世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回はヘレニズム文化についてみていきます。ヘレニズム文化とはいったいどんな文化なのか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:ヘレニズム文化は周辺文化にどんな影響を与えたのか?
今回の時代はここ!
まあ、そのままヘレニズム時代を指しておきましょう。
ヘレニズム文化とは?
みなさん、ヘレニズム文化とはそのままヘレニズム時代にできたものですが、ヘレニズム時代がいつかは覚えていますか?
うーん、だいたいアレクサンドロス大王の時代ですよね。
まあ、大方合ってますね。
ヘレニズム時代とは「アレクサンドロス大王の東方遠征~ディアドコイのプトレマイオス朝エジプトの滅亡」までの約300年間のことを指します。
なので、その期間にできた文化がヘレニズム文化ということですね。
具体的には、アレクサンドロス大王の東方遠征によって、ギリシア文化がオリエントなどの東にも広がっていき、各地域の文化の影響をうけて独自の文化として発展してのがヘレニズム文化です。
後にこのヘレニズム文化は、ローマやインドなどにも大きな影響よを及ぼすほどの文化となっていくんです。
世界市民主義(コスモポリタニズム)
世界市民主義とは?
ヘレニズム時代では、ポリスの枠にとらわれない生き方を理想とする世界市民主義(コスモポリタリズム)の考え方が知識人(エリート層)を中心にうまれました。
SQ:なぜ人々はポリスの枠にとらわれない生き方を理想としたのか?
もともとギリシアでは、人々はポリス(都市国家)に所属し、「ポリスの一員として何ができるか。」を考えて生きていました。
アリストテレスが「人間はポリス的動物である。」と言ったぐらいですからね。
しかし、それが無くなってしまうんです。
これはアレクサンドロス大王の登場以前のポリスがどんな状況だったのかを思い出せれば理解できますよ。
簡単にいうと、当時のポリスは全盛期に比べて大きく衰退していたんです。詳細は以下の関連記事をご覧ください。
そしてフィリッポス2世、アレクサンドロス大王によって、ポリスを超えた統一王朝が誕生したことで、余計にポリスに捕らわれる必要が無くなっていったんです。
ポリスという価値判断が無くなっていったことで、人々は「一個人としてどう生きるか。」を考えるようになりました。
そうしてポリスの枠を越えた生き方や考え方が探究されるようになったんです。
代表的哲学
なので、哲学もポリスの政治などからは離れていき、「個人はいかに幸福になれるのか。」について探究されるようになっていきました。
ストア派
ストア派は、アテネで活躍したゼノンという人物を中心にできた学派です。
この学派を一言でいうと、
ストア派=禁欲主義
ちなみにゼノンがアゴラ(広場)の立ち並ぶ柱(ストア)の下で講義活動を行っていたことから“ストア派”と呼ばれるようになったそうですよ。
ではなぜ禁欲的になったのでしょうか?
それはゼノンが、
感情を理性でコントロールし、動じない心を目指すことで確固たる自己が確立されるのだ。
と説いたからなんですね。
要は、理性で感情をコントロールできれば、「確固たる自己」すなわち「揺るぎない自信」をつけることができて、人生を豊かにできる、と考えから、「禁欲主義」と呼ばれるようになったんです。
ちなみに英語の「stoic(感情に動じないように見えるさま、ストイック)」はこのストア派から取られているんですよ。自分に厳格な人を「ストイックだね~」と言ったりしますもんね。
このストア派は、後にローマに伝わって、セネカやマルクス=アウレリウス=アントニヌスなどの哲学者に影響を与えました。
エピクロス派
エピクロス派も、アテネで活動したエピクロスを中心にしてできた学派です。
エピクロス派を一言でいうと、
エピクロス派=快楽主義
ではなぜエピクロス派は快楽主義となったのでしょうか?
創始者であるエピクロスはアテネのアカデメイヤで学問を学んでいました。
そこでは自然哲学のデモクリトスの「原子論」の影響を大きくうけました。
そこでエピクロスは、
人間も原子からできているなら、いつかは他の物質となって循環していく。
だから死や不安に悩むことはちっぽけで意味がない。
ゆえに精神的な穏やかな快楽を求めてもいいじゃないか。
と説いたわけなんです。
簡単にいうと、「気難しく考えずにやりたいことをやれば、人生が豊になるはずだ。」みたいな感じですかね。
これがエピクロス派が“快楽主義”と呼ばれる所以ですね。
ちなみに英語の「epicurean(快楽主義者)」は、このエピクロス派から取られています。
このエピクロス派は前述したストア派の禁欲主義とは対立するかたちでヘレニズム時代の哲学の中心を担いました。
美術
ヘレニズム文化は、王や裕福者が保護者となり、建築ではコリント式が多用されるなど、華美で繊細な美術が好まれました。
当時は、美術品を保護して所有することが個人のステータスだったんでしょうね。
以下に代表的な作品を紹介します。
ミロのヴィーナス
「ミロ」は発見された島の名前で、「ヴィーナス」はオリンポス12神の愛と美の女神アフロディーテのラテン語での名前です。
現在はルーヴル美術館で所蔵されています。
ラオコーン
リアルで力強い大理石の彫刻で、ギリシア神話の巨大な蛇によって命を落とすラオコーンと二人の息子の姿を描いています。
現在はヴァチカン宮殿で所蔵されています。
16世紀に西欧のルネサンス期にこれが発見されて、ミケランジェロなどが感銘をうけてルネサンス美術にも大きな影響を与えているんですよ。
サモトラケのニケ
「ニケ」とは、サモトラケ島で作られた彫刻です。
ニケはギリシア神話では女神アテナの配下であり、「勝利をもたらす女神」として知られています。
この彫刻は、戦いに勝った感謝の印として、建てられたそうです。
これらの美術様式は、アジアまで広がっていき、インドや中国、日本にまで影響を与えました。
インドで誕生した仏教美術であるガンダーラなどはその典型ですね。
自然科学
自然哲学と自然科学の違い
ヘレニズム時代は、王などの援助によって特に発達したのが、自然科学でした。
SQ:自然哲学と自然科学の違いとは?
ギリシア文化では、イオニア地方で自然哲学が発展したという話をしましたね。
はじめに言っておくと、「自然哲学」と「自然科学」ではアプローチの方法が異なっているんです。
要は、
自然哲学が観察や対話などの哲学的アプローチ。
自然科学が実験や検証などの科学的アプローチ。
という違いがあります。
初めは、自然哲学の対話などで追及しようとしていくうちに、実験によって検証する自然科学が出てきたんでしょうね。
コイネー
アレクサンドロス大王の東方遠征によって、各地に支配層としてギリシア人が定住するようになりました。
そこではコイネーと呼ばれるギリシア語が共通語となって、オリエントのいろいろな思想や言葉がギリシア語に翻訳すされます。
ローマ帝国時代でも東方の共通語として使われて、現在でも芸術や科学でギリシア語として残っている単語がさくさんあるんですよ。
ちなみにキリスト教も『新約聖書』もはじめはコイネーで書かれました。
・オーケストラ ・コーラス ・シーン ・ドラマ ・カタルシス など
・アトム(原子) ・コスモス(宇宙) ・セオリー(理論) など
中心地ムセイオン
ディアドコイによって建国されたプトレマイオス朝エジプトでは、王によってアテネから学者が誘致されて、アレクサンドリアに一大研究所であるムセイオンが設立されました。
このムセイオンは、アテネにあったアカデメイアやリュケイオンなどの学問所の伝統を継承して設立されたものと考えられています。
ムセイオンには大図書館も併設されて、ギリシアだけではなく、オリエント各地からも書籍が集められて、当時としては世界一の所蔵数を誇るほどの図書館でした。
研究では、数学、医学、物理学といった自然科学の分野だけでなく、地理、歴史、哲学、文学、演劇、宗教といった人文科学の分野にも及んでいました。
このムセイオンは、英語のミュージアム (Museum) の語源にもなっているんですよ。
以下にムセイオンで活躍した学者たちを紹介していきます。
エウクレイデス
エウクレイデスは、ヘレニズム時代にそれまでの幾何学(きかがく)を集大成させた、今日の『ユークリッド幾何学』を完成させた人物です。
幾何学・・・図形や空間の性質を研究する数学の一部門。
現在、学校で習う数学で空間図形が、ユークリッド幾何学です。
幾何学自体は、古代エジプト文明から発達していましたが、これをわかりやすくまとめてくれたのがエウクレイデスなんですね。
アルキメデス
アルキメデスはシチリア島出身で、ムセイオンで研究する自然科学者でした。
主に、物理学、力学、数学の研究をおこない、「てこ」の仕組みを明らかにしたり、「アルキメデスの原理(浮体の原理)」として有名な法則を発見しました。
アルキメデスの原理(浮体の原理)とは、物体を水に入れると、押し上げられた水の重さと物質の重さが等しくなる。という法則です。簡単にいうと“体積”の求め方ですね。
アリスタルコス
アリスタルコスは、星の動きから地球が自転していることと、地球は太陽の周りを回っているという「太陽中心説(地動説)」を説きました。
しかし、当時はアリストテレスの哲学による「地球中心説」が主流だったので、アリスタルコスの主張は受けられませんでした。
今となってはアリスタルコスが正しかったことはわかっていますが、これ以後、再び地動説が説かれたのは16世紀のコペルニクスによってでした。
約1500年以上もかかってしまいましたね。そう思うとアリスタルコスはすごい人物だったんですね。
エラトステネス
エラトステネスは、ムセイオンと併設している大図書館の館長を務めていた人物でした。
ちなみに大図書館の館長は王朝から指名される名誉ある役職だったんですよ。
彼は、自然科学の分野で地球の外周の長さを測定するだけではなく、人文科学にも精通して古典の研究をしたりと、万能な学者のパイオニアとして活躍しました。
まとめ
MQ:ヘレニズム文化は周辺文化にどんな影響を与えたのか?
A:美術様式などはアジア一帯に広がっていき、日本にまで影響を及ぼした。科学などの分野も現代科学の基礎となる理論を体系化したことに貢献した。
今回はこのような内容でした。
次回からは、新しい分野である「ローマ」についてやっていきます。漫画や映画でも多く登場する「ローマ帝国」、それはいったいどんな国家だったのか。
それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓
・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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