な国家ではありませんでした。それは部族連合だったからこその繫がりの薄さでした。
遊牧国家は利害や目的が一致していたからこそ国家を作れていました。しかし、絶対的リーダーがいなくなるなど、一度それが崩れると部族連合の解体は一瞬です。
そのたびに部族連合の再編がおこなわれ、遊牧国家は興亡を繰り返したんです。
まとめ
MQ:遊牧民はなぜ強大な国家を築けたのか?
A:部族連合である遊牧国家は騎馬遊牧民の機動力をいかした戦法で周辺を圧倒し、領土を拡大した。そして商人たちを優遇することで「草原の道」などの東西ネットワークが構築され、経済的にも盤石にしたことで強大な国家を築くことができた。
今回はこのような内容でした。
次回はスキタイや匈奴など、世界史に大きな影響を与えた遊牧国家をみていきます。特に匈奴は中国文明において長年にわたって国家興亡に多大な影響を与え続けた民族です。
その実態はいったいどんなものだったのか?お楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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