世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後にはパワーポイントもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
![グシャケン](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-OIG2-150x150.jpg)
前回はこのような内容でした。
![](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1427.jpeg)
![グシャケン](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-OIG2-150x150.jpg)
今回はポリスの中でも最大規模だったアテネとスパルタをやっていきます。
それぞれどのような特徴があったのでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:スパルタはなぜギリシア最強の陸軍国になったのか?
今回の時代はここ!
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1433.jpeg)
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1434.jpeg)
アテネ
奴隷制度
イオニア系のアテネはポリスの中で最も奴隷制度が発達していたところでした。
ポリスの市域の中心には有力者の貴族が居住し、周辺には田園に土地を持つ平民たちが暮らしていました。
アテネでは市民の個人所有の奴隷が当たり前で、なんと総人口の3分の1を奴隷が占めていたほどなんです。
![グシャケン](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-OIG2-150x150.jpg)
全盛期にアテネは約25万人もの人が暮らしていたので、奴隷だけで約8万人いたということになりますね。
主にどんな奴隷がいたかというと、
・家内奴隷
・農業、手工業奴隷
・鉱山奴隷(ラウレイオン銀山)
・警察官、下級役人などの国有奴隷
・知的作業(読み書きを教えるなど)に従事する奴隷
こうみると奴隷にもたくさんの役割があったことがわかりますね。
中には商工業で成功して財産を蓄えて、主人から解放されて自由人となる奴隷もいました。
しかし勘違いしてほしくないのは、アテネ市民の大多数は労働に従事していて生活全般を奴隷に依存していたというわけではなかったということです。
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1435.jpeg)
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1436.jpeg)
スパルタの概要
そしてもう一つ、アテネと並んで大きなポリスとして発展したのがスパルタでした。
もともとは、8世紀にドーリア人が移り住み、先住民たちを支配してできたのがスパルタでした。
市域の中心には支配側のドーリア人(スパルタ人)全体が居住していました。
なので、ギリシア人たちが集まってできたポリスとは異なり、異民族を支配して成立したスパルタは他にはない特徴を持っていました。
それらの特徴を見ていきましょう。
ペリオイコイ、ヘイロータイ
●ペリオイコイ(周辺民)
スパルタ市民は全部で約1万人足らずでしたが、中心市の周辺にはペリオイコイという非ドーリア系の先住民が約2万人ほど住んでいました。
![グシャケン](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-OIG2-150x150.jpg)
スパルタ市民は18歳以上の成年男子で構成されていたので、その家族も含めると約5万人が暮らしていました。
普段ペリオイコイは商工業に従事していましたが、戦争が起こると従軍の義務も負わされていました。
ペリオイコイは身分としては自由人だったのですが、ポリスの政治には参加できなかったんです。
なので奴隷ではないのですが、スパルタ市民よりは権利が劣る「半自由人」という存在でした。
●ヘイロータイ(ヘロット)
そしてさらに周辺の田園地帯では、奴隷身分であるヘイロータイが住んでいました。
このヘイロータイはスパルタによって支配された被征服民であり、家族ごと田園地帯に住まわされて国有奴隷として農業に従事させられました。
![グシャケン](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-OIG2-150x150.jpg)
「ヘイロータイ」とはもともと「捕虜」という意味があり、このヘイロータイを確保するためにスパルタは周辺地域に遠征をおこなっていたんです。
ちなみに英語読みだと「ヘロット」になります。
その人口はなんとスパルタ市民の数倍~数十倍にも及びました。
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1437.jpeg)
スパルタの軍国主義
リュクルゴスの制
スパルタは農地や労働力が不足するごとに周辺を征服してヘイロータイを確保していきました。
しかし、領土が拡大するにつれてヘイロータイの人口が増していくことでスパルタ国内の治安は不安定になっていきました。
だって奴隷であるヘイロータイはスパルタに不満があるから、人口増加を糧に反乱が起きてもおかしくないですからね。
そこで問題になるのが・・・
![スパルタ市民](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/ancient_greece_man-e1710913764402-150x150.png)
ヘイロータイの反乱をどうやって防げばいいのだろうか・・・
そして考えられたのが・・・
![スパルタ王](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/ancient_greece_man-e1710913764402-150x150.png)
反乱が起こせないほど厳しく統制できる力を市民が身に付ければいいじゃないか!
これによってスパルタは伝説の王であるリュクルゴスによって特殊な国家体制を敷くことになりました。
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1438.jpeg)
SQ:リュクルゴスの制にはそれぞれどんな目的があったのか?
①貴金属貨幣の使用禁止
②他国との自由な行き来や交易の禁止
③軍国主義的規律
①貴金属貨幣の使用禁止
貴金属貨幣の特徴とは何かわかりますか?
それは「腐らないこと」です。なので食糧とは違って富を蓄えることができますよね。
要は「貯蓄」できるんです。
そうすると、次第に経済格差が出てきます。
もうしばらくすると、富を持つ者と持たざる者の間で不平不満が生じてきます。
最終的に経済力を背景にした市民間の争いが起こってしまいます。
ただえさえヘイロータイ(農奴)に比べて人口の少ない市民が仲たがいすると、ヘイロータイに隙(すき)を与えることになってしまいますね。
なので、貴金属貨幣を使用させないことで蓄財を抑え(経済的平等)、市民の団結を促したんです。
みんな一緒ならケンカしませんから。
①貴金属貨幣の使用禁止:蓄財を抑制して市民の経済的平等を促した。
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1439.jpeg)
②他国との自由な行き来や交易の禁止
他国との自由な行き来はそれだけビジネスの場を拡大することになります。
そうすると、市民の中で経済格差ができてしまって市民の団結がおろそかになってしまう可能性がありました。
どうしても貧民層は裕福層をひがむようになってしまいますからね。
さらに外からの情報が入ってくることで、市民たちのポリスに対する忠誠心に悪影響が出る恐れもあります。
なので、スパルタ市民の団結を崩さないためにも他国への自由な行き来や交易禁止したわけなんです。
②他国との自由な行き来の禁止:経済的格差や外からの情報による悪影響を防ぐため。
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1440.jpeg)
③軍国主義的規律
上記のような規制をしましたが、それでもヘイロータイ(農奴)の反乱が起こってしまうと防ぎようがなくなってしまいます。
なので、スパルタでヘイロータイ(農奴)の反乱を直接抑え込むために行われたのが、厳しい軍国主義政策でした。
市民は貴族、平民に関わらず持ち分地を与えられ、労働生産をすべてヘイロータイ(農奴)に任せていました。
その間、市民は何をするかというと、戦士階級として徹底的な軍事訓練に明け暮れていたんです。
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1441.jpeg)
以下はスパルタ市民の一生を簡単に表したものです。
・0歳・・・健康な新生児のみ養育。
・7歳・・・親もとを離れて集団生活。(もちろん男子のみ)
・12歳・・・兵士としての訓練を本格化。
・18歳・・・非戦闘員として軍隊に編入。
・20歳・・・主力軍として兵営に常駐。(※結婚できるが妻とは別居)
・30歳・・・兵営を離れて家族と生活。(兵営と共同食事は義務)
・60歳・・・兵営の解除、長老(行政機関の役人)会員の被選挙権を獲得。
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1442.jpeg)
アテネと比べてもその異常さがわかると思います。
この厳格な軍国主義によってギリシア最強の陸軍を築いたスパルタは、ヘイロータイ(農奴)の反乱を防いでいたんですね。
厳格な軍国主義によって市民を戦士として教育したことでヘイロータイの反乱を防ごうとした。
スパルタの厳しい軍事訓練の描写がある映画はこちら
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/image-4-4.jpg)
※観る際の注意として、スパルタ人を含めたギリシア兵は屈強さを表すために上裸ですが、実際はしっかりと甲冑を身に着けていたので、映画の中での服装を鵜吞みにしないようにしましょう。
![グシャケン](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-OIG2-150x150.jpg)
以上のリュクルゴスの制①②③から共通していることは何かわかりますか?
![](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/02/pose_kyosyu_boy-150x150.png)
「スパルタ市民の団結」が重要視されていたと感じられました。
![グシャケン](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-OIG2-150x150.jpg)
そうなんです。
圧倒的多数のヘイロータイ(農奴)の反乱を防ぐには、このような鎖国的で厳格な軍国主義によってスパルタ市民の団結が必要不可欠であったことがわかりますね。
このリュクルゴスの制によって前6世紀までにスパルタはギリシア最強の陸軍国家として君臨しました。
しかし、その軍事力は対外政策のためではなく、あくまで国内の反乱を防ぐためにあったということはを頭に入れておきましょう。
なので、最強の軍隊を持ってしてもギリシアは統一されなかったんですね。
まとめ
MQ:スパルタはなぜギリシア最強の陸軍国になったのか?
A:国内にいる圧倒的多数のヘイロータイ(農奴)の反乱を防ぐために鎖国的で厳格な軍国主義政策をとったため。
![グシャケン](http://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-OIG2-150x150.jpg)
今回はこのような内容でした。
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1443.jpeg)
![](https://gusyakensekaishitankyu.com/wp-content/uploads/2024/03/IMG_1444.jpeg)
次回はアテネの民主政についてやっていきます。アテネではいったいどんな経緯で民主政が築かれていったのでしょうか。
それではお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓
コメント