この記事で使用したPowerPointスライドは「note」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドやWordプリントのダウンロードは記事の最後に貼ってあるURLから!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!
はじめに

前回はこのような内容でした。


今回から新章のイスラーム世界についてです。今回はイスラーム教の誕生についてやっていきます。
世界三大宗教の最後をかざるイスラーム教がどんな宗教かをみていきましょう!
MQ:イスラーム教はどのようにして拡大したのか?
今回の時代はここ!


西アジアの情勢
ササン朝とビザンツ帝国

西アジアでは、もともと古代オリエント文明が誕生して発展した場所でしたね。
今回の舞台は紀元6世紀頃ですが、この頃にはササン朝ペルシアが西アジアを支配していました。
特に、ホスロー1世の時代に勢力を拡大して、西に隣接していたビザンツ帝国(東ローマ帝国)と抗争していました。

アラビア半島
SQ:なぜアラビア半島は国際的な中継貿易地となったのか?
6世紀頃は、アラビア半島が国際的な中継貿易地として発展したいました。
もともと、アラビア半島は乾燥帯に属しているので、農業は一部で小麦やナツメヤシなどの栽培がおこなわれていましたが、中心となっていたのは牧畜や隊商交易などの商業活動でした。

西アジアの隊商交易のメインは、アラビア半島から北の「オアシスの道」や、紅海貿易に使われた「海の道」だったので、アラビア半島はそのサブ的な役割だったんです。

ではなぜ6世紀にアラビア半島は、国際的な中継貿易地になったんでしょうか?
ヒントは「オアシスの道」と当時の西アジアの情勢を重ね合わせて考えてみてください。
※「オアシスの道」については上のリンクからご覧ください。

ササン朝とビザンツ帝国の国境が「オアシスの道」と重なっています。

そうなんです。
当時はササン朝ろビザンツ帝国が戦争状態だったので、「オアシスの道」が両国の国境付近で途絶えてしまったんです。
加えて、ビザンツ帝国の国力低下で紅海貿易も衰退してしまいました。
それまで使われていた交易路が途絶えてしまったんですが、商人たちには生活が懸かっています。なので、

新しい交易路を開拓するしかない!
ということで、それまで「オアシスの道」や「海の道」を使って運ばれていたものが、ほぼすべて南のアラビア半島を経由するようになったんです。
戦争から避けるように交易路が南にズレたことで、アラビア半島が国際的な中継地へと変化したいったんです。
「オアシスの道」などの従来の交易路が、ササン朝とビザンツ帝国の抗争によって途絶えてしまい、それを避けるように南のアラビア半島に貿易拠点が移っていったため。
これによって、アラビア半島の交易都市となったメッカのアラブ商人たちは、中継貿易によって莫大な利益を得るようになっていきました。
その影響から、同時にメッカはアラブ人が信仰する多神教の聖地としても発展していきました。
しかし、商業の発展は一部のアラブ人だけが恩恵を受けたので、貧富の差が拡大していくという課題も出てきました。


イスラーム教の誕生
アラブ人たちは、後にこのアラビア半島を拠点に、半島外にも急拡大していき、広大な領土を支配するようになっていきます。
この急拡大のきっかけとなったのが、イスラーム教だったんです。
ではこのイスラーム教は、どのようにして誕生したのか?
それではみていきましょう。
ムハンマド
イスラーム教の創始者となったのは、ムハンマドという人物です。
ムハンマドは、メッカの名門一族だったクライシュ族出身の商人でした。
大商人の一族に生まれたムハンマドは、早くに両親を失ってしまい、祖父や叔父に育てられながら、商人として働きました。
結婚してからは、息子に先立たれたり、貧富の差など、人生に思い悩んで、次第に山に籠って瞑想(めいそう)するようになっていきます。

そして40歳を迎えたある日、いつものように瞑想していると、突然目の前に天使が現れたんです。
この天使は、ガブリエルといいます。

あなたは預言者です。神からの啓示を聞きなさい。
ということで、ムハンマドは神から言葉を授かって、自分を「神の使い」として宣教にあたることを決意しました。
この言葉を授かった神は唯一神アッラーで、ムハンマド自身は預言者であると考えます。

アッラーは神そのもを意味するアラビア語なので、名前ではなく「THE・神」みたいな意味合いなんです。
神は1人しかいないので、名前なんか必要ないんです。
預言者・・・神と人間の仲介役として啓示を伝達する者。
宣教に際には、「アッラーへの絶対的帰依(=イスラーム)」を説いて回りました。
帰依(きえ)・・・神などのすぐれた存在を信じ,それによりすがること。
なので、これによって誕生した厳格な一神教をイスラーム教と呼びます。

「イスラーム」ってそういう意味だったんですね。
ちなみに絵画ではムハンマドは顔が描かれていませんが、これはムハンマドが信仰の対象にならないようにするためだそうです。
イスラーム教は偶像崇拝が禁止されていますからね。もちろんアッラーの姿も誰もわかりません。

ムハンマドによると、アッラー(神)はモーゼ(ユダヤ教)とイエス(キリスト教)に預言を授けた神と同一で、最後に啓示を与えたのがムハンマドだと考えました。
・ユダヤ教・・・預言バージョン1
・キリスト教・・・預言バージョン2
・イスラーム教・・・預言バージョン3(完成版)
という流れで、少しずつバージョンアップしていき、完成版がイスラーム教の教えという感じですかね。
なので、ムハンマドは『旧約聖書』と『新約聖書』はイスラーム教に先立つ聖典とみなして、ユダヤ教とキリスト教は「啓典の民(けいてんのたみ)」として信仰を認めていました。

一応先輩として敬意を示していたということですね。
ヒジュラ(聖遷)
ムハンマドへの迫害
ムハンマドはメッカの人々への伝道を始めましたが、メッカの大商人たちから迫害を受けてしまったんです。
SQ:なぜムハンマドはメッカの商人から迫害を受けたのか?

以下の条件から迫害された理由を考えてみてください。
・当時のメッカは多神教を祭る都市だった。
・大商人たちは各神殿及び、周辺の物販(露店)を管理していた。

みなさんはわかりましたか?
まず、メッカは多神教を祭る都市だったことから、唯一神アッラーを信仰するイスラーム教の教えは他の神々を否定することになるので、矛盾が生じますね。
そして、その各神殿や周辺の物販を管理している大商人からすると、

神はアッラーのみ!
他は真の神ではないのです!
みなが平等であるために富の独占は許されないのです!
と騒いでいる人が神殿近くと歩き回ると、営業妨害もいいところなんですね。

日本でいうと、伊勢神宮の近くで「神は1人しかいないから、この神は偽物だ!」
と騒いでいる人がいたら、変質者だと思われて通報されそうですよね。
ムハンマドはこういう状況になってしまったんです。
多神教都市のメッカで伝道をおこなったことで、ムハンマドはその管理者である大商人たちから迫害を受けたというわけなんです。
メッカが多神教を祭る都市でそれを否定する教えだったため、それらを管理する大商人たちから迫害を受けた。

メディナへ移住と拡大
メッカを激しい迫害を受けたムハンマドは、居場所を失い、もうメッカでは生きていけない状況に追い込まれてしまいます。
しかし、ムハンマドの教えに心を打たれた人が、ムハンマドを都市に招き入れてくれたんです。
この都市はメディナというところで、ムハンマドは数人の信徒と共にこのメディナに移住し、ここを新たな拠点として活動を再開しました。
ここからイスラーム教は急拡大していくことになります。

メディナは当時、部族対立に苦しんでいたので、ムハンマドに助けを求めたかもしれないですね。
このメディナへの移住は、イスラーム教拡大の第一歩として、後の歴史家によって「ヒジュラ(聖遷、せいせん)」と名付けられました。

太陰暦を基本としたイスラーム暦(ヒジュラ暦)も、このメディナへ移住した日を1月1日としています。

ウンマの建設とメッカ奪還
ウンマの建設
SQ:なぜウンマは拡大していったのか?
メディナに聖遷(逃れた?)したムハンマドは、そこで信者を増やしていき、イスラーム教徒の集団を形成しきました。
このイスラーム教徒による共同体をウンマといいます。
ウンマは、信者たちの集団であるのに加えて、次第にムハンマドを中心とした政治的な集団になっていきました。

簡単にいうと、イスラーム教徒だけで国家を作っていた、みたいな感じですかね。
ではここで、なぜイスラーム教徒が急拡大していったのでしょうか?
それは当時の政治情勢とキリスト教が関係しているんです。
当時はササン朝とビザンツ帝国が戦争状態だったので、各地で没落した難民がたくさんいました。
その難民が避難する中で、貧富の差を否定するイスラーム教と出会って希望を抱いて、改宗したのではないかと考えられます。
加えて、当時のキリスト教は、農民に対して国家への税金に加えて、キリスト教会への税金も課していました。
農民からすると二重課税みたいできついですよね。
そこに平等を唱えるイスラーム教と出会うと、、、

もう税金で苦しい思いをしなくてもいいのね。
ということで、税金から逃れるために、キリスト教からイスラーム教へ改宗する人が続出したんです。
やっぱりお金の悩みはいつの時代もあるんですね。
このような理由からウンマが拡大していったといわれているんです。
戦争から逃れる難民と、教会からの重税から逃れるために、貧富の差を否定するイスラム教に改宗したため。

メッカ奪還
ムハンマドがメディナに移住してウンマを拡大させたからは、メディナとメッカは戦争状態になりました。

一神教と多神教の意地のぶつかり合いですね。
しかし、ムハンマドは政治や軍事的才能に恵まれていたことからメッカを降伏させて、無血開城させることに成功したんです。
メッカ占領後は、多神教が祭られていたカーバ神殿の偶像を破壊してしまいます。

ムハンマド含め、イスラーム教徒からすれば偶像は偽物の神ですからね。

アラブ人の神々が祭られていたメッカを占領したムハンマドに対して、アラブ人の諸部族はその力に従うようになっていき、ムハンマドが亡くなる頃にはアラビア半島のアラブ人を統一するまでに至りました。


まとめ
MQ:イスラーム教はどのようにして拡大したのか?
A:ムハンマドによってメッカで宣教が開始されたが、迫害にあってメディナに移住した。そこで難民や他信者を吸収するかたちでウンマ(イスラーム共同体)を拡大させて、アラビア半島を統一するまでに至った。

今回はこのような内容でした。

次回は、ムハンマドが亡くなった後のアラブ=ムスリム軍(=イスラーム軍)による半島外への拡大をみていきます。アラブ=ムスリム軍による征服は、どのように進んでいったのでしょうか。
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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