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[6-1.4]東西アフリカのイスラーム化

6-1.イスラーム教の各地域への広がり

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したPowerPointスライドもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回はアフリカ大陸のイスラーム化の経過をみていきます。アフリカ大陸でのイスラーム化は何が要因だったんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:アフリカ大陸でイスラーム化が広がった要因とは?

今回は古代から近代までと時代が長期間にわたるので、年表は割愛させていただきます。

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イスラーム教の成立以前

クシュ王国(メロエ王国)

アフリカには古代からエジプトのナイル川流域でピラミッドの古王国から始まる古代文明や、ギリシア系のプトレマイオス朝エジプトなどの王朝が繁栄していましたね。

しかし、エジプトで目まぐるしく歴史が動くなか、ナイル川中流のスーダンでは紀元前10世紀にクシュ王国が成立して繁栄していました。

メロエ王国になってからはプトレマイオス朝エジプトやローマ帝国とも交易をおこなって繁栄し、アフリカ内部の文化発展に貢献しました。

クシュ王国、メロエ王国、メロエ
クシュ王国、メロエ、メロエ王国

アクスム王国

紀元前後になると、大陸の東隣にあるアラビア半島から移民がやってきて新しい王国が誕生します。

それがアクスム王国と呼ばれる王国です。

グシャケン
グシャケン

まず初めに言っておきますが、アクスム王国はイスラーム教国ではなく、キリスト教を受容した王国でした。

エチオピアで建国されたアクスム王国はキリスト教を受容して政治を安定させて、金や奴隷、象牙など交易で繁栄しました。

アクスム王国の経過は以下の通りです。

3世紀・・・ローマ帝国の衰退に乗じて、紅海の海上交易を独占しようとしてササン朝と抗争

4世紀・・・ナイル川流域に侵攻してメロエ王国(クシュ王国の後身)を滅ぼす

6世紀・・・アラビア半島に進出して半島南部を支配し、アラブ人との交易で繁栄

7世紀以降・・・イスラーム勢力の拡大によって、交易ルートを絶たれて衰退

アクスム王国
アクスム王国
グシャケン
グシャケン

アクスム王国後期になってようやくイスラーム教が誕生していますね。

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アフリカ東岸のイスラーム化

東岸のイスラーム化とスワヒリ語

イスラーム教が成立する前から、アクスム王国によって紅海を通じた交易が活発になったことで、アラブ人(後のムスリム商人)商人たちとのつながりがアフリカ東部の沿岸にできていました。

グシャケン
グシャケン

でももっと古くからアラビア半島やイラン地域などとの交易自体はありました。アクスム王国によってそれが活発になったということです。

これらの紅海を通じたアラビア半島やイランとの交易は、アッバース朝やファーティマ朝などの強大なイスラーム政権の誕生によって、さらに活発になっていきます。

アフリカ東岸からは主に金や象牙、香料(カモミール、ラベンダーなど)などが輸出されていました。

これらの交易によってアフリカ東岸にはムスリム商人たちが拠点を作って住みつくようになり、アフリカの特産品を乗せたダウ船で、季節風を利用したインド洋の海上交易に乗り出していきました。

グシャケン
グシャケン

これによってアフリカ東岸もインド洋交易の西の拠点として、巨大な交易ネットワークを持つムスリム商業圏に組み込まれていったんですね。

アフリカ東岸のイスラーム化

こうしてアフリカ東岸にムスリム商人が住み着いたことで、イスラーム教が浸透していきました。

特にムスリム商人たちが住み着いて交易の拠点となった、モガディシュ、マリンディ、モンバサ、ザンジバル、キルワなどの都市が連なる海岸地域では、バントゥー語と呼ばれる現地語とアラビア語の要素が融合したスワヒリ語が生まれて共通語として使われるようになりました。

グシャケン
グシャケン

「スワヒリ」とはアラビア語で「海岸に住む人々」という意味で、現在でもケニアやタンザニア、ウガンダなどでは国語として使われているんです。

初めはアラビア語で表記されていましたが、18世紀以降にヨーロッパ諸国の進出の影響で、現在ではローマ字表記だそうです。

ケニア、タンザニア、ウガンダ
スワヒリ語

ジンバブエとモノモタパ王国

アフリカ東岸では他にも、11世紀ごろに現在のジンバブエ共和国がある地域で黒人国家が誕生します。

この黒人国家は、インド洋交易を利用して特産の金や象牙を輸出して、中国の陶磁器やインドの綿布を輸入して繁栄していました。

ここでの交易のやりとりにもムスリム商人たちが積極的に参加したことで、ジンバブエの黒人国家は繁栄することができたんです。

大ジンバブエと呼ばれる巨大な石造の遺跡には、鉄器や金の他に、中国やイランの陶磁器やガラス細工などが発見されていて、当時のインド洋交易によって繁栄した跡をみることができます。

グシャケン
グシャケン

ちなみに「ジンバブエ」とは現地語で「石の家」を意味する言葉なので、巨大石造建築(グレート=ジンバブエ)を「大ジンバブエ」と呼ぶんですね。

ジンバブエ共和国という国名もここからきているんですね。

資料:大ジンバブエ遺跡 | 世界の歴史まっぷ
ジンバブエの黒人国家、大ジンバブエ

この黒人国家は14世紀ごろに全盛期を向かえますが、次第に分裂して衰退してしまい、15世紀には黒人国家に代わってモノモタパ王国が誕生します。

このモノモタパ王国も、黒人国家の後継としてインド洋交易で繁栄しました。

モノモタパ王国

ここでもムスリム商人たちがインド洋から各地の特産を持ち込み、金や象牙、毛皮などと交換して交易をおこないました。

モノモタパ王国は、こうしたムスリム商人たちから関税や通行料を徴収することで財源を確保していたんです。

グシャケン
グシャケン

16世紀以降はポルトガルが介入して抵抗しますが、次第に支配され衰退してしまいました。

モノモタパ王国
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西アフリカ

ガーナ王国

西アフリカに目を向けると、ニジェール川流域に黒人王国のガーナ王国が8世紀ごろに成立しました。

ガーナ王国

このガーナ王国の領土内には金鉱が豊富にあり、金を特産としてサハラの北部で採れる岩塩と交換する隊商交易で栄えていました。

グシャケン
グシャケン

ガーナ王国の金は「ニンジンのように生える。」といわれるほど採れたそうですよ。後宮の犬の首輪も金でできていたとか、、、

ちなみに当時は塩がとても貴重だったので、同じ重さの金と交換されていたらしいです。冷蔵庫が無い時代に食料保存に塩は欠かせませんでしたからね。

もうおわかりだとおもいますが、この交易を支えたのもムスリム商人でした。

ムスリム商人によってサハラ北部の岩塩をガーナ王国の金と交換していたんです。

しかも、北アフリカがイスラーム化されるとファーティマ朝などで金の需要が増えたので、こうした塩と金の交易はさらに活発になっていきました。

こうしたムスリム商人の活動によって、謎が多かった西アフリカのガーナ王国の情報もムスリム商人によって各地に伝わり、記録が残っているんです。

グシャケン
グシャケン

アラブ人の記録ではガーナ王国は「黄金の国」として記録されています。

ガーナ王国

ムスリム商人の活動によって王国内にイスラーム教が入ってきますが、国教として信仰されることはありませんでした

しかし、王国内にはイスラーム化した都市も建設され、イスラーム化は民衆レベルで広がっていきました。

そしてそのイスラーム化は、11世紀に北アフリカでベルベル人が建国したムラービト朝の侵攻によってさらに進んでいきました。

ムラービト朝は厳格なスンナ派を信仰していたので、異教徒に対して大規模な聖戦(ジハード)を展開して、その矛先がガーナ王国にも向いたというわけです。

このムラービト朝の侵攻によってガーナ王国は衰退してしまい、13世紀にマリ王国の台頭によって滅亡してしまいました。

ガーナ王国、ムラービト朝、ベルベル人

マリ王国

ガーナ王国に代わってマンディンゴ人によって建国されたのがマリ王国でした。

マリ王国

マリ王国がガーナ王国と異なっていたのは、国王がイスラーム教徒だったということです。

グシャケン
グシャケン

なぜイスラーム教を受容したのかは、[6-1.3]東南アジアのイスラーム化でもお話しましたが、交易を担うムスリム商人を保護することで交易がさらに活発になるという経済的な目的と、巨大経済圏のムスリム商業圏をバックにつけることで心強い後ろ盾を手に入れられるからですよね。

マリ王国はイスラーム政権としてガーナ王国から領土を引き継いで、金の産地として北アフリカとの交易で繁栄しました。

全盛期の国王だったマンサ=ムーサは、イスラーム教徒としてメッカ巡礼をおこなった際に、道中のカイロでふんだんに金を喜捨(きしゃ)したことで、カイロの金価格が暴落してしまったほどの財力を誇っていました。

マンサ=ムーサ
グシャケン
グシャケン

なのでマリ王国は文字通り「黄金の国」と呼ばれています。納得ですね。(笑)

マリ王国

マリ王国は15世紀にソンガイ王国の侵攻を受けて衰退していきました。

ソンガイ王国

マリ王国を滅亡させてニジェール川流域を支配したのがソンガイ王国と呼ばれる王国でした。

ソンガイ王国もマリ王国同様にイスラーム政権としてサハラを支配した王国としては最大領土を誇った王国でした。

ソンガイ王国

このソンガイ王国も繰り返しになりますが、金や象牙の産地としてムスリム商人による交易で繁栄しました。

ソンガイ王国

トンブクトゥの発展

ニジェール流域のイスラーム政権だったマリ王国やソンガイ王国が北アフリカとの交易で繁栄しました。

その繁栄によって、交易都市だったトンブクトゥではイスラーム文化の中心地として特に発展をみせました。

トンブクトゥのモスク 資料:探検家が目指した黄金郷・トンブクトゥ(マリ共和国) | 添乗員ツアーレポート|西遊旅行

この地方では、金が採れた他に奴隷や象牙などが北アフリカに輸出されて、北アフリカからは塩や銅、鉄の製品などがトンブクトゥに輸入されていました。

さらにイスラーム教を研究する学問の中心としても発展し、ソンガイ王国の頃には黒人初の大学も設立されるほどでした。

しかし、大航海時代によって交易の中心地が海に移ってしまい、トンブクトゥは衰退していってしまいました。

グシャケン
グシャケン

トンブクトゥにはイスラーム建築が多く残っていることで、アフリカのイスラーム文化を表す貴重な遺跡として「黄金の都」として世界遺産に登録されているんですよ。

トンブクトゥ
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まとめ

MQ:アフリカ大陸でイスラーム化が広がった要因とは?

A:アフリカ東岸や西アフリカでは金や象牙などの特産が採れたことから、ムスリム商人がインド洋交易の西の拠点として東西アフリカに参入したことでイスラーム化が広がった。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回からはイスラーム勢力が進出した後の西アジアについてみていきます。トルコ人やモンゴル軍の台頭によって西アジアはどうなっていくのでしょうか。

それでは次回もお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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主な参考文献

『世界史の窓』世界史の窓 (y-history.net)

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社

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