世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回はペロポネソス戦争後のポリス社会の変化をみていきます。最終的に北方マケドニアがギリシアの覇権を握ることになります。
なぜ諸ポリスはマケドニアに敗れてしまったのか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:なぜ諸ポリスはマケドニアに敗れてしまったのか?
今回の時代はここ!
テーベの台頭と衰退
台頭
ペロポネソス戦争後にギリシアで最有力だったポリスはスパルタだったのでした。
しかし、ここでテーベというギリシア中部にあるポリスが勢力を拡大してきます。
テーベはアイオリス人が建設したポリスで、アテネに対して対抗心が強く、ペルシア戦争ではむしろペルシア側に味方していたそうですよ。
このテーベが後に一時的ではあるものの、ギリシアの覇権を握ることになるんです。
SQ:なぜテーベはギリシアの覇権を握れたのか?
まず一つ目の要因は、有能な人物がテーベに現れたことです。
その名をエパメイノンダスといいます。
彼は将軍としてテーベを指揮して、前371年にレウクトラの戦いで、あのスパルタ軍を破って勝利をおさめるほどの活躍と実力を示しました。
この戦法によって最強陸軍スパルタを破ってテーベはギリシアで名声を高めたわけなんです。
そして二つ目の要因がスパルタの衰退です。
スパルタとの戦いに勝利した後、テーベはそれでは飽き足りず、スパルタ領土へも侵攻をおこないました。
この侵攻によってテーベはメッセニアという地方をスパルタから解放します。
メッセニアは数世紀の間、スパルタに支配されていた地域で土地の栄養価が高く、メッセニア人たちはヘイロータイ(農奴)としてスパルタに従属させられていました。
しかし、このテーベによる解放でスパルタは約半数ものヘイロータイと肥沃な大地を失ってしまいました。
これはもうスパルタの衰退は必須ですよね。
これら二つの要因[①有能な人物の登場、②スパルタの衰退]によってテーベはギリシアを覇権を握ることができたんです。
衰退
テーベはギリシアの覇権を握ることになりましたが、将軍エパメイノンダスの死後は急速に衰退してしまいました。
歴史では国の全盛期を築いた英雄が死ぬとこのようなことが良く起こります。
その後は、諸ポリスによって覇権争いが再びおきますが、アケメネス朝ペルシアの陰謀によって争いは治まらず、諸ポリスの闘争は泥沼化していきました。
ポリス社会の変化
市民の没落
ペロポネソス戦争勃発からテーベなどの新興勢力の台頭もあり、その後も覇権が交替するかたちで混乱がしばらく続くことになります。
最終的にギリシア世界が安定するまでにかかった時間はなんと約30年もありました。
この長い戦争期間によってポリス社会は大きな変化を向かえることになります。
SQ:なぜポリスでは、市民共同体が失われたのか?
ギリシアの諸ポリスで市民の重要な役割は何でしたか?
戦士としてポリスに貢献することです!
そうでしたね。各ポリスは市民(戦士)共同体によって政治、国防が担われていましたね。
しかし、戦争によってこの市民(戦士)共同体が失われることになってしまいます。
それはいったいなぜでしょう?
主な理由はこれです。↓
ポリスの市民人口の減少
ではいったいなぜ人口が減少してしまったんでしょうか。みなさんはわかりますか?
原因はこれです。↓
●戦死者と疫病による死者数が増加したため。
●長期間の戦争によって、土地を失って奴隷身分に没落したため。
加えてスパルタでは、アケメネス朝ペルシアとの交流によって貨幣が国内に流入し、少数の市民に土地を買いあさられてしまって多くの市民が没落してしまいました。
貧富の差の拡大ですね。これは他の各ポリスでも見られた現象です。
このような理由から、市民の数が減ってしまって市民(戦士)共同体が弱体化してしまったんですね。
社会制度の変化
上記の市民の没落による影響で、ポリスの社会制度にも当然ながら変化が起きます。
SQ:市民減少による社会制度の変化とは?
市民が減るとどんな問題が起きそうですか?
さっきも話しましたが、市民は戦士として国防を担っていたので、単純に戦士の数が減って軍事力が下がってしまうと思います。
そうなんです。でもこの場合、市民の数が急に回復するのは難しいでしょう。では足りなくなった戦士はどうすればいいでしょうか?
お金を払って他から借りてくるとか?
いいですね。その通りです。つまり傭兵に頼ったんですね。
諸ポリスでは市民軍にかわって金で雇う傭兵が主流になっていき、戦士としての市民の役割が失われていきました。
市民軍から傭兵への変化
あと市民が担っていた大事なことは何でしたか?
民会に出て政治を決めることです。
すばらしいですね。市民は民会に参加する民主政を担っていましたね。
市民は民主政の基盤をになっていました。しかし、戦死や没落による平民の数が大きく減少したことでこの基盤が大きく揺らいでしまいます。
民会ではデマゴークと呼ばれる扇動政治家たちが幅を利かせるようになってしまい、公平で民主的な政策決定が難しくなってしまったんです。
寡頭政治やデマゴークの台頭による民主政の衰退
マケドニアの台頭
ではこれだけ混乱と変化が起きたギリシアをどこの誰が平定したのでしょうか?
それはなんとギリシア北方でポリスを作らなかったマケドニアという王国でした。
なぜマケドニアという言わば「辺境」の国家がギリシアで台頭できたのでしょうか?
マケドニアとは?
ギリシア北方のマケドニア地方は、ギリシアの他の地域とは違って、広い平野と山岳地帯がある地域でした。
そこでマケドニア人は、季節に応じて平野部と山岳部を移動する遊牧生活を営んでいたんです。
なのでポリスも持たずに、支配者である王族が騎兵を所有する貴族(部族長)を束ねる部族制社会でした。
なので他のギリシア人と生活が大きく違っていますよね。
なので、ギリシア本土のヘレネスから、生活習慣が全く異なることから、異民族、すなわちバルバロイとして扱われていました。
マケドニア人はギリシア人の一派だったのですが、要は「辺境の田舎者」扱いされてしまっていたわけです。
マケドニアの成長
しかし、そんな辺境マケドニアですが、転機が訪れます。
それがペロポネソス戦争などによるギリシア人同士の闘争です。
マケドニアは先ほども説明した通り、ギリシア北方にある辺境地です。加えてポリスも持たずに遊牧生活をしていたので、ギリシア人同士の戦争とは無関係だったんです。
加えて、ギリシアでは長期間戦争が続いたことによって土地を追われた没落市民が多数いましたよね。
そのポリスを追われた人々が向かった先がマケドニアだったんです。(※もちろん大多数ではなく一部です。)
マケドニアはこうした避難民たちが、北方に広がる森林開発に従事したことで、莫大な利益をあげることに成功したんです。
他のギリシア諸ポリスが衰退するなか、こうしてマケドニアだけが勢力を拡大することができたんです。
フィリッポス2世
そしてこのマケドニアを軍事強国へと成長させたのが、フィリッポス2世という王でした。
フィリッポス2世は若い頃に、当時勢いがあったテーベに敗れて人質となって過ごした経験がありました。
その人質生活でフィリッポス2世は、ファランクスの戦術を学んで祖国へと持ち帰ります。
フィリッポス2世はマケドニアに帰国したあと、騎兵の組織化や長槍で装備した独自の重装歩兵部隊などを整備して、軍事力を高めて部族制社会から中央集権化することで国力を増大させました。
そして前338年にフィリッポス2世率いるマケドニアは、アテネ・テーベの連合軍とカイロネイアの戦いで今後のギリシア覇権をかけた戦いに挑みます。
アテネ・テーベ連合軍は最初は善戦しますが、マケドニアの長槍の重装歩兵部隊と騎兵隊を合わせた戦術の前に敗れてフィリッポス2世が勝利をおさめました。
その後、フィリッポス2世はその年中にギリシア諸ポリスに呼びかけてコリントと呼ばれるところで会議を開き、ポリス間の同盟であるコリントス同盟を結びました。
・各ポリスは自由で独立した平等な権利が保障
・各都市の代表で評議会を設置(盟主はマケドニア)
・相互の抗争は一切禁止(軍事外交のはく奪)
・政体の変更、私有財産・貸借関係の変更も禁止(要は現状維持)
・海賊行為の禁止 etc.
引用:世界史の窓、コリントス同盟 (y-history.net)
この同盟でマケドニアは盟主となることで、マケドニアの覇権を認めないスパルタを除いて、ほぼ全ポリスの軍事外交権を奪うことで支配下におくことになり、ギリシアの覇権を手に入れました。
王政のマケドニアが覇権を握ったことで、アテネを中心とする民主政のギリシア社会は一旦終わりを告げて新しいヘレニズム時代へと入っていきます。
アテネなどのポリスは滅亡したわけではなく、一独立国家として残っていました。
まあ、スパルタはペルシアと繋がってギリシア覇権を狙っていましたからね。
フィリッポス2世はギリシア覇権を握った後、アケメネス朝ペルシアを打倒するために東方遠征の準備を進めます。
しかし前336年、娘の結婚式場で側近の護衛官に暗殺されてしまい、夢半ばで倒れてしまいました。
その意志は息子のアレクサンドロスに託されることになります。
まとめ
MQ:まぜ諸ポリスはマケドニアに敗れてしまったのか?
A:諸ポリスはペロポネソス戦争以後続いた闘争によって衰退してしまい、その間に辺境の地でフィリッポス2世率いるマケドニアが国力の増大や軍事改革をおこなったことで、諸ポリスは敗れてしまい覇権を握られた。
今回はこのような内容でした。
次回はフィリッポス2世の意志を継いだアレクサンドロスによって世界史で稀にみる大帝国が築かれることになります。いったいどんな世界を作り上げたのでしょうか。
それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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