世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
今回からは古代オリエントのもう一つの古代文明、エジプト文明について授業をします。
時代をさかのぼるので、メソポタミアとの横の関係を年表で一緒に確認しながら進めていきましょう!
MQ:エジプトの王朝が長期間、安定した繁栄が続いたのはなぜなのか?
今回は時期でいうとここになります。
メソポタミアでいうとシュメール人が都市国家を形成するところからですね!
エジプトはナイルの賜物
古代文明にとって欠かせない存在は何でしたか?
そう、大河の存在でしたね。エジプト文明でいうとそれはナイル川になります。
ナイル川・・・アフリカ大陸にある世界最長の川。全長は約6000㎞。(日本の約2倍)ながっ(笑)
のちにギリシアの歴史家ヘロドトスが「エジプトはナイルの賜物(たまもの)」といったほど、ナイル川なしにエジプト文明は語れないんです。
ではこの川を一言でいうと何なのか、「大河界のできすぎ君」です。笑
できすぎの訳は、氾濫の時期が定まっていることにあります。雨季の時期から徐々に増水していき、7〜10月までに定期的な氾濫がおきます。
しかも上流から「ナイル・シルト」と呼ばれる肥沃な土壌が運ばれてくるので、氾濫後は豊かな土地が広がるのです。
まあ、灌漑も自分(ナイル川)で勝手にやってくれるんですから優等生の鏡ですね。笑
これらのことから、エジプト文明はナイル川による自然灌漑による農業生産が、経済の基盤であったことがわかりますね!
こう見るとナイル川付近だけめちゃめちゃ緑ですね笑
ファラオによる統一国家
初めはナイル川付近に村落が形成され、次第に拡大されたノモス(村落都市国家、県)が出現します。
ここで歴史の法則。
この法則に従ってエジプトでも統一国家のリーダー(王)が現れます。
それがファラオです。この王はメソポタミアよりも早く現れて統一国家を成立させました。
ファラオは「生ける神(現人神)」として約3000年間、安定した神権政治をおこなったんです!
SQ:なぜファラオは「生ける神」として、統治ができたのか?
それはファラオがナイル川の氾濫時期を把握していたからにほか有りません。
その知識がない民衆からすると、ファラオがさぞ自然でも操っているかのように見えたでしょう。
このように統一国家を統治できたのは、
以後、一時的な周辺民族の侵入や支配を受けながらも、メソポタミアの複雑な歴史とは異なり、国内の安定した統一が長らく続きました。
その理由については、まとめのところでやりましょう。
エジプトでは約30もの王朝が成立しましたが、その中でも特に繁栄していた時代が古王国・中王国・新王国と呼ばれる時代です。
古王国
この時代は第3〜6王朝の時期であり、ナイル川下流域のメンフィスを中心に栄えました。
統一国家が安定期に入って、王が権威を示すものが数多く作られます。
それのうちの一つがあの有名なピラミッドです!
もっと後の時代かと思いきやもう登場しちゃいましたね。笑
特に第4王朝のクフ王、カフラー王、メンカウラー王が建設した「ギザの3大ピラミッド」が有名ですね。みなさんがよく目にするものはおそらくこれらのことでしょう。
最大規模のクフ王のものは、10万人の労働者で20年かかったと言われています。
現在の技術でも5年の歳月と総額1250億円(昭和53年時点)かかります。古代エジプトの工法だと約4兆円らしいです。笑
SQ:ピラミッドを建設させた目的とは何か?
ピラミッドは“ファラオの墓“という認識が強いですよね。ですが考えてみてください。一国のリーダーが「自分のお墓を豪勢にしたい!」という理由だけで20年も10万人を働かせるでしょうか?
まあ現代であれば間違いなく「税金の無駄使いだ!」「もっと他に税金を使え!」と支持率が下がりそうですね。笑
ファラオもバカではありません。国家のリーダーは常に国が繁栄することを考えています。
このことから、ピラミッド建設の理由は当時の民衆のお財布(経済)状況を見るとわかってきます。
当時、民衆のほとんどは農業で生計を立てていました。収穫が終わってからは農閑期といって次の収穫まで特に仕事がありません。
なので、一度凶作などになると民衆の生活が苦しくなり、消費が落ち込んで不景気になってしまします。
なのでファラオは農閑期を利用して、民衆に仕事を与えて収入を安定させようとしたのです!
それがピラミッドの建設でした!
ピラミッド自体も王の墓だけではなく、周辺に付属する神殿、王妃や臣下の墓も含めた“葬祭記念建造物“であると言われています。
これらを聞くと「強制労働をさせた神の化身ファラオ」とはずいぶん印象が変わりますね。
しかし、ギザの3大ピラミッド以降はピラミッド自体は縮小していきました。これは国の経済力が衰退した(財政悪化)ことが原因なのではないかと思います。
お金(経済力)がないファラオはその権威も低下します。まあ全ての面倒を見切れなくなるので、当然言うことを聞かない人たちも出てきそうですよね。
次第に周辺のノモス(小国家)が独立していき、王朝は分裂状態になってしまいました。
中王国
この時代は第11〜12王朝まで続き、前2000年ごろに上エジプトのテーベを本拠地とする勢力が再びエジプトを統一しました。
首都もメンフィスからテーベに移り、中央主権化と官僚組織の整備が進みました。
まあ、一言でいうと“国家らしく“なっていきました。
しかし、この時期は民族移動が激しくなった時代でもありました。
中王国末期には、遊牧民のヒクソスがシリアから侵入して下エジプトを支配し、国内は一時的に混乱しました。
当時メソポタミアではヒッタイトやミタンニが進出し、それに押される形でヒクソスがエジプトに侵入してきたんですね。
SQ:ヒクソスがエジプトに与えた影響とは何か?
ヒクソスの支配は約100年間続きましたが、エジプトにとっては悪いことばかりではありませんでした。
ヒクソスはメソポタミアの周辺から侵入してきたんですよね。ということは、今まで独自の文明を築いてきたエジプトに“西アジア(メソポタミア)という新しい風“が入ってきたんです!
主にエジプトに持ち込んだ文化とは「軍事(武器)」です。
当時、メソポタミアではヒッタイトが持ち込んだ“戦車“が戦場では主流となっていました。
馬と鉄以外にも、青銅製の武器や鎧も伝わりました。
この後、支配を脱したエジプトはこれらの軍事力を使って対外進出していくことになります。
新王国
約100年にも及ぶヒクソスの支配は、前16世紀にテーベを中心に起こった王朝によって駆逐され、再びエジプトが統一されます。
この後の第18〜20王朝までが新王国時代となります。
この時代は、ヒクソスによってもたらされた馬と戦車を使ってエジプトの外へ進出拡大していった時期でした。
今度は俺たちの番だ!!という感じですね。(笑)
旧約聖書の「出エジプト」を描いた映画『エクソダス 神と王』の冒頭では、新王国エジプトとヒッタイトの戦車戦が描かれており、当時の戦いの様子を大迫力で見ることができます。
前15世紀には海外遠征を積極的におこない、その領土は最大化しました。
アマルナ時代
前14世紀にアメンホテプ4世がエジプトの改革をおこないました。
SQ:アメンホテプ4世の改革の目的は何だったのか?
教科書だけ読んでいると、「へー、遷都したんだー。」「唯一神とか気が変わったのかなー?」ぐらいにしか思わないですよね。(笑)
ですが、これらの改革はアメンホテプ4世が国家繁栄のためにおこなわれたんです。
その目的とは?
まず当時は海外遠征が盛んでしたよね。ファラオは遠征の度にアモン=ラーという神に御加護があるよう祈っていました。
まあ簡単にいうと勝利祈願です。
アモン=ラー・・・「アモン」は都テーベの守護神、「ラー」は太陽神であり、新王国時代にこれらの神々が融合したエジプトの最高神。
そのお祈りはアモン神官団が執り行っており、遠征で勝利するごとに戦利品の贈呈や征服地の寄進(譲り渡すこと)により、莫大な富をため込んでいました。
そして次第にこうなっていきます。
この国の繁栄はアモン神様のおかげ、つまり私たちのおかげでもあるぞ。我々の言うことに間違いはない!
ファラオよ、●●●(政治、王位継承など)はもっと●●●したほうがよいのではないか?
ぐぬぬ。口出ししてきてうっとしい。
つまり、実績と富を膨らませた神官団たちが自分たちの良いように、政治や王位継承に対して介入してきたのです。
人間は欲深い生き物ですからね。現状には満足せずさらに権力と金を得ようとするんです。今も昔も変わらないですねー。
それに対してアメンホテプ4世は嫌気がさします。ひとたび神官団と意見が対立すると、神官団側と一触即発状態です。政策がなかなか決まらず国内も混乱する可能性が出てきます。
要はアメンホテプ4世からすると、めっちゃやりずらいんです!
改革をおこなった目的とは何だったのか?それは・・・
なので、まずアメンホテプ4世がおこなったのが神官団潰し。
神官団が崇拝している神々を廃止し、自分だけが預言をさずかれる神をつくりあげます。
それがアトン神です。太陽光線をつかさどる万物の創造神です。
何か人間らしさがなく、他の神々とは一線を画すビジュアルですね。
しかし、神を変えたところでそう簡単にうまくはいきません。
アモン=ラーはもともと首都テーベの守護神アモンが融合・進化したものです。自分たちの守護神を突然否定しろだなんて難しい話ですよね。神官団はもちろん、テーベの民衆にもなかなか受け入れてもらえません。
ですがアメンホテプ4世は権威復活をあきらめません。
こうなったら邪魔が入らず、アトン神が浸透しやすい土地に行くしかない!
神官団の勢力を完全に排除するためにおこなわれたのが、新都テル=エル=アマルナへの遷都です。
ちなみに遷都する際はアモン神殿を破壊し、神官職も廃止にしました。徹底してますねー。
そして自らの名前も「アトン神に有益な者」という意味のイクナートンに改名します。
※今後、「アメンホテプ4世」と「イクナートン」は同一人物を指します。
ここらへんにアメンホテプ4世の意志の固さがみえますね。「俺は本気でやるぞ!」的な。
この一連のアメンホテプ4世の宗教改革の時代をアマルナ時代とよびます。
この時代には、新しい信仰を反映したアマルナ美術も生み出されます。
SQ:アマルナ美術には今までにないどのような特徴があるか?
この2つを比較してアマルナ美術にはどんな特徴がありますか?
簡単にいうとアマルナ美術のほうがリアルなんです。
アメンホテプ4世のおなかをよく見てください。なんと一国のファラオにだらしないぜい肉が乗っています!なんとみすぼらしいというか愛らしいというか。(笑)
アマルナ時代終了後
アメンホテプ4世は国家の威信のために、とくかくすべてを一新しようとしたんですね。
しかし、これらの改革はあまりに急進すぎました。
廃止された神官団や神々の崇拝を禁止された民衆からの批判は収まらず、アメンホテプ4世が死去した後は、息子ツタンカーメンによって宗教も首都もすべてもとに戻されてしまいました。
あの黄金のマスクで有名なツタンカーメンはアメンホテプ4世の息子だったんですね。お父さんの後処理大変そう。(笑)
人間は現状にそこそこ満足していると急な変化を嫌います。制度を変えるには少しずつなじませながら慎重に行う必要がありました。しかしアメンホテプ4世は国家のことを考えすぎるあまり、急いでしまったのです。
続く第19王朝のラメセス2世の時代には王国の勢力が再び増します。
アブ=シンベル神殿など盛んに建設事業を起こし、前1275年にはカデシュの戦いでヒッタイトと史上初の和睦をおこないました。
まとめ
MQ:エジプトの王朝が長期間、安定した繁栄が続いたのはなぜなのか?
「ファラオによる統一国家」でもお話しましたが、古代エジプトは約3000年にもわたって安定したファラオによる長期政権が続きました。
ではなぜ、メソポタミアなどに比べて長期で安定できたのか?
それは周りの自然環境をみるとおのずとわかってきます。
メソポタミアは民族の入れ替えが激しい地域でしたよね。それはメソポタミア付近はステップ気候が広がっており、陸続きでもあったため特に進入する際に障壁が無かったためです。
ステップ気候・・・年間を通して降水量が少なく、 イネ科植物(草本)は育つが、低木は育たない
ですが、エジプトはどうでしょう?
周りは砂漠地帯で世界最大のサハラ砂漠が広がっています。しかもユーラシア大陸とはシナイ半島でのみ陸でつながっており、それ以外は海に囲われているんです。
簡単にいうと、砂漠で熱いし海で囲われていて入ってきずらいんです!
自然の要塞に守られていたんですね。
A:古代エジプトは砂漠と海による自然要塞を有していたため、他に比べて長期で安定した政権を維持することができた。
今回はこのような流れでした。
各王国時代の特徴と横のとのつながりをしっかりと抑えておきましょう!
次回は長期で安定した文明で形成された文化についてやっていきます!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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