この記事で使用したPowerPointスライドは「note」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドやWordプリントのダウンロードは記事の最後に貼ってあるURLから!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!
はじめに

前回はこのような内容でした。


今回はイギリスとフランスの間で起こった百年戦争についてです。この百年戦争によって社会はどのように変化したんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:百年戦争はなぜ始まって長期化していったのか?
今回の時代はここ!

要因
SQ:なぜ百年戦争は勃発したのか?
百年戦争とは1339~1453年の約百年間、イギリスとフランスが争った戦争のことを指します。
ではなぜこのような戦争が起きたのか?それは以下の大きな2つの要因によって引き起こされました。
①領土問題
②王位継承問題


ではこの2つの要因について順番にみていきましょう。
①領土問題(フランドル地方)
まず1つ目は王位継承問題です。
西ヨーロッパ大陸には、現在のベルギーと北フランスにまたがる地域にフランドル地方と呼ばれる毛織物産業が盛んな地域がありました。
このフランドル地方はフランス諸侯が治めていて、フランドル伯領と呼ばれていました。
フランス国王は毛織物産業として経済的な要衝だったこの地域を直接支配しようと試みます。
しかし、毛織物の原料である羊毛をフランドル地方に輸出していたイギリスがこれを阻止しようとして、フランス国王とイギリス国王との間で対立が起きてしまいます。

この地を手に入れれば莫大な利益が見込めますからね。そりゃ奪い合いになりますよね。
その後もフランドル地方に限らず、フランス国王の重税に不満を持つ貴族(諸侯)がイギリス国王と同盟を結んだり、イギリスと対立していたスコットランドがフランス国王と同盟を結ぶなど、お互いに王国を統一できない複雑な関係になっていきました。

こういった複雑な領土問題が戦争勃発の要因になっていったんですね。

②王位継承問題
そして二つ目が王位継承問題です。
フランスのカペー朝では国王だったシャルル4世に跡継ぎがいなかったことから、彼の死後に誰が王位を継ぐかという王位継承問題が起きます。
シャルル4世には従兄弟がいたので、彼に継承されるかと思いきや、プランタジネット朝イギリス王国のエドワード3世がフランス王位継承を主張してきたんです。


私の母はフランス王フィリップ4世の娘だったから、私にもカペー朝の血が流れている!だから私にもフランス国王になる資格だあるんだ!
という理由からエドワード3世は王位継承権を主張してきました。
この問題は全国三部会によって話し合われることになり、結果シャルル4世の従兄弟に当たるフィリップ=ド=ヴァロワが「フランス生まれだから」という理由でフランス王に選ばれて就任することになりました。
カペー朝は断絶してしまったので、ここからフランス王国はヴァロワ朝へと移っていきます。


フィリップ=ド=ヴァロワはフィリップ6世として王に選ばれたことで、エドワード3世は一旦それを認めます。
・・・が!後になって、

やはり私がフランス国王になるべきだ!認めなければ武力行使をするぞ!
ということで再びエドワード3世が王位継承権を主張してフランス王フィリップ6世に宣戦布告したことで始まったのが百年戦争です。
この戦争はフランスとイギリスが、フランドル地方などの複雑な領土で緊張状態になっていた時に、フランス王国の王位継承問題が起きたことで爆発した戦争だったんです。

エドワード3世は領土をいただくための口実として王位継承問題に首を突っ込んだともいわれています。
イギリスとフランスがフランドル地方などを巡る領土問題で緊張状態だった際に、イギリスがフランス王位継承問題に介入したことで勃発した。


ちなみにこの戦争は「フランス国家 VS イギリス国家」というよりも「フランス国王 VS イギリス国王」の対立にフランス諸侯が両方に分かれて闘い合った戦争だったので、「国家間の戦争」とは少し違っていたことを注意しておきましょう。
経過
前半
この百年戦争は1339年にイギリスのエドワード3世が北フランスに侵攻したことで開戦しました。

この戦争は「百年間戦い続けた。」わけではなく、「途中休戦を挟みながら約100年間続いた」戦争でした。戦場は主にフランスで展開されることになりました。
開戦初期は、大陸に上陸したイギリス軍がフランス軍を圧倒して、海でもイギリスが制海権を握って戦いと圧倒していきました。
特に1346年のクレシーの戦いでは、イギリスの長弓隊がフランス騎士団を圧倒して勝利します。

フランス軍の十字弓よりイギリス軍の長弓の方が飛距離が長かったので、フランス騎士団を含めて圧倒できたんです。


この戦いは、それまで戦場の花形だった騎士が主役の時代が終わって、戦術の進化が証明された戦いでもあったんです。

新戦術を取り入れたイギリスはその後も快進撃を続けていき、翌年にはカレーという地域を占領してフランス領を圧迫していきます。
さらにポワティエの戦いでは、イギリス皇太子のエドワード黒太子が、約4倍ものフランスを撃破するなどの大活躍でイギリスの勝利に貢献しました。

エドワード黒太子は国王エドワード3世の長男で、黒い鎧を着ていたことから「黒太子」と呼ばれました。英語だと「the Black Prince」です。なんかかっこいいですね。


戦争の長期化
SQ:なぜ戦争は長期化したのか?
イギリス優勢で進んでいた百年戦争でしたが、ここから百年戦争と呼ばれた所以でもある泥沼化が始まってしまいます。
まずヨーロッパを襲ったのが黒死病(ペスト)でした。
この感染症によるパンデミックで多くの人々が犠牲になり、イギリスとフランス両国で労働者不足や不景気などの深刻な打撃を受けることになりました。

感染症が与える影響は戦争に限らず、社会全体に及びました。コロナ禍を経験した方から想像できるかもしれませんね。
黒死病(ペスト)の蔓延による社会混乱。

しかし、事態はさらに悪化していきます。
戦争やそれによる増税、黒死病(ペスト)の流行などで社会不安が広がっていき、生活が苦しくなった農民(農奴)たちによる反乱が各地で起こるようになります。
フランスではジャックリーの乱、イギリスではワット=タイラーの乱がそれぞれ起きて、封建社会に反発する農民反乱は王国を混乱させました。

ジャックリーの乱やワット=タイラーの乱も[7-3.1]封建社会の崩壊で詳細を説明しているのでここで復習しておきましょう。
戦争やパンデミックによる社会不安から起きた農民反乱による混乱。

加えて、本来なら国家間の対立や戦争にはローマ=カトリック教会が仲介に入るのですが、この時は教会大分裂(大シスマ)の真っ只中で、それどころではなかったことも戦争の長期化に繋がりました。
仲裁役のローマ=カトリック教会の機能不全。

こうした社会不安がどんどん増していったことで、戦争どころではなくなっていき百年戦争は長期化していくことになったんです。

戦争だけでなく疫病や内乱、農民たちの反乱と、まさに激動の時代だったんですね。
では最後にこれら理由①②③をまとめてみましょう。
黒死病の大流行と戦争の影響による社会混乱が広がる中、農民反乱が勃発し、さらに仲裁役であるローマ=カトリック教会も教会大分裂の最中で機能不全に陥り、社会不安が深刻化したため。

後半
このようなことが原因で百年戦争は途中休戦を挟みながら長期化していくことになりましたが、フランスでは戦争によって土地が荒廃して国力がとても低下していました。
そんな時にヴァロワ朝フランス王になったのがシャルル7世という人物です。

シャルル7世の時代はフランスはイギリスに対して劣勢で、国内の貴族もフランスを見限ってイギリス側に付くなど、王国内は崩壊寸前まで追い込まれていたんです。
そこにイギリスが付け込んでさらに攻勢をかけて、反フランス派と手を組んで勢力を拡大していきました。
イギリスは畳みかけるように、1428年にフランス中部のオルレアンという都市を総攻撃します。
これに対してシャルル7世は包囲されてしまい、打開策も打てずに絶体絶命の苦境に立たされてしまいます。

いよいよマジでフランスがやばくなってきましたね。

しかし、絶体絶命のピンチに追い込まれたフランスに救世主が現れます。
それがあの有名なジャンヌ=ダルクです。

もともと農村で平凡な少女だったジャンヌ=ダルクは、ある日突然神から、

そなたが先頭に立ってフランス王国を救うのです。
という啓示をうけてシャルル7世と面会し、フランス軍を率いてオルレアンの包囲解放を託されることになります。

なんだかドラマのようなお話ですね。
こうして神の啓示を授かってフランス軍の指揮を任されたジャンヌ=ダルクはフランス騎士たちを鼓舞して、オルレアンを攻撃して包囲から解放することに成功します。
その勢いのままフランス軍は反撃に転じ、シャルル7世もジャンヌ=ダルクのおかげで戴冠式をおこなって正式なフランス王になることができました。

戦時中は主要な都市を奪われて、フランス王を名乗る人が他にもいましたからね~。

こうした活躍によってフランスの救世主となったジャンヌ=ダルクはその後もフランスのために奮闘します。
しかし連戦連勝とはいかず、パリを奪還するための戦いではイギリスに負けてしまい、ジャンヌ=ダルクはイギリス側の貴族(諸侯)に捕まってしまいます。
その際にフランス側に身代金が要求されるのですが、国王や貴族たちは、

ジャンヌ=ダルクは放っておけ。もう神から見放されたのだ。
とフランスは救世主ジャンヌ=ダルクを見捨ててしまったんです。

ジャンヌ=ダルクの活躍のよってフランスは救われたんですが、ジャンヌの求心力を警戒して不満を持つ支配層も多かったんです。そうした権力者たちにジャンヌ=ダルクは見放されてしまったんです。
その後ジャンヌ=ダルクはイギリス軍に引き取られて異端審問(宗教裁判)にかけられ、異端の罪で火刑によって処刑されてしまいました。



わずか10代の若さでフランスを救って火刑によって命を落とした救世主ジャンヌ=ダルクは、その後フランスの国民統合の象徴として語り継がれることになりました。
終結
ジャンヌ=ダルクの活躍もあって優勢になったフランスは、イギリス派の諸侯と同盟に持ち込んでイギリス軍を大陸で孤立させていきます。
そこからもフランスは反撃を止めずに次々と都市を奪還して、パリ入城を果たすなど快進撃をみせていきました。
勢いにのったフランス軍はイギリスが支配していた領土のうち、カレーを除く全ての領土を奪還することに成功して百年戦争は終わりを迎えることになりました。

初めはイギリス優勢で始まった戦争でしたが、途中紆余曲折を挟んで最終的にはフランスの勝利で百年戦争は幕を閉じることになりました。


まとめ
MQ:百年戦争はなぜ始まって長期化していったのか?
A:イギリスとフランスが領土問題や王位継承問題で対立を深めたことで開戦し、途中黒死病の流行や戦争による混乱が社会不安を招き、農民反乱やローマ=カトリック教会の機能不全が起きたことで長期化していった。

今回はこのような内容でした。

次回は百年戦争の2回目として、百年戦争による社会変化についてみていきます。この戦争はその後の社会にどんな影響を与えたんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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