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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回はヨーロッパが海洋進出したことによる商業革命と大西洋世界の形成についてみていきます。この大西洋世界はどんな特徴があったんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:大西洋世界が成立した要因とその特徴とは?
16世紀の世界大交流
ポルトガルやスペインをはじめとして、ヨーロッパ勢力が海洋進出したことでヨーロッパ大航海時代が始まりました。
そしてそれによって世界各地の交易網が結び付けられることになり、世界大交流(世界の一体化)がおこります。
この大交流は世界各地に影響を与えることになりました。
そして、ヨーロッパ人の進出による影響は、それぞれの地域で特徴が違っていたんです。

ヨーロッパ(商業革命)
まずはヨーロッパで起きた影響についてです。
ヨーロッパによる海洋進出は、商業の中心地に変化を起こしました。
アジア航路開拓は、目玉だった香辛料がイタリア諸都市の東方貿易(レヴァント貿易)によって独占されていたからでしたよね。
しかし、ポルトガルが派遣したヴァスコ=ダ=ガマやカブラルの航海によって、インドへの航路が開拓されて、直接、香辛料をヨーロッパに運び込めるようになります。
ポルトガルのリスボンから香辛料などのアジア物産が持ち込まれたことで、それまで香辛料貿易を独占していたイタリア諸都市は特権を失うことになりました。

要はポルトガルという香辛料貿易のライバルが出現して、以前のように莫大な利益が出せなくなったんです。
これには東方貿易(レヴァント貿易)でイタリア諸都市と密接に関わっていた北ヨーロッパ商業圏の都市も打撃を受けることになりました。

加えて、スペインのアメリカ大陸開拓によって、ヨーロッパにアメリカ大陸産の銀も大量に流れ込んでくるようになります。
このスペインによる銀の大量流入によってヨーロッパでの銀の価格が暴落してしまい、ヨーロッパ産の銀を使った金融業で繁栄していたフッガー家やメディチ家などの大商人も没落や変化を余儀なくされてしまいました。

簡単にいうと、銀がたくさんありすぎて貴重ではなくなったんです。なので、お金(銀)を貸していた金融業は貸す相手がいなくなって儲からなくなったんです。

これらの出来事によってヨーロッパの商業の中心地が、それまでの地中海周辺や北ヨーロッパから、ポルトガルやスペインなどの大西洋沿岸に移っていったんです。
そして海洋進出によって、ヨーロッパの商業圏がアジアやアメリカ大陸にも広がっていき、結果、商業の中心地が大西洋に移っていった変化を商業革命といいます。
・ヨーロッパの商業圏がアジア、アメリカ大陸まで拡大
・アメリカ大陸産の銀が大量流入したことで、既存の商人勢力が没落
・商業の中心地が地中海・北ヨーロッパから大西洋沿岸に移動

アジア(中継貿易)
アジアでは、もともとムスリム商人や中国商人が開拓した「海の道」を使った商業圏に、ヨーロッパが無理やり参入していったことで、ヨーロッパ商人が利益をあげていきました。

すでに完成されているところだったので、ムスリム商人などの妨害などがあり、ヨーロッパは軍事力で無理やり開拓していったんですよね。
ポルトガルはマラッカ海峡を支配することでインド洋交易、中国(明)からマカオを租借(そしゃく)したことで、日中貿易などの中継貿易をおこなったことで莫大な利益を得ました。
逆にスペインは太平洋側からアプローチして、フィリピンに進出してマニラを建設し、そこを拠点にして[中国ーマニラーアカプルコ(アメリカ大陸)]のガレオン貿易をおこなって銀をアジアに持ち込み、中国の特産品を中南米にもたらしました。

他のヨーロッパ諸国もこの2か国に遅れる形で、アジアに進出して交易に参加するようになりました。
しかし、これらヨーロッパ諸国のアジア進出は、アジアの政治や文化にすぐに大きな影響を与えたわけではなく、あくまで交易での利益やキリスト教宣教を目的におこなわれていました。
中南米(植民地化)と大西洋世界
中南米の植民地化
そしてヨーロッパの海洋進出によって、社会の仕組みが一変するような劇的なほどの影響を受けたのが、アメリカ大陸の中南米でした。
中南米にあったアステカ王国やインカ帝国のような文明は、スペインから派遣された「征服者」(コンキスタドール)たちによって征服されてしまいましたよね。
そしてそこからエンコミエンダ制による強制労働や、ヨーロッパから持ち込まれた疫病などによって、インディオの人口が激減してしまいました。
持ち込まれた動物や植物、疫病の他にも、ヨーロッパ文化として持ち込まれたキリスト教や、新たな労働力としてアフリカ大陸から黒人奴隷が運び込まれました。
インディオの人口激減や、中南米に新たにこれらのものが持ち込まれたことで、もともとあったインディオの文明は崩壊してしまい、植民地化によって社会の仕組みがほぼまるごと変わってしまうことになりました。


この時に中南米に持ち込まれた動植物の一部を紹介しますね。
動物:馬、牛、豚、羊、ヤギ、鶏
植物:サトウキビ、コーヒー豆、小麦、オレンジ・レモンなどの柑橘類

逆にアメリカ大陸からヨーロッパに持ち込まれたものもたくさんありました。
動物:七面鳥(ターキー)、モルモット
植物:ジャガイモ、サツマイモ、トウガラシ、インゲン豆、トマト、ピーナッツ、トウモロコシ、タバコ、カボチャ、カカオ
※疫病:梅毒(ばいどく)
梅毒・・・細菌が性行為などを通じて体内に入り、進行すると全身にさまざまな症状を引き起こす感染症。

SQ:これらの動植物はお互いの大陸にどんな影響を与えたのか?

ではお互いに持ち込まれたこれらの動植物は、それぞれの大陸にどんな影響を与えたんでしょうか?一緒に考えてみてください。
まず[ヨーロッパ→アメリカ大陸]に持ち込まれたものでは、
動物の馬に関しては、騎兵の登場によってその後の戦術の変化など、軍事的な影響を与えました。
その他の動物は主に食用や耕作用に持ち込まれて、アメリカ大陸の食文化や農業・牧畜、生態系の変化にまで影響を与えました。
植物に関しては、小麦や柑橘類などが現地の食用として持ち込まれ、サトウキビやコーヒー豆は主にヨーロッパへの輸出用の商品作物として持ち込まれました。
黒人奴隷を使用した商品作物の栽培(プランテーション)が盛んになっていったことから、アメリカ大陸は嗜好品ビジネスの供給源としての役割を果たしていくことになっていきます。

次に[アメリカ大陸→ヨーロッパ]では、
植物のジャガイモやトウモロコシなどは、現在世界でも主食として扱われる食糧ですよね。
ジャガイモやトウモロコシは短期間で栄養が少なくても栽培できるので、ヨーロッパに持ち込まれたことで、食糧の供給を大幅に増やして、多くの人口をまかなえるようになったんです。

要するに、世界の人口増加に貢献したんですね。
他にも世界に影響を与えたものがたくさんあるので、気になる方は[1-5.1]南北アメリカの先住民を見てみてください。

以上のことをまとめると、こんな感じです。
ヨーロッパからアメリカには馬や商品作物が持ち込まれ、軍事・農業・嗜好品ビジネスに影響を与えた。一方、アメリカからヨーロッパにはジャガイモやトウモロコシなどが渡り、食糧供給を増やして人口増加に貢献するような影響があった。
大西洋世界の成立
ヨーロッパによる中南米の植民地化によって、中南米は商品作物の一大産地になり、ヨーロッパに食糧や嗜好品、銀などを運ぶ供給地になっていきました。
アフリカからアメリカ大陸へ運ばれる黒人奴隷貿易も盛んになっていったことで、大西洋では交易がより一層活発になっていきました。
こうして世界大交流(世界の一体化)の一部として“大西洋世界”が成立して、モノやカネが行きかう一大商業圏に発展していったんです。

その後、ヨーロッパとアメリカ大陸は、北アメリカの植民地(後のアメリカ合衆国)が発展していくことで、さらに結びつきを強めていくことになります。

まとめ
MQ:大西洋世界が成立した要因とその特徴とは?
A:成立した要因は、ヨーロッパによる中南米の植民地化に加え、それに伴う商品作物の生産、銀の流入、そして黒人奴隷貿易の活発化にある。これらの要素が結びつき、大西洋を囲む地域でモノ・カネ・ヒトが行き交う一大商業圏が形成された。特徴としては、ヨーロッパが中南米を供給地として利用し、アフリカからの黒人奴隷を労働力として導入することで、食糧・嗜好品・貴金属をヨーロッパへと運ぶ構造が確立された点にある。

今回はこのような内容でした。

次回からはアジアに戻って、オスマン帝国の成立ついてみていきます。オスマン帝国が繁栄できた基礎とは何だったんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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