この記事で使用したPowerPointスライドは「note(グシャケン|note)」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドやWordプリントのダウンロードは記事の最後に貼ってあるURLから!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!
はじめに

前回はこのような内容でした。



今回は社会主義思想の成立についてです。なぜ、この時代に社会主義が登場したんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:なぜ19世紀に社会主義思想が登場したのか?
「新しい不平等」と社会主義思想の出現
18〜19世紀のヨーロッパでは、産業革命が起きたことで各地に工場が建てられて、蒸気機関が動き、鉄道が走るなど、かつてないスピードで社会が変化していきました。
しかし、モノが豊かになる一方で、その裏では深刻な問題が起きていました。
それが、富を蓄えた資本家と低賃金で働かされる労働者との経済格差でした。
これが封建社会の身分格差に変わる、「新しい不平等」と呼ばれるものでした。

これ以前は、封建制による身分格差が問題になっていました。それが解消されていって新しい格差が生まれたんです。
主な問題は以下の通りです。
・低賃金・長時間労働
・子どもの酷使
・工場の騒音・粉塵・事故
・都市のスラム化
・熟練技術不要の単純労働
このような環境で、資本家に雇われた工場労働者は時間とルールに縛られて、資本家から機械の一部のように扱われるようになっていました。
このようにして起きたのが「社会問題(労働問題)」と呼ばれる現象です。

かつての農村や職人の世界では、生活は質素でも「自分のペースで働く」余地があったんですが、それが産業革命を経て、なくなってしまったんです。

SQ:国家はなぜ労働者の困窮を「仕方がない」とみなしたのか?
しかし、この社会問題(労働問題)に対して、国家は解決するために介入しようとはしなかったんです。

ではなぜ、このような問題に国家は介入しなかったんでしょうか?
この時代(19世紀頃)は自由主義という考え方が大きな注目を集めていましたよね。
この自由主義の立場からすると、資本家と労働者の関係は「対等な立場で自由に契約を結ぶ」という前提に立っていました。
それがたとえ厳しい労働条件であったとしても、あくまで“市場原理”であって、国家が口を出すべきではないという考え方が主流になっていたんです。

これは、アダム=スミスの「自由放任主義」や「見えざる手」などの考え方から影響を受けたものでした。
国家は、資本家と労働者が“自由で対等に契約した結果”として貧困を捉え、市場原理に国家が介入すべきではないと考えたため。

しかし、現代と違って法律などで権利が守られていなかった労働者には、資本家と交渉をする力なんてほとんどありませんでした。

だって、現在ほど労働のルールが決まっていない状態で、資本家に交渉なんてしたら、単純作業は替えが効くのでクビにされるだけですからね。そうしたら労働者は生活できなくなっちゃいますから。
なので、労働者は仕事を選ぶ自由も、労働条件を改善する力もなく、資本家との「自由な契約」など名ばかりだったんです。
そして、このギャップに気づいた一部の知識人たちが、自由主義そのものを見つめ直そうとし始めたんです。

本当にこれで社会は良くなるの?

弱い立場の人を守る仕組みが必要なんじゃないの?
こうした疑問から出てきた考え方が、社会主義思想と呼ばれるものでした。
このような自由主義の限界をカバーするように、より公正な社会をつくろうとする“社会主義”の試みが、ここから動き出していくことになります。

イギリス:労働組合の誕生
産業革命が最初に進んだイギリスでは、労働者の不満が真っ先に噴き出すことになりました。
長時間労働、低賃金、児童労働、不衛生な工場環境・・・
こうした問題に対して、労働者たちや改革派の資本家が動き始めます。
当時、労働者の団結は違法とされていましたが、労働問題が深刻化していくと、自由主義的改革によって状況が変わっていきました。

労働者の団結禁止は、資本家の利益を邪魔するものと判断されて禁止されていたんです。国家の利益優先というやつです。
団結禁止法が廃止されることになり、翌年には労働者団結法が成立して、労働組合が正式に認められることになりました。
これによって、労働者は賃金や労働時間の改善を求めて交渉することができ、必要であればストライキもおこなえるようになっていったんです。

やがて労働組合は政治運動にも参加していき、選挙制度改革を求めるチャーティスト運動の支援など、社会改革の担い手となっていきました。

イギリス:オーウェンの社会改革
「理想の工場」
そして、イギリスの代表的な社会主義運動をおこなったのが、オーウェンという人物でした。

彼はマンチェスターで紡績工場の経営に携わって、富を築いた資本家でしたが、若い頃に見た労働者の貧困や児童労働の状況に心を痛めていました。
そして、資本家と労働者が協力して経営する「理想の工場」をつくろうと考えるようになります。
オーウェンはスコットランドの紡績工場を買収して、「理想の工場」に向けた実験をおこないました。
工場で働く労働者の多くは貧困に苦しみ、教育も受けられず、犯罪や飲酒に走る人も少なくありませんでした。
そこでオーウェンは彼らを「怠惰な人間」とは見なさず、“環境が人をつくる”と考えました。
そこから、
・労働時間の短縮
・夜間労働の廃止
・幼児教育の充実
・工場村の整備
など、生活環境そのものを改善する改革を進めていったんです。
特に幼児教育を重視して、1802年には世界最初の幼稚園を設置したりもしました。

工場村では親が一日中働いている間、子供たちは邪魔にされてほったらかしにされていました。なので幼稚園では、体罰を禁止して、子どもの好奇心を尊重する教育方針を重視した、現代の教育学にも通じる先進的なものだったんです。
このニューラナークの紡績工場と幼稚園施設は現在では世界遺産に登録されています。


ちなみにナポレオン戦争の影響で綿花輸入が止まって、多くの工場が生産停止と大量解雇に踏み切っていた時、オーウェンは労働者を一人も解雇せずに、4ヶ月間も賃金を全額支払い続けたそうですよ。
工場法制定への影響
産業革命期では児童労働の環境は過酷を極めていて、5〜6歳の子どもが1日14〜16時間働くことも珍しくありませんでした。

炭鉱などでは細い坑道に入っていけることと、人件費が安くすむため、利益を追求する資本家から重視されていたんです。
この状況にオーウェンは議会に働きかけて、9歳未満の児童労働を禁止にして、16歳未満の労働時間を12時間に制限されることになりました。

しかし、これは監督制がなかったので、実効性はあまりなかったそうです。
これらのオーウェンの改革は、後に「社会全体の幸福を最大化するための最小限の国家介入」という考え方のもと、工場法(1833)や救貧法(1834)、公衆衛生法(1848)などの制定に影響を与えることになりました。

協同組合の構想
オーウェンは工場経営から離れた後も社会改革に取り組みました。
彼は、労働者たちが出資した資金で生産工場をつくり、必要な商品を安く安全に手に入れられる協同組合の仕組みを広めようとしました。

ここで、生産協同組合と消費協同組合について少し説明しておきますね。
・生産協同組合
労働者たちが自分たちで出資し、運営し、利益を分け合う「労働者で会社をつくる仕組み」。
・労働者=出資者=経営者(労働者が会社を所有し、意思決定も自分たちでおこなう)
・つくった製品やサービスの利益は、みんなで公平に分配
・例:協同組合型の工場、パン工房、農業生産組合など
「みんなで会社をつくり、みんなで働き、みんなで利益を分ける」
・消費協同組合
労働者(消費者)が出資し、必要な商品やサービスを安く・安全に手に入れるための仕組み。
・労働者=出資者=消費者(商品やサービスを使う人が運営に参加)
・利益は価格を下げたり、サービス改善に使われる
・例:生協(Co‑op)、大学生協、医療生協など
「みんなでお金を出し合い、安心して買い物できるお店をつくる」
オーウェンが作った生産協同組合の方は長続きしなかったんですが、消費協同組合は成功して世界の生協(Co‑op)の原型となり、現代でも大きな影響を残しています。

フランス:社会思想家の活躍
一方、フランスでは革命期に制定された法律によって労働組合が禁止されていたため、 イギリスのような直接的な労働運動は広がりませんでした。
その代わりに、知識人たちが「これからの社会はこうあるべきだ」という新しい形(社会主義)を考え出していました。
サン=シモン
貴族家系出身で、恐怖政治時代に投獄された経験も持つ社会主義思想家がサン=シモンという人物です。

彼は社会を科学的に分析して改革しようとした人物でした。
「社会の唯一の目的は“生産=産業”である」という主張から、
・産業中心の社会・・・すべての富の源泉は産業。
・政府の役割・・・政府は社会の代理人で、生産の自由と安全を守るだけ。
・社会の担い手・・・社会の中心を担うのは「産業者」。
という説を唱えます。
ここでいう「産業者」とは、資本家だけでなく、労働者や農民など、実際に生産をしている人々のことを指しています。
要は、貴族などの不労所得者とは対照的な“生産者階級”が社会の中心を担うべきだと主張したんです。

サン=シモンは、資本家と労働者は本来対立する必要はなく、資本家も労働者も“敵”ではなく仲間として協力すべきだと主張しました。
ちなみにサン=シモンに影響を受けて、後にパリ万国博覧会を企画したのが、ルイ=ナポレオン(ナポレオン3世)でした。

ルイ=ブラン
七月王政期に、雑誌の編集を通して政府批判をおこない、次第に社会主義思想へ傾いていったのが、ルイ=ブランという人物でした。

彼が構想したのが、国家が国立作業場を設立して、「能力に応じて働き、利益を平等に分配する」という仕組みでした。
フランスで七月王政を打倒する二月革命が勃発すると、ルイ=ブランは革命の先頭に立って行動し、社会主義者として初めて臨時政府の閣僚に就任することになります。
そこでルイ=ブランは、
・国立作業場(社会作業場)の設立
・最低賃金の設定
・労働時間の短縮
などの改革をおこない、当時急速に増えていた失業者を救済して、労働者の生活を安定させるための労働者保護政策を推進していきました。

この後、すぐに国立作業場は閉鎖されて、ルイ=ブランは亡命することになりましたが、社会主義者として初めて政府に参加して、労働者保護政策を国家レベルで実現しようとした先駆者でした。

プルードン
そして、フランスで「所有とは盗みである」という挑発的な言葉で社会主義思想を展開したのが、プルードンという人物でした。

プルードンは印刷所の経営に挑戦するも失敗してしまい、貧困化した経験から、社会問題(労働問題)を克服するためには、人々がお互いに協力し合うべきという主張をしました。
・私有財産の否定
・お互いに協力し合う社会
・国家権力の否定
この私有財産をなくして平等に分配し、労働者たちが国家権力に取ってかわる無政府主義によって、社会問題(労働問題)を解決ことができると考えました。

無政府主義は、国家と資本家がタッグを組んで所有する利益(富)を追求するから、労働者が搾取されると考えたからなんです。
この思想からプルードンは「無政府主義の父」と呼ばれているんですよ。

まとめ
MQ:なぜ19世紀に社会主義思想が登場したのか?
A:産業革命で拡大した格差や労働問題を、自由主義が「市場の結果」として放置し、労働者を守る制度が存在しなかったため、知識人が弱者を支える新しい社会の仕組みを模索し始めたため。

今回はこのような内容でした。

次回は、社会主義思想の2回目としてドイツについてみていきます。ドイツの社会主義にはどんな特徴があったんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
PowerPointスライドは他の記事も合わせて「note」にてダウンロードし放題!ダウンロードは下のURLから!

このブログ「グシャの世界史探究授業」に関連するリンクを下にまとめました。気になるものがあれば、ぜひのぞいてみてくださいね。
【世界史イラスト:イラスト集】
【YouTube:グシャの世界史探究授業 – YouTube】
【note:グシャの世界史探究授業 教材ダウンロード|グシャケン】
【X:グシャの世界史探究授業 (@s_w_history) / X】
【ポッドキャスト(Apple):[聞き流し]グシャの世界史探究授業 – ポッドキャスト – Apple Podcast】
【ポッドキャスト(Spotify):[聞き流し]グシャの世界史探究授業 | Podcast on Spotify】










コメント