この記事で使用したPowerPointスライドは「note」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドやWordプリントのダウンロードは記事の最後に貼ってあるURLから!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!
はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は百年戦争の2回目として、その後の影響についてみていきます。百年戦争後、イギリスとフランスはどんな影響を受けたんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:百年戦争によって、フランスとイギリスはどのような影響をうけたのか?
今回の時代はここ!

諸侯・騎士の没落

ここからは[7-3.1]封建社会の崩壊でも同じような内容を扱っていたので、復習になります。百年戦争を重ねながらみていきましょう。
百年戦争はとても長期にわたる戦争だったので、それが与えた影響も絶大でした。
まず戦争が長期化したことで、それに参戦していた諸侯や騎士などの封建領主たちが、遠征の出費で財政的に苦しくなってしまいました。
そこに黒死病(ペスト)が蔓延したことで、労働力が激減して農奴の価値が上がったことで農奴の地位が向上していきます。
しかし、諸侯や騎士たちは戦費が必要なので、増税を行おうとします。

いわゆる”封建反動”と呼ばれるものですね。
それに対して地位が向上して経済力をつけた農奴たちは、領主に対して反乱を起こします。

[7-3.1]封建社会の崩壊で説明されている、フランスのジャックリーの乱やイギリスのワット=タイラーの乱が代表的ですね。
これらの農民反乱によって諸侯や騎士は土地や財政が疲弊して没落していくことになっていったんです。

フランス
この諸侯と騎士の没落を受けて、フランスで勢力を伸ばしたのが国王でした。

もともとフランス王権は有力諸侯にも劣るほど弱小でしたからね。
フィリップ4世の時代にかなり強化はされましたが、、、
百年戦争を勝利で飾ったヴァロワ朝のシャルル7世は、王権のさらなる強化に力をいれていきます。
百年戦争によって諸侯や騎士が没落していった話はさっきしましたよね。
もともと諸侯たちは国王並みやそれ以上の勢力と領土を持っていたので、国王に”協力”してあげている立場でした。
しかし、没落して勢力を次第に失っていったことで、国王に”従う”官僚的なポジションに次第に変化していったんです。

要は「王に協力する立場」から「王に守ってもらう立場」に変わっていったんです。
それだけ立場が弱くなってしまったんですね。

こうして王国の官僚として諸侯や騎士を従えた国王はその権力を盤石にしていきます。
フランスで大商人だった人物を政府に招き入れて財政の整備を担当させたんです。

お金のことはお金に詳しい人に任せて、加えて大商人を取り込むことで経済的援助も期待できますからね。
財政の整備で財政難を克服したことで、常備軍を創設したり、官僚制を整備するなどの行政改革をおこなうことで王権の強化を図りました。
さらに対立関係だったローマ=カトリック教会にも、教会大分裂(大シスマ)の混乱で権力が衰退しているところを見計らって、王権が教会よりも優位であることを認めさせることにも成功したんです。
これらの改革によって、国王はフランス王国内で最大勢力へと成長していき。王権強化による中央集権化を進めていったんです。

これらの改革は後の絶対王政への礎になっていきます。

イギリス
バラ戦争
百年戦争後のイギリスではランカスター家とヨーク家が王位継承を争ったバラ戦争が起きました。
この両家の内乱は約30年も続いたんですが、いったいなぜこのような内乱が起きてしまったんでしょうか。



このバラ戦争勃発の経緯は複雑なんですが、頑張りましょう!
SQ:なぜ百年戦争後にイギリスでは内乱が起きたのか?
イギリスではプランタジネット朝の支配のなか、百年戦争が開戦しましたが、ワット=タイラーの乱が起こるなど混乱が起きてしまいます。
国王はなんとかこの農民反乱を鎮圧しますが、今度は百年戦争が劣勢になっていったので、次第に議会を無視するようになっていきました。
これに不満を持った貴族たちは反乱を起こして、国王と貴族が争う内乱が起きてしまいます。
いろいろあって最終的には、貴族側が国王を幽閉することに成功して、貴族の中心だったランカスター家のヘンリ4世が王位に就くことが議会によって承認されて終結しました。

ちなみにこのランカスター家はエドワード3世の次男の血を引く一族でした。要はプランタジネット朝とは親戚関係だったんですね。

しかし、このランカスター家は半ば奪う形で王位に就いていたので、それに対して不満を持っていた貴族たちもいました。
そして百年戦争が終結した後、ヨーク家というところがランカスター家に対して王位継承権を主張します。

ヨーク家はエドワード3世の三男の血筋を持つ一族でした。ちなみにランカスター家は次男の血筋でしたよね。この両家は血縁関係が近かったんです。
このヨーク家がランカスター家に対して王位継承権を主張したことで始まった内乱がバラ戦争だったというわけなんです。

この内乱は、両家の紋章がそれぞれ「赤いバラ」と「白いバラ」だったことからバラ戦争と呼ばれています。
百年戦争の混乱の最中、内乱によって王位に就いたランカスター家に対して、終戦後ヨーク家が王位継承権を主張したことで起きた。

バラ戦争はその後、約30年にもおよぶ泥沼の内戦になっていくことになります。

詳しい経過は複雑なので知りたい方は「サイト:「世界史の窓」バラ戦争」をご覧ください。
簡単にいうと、ヨーク家がランカスター家を襲撃したことから内乱が始まり、しばらくヨーク家が優勢に内乱を運んでいきました。

ランカスター家は次々と戦死者を出してしまい、一族がほぼ根絶やしになるほど追い込まれてしまいました。
しかし、ヨーク家のリチャード3世が暴君だったために、貴族たちがそれに反抗して亡命していたランカスター家の親戚のテューダー家のヘンリを担ぎ上げてリチャード3世と対立します。
最終的にテューダー家のヘンリが勝利して、ヘンリ7世として王位に就いたことでテューダー朝が成立します。

そして、内乱を治めるためにヨーク家出身のお嫁さんをもらったことで和解し、バラ戦争はようやく終わりを向かえることができたんです。

これでも少し複雑ですよね。
簡単にまとめると、「ランカスター家とヨーク家の内乱はランカスター家の親戚のテューダー家が平定した。」ということです。

絶対王政の礎
イギリスでは百年戦争、バラ戦争と続いたことで、それに巻き込まれた貴族(諸侯)や騎士が没落してしまって、王の官僚として従うようになっていきました。
こうしてテューダー朝のヘンリ7世の時代でも王権の強化が自然と進んでいき、その後の絶対王政の礎が築かれていくことになります。
ヘンリ7世はもともと貴族に担ぎ上げられて王になった人物だったので、はじめは貴族たちが政治で幅を利かせている状態でした。
これに不満を持ったヘンリ7世は、

貴族がうざったいから、反抗的な貴族たちを処罰して我に権力を集中させるのだ!
ということで、王権に対して反抗的な貴族を処罰するための裁判所を設立して、中央集権化に邪魔な存在をどんどん排除していったんです。

この裁判所は星室庁裁判所として次のヘンリ8世の時代に整備されて本格的に使われるようになりました。

このように王権を強化していったヘンリ7世は、海外事業にも積極的に進出していきました。
この時代はスペインとポルトガルによる大航海時代でもあったので、カボットなどを支援して現在のカナダを発見して進出するきっかけを作りました。

まとめ
MQ:百年戦争によって、フランスとイギリスはどのような影響をうけたのか?
A:フランスでは戦争の長期化によって貴族(諸侯)や騎士が没落して王の官僚化が進んでいったことで、両国ともに王権が強化されて、その後の絶対王政への礎が築かれた。

今回はこのような内容でした。

次回はスペインとポルトガルについてです。8世紀からイスラーム勢力の侵略を受けていたイベリア半島では何が起こっていたんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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