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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は西ヨーロッパで封建社会が崩壊していく過程についてみていきます。封建社会はなぜ崩壊してしまったのでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:なぜ封建社会は崩壊してしまったのか?
今回の時代はここ!

貨幣経済の浸透

ここからしばらくは以前にも扱った部分も多いので復習になります。
西ヨーロッパでは封建的主従関係を中心に、大土地所有者が荘園を経営する封建社会が浸透していましたよね。
しかし14世紀以降にもなると、この封建社会に変化が起こり始めます。
まずは11世紀以降の人口増加に伴って、食糧を確保するために修道院を中心に開拓と農業技術の発展が起きました。
加えて商業圏も拡大していき、交易などによってヨーロッパに大量の貨幣が流入するようになります。
そして農奴たちは、農業生産の増大によって領主へ貢納した後に余った食糧を売るために、市場にアクセスするようになったので、貨幣を手に入れてそれまで現物経済だった荘園内でも貨幣が流通するようになっていきました。
これがいわゆる貨幣経済の浸透ですね。

この貨幣経済の発展によって、封建領主たちも貨幣を手に入れるために、それまで農民から生産物を現物で納めさせていたのを、貨幣で納めさせる地代に変えていきました。
そして農奴たちは余った生産物を市場で売って貨幣を貯金できるようになったので、次第に経済力をつけていき、領主の支配に対して権利を求めるようになり、対立していくようになっていきます。

この農奴の権利獲得は後で具体的にみていきます。
とりあえずここでは貨幣経済の発展によって、農奴が力をつけ始めたということを理解しておいてください。

労働人口の減少
飢饉の発生
ヨーロッパでは11世紀ごろから人口増加が増えて農業生産力も向上しましたが、各地で度々飢饉(ききん)が起こるようになります。
SQ:ヨーロッパで飢饉を加速させた原因とは?

ではなぜ技術革新が起きても各地で飢饉が発生したんでしょうか?
それはこれまで見てきたヨーロッパの情勢が理解できればわかるかもしれませんよ。
各地で飢饉が発生したのはもちろん自然災害が原因のものもありましたが、大きく加速させた原因の一つは“戦争”でした。
ヨーロッパは常に四方から異民族の侵入を受けたり、宗教上の対立などから戦争が絶えない地域でした。
なので、戦場となった地域では土地が荒れて作物が栽培できなくなってしまったんです。
加えて農民は兵士として戦地に行ってしまい、戦費によって国王や諸侯の財政が悪化していったことで経済は混乱してしまいます。
これに対応しようと国王や諸侯たちは、戦費や資源を確保するために重税を課して食糧を徴収するなど、結果的に農民たちを追い込んでしまう形になってしまったんです。
これらの理由から、ヨーロッパでは各地で飢饉が加速していく現象が起きてしまったんです。
度重なる戦争によって経済が混乱し、支配者の重税などによって加速していった。

黒死病(ペスト)の流行
そしてこれにさらに追い打ちをかけたのが、黒死病(ペスト)と呼ばれる感染症の蔓延でした。

黒死病は、敗血症によって皮膚に黒ずんだ内出血が出て、発病から2〜3日で亡くなってしまうことが多かったことからこう呼ばれるようになったそうです。
この黒死病は、14世紀頃に黒海とカスピ海周辺でペスト菌を持っているノミに寄生されたネズミが商船に運ばれてヨーロッパでパンデミックが起こったと言われています。
この黒死病は当時の医療では治療できなかったので、致死率が非常に高く、当時のヨーロッパの人口の約3分の1(約2500万人程度)が亡くなるほどの被害が出てしまいました。



黒死病が蔓延した際に、「ユダヤ人が原因だ!」という理由で国亡きユダヤ人の迫害が各地でおこなわれました。
コロナ禍でも曖昧な理由でさまざまな方が誹謗中傷にあってしまいましたよね。歴史はここでも繰り返されてしまったんですね。
結果、この「飢饉の発生」と「黒死病(ペスト)の流行」によってヨーロッパでは農業人口が大きく減少して経済的な大打撃を受けることになりました。

労働人口減少の影響
しかしこの労働人口の減少は、生き残った農民たちにとっては良かった点もあったんです。
SQ:労働人口の減少は農民たちに何をもたらしたのか?

労働人口が減ってしまうと一番困ってしまうのは誰かわかりますか?

収入が減ってしまう封建領主だと思います!

その通りですね。労働人口が減ってしまうと彼らを雇用していた封建領主などの支配層が一番困ってしまうわけです。
これは現代でも同じですが、労働不足を埋めるために数少ない労働者を確保・維持するためには何が必要でしょうか?
答えは「賃金アップなどの待遇改善」です。
人口激減で貴重になった労働者(農民)は、封建領主などの支配者に対して賃上げを要求するようになります。
雇用側(支配者)も労働不足を解消したいので、労働者たちの待遇を良くせざるを得なくなったんです。
なので労働人口の減少によって、農民(農奴)たちの生活水準はむしろ向上していくことになりました。

農民の生活水準が改善されたことで、黒死病蔓延後は蔓延前よりも出生率が上がったそうですよ。
逆に雇用する側の封建領主は、労働人口減少によって経済的に苦しくなっていき、農民(農奴)の待遇改善によって荘園に縛り付けるのも難しくなっていきました。
要は封建領主の立場が弱くなっていったということです。
労働力の需要が増したことで、賃金上昇などの待遇改善が起きて生活水準が向上した。封建領主は経済的に苦しくなっていき、地位が以前より弱くなった。

農奴解放のはじまり
独立自営農民(ヨーマン)の登場
貨幣経済によって富を蓄えて、人口減少で待遇改善された農奴たちの中には、イギリスやフランス、西ドイツなどを中心に農奴身分から解放される人たちも現れました。

中には自由身分を求めて中世都市に逃亡する人たちもたくさんいました。
具体的には戦争によって財政が苦しくなった封建領主たちが、

金を払ってくれれば自由にしてやる。
という条件で農奴から自由身分になった農民が多かったらしく、そのような農民たちは自営農民として社会的な地位を向上させていきました。

社会的身分の向上とは結婚や職業の自由など、比較的自由に生活できることを指します。
現代のみなさんからしたら普通のことですけど、当時の農民からすると大きな進歩だったんです。
貨幣経済が進んでいたイギリスでは、農奴解放されて自立した農民を独立自営農(ヨーマン)と呼びました。

封建反動
こうして西ヨーロッパ各地で農民の地位が向上していくにつれて、封建領主は戦争や人口減少などによって財政が悪化していき、支配するのが難しくなっていきました。
そこで、

増税をして対応するぞ!
ということで農民への課税や土地への拘束を再強化しようとする封建反動が起きました。
当然、農民たちはこれに対して反対し、各地で農民一揆が勃発することになります。

農民一揆
ジャックリーの乱
まず14世紀にフランスで起こったのがジャックリーの乱でした。
これはフランスで百年戦争によって土地が荒廃し、黒死病(ペスト)は流行するなか、重税が課せられたことに不満を持った農民たちが立ち上がって起こった反乱でした。
フランス北部で拡大していきましたが、最終的には国王や諸侯の軍によって鎮圧されて終わりました。

ワット=タイラーの乱
イギリスでも百年戦争のための戦費調達のために増税案が議会を通過したことで、不満に思った農民が起こしたのが、ワット=タイラーの乱でした。
この反乱は指導者ワット=タイラーのもとで反乱軍が組織されて、都市労働者も合わせた大規模な反乱でした。

この反乱の立役者でもあった聖職者のジョンボールは、

“アダムが耕しイブが紡いだとき、だれが領主だったか”
これは簡単に言うと「人が生まれた時には身分の差はなかった。」という、身分制を批判する歌をよんで人々の間で流行しました。
これもワット=タイラーの殺害とジョン=ボールの処刑によって鎮圧されて終わりを告げました。


これらの農民一揆は鎮圧されてしまいましたが、封建領主の貧困化はその後も進んでいって地位が弱体化していくことになりました。
中央集権化と封建社会の崩壊
西ヨーロッパの王国はどこも大領主である諸侯(貴族)が連合してできた国家でしたよね。
しかし14世紀以降、各国で中央集権化が起こります。
SQ:なぜ西ヨーロッパで中央集権化が進んだのか?
ではなぜ中央集権化が進んだんでしょうか?
話を少し戻すと、西ヨーロッパでは貨幣経済の発展するにつれて、商業圏が拡大していきましたよね。
その商業圏で封建領主の支配下だった中世都市では、その支配から独立してギルド(同業組合)を組んだりして市場を統制しようとしました。
それにともなって都市の支配層は、

我々を保護してくれて、市場を統制してくれる存在が欲しい。
と考えていました。
そこで中世都市が目を付けたのが、十字軍以降に権力を拡大していた国王でした。

なぜ国王が十字軍後に権力を拡大したのかについては[7-1.5]中世の都市をご覧ください。
中央集権的な政治権力を求める中世都市と、諸侯(貴族)の力を削ぎたい国王の利害が一致して、国王は中世都市と協力して諸侯(貴族)の権力を抑えて権力を集中するようになっていったんです。
中央集権的な政治権力を求める中世都市と、諸侯(貴族)の権力を削ぎたい国王が協力したことによって国王に権力が集中するようになっていったため。

そして上記で書いた経緯と国王からの押さえつけによって、力を失っていった諸侯や騎士は国王の宮廷につかえる家臣となり、荘園でも農民から地代(税金)を取るだけのただの地主のような存在になっていきました。

今までは国王と諸侯は比較的対等な関係でしたが、この頃から力関係が上下するようになっていきました。
このようにして、諸侯や騎士などの封建領主の地位が没落していったことで封建社会は崩壊していき、西ヨーロッパではその後、絶対王政へとつながる中央集権国家が誕生していくことになります。

まとめ
MQ:なぜ封建社会は崩壊してしまったのか?
A:貨幣経済の浸透や労働人口の減少などによって農民の地位が向上したことで、封建領主は経済的に窮乏していった。加えて中央集権的な政治権力を望んだ中世都市が国王と協力して、国王に中央集権していったことで、諸侯(貴族)が没落していき封建社会は崩壊していった。

今回はこのような内容でした。

次回は絶頂を極めた教皇の権力が衰退していく過程についてやっていきます。教皇権の衰退はどのように進んでいったんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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