世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回はペルシア戦争後にアテネ民主政が完成の時を向かえます。
いったいアテネ民主政は現代民主政と何が違っていたんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:アテネ民主政は現代民主政と何が異なっていたのか?
今回の時代はここ!
ペルシア戦争後
無産市民の台頭
SQ:なぜ無産市民の発言力が高まったのか?
ペルシア戦争に勝利した後、アテネでは無産市民の発言力が高まっていました。
無産市民とは、「市民権は持っているが、財産が少なく武具を変えない下層市民」を指します。
なぜ、自分で武具を揃えることもできない無産市民が台頭したんでしょうか?
まずはペルシア戦争の中でもテミストクレス率いる海軍が勝利したサラミスの海戦がありましたよね。
この海戦では崖っぷちに立たされたアテネ率いるギリシア側が、戦闘に参加できる成人男性全員を動員して勝利した戦いでしたね。
この海戦は三段櫂船の機動力がカギを握っていたので、漕ぎ手たちの活躍は欠かせませんでした。
その漕ぎ手を担っていたのが、無産市民たちだったんです。
なのでペルシア戦争後、無産市民への功績が認められて一目置かれるようになったわけなんです。
そして、ギリシア諸都市はペルシャ戦争後、アケメネス朝ペルシアの再度の侵攻を防ぐために、デロス同盟という軍事同盟を結んでいましたね。
上の内容から、実質デロス同盟の海軍を担っているのはアテネなので、その海軍力を背景にアテネはギリシアでの存在感を強めていました。
他のポリスはお金を出しているだけなので、実際の戦闘になるとアテネに頭が上がらないわけです。
なので、アテネを敵に回すとギリシアではやっていけなくなってしまったんです。
こうしてアテネは同盟諸国に対する支配を強めていきました。
こうした海戦での活躍とアテネ海軍の存在感によって、無産市民たちの民会での発言にみんなが耳を傾けるようになっていったんです。
アテネのためにあれだけ活躍したのだから彼らの発言を検討する余地があるかもな。
みたいな感じでしょうか。
ペリクレス
こうした無産市民などの発言力が高まったことで、多数を占める民主派の力が強くなり、貴族勢力から政治的実権をはく奪することにも成功します。
このような中で指導者になったのが、民主派のペリクレスという人物でした。
このペリクレスの改革によってアテネ民主政は完成され、前5世紀半ばにアテネの国力は全盛期を向かえることになります。
アテネ民主政の完成
民会
アテネでは年に40回、市民の全体集会である民会でポリスの政治が決められていました。
成年男子の市民・・・ポリスに居住する18歳以上の男性。市民権を持つ。
この民会には市民権を持っている人であれば誰でも参加や発言ができて、多数決によって政策を決定していました。
ちなみに民会は早朝から昼頃まで続くこともあって、市民たちはパンやワイン、オリーブなどのお弁当を食べながら議事を聞いていたそうですよ。
五百人評議会、将軍職
五百人評議会は民会で議論される議案の準備をおこなったり、財政や軍事の実務をおこなうなどの行政担当としての権限をもっている組織でした。
ちなみに五百人評議会はクレイステネスの時代に作られた制度でしたね。
実務をおこなう評議員や役人は、市民の中から抽選で選ばれ、任期は1年限りで再選は禁止されていました。
ここも一定の人物の権限が増して利己的な政策にならないようにするための対策になっていますね。
しかし、軍事の最高官職であった将軍だけは選挙での再選が何度でも可能だったんです。
やはり国防を担っているので、コロコロと変わると軍隊の組織力とかに影響がでるのでしょうか、、、
ちなみにペリクレスはこの将軍職に15年連続で当選しています。ずっとやってますね。さすがの人気ぶり(笑)
裁判所
裁判も同じく、くじで選ばれた裁判員(陪審員)によって民衆裁判所によって判決が下されていました。
知的エリートではなく、市民によって裁かれているところが民主政らしいですね。
しかも加えて、政治家の不正や汚職に対しても市民は弾劾裁判を開くことができて、役職に就いている人々への責任追及も厳しく取り締まっていました。
ペリクレスの改革
これらの民主政の制度を支えたのは、まぎれもなく無産市民(下層市民)を含めた平民たちでした。
この平民たちが政治に参加しやすいような制度を整えたのがペリクレスでした。
SQ:ペリクレスは民主政をどのようにとらえていたのか?
以下はペリクレスがおこなった演説の一部です。この史料からペリクレスは民主政をどのようなものだととらえていたか?
みなさんも読んで考えてみてください。
わかりましたか?
以下の内容をまとめるとこんな感じです。
まあこんな感じでしょうか。みなさんならもっと的確な回答ができたかもしてませんね。
ペリクレスはこの思想のもとで、無産市民もふくめた市民全員が参加できる民主政が維持できるように以下のような改革をおこないました。
・議員手当、裁判員手当などの補助金を支給。
→ 抽選で貧民が当選しても職務に専念できるようにするため。
・市民権の制限(両親がともにアテネ人である18歳以上の男性のみ)
→ 役職が給料制になったため。公務員制の導入。
役職手当が出ることで抽選制が貧富の差に関係なく役職に専念できるのはいいですね。
しかし、新たに手当を支給したのはいいですが、その財源はどこから出たのでしょうか?
普通に考えたら手当によって財政を圧迫しそうですよね。
そのヒントはペルシャ戦争後にできたある組織のおかげでした。
もうおわかりでしょうか。そうです、デロス同盟ですね。
デロス同盟では、アテネ以外のポリスはデロス島の金庫に納金をしていたので、アテネはその資金を自国のポリスに流用していたんです。
まあ、簡単にいうと汚職ですよね。それができてしまうほど、当時のアテネは力を持っていたということです。
ペリクレスはデロス同盟の資金をふんだんに流用して手当だけでなく、公共事業も積極的におこないました。
パルテノン神殿が再建されたのもこの時です。
・雇用を生んで民衆が経済的に豊かになって民主政の基盤となった。
・パルテノン神殿の再建など、ポリスの美観を整えてアテネの威厳が増した。
このような背景もあって、ペリクレスの時代に民主政が完成してアテネの全盛期がやってきたんですね。デロス同盟の資金流用のところはなにかスッキリとはしませんが、、、
しかし、民主政の仕組み自体はアテネに限らず、デロス同盟を中心とした都市にも広がっていきました。
アテネ民主政の特徴
参政権
現代の日本の参政権はどのような人たちに与えられていますか?
「18以上のすべての国民」に与えられて、政治に参加(おもに選挙)することができます!
そうですね、ではアテネでは参政権はどんな人たちに与えられていましたか?
アテネではペリクレス時代に市民権を「両親がともにアテネ人である18歳以上の男性のみ」と定めていたのので、それ以外は参政権がなかったということですか?
そうなんです。現代の日本とは違ってアテネでは全員に平等に参政権が与えられていたわけではなかったんですね。
アテネでは、市民の間では政治参加の平等を徹底していましたが、それ以外の「女性」「奴隷」「在留外国人」に対しては一切の政治参加を認めていなかったのです。
たとえ、自由人であっても在留外国人であれば、土地などの不動産も所有することができなかったんです。現代では外国人であろうと日本の土地の購入自体は可能ですね。
ちなみに現代の日本では、選挙権がない未成年や在留外国人でも請願権などの権利で、署名などを集めて自治体に訴えかけるなどの参政権は認められていますね。
直接民主政
現代日本で、みんなが国の政治に参加するには主にどんな方法がありますか?
選挙で国会議員を選んで代弁してもらう方法です。
そうですね。日本では国民に選ばれた議員さんが政治をおこなう代議制がとられていますね。
これを別名、間接民主政と呼びます。
しかし、アテネでは市民全員が民会に参加して政治が決められていました。
このような制度を直接民主政といいます。
選ばれた代表に決めてもらうか、全員で決めるかという点が現代の日本とは異なっていますね。
・現代日本でも「憲法改正の国民投票」や「最高裁判所裁判官の国民審査」などは直接国民が決めることができます。
・スイスの一部の自治体では現代でも直接民主政によって町の政策が決められているところもあります。
アテネ民主政の意義
参政権の範囲や直接民主政など、現代の日本でとられている民主政とは違う点が結構ありましたね。
しかし、制度は違えど世界で初めて「民主主義」という制度をつくったという点で、その後の世界史に大きな影響を与えました。
アテネ民主政の誕生は世界史的意義が大きいといえるでしょう。
ちなみに民主政を英語で「デモクラシー(democracy)」といいますが、これは「民主の支配」を意味するギリシア語の「デモクラティア」が語源なんですよ。
まとめ
MQ:アテネ民主政は現代民主政と何が異なっていたのか?
A:参政権が全員ではなく、市民権を持つ18歳以上のアテネ男子だけと制限されており、市民全員が参加して国政を決める直接民主政がとられていた部分などが、現代民主政とは異なっていた点である。
今回はこのような内容でした。
次回は民主政が完成したギリシアで変化が訪れて、ギリシア人同士の内乱が起こってしまいます。
最終的にギリシアはどうなって、誰の手に渡るのでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓
・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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