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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は近世ヨーロッパの経済についてです。
MQ:なぜ近世ヨーロッパでは経済が発展した裏で、地域差や不安定さが生まれたのか?
東西ヨーロッパの地域差
ヨーロッパでは、大航海時代が来たことによって海外進出が盛んになり、「世界のグローバル化」が起こりました。
それによって、近世では経済が大きく成長したヨーロッパでしたが、その成長には東西で大きな地域差があったんです。
商業革命による東西分業
16世紀の西ヨーロッパでは、海外進出によるアメリカ大陸の発見や、アジア交易の開始によって、商業の中心地が地中海から大西洋に移動する“商業革命”が起きましたよね。
この商業革命によって、西ヨーロッパでは次のような変化が起きました。
・大西洋交易(新大陸・アジア交易)の拡大
・都市人口の急増
・商工業中心の経済構造への転換
このような結果から、西欧諸国では、

食料を生産するより、商工業をした方が利益が出るぞ!
という状況が生まれて、それまでの農業から商工業にシフトしていく流れができました。

しかし、商業革命による商工業へのシフトには、ある課題がありました。
それが「穀物不足」です。

だった、農業やめて商工業したら、そりゃ穀物の生産量が減って足らなくなりますよね。
商業革命によって繁栄したオランダなどの西欧諸国は、穀物不足が起きて周辺諸国から穀物を輸入する必要に迫られました。
そして、その食糧の輸入先となったのが、プロイセン・ロシア・ポーランドなどの東欧諸国だったんです。

東欧の再版農奴制
バルト海沿岸の東欧諸国(プロイセン・ポーランド・ロシア)では、
・人口密度が低く、未開墾地が多い
・土地を大規模にまとめやすい
・バルト海交易で西欧市場と直結
などの理由から、もともと輸出用の穀物を生産する農場領主制がおこなわれていました。
しかし、先ほど説明した西欧での商業革命によって、人口が増大して穀物の需要がさらに増していきました。
東欧諸国では、農業生産は農奴に依存していたので、西欧の穀物需要に応えるために、農奴を土地に縛り付ける農奴制のさらなる強化をおこなうことになりました。

この16世紀の商業革命をきっけに農奴制が再び強化されたことを“再版農奴制”と言います。
このようにして、西ヨーロッパでは農奴制が衰退していく一方で、東ヨーロッパでは逆に農奴制が強化されていく逆転現象がおこりました。

東西地域差の比較
この東西での地域差は、近代以降も影響を残すことになりました。
| 西ヨーロッパ | 東ヨーロッパ |
|---|---|
| 商工業・都市経済 | 農業・領主経済 |
| 市民層の成長 | 貴族支配の固定化 |
| 資本主義の発展 | 社会構造の停滞 |
このようにして、「西欧=商工業、東欧=農業」という東西の地域差が現れることになったんです。

経済の拡大と停滞
そしてこの時期、近世ヨーロッパは経済成長をし続けていたわけではなく、経済の拡大と停滞を繰り返しながら発展していきました。
拡大の時代(16世紀)
ヨーロッパでは、14世紀に黒死病(ペスト)によって人口が激減してしまいましたよね。
しかし、16世紀には、その災害から復興して、人口も増加傾向にありました。
そんな時期に起きたのが価格革命と呼ばれる現象でした。
価格革命とは、16世紀半ば以降にヨーロッパで起きた急激な物価上昇(インフレ)のことを指します。

この物価上昇は100年以上に渡って続き、物価が2~3倍になったといわれています。
現代からみると意外と緩やかだったんですが、領主が徴収していた税金は固定額だったので、封建領主はじわじわと税収が減額していき、力を失っていきました。「社会構造を変えた物価上昇」という意味で価格革命なんです。

SQ:なぜこの時期に急激な物価上昇が起きたのか?
この価格革命の原因の1つになったのが、アメリカ大陸からの銀の流入でした。
当時、スペインはアメリカ大陸の先住民文明を征服して、ポトシ銀山をはじめとする豊富な銀を支配していました。
この銀がスペインを経由してヨーロッパ全体へと流れていき、16世紀中ごろから通貨の供給量が急増していったんです。
この出来事で、以前よりもたくさんの貨幣を使えるようになったことで、その分モノの値段が高くなる物価上昇(インフレ)が起きました。
そして、これと重なるように、先ほど説明した人口が増加していた時期だったので、穀物や生活品の需要が増したことで、さらに物価が上昇する現象が起きたんです。
・アメリカ大陸からの銀の流入
・人口増加による需要拡大
これらの理由から、100年以上続く物価上昇である価格革命が起きたというわけなんです。
16世紀にアメリカ大陸から大量の銀が流入して通貨量が急増し、さらに人口増加によって生活必需品の需要が高まったため、物価が長期的に上昇したため。

こうした価格革命によって、ヨーロッパでは物価上昇が起きたんですが、物価の高騰は何も悪いことだけではありませんでした。
人口増加で穀物や生活必需品の需要も上がっていたので、それらを生産する側からすれば、

作れば、作るほど儲かるぞ!
という、生産者にとって物価上昇は利益につながったので、生産業全体が刺激されて好景気が拡大していった側面もあったんです。

停滞の時代(17世紀の危機)
SQ:経済が停滞すると、当時の社会や政治にはどんな影響が出たのか?
しかし、17世紀に入ると、経済が後退していくことになります。
この頃から中南米の銀山からの産出量が次第に減っていき、これに伴ってヨーロッパへの銀の流入も減っていきました。
これにより、貨幣の供給が停滞してお金が手に入りずらくなったことで、物価上昇は止まってしまい、商業活動も停滞してしまいます。

価格が下がることをデフレーション(デフレ)と言います。
そして、経済の停滞は国家の財政を圧迫して、それを無理やり改善しようと重税や徴発をおこなう負の連鎖を引き起こして、社会不安が広がっていきました。
そしてこれに追い打ちをかけたのが、“天候不順”でした。
17世紀は「小氷期」と呼ばれるほど平均気温が冷え込んだ時代で、冷夏や長雨によって凶作が続きました。
なので、農業生産が落ち込んで、食糧不足が起きたことで、飢饉と疫病が蔓延し、大勢が亡くなる人口減少が起きました。

とくにロシアでは大飢饉が発生して、モスクワだけでも12万人が亡くなるほどの被害が出ました。人々は動物や草木、さらには人肉にまで手を出して飢えをしのいだそうです。

・三十年戦争(1618–1648)
・ピューリタン革命(英)
・フロンドの乱(仏)
・ステンカ=ラージンの農民反乱(露)
・魔女狩り

詳細な内容を知りたい方は、それぞれの単語をクリックすると、それに関連するブログ記事に飛ぶので、そこからご覧ください。

ただし、この「17世紀の危機」は文化的に見れば停滞の時代ではなかったんです。科学革命や啓蒙思想が発展したのはこの17世紀だったんですよ。
国家財政が悪化し、重税や徴発が強まったことで人々の生活が不安定になり、飢饉や人口減少と結びついて社会不安が拡大した。その結果、各地で戦争や反乱、魔女狩りといった政治的・社会的混乱が引き起こされた。

これらの混乱を経て、18世紀になると比較的社会が安定して、人口が再び増えていき、物価も上昇していきました。
これによって、農業や商工業が活発になっていき、ヨーロッパ経済は再び成長していくことになります。
生活革命と農業革命
生活革命
そして、近世ヨーロッパで起こったもう一つの出来事が消費の拡大によって起きた生活革命と呼ばれるものでした。
大航海時代以降、ヨーロッパにはアジアやアメリカから、さまざまな商品が入ってきました。
香辛料や砂糖、茶やコーヒー、綿製品などが入ってきたことで、王族や貴族、都市のブルジョワ(市民)などは嗜好品を楽しむようになり、生活が大きく変わっていきました。
とくに海外進出を積極的におこなったオランダやイギリス、フランスでは、嗜好品の消費を楽しむ社会が築かれていきました。

イギリスの大西洋三角貿易などが代表的ですね。
これによってコーヒーハウスができたり、紅茶のティータイム文化ができたんです。
このように、消費の拡大によって、生活全般が変わったことを生活革命と言います。

農業革命
そして、イギリスでは、18世紀に農業革命というものが起きました。
農業革命とは、それまでの「自給するため」の農業から、「儲けるため」の農業に代わっていった変化を指します。
ノーフォーク農法
農法では、それまでの三圃制に代わって、“ノーフォーク農法”と呼ばれる「かぶ→大麦→クローバー→小麦」の順に栽培する四圃制が普及しました。
ノーフォーク農法は、休耕地を置かない代わりに、かぶやクローバーを育てることで、土地を回復させながら家畜のエサも確保できるという一石二鳥の農法でした。
これによって、冬でも牛や羊を飼えるようになり、肉や乳製品の安定供給が可能になりました。

第2次囲い込み
そしてもう一つが、「第2次囲い込み(エンクロージャー)」と呼ばれる土地制度の改革でした。
18世紀から19世紀にかけて起きた第2次囲い込みは、産業革命による人口の増加によって、穀物の需要が増したことが発端でした。

穀物を大量に生産すれば、儲かるぞ!
という、地主や資本家(企業経営者)の思惑から、お金を使って効率よく大量の穀物を栽培しようという動きが起こりました。
こうしてイギリスの農業は、広大な土地を所有する地主が資本家に土地を貸して、資本家が小作人を雇って穀物を大量生産する形へと変わっていくことになりました。

第1次では、羊の毛をとるために牧場を作ろうとして農地を囲い込んだ動きでしたが、第2次では、穀物をたくさん育ててもうけるために農地を囲い込んだものでした。
この第2次囲い込みによって、独立自営農民(ヨーマン)たちは土地を失ってしまい、小作人になるか都市へ移って工場労働者になっていきました。

しかし、この都市へ流入した労働者たちが、後の産業革命の労働力を支える存在になっていくんです。

都市化と商業化
これら「ノーフォーク農法」と「第2次囲い込み」による農業革命によって、イギリスでは安定した食糧の供給が可能になり、農業以外の人たちを支えられるようになりました。
結果として、都市への人口集中が進んでいき、都市化が加速していきました。
さらに、イギリスはオランダやフランスとの戦争にも勝利したことで、世界各地に交易網を広げていき、世界各地の商品がイギリスに運ばれていきました。
こうしてイギリスの社会は、農業から商業中心の社会へと変わっていき、農村でもみんなで協力する自給自足的な農業は姿を消していきました。
その代わりに、地主から土地を借りて、穀物を栽培してお金をもうける「商売としての農業」が主流になっていくことになります。

まとめ
MQ:なぜ近世ヨーロッパでは経済が発展した裏で、地域差や不安定さが生まれたのか?
A:近世ヨーロッパでは商業革命により西欧が商工業化を進めた一方、東欧は農業と農奴制を強化し、東西で経済構造に格差が生じた。さらに価格革命や気候変動が社会不安を招き、経済発展の裏で地域差と不安定さが拡大した。

今回はこのような内容でした。

次回は、イギリス産業革命についてです。産業革命は経済や社会にどんな影響を与えたんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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