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[4-2.8]ペロポネソス戦争

4-2.ギリシア文明

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回はペルシア戦争に勝利したギリシア人同士でのペロポネソス戦争が起きてしまいます。

この戦争は泥沼化していき、ポリスは変容を遂げていきました。

なぜこの戦争は起きて、泥沼化していったのか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:ポリス間の争いはなぜ泥沼化していったのか?

今回の時代はここ!

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戦争の原因

ペロポネソス戦争を簡単にいうと、「アテネ VS スパルタ」によるギリシア全土を巻き込んだ戦争といった具合です。

ではなぜペルシア戦争では結託していた二大ポリスは戦うことになってしまったんでしょうか?

SQ:なぜペロポネソス戦争は起こってしまったのか?

ペルシア戦争後、デロス同盟によってアテネはギリシアで支配力を拡大していましたよね。

このデロス同盟には約200ものポリスが加盟していましたが、当然すべてのポリスが参加していたわけではありません

強大化するアテネに対して脅威に感じていた代表的ポリスがありました。どこかわかりますか?

そう、お察しの通り軍国主義だったスパルタです。

なので、スパルタはもともとペロポネソス半島の諸ポリスを従えた軍事同盟であるペロポネソス同盟を結成していたので、デロス同盟には参加していませんでした。

グシャケン
グシャケン

ペロポネソス同盟はデロス同盟に対抗して結成されたわけではないところに注意しておきましょう。

ペロポネソス同盟はデロス同盟より前にすでに存在していました。

スパルタは貴族政治のもとで貴族から王を選んで、少数の市民が多数の周辺民(ペリオイコイ)と農奴(ヘイロータイ)を支配するために軍国主義をとっている貴族政ポリスだったので、民主政を発展させていた民主政ポリスアテネとは体制も大きくことなっていましたしね。

そんな中、デロス同盟によって強大化していくアテネにスパルタは脅威を感じていました。

そして前431年、あるポリスの政争でそれぞれの派閥がアテネとスパルタに支援を呼びかけたことをきっかけにペロポネソス戦争の火蓋(ひぶた)が切られたのです。

SQ:なぜペロポネソス戦争は起こってしまったのか?

デロス同盟で強大化していたアテネに対してペロポネソス同盟のスパルタが脅威に感じていたため。

ペロポネソス戦争
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戦争の経過

ギリシア全土へ波及

この戦争では主に民主政中心のアテネ側と、貴族政中心のスパルタ側の2つの陣営に分かれて戦うことになりました。

先ほどの説明から「デロス同盟 VS ペロポネソス同盟」のような構図に見えますが、各ポリス内でも民主派と貴族派の対立があって、2つの派閥がそれぞれの陣営を支援するなど、なかなか複雑な構図になっていたんです。

なのでギリシア人同士が闘い合うこの戦争はまたたく間にギリシア全土に広がっていきました。

ペロポネソス戦争

アテネの衰退

アテネは開戦した後、ペリクレスの指導のもとで田園部を放棄して市内に立てこもって、強大な海軍によって有利に戦いを進めていました。

グシャケン
グシャケン

ペリクレスは開戦1年目に、この戦争がポリス民主政を守るための重要な闘いであると市民に訴える演説を行って市民を奮い立たせていました。

[4-2.7]アテネ民主政(完成編)のSQで出した演説文がそれです。

しかし、その年にアテネは予期せぬ疫病が蔓延してしまい、1年間でアテネは3分の1もの人口を失ってしまいます。

ペリクレスはこの責任を負わされて将軍職を罷免(ひめん)されてしまい、二人の息子も疫病で亡くし、ペリクレス自身もその疫病で亡くなってしまいました。

罷免・・・職務をやめさせること

絶対的指導者のペリクレスを失ってからのアテネでは、民衆たちを言葉巧みに先導して都合の良い方向に持っていこうとするデマゴーク(大衆政治家または扇動政治家)たちが現れて、政治が混乱してしまいます。

このデマゴークは特に役職には就かずに、その饒舌(じょうぜつ)さで民会で民衆を煽り立てて政治を決定していたんですから、なんとも自分勝手で迷惑な話です。

ペリクレスの死とデマゴーク
グシャケン
グシャケン

これが戦時中であり疫病で危機に陥った非常事態だったからこそ、デマゴークのような人々が台頭できたんでしょうね。

1930年代の経済どん底のドイツに現れたヒトラーに対する熱狂的支持となんだか似ていますね。

これらの混乱によってアテネでは有能な戦争指導者が現れないまま、敗戦を重ねていくことになります。

スパルタの強大化とアテネの敗北

アテネの衰退によってチャンスが訪れたのがライバルであるスパルタでした。

この時期にスパルタはアテネとは対照的にメキメキと強大化していったんです。

SQ:なぜアテネが衰退した時期に、スパルタは強大化することができたのか?

この頃、アテネの劣勢を知ったデロス同盟の加盟ポリスたちは、アテネを見限って次々と同盟を脱退してしまう事態が起きていました。

そこに目をつけたのがスパルタでした。

デロス同盟脱退を聞きつけたスパルタは、驚くべき行動にでます。

それがスパルタとアケメネス朝ペルシアとの同盟でした。

つい数十年前にペルシア戦争で戦っていたのにビックリですね。

スパルタはもともとアケメネス朝が支配していたイオニア諸都市の支配権を認めるかわりに、スパルタへの資金援助を得ました。

この資金援助がスパルタの狙いだったんですね。戦争には金がかかりますから。

SQ:なぜアテネが衰退した時期に、スパルタは強大化することができたのか?

ペルシアと同盟を結んで資金援助を受けていたため。

アケメネス朝もペルシア戦争で苦い敗戦をさせられたアテネの強大化を良く思っているわけがありませんからね。

この同盟によってスパルタは潤沢な資金を得て海軍を増強し、アテネへの海上交易路を封鎖してしまいます。

ギリシアは海上交易に依存した経済なのでこれは痛い。

アテネには疫病と国内の混乱によって、抵抗する力はもう残っていませんでした。

そして前404年、アテネがスパルタに全面降伏したことで、ペロポネソス戦争はスパルタの勝利によって幕を閉じることとなりました。

ペロポネソス戦争、スパルタの勝利
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戦後

ペロポネソス戦争をスパルタが勝利したことによって、ギリシアの覇権は当然スパルタが握ることになりました。

スパルタはギリシアの中で強大化していきましたが、ここでもまたアケメネス朝ペルシアがスパルタの強大化を嫌って手を伸ばします。

その手を伸ばした(支援)先がアテネでした。

「昨日の敵は今日の友」みたいな感じですね。(笑)

これによってアテネはアケメネス朝の支援のもと、復興を遂げて繁栄を取り戻すことができました。

逆にスパルタはアテネなどの反撃によってピンチとなってしまいます。

そこでスパルタはまたもアケメネス朝に支援を求めてしまったんです。

もうこれ完全にアケメネス朝ペルシアに依存してますよね。(笑)

アケメネス朝はスパルタとアテネの間を取り持って和平条約を結びました。

その内容とは、

アケメネス朝のアナトリア(イオニア周辺)の領有権を認める代わりに、ギリシアの各ポリスの独立と自治を保障する。

要は、

アケメネス朝ペルシア
アケメネス朝ペルシア

ペルシア戦争以前の領土を返してくれるなら、俺が君たちのケンカを治めてあげてもいいよ。

みたいな感じですかね。

こうしてギリシアを含めた地中海周辺は、ペルシア戦争以前の状態に戻ることになりました。

ペロポネソス戦争後のペルシアの台頭

アケメネス朝ペルシアの「漁夫の利」感が否めませんね。

漁夫の利(ぎょふのり)・・・当事者同士が争っているうちに、第三者が苦労もなく利益を横取りすることのたとえ

しかし、この後もアテネとスパルタ、その他のギリシア諸都市も含めて覇権争いが続きます。

もう泥沼状態です。なぜこのような状態になってしまったのでしょうか?

実はこの間、常に背後でギリシア人同士が闘い合うように仕向けてしたのがアケメネス朝ペルシアだったんです。

アケメネス朝はペルシア戦争敗北後もギリシア支配を諦めてはいませんでした

しかし、帝国内の治安維持や他の遠征等もあったので、裏で操ってギリシア世界を消耗させるのが狙いだったのでしょう。

ギリシア世界の泥沼の闘争

このようなペルシアの思惑からギリシアは争いは泥沼化していって、ポリスの特性も変化していくことになります。

その内容については次回やっていきましょう。

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まとめ

MQ:ポリス間の争いはなぜ泥沼化していったのか?

A:アテネとスパルタなどのポリス同士の覇権争いに、アケメネス朝ペルシアが裏でギリシア人同士が争うよう仕向けたことで、抗争の構図が複雑化して泥沼化した。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回はギリシアの長期間の戦争によってポリスの性質に変化が起きます。いったいどのような変化が起きたのでしょうか?

それではお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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主な参考文献

『世界史の窓』世界史の窓 (y-history.net)

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社

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