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[11-6.4]啓蒙思想②(世論形成)

11-6.科学革命、啓蒙思想

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は啓蒙思想の2回目として「世論形成」についてみていきます。なぜ18世紀ヨーロッパでは、「世論」が社会を動かすようになっていったんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:なぜ18世紀ヨーロッパでは、「世論」が社会を動かす力をもつようになったのか?

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百科事典

ディドロ、ダランベール

科学革命以降、啓蒙思想が出てきたことで、

啓蒙思想家
啓蒙思想家

知識は社会を良くするために、みんなで共有すべきだ!

という考えが広がりましたよね。

このような思想から、18世紀のヨーロッパ啓蒙思想によって誕生した最大の成果が、“百科事典”の登場でした。

百科事典・・・知識全般をまとめた書物

なかでも代表的なのが、フランスのディドロダランベールが編纂した『百科全書』と呼ばれるものでした。

ディドロ
ダランベール

彼らは神学や王権といった伝統的な権威ではなく人間の理性と経験を基に、あらゆる知識を体系化しようとし試みました。

『百科全書』は、哲学や自然科学にとどまらず、工芸技術や日常的な知識全般を網羅していて、誰でも理解できるように、図や表もたくさん使われていました。

これは、知識を学者や聖職者などの特権階級に独占させずに、社会全体に開放しようとする啓蒙思想の主張をはっきりと示していました。

編集にあたっては、当時まだ無名の哲学者だったディドロが、

ディドロ
ディドロ

「技術や学問などのあらゆる分野を見ることができる事典」を作って、教育に携わる人たちの手引きになるような書物を出版しよう!

という思いから、数学者のダランベールに協力してもらい、「知識の体系化」を目指す『百科全書』の編集が始めました。

『百科全書』の編集には、200人近い哲学者や科学者、技術者などが参加して、学問分野の壁を越えての編集がおこわれました。

グシャケン
グシャケン

すごい大規模ですよね。全体の編集はディドロとダランベールが担当して、ダランベールは序文と数学分野の項目も編集したそうです。また、各項目では、啓蒙思想家のルソーやヴォルテールなども参加したそうですよ。

ちなみにダランベールはディドロと意見の対立があって、途中で編集作業から離脱しているんです。

編集の途中、弾圧や仲間内での意見の衝突なども起こりましたが、それらを乗り越えて、約21年かけて史上初の百科事典である『百科全書』が完成することになりました。

このような「知識の体系化と共有」の試みはフランスだけではなく、その後、各国で百科事典が編集されて出版されていくことになります。

百科全書 ディドロ ダランベール
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博物館、植物園の登場

18世紀以降のヨーロッパでもう一つ登場したのが、博物館や植物園などの施設でした。

これらの施設は単なる娯楽施設ではなく自然や歴史を整理して分類・展示して、「理性(人間の考える力)で世界を理解」しようという目的に沿って作られました。

グシャケン
グシャケン

もとは大航海時代以降、単なるコレクションから始まったものでしたが、啓蒙思想の理想である「知識を共有する」に従って、分類・展示されるようになっていったんです。

博物館と植物園

博物館

博物館の原型は、王族や貴族などの富裕層が個人的にコレクションしていたものから始まりました。

もともとは、珍獣の剥製(はくせい)や異国の工芸品、化石、宗教的遺物などが雑多に並べられていただけでした。

グシャケン
グシャケン

だって、あくまで個人的に気に入ったものを集める“趣味”から始まったわけですから。

しかし啓蒙思想の広がりとともに、「驚きや興味」よりも、世界を理解するための「分類」や「説明」が重視されるようになっていき、一般公開する“博物館”が誕生することになりました。

グシャケン
グシャケン

フランス革命後にルーヴル美術館が一般公開されたのが象徴的ですよね。王権の象徴だったコレクションが「国民の財産」とされて、だれでも鑑賞できるようになったんですから。

このように、博物館は「知識を共有する空間」の役割を果たすことになりました。

博物館

植物園

植物園もまた、単なる個人的なコレクションや散歩をするための場所ではありませんでした。

17〜18世紀の植物園は、医学や薬学を研究するための拠点として使われ、実は植民地支配とも深く結びついていたんです。

ヨーロッパ諸国は、海外植民地から持ち帰った植物を分類して栽培し、薬用や食用、商品作物として利用価値を見出そうとしました。

グシャケン
グシャケン

ロンドンの王立植物園が代表例で、ゴムや茶といった植物がイギリスの経済を支える資源として管理されていました。

つまり、植物園は「自然を愛でる場所」であると同時に、「自然を管理して、国益を生み出すための研究拠点」でもあったわけなんです。

植物園

●分類はあくまでヨーロッパ目線”

博物館や植物園でおこなわれた整理・分類する作業は、一見中立におこなわれたように見えましたが、実際には当時の「ヨーロッパ目線」が際立っていたんです。

たとえば博物館では、ヨーロッパ文明が「進歩の頂点」という暗黙の認識がありました。

なので、他の地域文化は「未開」や「原始」として展示されることが多かったんですね。

植物や動物の命名も、発見したヨーロッパ人の名前が付けられて、現地の知識や名前は軽視されてしまいました。

理性(人間の考える力)による世界の理解は、人類に大きな知識をもたらしましたが、「ヨーロッパ視点の知識と価値観」という偏見も生むことになりました。

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世論の形成

「世論」とは?

そしてこのような中、18世紀のヨーロッパで形成されたのが「世論と呼ばれるものでした。

世論・・・個人の考えが、議論や情報を通じて“社会の声”としてまとまったもの。

グシャケン
グシャケン

まあ、簡単に言うと、「社会のだいたいの人が思っていること」みたいな感じでしょうか。ニュースとかでもよく見かけますよね。

では、なぜこのような「世論の形成」が近世ヨーロッパで起こったんでしょうか?

出版業の発達

まず、そこには出版業の発達がありました。

18世紀後半のヨーロッパでは、書物だけでなく、新聞や雑誌といった定期的に刊行されるものが急速に広がっていきました。

そして、この新聞や雑誌の刊行が普及した背景には、「商業発展」が関係していました。

まず商業が発展すると、

ブルジョワ(市民、中産階級)が増加し識字率が上昇 → 政治動向への関心

②ビジネス(商業・金融)や政治における情報収集の重要性

これらの事情から、発行まで時間のかかる書物ではなく「手軽に早く情報が手に入るモノ」が必要になり、新聞や雑誌のような定期刊行物が誕生したわけなんです。

そして、印刷技術の向上と流通網の整備によって、新聞や雑誌を通して、情報が以前よりも速く、安く人々の手に届くようになっていきました。

これら新聞や雑誌が発達していったことで、啓蒙思想が文字や図表を通して、ヨーロッパ中に広がっていくことになりました。

グシャケン
グシャケン

こうした出版業が、読者に「自分で考える」材料を提供する役割を果たすことになったんです。

世論の形成と出版業の発展

世論の形成

新聞や雑誌は、当時、実は個人が自宅で読むだけのものではなかったんです。

ロンドンやパリでは、新聞などの駅売りや宅配文化がまだなかったので、コーヒーハウスやカフェ、クラブ、サロンと呼ばれる、人々が集まる場所に出版物が置かれて、回し読みされていたんです。

グシャケン
グシャケン

現代は、SNSやオンライン会議で簡単に意見交換ができますが、当時は「情報」や「思想」は、人が同じ空間に集まることによってしか生まれなかったんです。その象徴が、近世ヨーロッパに登場したコーヒーハウス、カフェ、クラブ、そしてサロンだったんですね。

世論の形成 コーヒーハウス、カフェ、クラブ、サロン
グシャケン
グシャケン

では、まずは「コーヒーハウス」・「カフェ」・「クラブ」・「サロン」がどんな所だったのかを説明していきますね。

コーヒーハウス

17〜18世紀のイギリスで爆発的に広がったのがコーヒーハウスと呼ばれる場所でした。

コーヒーハウスではその名の通り、当時目新しい飲み物だったコーヒーを飲む場所でした。

コーヒーは酒と違って酔うことがないでの、新聞などを読みながら政治やビジネスの議論をするのにぴったりの場所だったんです。

グシャケン
グシャケン

海外進出したアラビア半島のイエメンのモカから入手していたコーヒー豆を使っていたそうですよ。今でもモカコーヒーってありますもんね。

コーヒーハウスの特徴

・男性のみが入店可能

・中央の大テーブルを囲んで自由に議論

・身分を問わず、金さえ払えば参加可能

・政治・経済・文学・噂話が交錯

コーヒーハウスには新聞の回し読みの他にも、株取引や保険契約のビジネスをおこなう場所として使われ郵便局の役割も担っていました。

まさにコーヒーハウスは「情報センター」として、世論が形成されやすい場所だったんです。

グシャケン
グシャケン

新聞を読み人もいれば、タバコを吸う人もいて、議論の中で飲み物をぶちまけて喧嘩することもよくあったそうですよ。

あと、お金さえ払えば身分関係なく誰でも入れたので、株や保険の詐欺もあったみたいですね。今も昔もあまり変わりませんね。

ピューリタン革命から名誉革命にかけて、コーヒーハウスは政治議論の拠点になっていき、政府は警戒しつつも潰すことはできず、世論の形成を担っていくことになりました。

しかし18世紀後半になると、流行がコーヒーから紅茶へ移ったことで、より閉鎖的な“クラブ”が台頭して、コーヒーハウスは衰退していくことになりました。

コーヒーハウス
イギリスのコーヒーハウス
カフェ

みなさんお馴染みのカフェは、一見コーヒーハウスと同じように思いますが、実は性格がかなり違っていたんです。

18世紀以降、特にパリやウィーンで発展したカフェは、「文化創造の拠点」として機能していました。

カフェの特徴

・男女ともに利用可能

・個別のテーブル席

・会話だけでなく「滞在」そのものを楽しむ

・芸術家・作家・知識人のたまり場

以上の特徴から、コーヒーハウスが「議論と情報」の場所だったのに対して、カフェは「考えて創作」するための空間だったんです。

このように、カフェは文学や芸術のイメージを作り上げる場所として、ヨーロッパ文化を影で支える役割を担っていきました。

グシャケン
グシャケン

現代でもその役割は失われていないですよね。

カフェ
クラブ

18世紀後半、イギリスでコーヒーハウスに代わって登場したのが“クラブ”と呼ばれるものでした。

クラブの特徴

・会員制で閉鎖的

・同じ階層・趣味・政治的立場の人々が集まる

・食事・酒・談話・娯楽を提供

コーヒーハウスが「誰でも入れる公共空間」だったのに対して、クラブは「考え方や価値観が同じ人だけが集まった、外の意見が入りにくい場所」になっていたんです。

そこでは政治クラブ、紳士クラブ、文学クラブなどのグループが生まれて、議論がより活発になる一方で、情報の共有や開放性は少し後退することになってしまいました。

グシャケン
グシャケン

アルゴリズムで似たものばかりが出てくるSNSみたいですね。

ちなみこのクラブから政党に成長するケースも少なくなかったんですよ。

クラブ
サロン

最後に、フランス独自の文化として発展したのが“サロンと呼ばれるものでした。

サロンの特徴

・主催者は多くの場合、教養ある女性

・貴族・上流ブルジョワ(裕福市民)が参加

・詩・文学・哲学の発表と批評

知的礼節ある会話が重視

「サロン」は私人の客間でおこなわれていたので、もともと「客間」を意味する言葉でした。

ですが、フランスの「礼節を重んじる」宮廷文化が発展すると、“知的な交流そのもの”を指すようになっていきました。

グシャケン
グシャケン

17世紀末にはパリに800以上のサロンができて、フランス文学の名作も、
このサロンの中から生まれたそうですよ。

このサロンも、コーヒーハウスやカフェのような開放的な空間ではありませんでしたが、上流階級による議論は、フランス世論の発信地の1つとして機能していくことになりました。

サロン
フランスのサロン

こうした様々な場所で議論が交わされたことで、個人の意見が共有されていき、社会全体の声」という名の「世論」に形を変えていったんです。

コーヒーハウス、カフェ、クラブ、サロンの特徴

SQ:なぜ世論が形成されていったのか?

グシャケン
グシャケン

ではここまでの内容を踏まえて、世論が形成された経緯をまとめてみましょう。

18世紀ヨーロッパでは、情報が広く速く共有され、人々が直接議論できる環境が整っていきました。

・出版業の発達・・・新聞や雑誌が普及し、政治・経済・思想の情報が多くの人に届くようになった・

・商業の発展とブルジョワ層の増加・・・識字率が上がり、政治や社会への関心が高まった。

・議論共有できる場の登場・・・コーヒーハウス・カフェ・クラブ・サロンといった場で、身分を超えた意見交換や批評が行われた。

これにより、個人の考えは1人のものではなく、共有や議論、修正されながら「世論」という社会の声にまとまっていったというわけなんです。

SQ:なぜ世論が形成されていったのか?

出版業の発達によって情報が広く共有され、人々が集まって議論する場が生まれたことで、個人の意見が社会全体の共通認識としてまとめられるようになったから。

なぜ世論が形成されていったのか?
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空想旅行記

同じ時代には、ヨーロッパの外の世界を舞台にした空想旅行記というものが流行しました。

代表例としては、デフォーの『ロビンソン=クルーソー』や、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』などがあります。

これらの作品は冒険物語として楽しまれただけでなく、ヨーロッパ社会の常識や価値観が、当たり前ではなかったんだ。」ということに気付かせる役割を果たしていました。

物語を通して、異文化とヨーロッパ文化を比較することで、

文明って何なの?

世界ってどうなってんの?

という、世界を理解することについて考えるきっかけになり、これらの作品がベストセラーとなったことで、啓蒙思想が学者などの知識人から、大衆にまで広がっていくことになりました。

デフォー『ロビンソン=クルーソー』 スウィフト『ガリヴァー旅行記』
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市民の意志表明

ブルジョワと啓蒙思想

大衆レベルにまで広がっていった啓蒙思想ですが、その担い手は啓蒙専制君主や貴族だけではなかったんです。

都市の商業によって富を築いたブルジョワ(市民、中産階級)層からも、多くの知識人が生まれて、啓蒙思想を広める役割を担っていました。

近世ヨーロッパのブルジョワは、華やかな貴族による宮廷文化とは違って、教育や読書、議論を重視する独自の文化を作り上げていきました。

そして啓蒙された市民たちは、

ブルジョワ
ブルジョワ

俺たちも国に貢献しているんだから、政治に意見を言わせろ!

もっと人民のことを考えた政治をしろ!

と、政治の主導権の座をめぐって、国王や貴族などと対立していくことになります。

グシャケン
グシャケン

「理性(人間の考える力)で世界を理解して、幸福を追求する」啓蒙思想だからこそ、このような市民層の成長と共に広がって、社会変化を求めるようになっていったんですね。

ブルジョワ

民衆の行動

一方で、すべての人々が世論の形成に参加できたわけではありませんでした。

参政権がなく、教育も受けられず文字を書くことができなかった市民たちは、食料価格や労働条件、課税など、政治や国家への不満に対して、暴動や一揆という形で意思表明することになりました。

グシャケン
グシャケン

過激な行動は、制度によって発言できない人々にとって、切実な意思表明だったんです。

これらは必ずしも社会を変えるものにはなりませんでしたが、この「行動による抗議」は、その後の世界でも、「政治デモ」や「労働争議」などに受け継がれているんですよ。

このように、啓蒙思想の時代は、「議論による世論の形成」と、「行動による抗議」という2つの側面が重なる過渡期でもあったんです。

民衆の行動 暴動と蜂起
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まとめ

MQ:なぜ18世紀ヨーロッパでは、「世論」が社会を動かす力をもつようになったのか?

A:啓蒙思想の広がりと出版業の発達によって情報が広く共有され、人々が議論する場が生まれた結果、個人の意見が社会全体の共通認識として集約され、政治や社会を動かす「世論」として力をもつようになったため。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回は近世ヨーロッパの経済についてみていきます。近世ヨーロッパの経済は海外貿易にどんな影響を与えたんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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