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[6-1.3]東南アジアのイスラーム化

6-1.イスラーム教の各地域への広がり

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したPowerPointスライドもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は東南アジアがイスラーム化していく過程をみていきます。

現在でもマレーシアでは人口の約60%、インドネシアでは87%、ブルネイでは78%もの人々がイスラーム教を信仰しています。

なぜ東南アジアでもイスラーム化が進んだんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:東南アジアでイスラーム化が進んだ要因とは?

今回の時代はここ!

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ムスリム商人と中国商人の進出

東南アジアの大陸部では上座部仏教が信仰されていましたが、諸島部では8世紀ごろからイスラーム教が入ってきてヒンドゥー教や仏教にかわって徐々に広がっていきました。

それはなぜかというと、アラビア半島に接するペルシア湾から、アラビア人やアラブ人などのムスリム商人(イスラーム商人)がダウ船を使った海上交易で、東南アジアや中国沿岸まで進出していたからなんです。

グシャケン
グシャケン

ダウ船とは、インド洋を中心にスリム商人が使っていた大型の木造帆船のことです。三角形の帆が特徴的ですね。

このダウ船を使ってインド洋の季節風を利用して海上交易をおこないました。このダウ船によってインド洋の海上交易圏が作られていったんですよ。

ムスリム商人とダウ船
グシャケン
グシャケン

ちなみになぜムスリム商人がインド洋を渡って東南アジアや中国まで海上交易によって進出したのかわかりますか?

インド洋の季節風を使った方が交易が便利だったからですよね。

それについても[3-1.4]南インドの王朝と海上交易 | グシャの世界史探究授業でご確認ください。

これによって、東南アジアはインド洋と中国との中継貿易地として繁栄したんですよね。

そういったことで中国まで進出していたムスリム商人でしたが、中国である事件が起きてしまいます

それは当時、中国の唐で不作や王朝による塩の専売などによって、民衆の不満が高まり、黄巣の乱が起きてしまったんです。

この反乱がきっかけとなって唐は滅亡してしまいますが、広州にあった外国人の拠点もこの反乱の際に破壊されてしまいます。

これによってムスリム商人は中国と海上交易できなくなってしまい、活動拠点が東南アジアのマレー半島まで後退してしまいました。

そしてこの頃から東南アジアの市場では中国商人も参加するようになり、ジャンク船を使った海上交易をおこなうようになります。

グシャケン
グシャケン

ジャンク船とは3本のマストがある角形帆が特徴的な木造船です。中国商人はこのジャンク船で遠いところだとインド洋まで行っていたそうですよ。すごく大きいジャンク船もあったそうで、全長340m、重さ約200トンのものをみつかっているんです。(一部引用:ジャンク船

ムスリム商人の中国後退、中国商人のジャンク船

SQ:ではなぜこの時期(約8~9世紀)に中国商人が東南アジアに進出したんでしょうか?

だいたい8~9世紀ごろに中国商人が東南アジアに進出したということは、それ以前はあまり見られなかった現象だということですよね。

ではなぜこの時期に中国商人は東南アジアに進出してきたんでしょうか?

グシャケン
グシャケン

それは当時の中国(唐)の状況を考えるとわかってきますよ。

当時、唐はどんな時代だったんでしょうか?

もともと唐は周辺の多くの国を従えたり、交流を持っていた巨大帝国でした。

朝貢関係を築いている国とは朝貢貿易もおこなっていました。

唐と周辺諸国の関係

しかし、8~9世紀にもなると中央集権制度(均田制、府兵制など)が上手くいかなくなって、唐王朝の力は弱くなっていきます。

要は周辺の好き勝手を抑えられなくなっていったんです。

なので、唐を中心とした周辺諸国との関係も薄くなっていき朝貢ネットワークが崩壊してしまいました。

それによって朝貢貿易もしなくなっていったんです。

それまでは朝貢貿易によって直接中国に世界の名産が届いていたんですが、それがなくなったことによって中国商人たちは、

中国商人
中国商人

こちら(中国)に商品が来ないなら、直接海外にいって商品を仕入れるしかない!

というわけで、ジャンク船によって海上交易の中継地である東南アジアに直接交易に参加してきたということなんです。

SQ:ではなぜこの時期(約8~9世紀)に中国商人が東南アジアに進出したんでしょうか?

唐王朝の衰退で周辺諸国との関係が緩くなり、朝貢貿易が不振になったことで、中国商人が東南アジアの海上交易に直接参加するようになったため。

中国商人の東南アジア進出

このように、ムスリム商人や中国商人など、東南アジアにはさまざまな地域から商人たちが集まってくる一大市場になっていきました。

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東南アジアの情勢

10世紀後半

10世紀の後半にもなると、東南アジアのチャンパーや三仏斉(港市国家群)などが、中国の宋に朝貢して、朝貢貿易が再開します。

それに乗じて再びムスリム商人が中国に足を延ばして広州や泉州などに交易拠点を作っていき、逆に中国商人も盛んに東南アジアに進出していきました。

こうして中国と東南アジアの間で海上交易が活発におこなわれるようになります。

10世紀後半の東南アジア

13世紀後半

13世紀になると、東南アジアに脅威が迫ります。

当時中国はモンゴル帝国が支配し、5代目のフビライ=ハンが創始した王朝が南宋支配して東南アジア諸国にも服属を求めて遠征してきたんです。

フビライ=ハン

元の東南アジア遠征は陸と海から3度にわたっておこなわれました。

大陸部の大越国の陳朝やチャンパーは、巧みな戦術や東南アジアの気候に苦戦した元軍を退却に追い込んで事なきを得ましたが、パガン朝は元軍の侵攻によって衰退してその後滅亡してしまいました。

元軍と真っ向から対抗して独立を守った国もあれば、元軍を利用して独立を果たす国もありました。

大陸部と同じくして、諸島部にも元軍が侵攻してきます。

ジャワ島には当時シンガサリ朝という王朝があったんですが、元軍が押し寄せてきた際に国内で反乱が起きて、王が混乱のなか殺されてしまいます。

それを受けて王の娘婿がジャワ島東部のマジャパヒト村に避難して、王位復活を求めて侵入していた元軍と手を結んだんです。

元軍の力を借りた王族は反乱軍を鎮圧することに成功して、元軍を巧みに退却させることにも成功しました。

グシャケン
グシャケン

すごい外交術ですね。

これによって新たに建国されたのがマジャパヒト王国です。

ちなみにマジャパヒト王国はヒンドゥー教の王朝です。

13世紀後半の東南アジア、元、フビライ=ハン、マジャパヒト王国

元の影響力

元は東南アジアの遠征のほとんどが失敗に終わってしまいました。

しかし、遠征終了後も東南アジアとの海上交易に積極的に参加していました。

グシャケン
グシャケン

それだけ東南アジアを介した海上交易にうま味があったんでしょうね。

それによってムスリム商人や中国商人による南アジアや東南アジアでの海上交易が活発化していき、海上交易のネットワークが広がっていくことに貢献したんです。

元の影響力、海上ネットワークの拡大
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マラッカ王国

元の影響などによって海上交易のネットワークが広がったことから、ムスリム商人の活動によるイスラーム化が進んでいきます。

そして13世紀末に東南アジア初のイスラーム政権が誕生することになります。

成立

そして特に東南アジアでのイスラーム化に貢献したのが、マレー半島とスマトラ島にまたがって成立したマラッカ王国という王朝でした。

この王朝は、実は初めからイスラーム政権だったわけではなく、港市国家としてマラッカ海峡を利用した海上交易で栄えていた王国でした。

しかし、この海上交易の要衝を狙ってタイのアユタヤ朝が艦隊を率いて侵入し、マラッカ王国を支配下に置いてしまいます。

マラッカ王国
マラッカ王国

発展

15世紀になると、中国で成立した明が中華帝国の復活を掲げて、海外諸国と朝貢関係を結ぼうと海外派遣に乗り出します。

その中でも大艦隊を率いた鄭和(ていわ)の遠征団が複数回にわたってマラッカ王国を補給拠点にしたことから、マラッカ王国は国際交易都市として一気に発展していきました。

明、鄭和、マラッカ王国
グシャケン
グシャケン

マラッカ王国を補給基地にした明はこの後、どんな行動にでたでしょうか?

さきほどの海外派遣の目的を思い出せばおのずとわかりますよ。

明

マラッカ王国は海上交易の重要拠点だから、朝貢関係を結べば我が国に利点しかないぞ!朝貢を要求だ!

となるわけです。海上交易の要衝を押さえておくとそれだけで交易がスムーズに進みますからね。

というわけで、明はマラッカ王国と朝貢関係を結ぶためにマラッカ王国を支援してアユタヤ朝から独立させようとします。

そして念願かなってマラッカ王国はアユタヤ朝から独立を果たし、明と朝貢関係を結んで国際交易都市としてさらに発展していきました。

マラッカ王国

マラッカ王国のイスラーム化

国際交易都市として発展したことで、インド洋からのムスリム商人との交流も盛んになって、イスラーム教が王国内で拡大していきました。

そして15世紀初めごろに国王がイスラーム教に改宗したことで、マラッカ王国はイスラーム政権となり、東南アジアで存在感を示すようになっていきました。

SQ:なぜマラッカ王国はイスラーム教を受け入れたのか?

グシャケン
グシャケン

ではなぜこの時期(15世紀初め)にマラッカ王国はイスラーム教を受け入れたんでしょうか?

それは当時の明の対外政策とイスラーム勢力の拡大が理解できるとわかってきますよ。

理由は主に「政治面」と「経済面」でした。

まずは「政治面」からみていきましょう。

海外進出に積極的だった明は次第に海外との交易を縮小(海禁政策)していくことになってしまいます。

グシャケン
グシャケン

交易都市の発展による政府への離反と倭寇の海賊行為を取り締まるのが目的でした。

なので鄭和の遠征も途絶えてしまい、マラッカ王国は以前のような強い後ろ盾を失うことになってしまいます。

それに乗じて動き出したのが再びマラッカ王国の支配をもくろむアユタヤ朝でした。

そこで窮地に立たされたマラッカ王国が助けを求めたのがイスラーム勢力だったんです。

当時、イスラーム勢力は南アジアまで勢力を広げ、そのムスリム商人たちが築いた商業圏は世界屈指の経済力を誇っていました。

それをバックにつけることができれば心強いこと間違いなしですよね。

このように外敵から身を守るための後ろ盾としてイスラーム教を受け入れたと考えられています。

イスラーム教を受け入れた理由(政治面)

巨大な経済圏を持つイスラーム勢力を外敵から身を守るための後ろ盾にしようとしたため。

続いては「経済面」です。

マラッカ王国は東南アジアでも海上交易の要衝だったので、多くのムスリム商人が交易のために訪れていました。

なので、国としてイスラーム教を受け入れることで彼らムスリム商人を保護した方が、交易をスムーズにおこなうことができ、さらなる経済発展を期待することができたんです。

イスラーム教を受け入れた理由(経済面)

ムスリム商人を保護し、交易をスムーズにおこなうことで、さらなる経済発展が期待できたため。

グシャケン
グシャケン

これらの理由からマラッカ王国はイスラーム教を受けいれてイスラーム政権として成立したんですね。

SQ:なぜマラッカ王国はイスラーム教を受け入れたのか?

巨大な経済力を後ろ盾にすることにすることで、外敵から身を守るのとムスリム商人との交易を禍発にしてさらなる経済発展をしようと考えたため。

マラッカ王国 イスラーム化
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東南アジアのイスラーム化

ムスリムの商業勢力と関係を持ったマラッカ王国は、東南アジアで有力な勢力へと発展していき、マラッカ王国から東南アジア諸島部にイスラーム教が広がっていきました。

スマトラ島には15世紀末にイスラーム教国のアチェ王国が誕生し、マラッカ王国などと勢力を争いながらもヨーロッパ諸国と胡椒の交易で莫大な利益をあげました。

グシャケン
グシャケン

現在でもアチェ人の伝統は残っていて、インドネシア共和国と独立をめぐってアチェ戦争を繰り広げた後、自治を認められています。

ジャワ島では長らくヒンドゥー教国のマジャパヒト王国が支配していましたが、イスラーム教の拡大でイスラーム教徒による港市が増えていき、16世紀末にマジャパヒト王国に代わってイスラーム教国のマタラム王国が誕生しました。

グシャケン
グシャケン

マタラム王国は9世紀に誕生したヒンドゥー教国の「古マタラム」もあるので、混同しないように注意しましょう。

アチェ王国、マタラム王国
アチェ王国、マタラム王国
グシャケン
グシャケン

東南アジアの諸島部はイスラーム教国が盛んに成立しますが、今回紹介した3国(マラッカ王国、アチェ王国、マタラム王国)いずれも大航海時代以降にヨーロッパ諸国に支配されて滅亡してしまうことになります。

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まとめ

MQ:東南アジアでイスラーム化が進んだ要因とは?

A:海上交易の要衝として東南アジアには多くのムスリム商人が活動していたことから、イスラーム化が進展していったそのなかでもムスリム経済圏を背景にマラッカ王国がイスラーム教を受容したことによって、一気に東南アジア諸島部を中心にイスラーム教が広がっていった。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回はアフリカ大陸のイスラーム化についてみていきます。世界各地に拡大していくイスラーム教ですが、アフリカではどんな理由でイスラーム化が起こったんでしょうか。

それでは次回もお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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主な参考文献

『世界史の窓』世界史の窓 (y-history.net)

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社

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