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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は列強新体制のイギリス編です。19世紀のイギリスはどのような改革を経て、世界秩序の中心に上り詰めていったんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:イギリスはどのような改革を経て、世界秩序の中心へと上りつめたのか?
交通革命と通信革命
19世紀のイギリスは、海軍力を背景に大西洋の制海権を握っていたことから、世界各地との貿易を拡大し続けていき、世界最大の商船隊と最強の海軍を維持していました。
そして、産業革命によって登場した蒸気機関の発達は、イギリス国内だけでなく世界の交通を一変させることになりました。
・蒸気鉄道が全国に普及
・ロンドンでは世界初の地下鉄が開通
・蒸気船が大西洋・インド洋を高速で結ぶ
・電信が世界を「数時間」でつなぐ

ロンドンの地下鉄(1863年開通)は、当初は蒸気機関車が地下を走っていました。 当然、トンネル内は煙だらけで、乗客はハンカチで口を押さえながら乗っていたそうです。 「世界初」はいつも快適とは限らないんですね。


電信の登場については、近代科学の発展で説明しますね。
これらは「交通革命」「通信革命」と呼ばれるようになり、地球の距離感を根本から変えていくことになりました。
そして、イギリス製の鉄道は世界各地に輸出されるようになり、インド・アルゼンチン・アメリカなどで鉄道網が急速に整備されていきました。

イギリスの繁栄
ロンドンの発展
交通や通信が発達したことによって、ロンドンは世界最大の都市へと成長していきました。
貿易の中心地にもなったことで商業や金融の中心として、世界経済に巨大な影響力を持つようになりました。
それによって、イギリス通貨のポンドが世界の基軸通貨として使われるようになっていきました。

イギリスを経由して取引がおこなわれたので、みんなポンドを使った方が、取引がスムーズになったんです。これによって、ポンドの発行権を持つイギリスが経済的に優位になっていったんです。現在のアメリカ(ドル)のようですね。
そして、世界基軸通貨のポンドを扱うロンドンの金融シティは「世界の銀行」と呼ばれるようになっていきました。
貿易ネットワークや世界各地に植民地を持っていた関係から、世界の標準時もロンドンにあるグリニッジ天文台が基準になりました。

これが地理の時間に習う「本初子午線」と呼ばれるものです。この時代に決められたんですね。

しかし、世界経済の中心地となったイギリスですが、貿易収支では赤字になることもあったんです。
でも、そんな状況でもイギリスは国力を落とさずに世界の覇権を握り続けることができました。
SQ:なぜ19世紀のイギリスは、貿易赤字でも国力を維持できたのか?

では、なぜイギリスは、貿易赤字でも国力を維持できたんでしょうか?
19世紀後半になると、イギリスの貿易収支は赤字になってしまいます。
これは、ドイツやアメリカで産業革命が起きて工業力が伸びたことで、イギリス工業の国際競争力が低下したのと、イギリスが自由貿易を推奨していたことで、輸入が急激に伸びていったことが原因でした。
しかし、イギリスは貿易以外にも海運・保険・金融・海外投資などの利子収入が莫大にあったので、全体の収支では黒字を維持することができたんです。
つまり、イギリスは「モノを売る国」から「お金を動かして稼ぐ国」へと変化していたんです。
19世紀のイギリスは、貿易赤字を海運・金融・投資の巨額収入で補い、製造業より“資本”で稼ぐ国へ転じたことで国力を保った。

世界初の万国博覧会と「パクス=ブリタニカ」
1851年、ロンドンで世界で初めて万国博覧会(万博)が開催されます。
これは、産業革命を経て「世界の工場」となったイギリスが、自国の技術力と繁栄を他国に示すために開催した国家的なイベントでした。

日本でも何度か開催されている万博はこのようにして始まったんですね。
万博の会場の中心となったのが、巨大なガラス建築の「クリスタル=パレス」と呼ばれる鉄とガラスを大胆に組み合わせた建物でした。


これは当時の最新技術を結晶したもので、イギリス産業革命の進歩と自信を象徴する存在でした。

博覧会は5月から10月まで開催され、約800万人が来場しました。鉄道網が急速に整備されていたので、団体割引切符を利用してイギリス全土から見物客が押し寄せました。まさに「産業社会の到来」を国民が体感する場でもあったんです。

パクス=ブリタニカ
これだけ繁栄していたイギリスでしたが、この時代はヨーロッパ大陸に対してはあまり領土的野心を持っていませんでした。
その代わり、国内改革と海外植民地の発展を優先することになります。

ヨーロッパ大陸よりも国内改革や海外植民地を開発した方が、利益が出ると考えたためでした。まさに資本主義的思考ですね。
なので、ナポレオン戦争後のヨーロッパは比較的安定した時代になり、イギリスの覇権のもとで平和が訪れました。
この比較的平和な時代を「パクス=ブリタニカ」と呼びます。

昔、ローマ帝国時代に「パクス=ロマーナ」がありましたね。
ロンドン万国博覧会は、そのパクス=ブリタニカの象徴的な出発点として位置づけられています。
これはイギリスが軍事力だけではなく、産業力・技術力・文化力によって世界の覇権を握ったことを示していました。

ヴィクトリア時代の政治
二大政党制(保守党と自由党)
このイギリスの最盛期に王座に就いていたのが、ヴィクトリア女王と呼ばれる人物でした。

ヴィクトリア女王が即位した19世紀後半のイギリスは、「パクス=ブリタニカ」のもとで経済的にも「世界の工場」として繁栄していました。
この時期、政治では議会政治が発展して、保守党のディズレーリと自由党のグラッドストンという二大政治家が、総選挙の結果に基づいて交互に政権を担当する体制が確立しました。

この2つの政党はそれぞれ「トーリ党」と「ホイッグ党」を起源としていました。
保守党・・・トーリ党から発展。ディズレーリを中心に地主層を基盤として、より幅広い国民に支持される政党へと転換。
自由党・・・ホイッグ党から発展。グラッドストンを中心に自由主義を主張するブルジョワなどの中産階級が支持基盤。
これが、いわゆる二大政党制にもとづく「議会政党政治」というやつです。




ちなみに、ディズレーリはユダヤ系の作家の家に生まれ、当時としては異色の政治家でした。 一方のグラッドストンは裕福な貿易商の出身だったので、どちらも「貴族出身ではない」という点が、イギリス社会の変化を象徴していますね。
選挙制度の変化
しかし、19世紀前半までのイギリスでは、有権者は地主や富裕層に限られて、労働者階級は政治から排除されている状況でした。
ですが、産業革命の発展によって、都市労働者が社会の中心を占めるようになると、選挙制度の改革が避けられなくなります。

二大政党も政権を獲得するために、大量の労働者たちの「票」を取り込もうと考え、選挙権の拡大に踏み切ることにしました。
その結果、以下のように選挙法改正が段階的に進んでいくことになりました。

第2回選挙法改正
まずは、保守党のディズレーリが主導して、都市労働者の多くに選挙権が与えられることになりました。
財産資格を大幅に緩和して、都市の家主であれば労働者でも投票できるようになったことで、有権者は100万人以上に増えることになりました。
これを第2回選挙法改正と言います。
秘密投票法
今度は、自由党のグラッドストン内閣が秘密選挙法を成立させて、投票の秘密が保障されることになりました。

それまでの公開投票では、地主や雇い主による圧力が横行していたので、労働者の政治参加を保障するためには重要な改革だったんです。
第3回選挙法改正
続いて、自由党のグラッドストンが、取り残されていた農村の労働者にも選挙権を拡大することにした第3回選挙法改正によって、さらに有権者が200万人以上増えることになりました。
これらの改革によって、成年男性の大部分が選挙権を獲得することになり、労働者階級が初めて有権者の過半数を占めるようになりました。
そして、イギリスの選挙制度は女性参政権を除けば、ほぼ普通選挙に近い形になり、二大政党制の基盤が整えられていきました。

しかし、議会では依然として上院(貴族院)が下院(庶民院)と同等の権限を持つなど、地主層の影響力は続くことになり、女性参政権も実現しました。

自由主義の光と影:格差社会の現実
19世紀のイギリスの主要な思想は自由主義でした。
国家が個人の経済活動に干渉しないことが「最適解」と考えられていました。
特に産業革命後では、「市場の自由競争によって繁栄できる」という考えが強く、政府は貧困や格差の問題に直接介入することを避けていました。

あくまで「個人」の努力で解決するように委ねてしまったんです。
しかし、現実の社会は理想とは大きく違っていました。
急速な工業化の陰で、貧富の差はむしろ拡大していき、都市労働者の生活環境は長時間労働・低賃金・不衛生な住宅といった深刻な問題を抱え続けました。
自由主義の理念が強調されるほど、国家による救済の遅れが目立つようになり、労働者階級の不満が溜まっていきました。

このような状況で出てきた思想が、「社会主義」でしたよね。
こうした状況の中で、1830〜40年代にはチャーティスト運動が盛り上がり、普通選挙など政治的権利の拡大を求める声が全国的に広がりました。
そして、19世紀後半に入ると、チャーティスト運動の直接的な影響力はなくなっていきましたが、労働者の権利は選挙法改正などを通して、少しずつ制度として整備されていきました。
こうして、自由主義の枠内であっても、社会の現実に合わせて制度を調整する「漸進的改革」がイギリスの特徴となっていったんです。

アイルランド問題
ジャガイモ飢饉と独立運動の激化
アイルランドは19世紀のイギリスにとって最大の内政問題といわれるほど、深刻な課題を抱えていました。
1801年に正式に連合王国へ併合されて以降も、ケルト系住民の多くはカトリックであり、宗教や文化の違いがイギリスとの間に大きな溝を残していました。
さらに、アイルランドの農民の多くはイギリス人地主のもとで小作人として生活していたので、アイルランド人の大衆貧困が続いていました。
1845~49年に起きたジャガイモ飢饉では、主食だったジャガイモが疫病で壊滅してしまい、数百万人もの餓死者と移民が出てしまいました。

人口の約25%もの人々が餓死、または移民したと言われています。移民のほとんどはアメリカ合衆国に渡っていき、合衆国発展の労働力として貢献しました。
この大飢饉はアイルランドの社会に大きなダメージを与えることになり、イギリス支配への不満と民族意識を強めていくことになりました。

大飢饉後、1848年革命の影響も受けたアイルランドでは、自治や土地の権利を求める運動が急速に広がっていきました。
19世紀前半にはオコンネルが合法的な手段でカトリック解放や自治を求めましたが、失敗に終わってしまい、武装蜂起などの独立運動も厳しい弾圧を受けることになりました。
アイルランド自治法案
それでもアイルランドは議会で自治を求めて、小作人の権利拡大や地主制の改革を訴え続けました。
そして、地主と小作人の対立は次第に激化していき、各地で衝突が起こる「土地戦争」が起きてしまいます。
このような状況になり、イギリス本国の政治でもアイルランド問題は大きな争点になります。
選挙法改正によって農民層の政治参加が拡大すると、アイルランドの政党が議席を大きく伸ばして、イギリス議会で無視できない勢力になります。
当時、首相のグラッドストンは議会運営のために彼らの支持が必要となり、アイルランド自治を実現するためのアイルランド自治法案を提出しました。
しかし、自由党内で法案に対して対立が起きてしまい、結果、自治法案は実現しませんでした。
自治法案自体はその後も議会で審議されましたが、保守的な上院(貴族院)の反対で繰り返し否決されてしまいます。

そりゃ、上院を構成する地主層(貴族)からしたら、小作人を失うのは損ですもんね。
ようやく1914年に成立しますが、第一次世界大戦が勃発したことによって、実施は戦後に延期されてしまい、アイルランド問題は20世紀へと持ち越されることになってしまいました。

SQ:なぜアイルランド問題は19世紀のイギリス政治を揺るがす大問題となったのか?

では、アイルランド問題のまとめとして、なぜこれだけイギリス政治を揺るがす大問題になったんでしょうか?
それは、アイルランドで大飢饉による社会崩壊とイギリス支配への不満の爆発が重なって、自治要求が一気に強まったからでした。
加えて、カトリックとプロテスタントの宗教的対立やイギリス人地主支配による貧困も続いたことも、民族意識が高まった要因でした。
その後、選挙法が改正されたことで、アイルランドの政党が議会で大きな勢力となります。
それによる自治法案をめぐってイギリス内の政党が分裂するなど、イギリス本国の政治運営そのものが不安定になってしまいました。
さらに、アイルランドに自治を認めれば帝国全体の統治にも影響するので、イギリスにとって避けられない重大問題になってしまったというわけなんです。
アイルランドの大飢饉で反イギリス感情と自治要求が急激に高まり、宗教・土地問題も重なって民族運動が激化し、イギリス議会で自治法案をめぐる政党分裂を招いたことで、帝国統治にも影響する国家的危機となったため。

まとめ
MQ:イギリスはどのような改革を経て、世界秩序の中心へと上りつめたのか?
A:産業革命を基盤に交通・通信革命を進め、自由貿易と金融・海運を軸に世界経済の中心を築き、議会政治の整備と漸進的改革によって国内の安定を確保したことで、世界秩序の中心へと上りつめた。

今回はこのような内容でした。

次回は、列強新体制の3回目としてフランスについてみていきます。フランスの改革にはどんな特徴があったんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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