この記事で使用したPowerPointスライドは「note(グシャケン|note)」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドやWordプリントのダウンロードは記事の最後に貼ってあるURLから!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!
はじめに

前回はこのような内容でした。


今回からヨーロッパ大航海時代についてみていきます。なぜヨーロッパ諸国は遠洋に進出していったんでしょうか。
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:なぜヨーロッパ諸国は海洋進出していったのか?
航海技術の発展と香辛料
航海技術の発展
13世紀以降になると、ヨーロッパでは航海技術が飛躍的に進歩していきました。
羅針盤の改良や新型の大型帆船が実用化されて、天文学や地理(地図)に関する知識も増えていったことで、長期間の航海(遠洋航海)にも耐えられるほどの発展もみせます。

羅針盤は中国からムスリム商人を伝ってヨーロッパに伝えられました。14世紀末には現在のような形になっていたそうですよ。
地図も地中海周辺の海岸に関しては現在とほとんど同じクオリティだったそうですよ。


ではなぜ、この時代に航海技術が飛躍的に伸びたんでしょうか。
13世紀以降、ヨーロッパでは中世で発展した自治都市が、商業圏を形成して交易を活発におこなっていました。

自治都市とは大商人たちを中心に、封建領主の支配から独立した都市でしたよね。
ヨーロッパには「地中海商業圏」と「北ヨーロッパ商業圏」という2つの巨大な商業圏が中心となって交易がおこなわれていました。
都市の商人たちの多くは、それぞれの商業圏の中で活動していましたが、さらなる利益を求めるようになっていきます。

だって物珍しい商品(高価な商品)を少しでも安く仕入れることができれば、その分利益が増えますからね。
なので、遠方の特産品を陸で何度も中継すると手数料で高くなるので、陸運よりも海運で直接大量に一度で運んだ方が、安く仕入れることできて利益が増えるんです。
なので、この時代に遠洋航海に耐えられるだけの技術が求められるようになっていったんです。

そうして航海技術が発展したことで、地中海商業を担っていたイタリアの都市たちは、地中海からジブラルタル海峡を抜けて、北ヨーロッパ商業圏のフランドル地方と直接交易できるほどに活動範囲を広げていきました。

香辛料
そのような交易品のうち、特にヨーロッパ商人たちに重宝されたのがアジア産の香辛料でした。
SQ:なぜ香辛料が交易品として重宝されたのか?

ではなぜ香辛料がヨーロッパの交易で重宝されたんでしょうか。
食文化の変化と、商人の目線で考えてみてください。
●食文化の変化
まずは、「食文化の変化」です。
ヨーロッパでは14世紀以降、肉食文化が浸透するようになります。

ではなぜこの時代に肉食が普及したんでしょうか?
肉食文化が普及した理由は、以下のことが考えられます。
①三圃制の普及
②貨幣経済の浸透
③保存技術

まずは「①三圃制の普及」です。
穀物と放牧を交互におこなう三圃制によって、土地の栄養を維持することできるので、効率よく穀物と家畜を育てられるようになりました。
これによって市場への肉の供給量が上がったことが原因の1つ目としてあげられます。
そして2つ目が「②貨幣経済の浸透」です。
商業が活発になって貨幣が流通するようになると、現物経済から貨幣経済へと移行していき、経済発展によって肉を買える人が増えていったことも肉食文化の浸透に貢献しました。

これが原因の一つになって封建社会は崩壊していったんですよね。

最後の3つ目は「③保存技術」です。
肉が買えても保存できなければすぐに腐ってしまいます。
当然、冷蔵庫は当時なく保存技術が未熟だったので、肉を長期間持たせるためには保存が必須でした。
なので当時は肉を塩漬けにした保存していたんですが、それだけでは匂いがきつくなってしまうので、匂い消しが必要でした。
そこで香りづけのために使用されていたのがアジア産の香辛料だったんです。

特に重宝されたのはコショウ(胡椒)などですね。
このように14世紀以降に肉食文化が浸透したことで、保存や味付けのために香辛料の需要が増えていったんです。
そして、香辛料は軽くで大量に輸送できて、運搬のわりに利益率が高かったので、商人たちからは儲けられるビジネスとして人気が出ていたんです。
このように「肉食文化の浸透」と「交易での利益率の高さ」から、香辛料は交易品として重宝されるようになっていったというわけなんです。
当時、浸透していた肉食文化に応じて、肉の保存や味付けとして需要が高まったのと、運搬のわりに利益率が高かったため。

アジアへの交易路開拓
こうして香辛料が交易品として重宝されるようになったんですが、当時香辛料はすごい高価なものだったんです。

16世紀には、コショウ(胡椒)は銀と同じ重さで取り引きされるほど高価だったそうですよ。
現在の銀価格で計算すると、胡椒400gで約4万円もします。ネットだと2500円前後で販売されているんで衝撃ですね。
ではなぜこれだけ香辛料が高価だったんでしょうか?
香辛料は主にインドや東南アジアなどのアジア産のモノが輸入されていたんですが、ヨーロッパとアジアの間には、オスマン帝国という強大なイスラーム教国が存在していたんです。
このオスマン帝国の出現によって、香辛料を手に入れるためにムスリム商人たちからオスマン帝国を経由しなければいけなくなったので、ヨーロッパでの香辛料の値段が高騰してしまったんです。

しかも、ヨーロッパでの香辛料取引はイタリア諸都市の商人に独占されていたので、他は指をくわえて見ているしかありませんでした。
なので、

香辛料交易に新規参入したい。どうせなら直接安価に入手したい。
という感じに、香辛料交易に新たに参入して、ムスリム商人を経由せずに安価に香辛料を入手できれば、とてつもない利益になることが期待できたんです。
このような、アジア産の香辛料を求めてアジアへの新たな交易ルートを開拓することが、ヨーロッパで新規ビジネスとして魅力的なものになっていきました。

加えて、当時マルコ=ポーロの『世界の記述』で紹介された「黄金の国、ジパング」のイメージによって、「アジアにはとてつもない財宝がある。」という期待感も海洋進出の意欲を刺激したそうですよ。まさにロマンですね。

大航海時代の幕開け
香辛料ビジネスへの期待感が高まっていた頃、イベリア半島では中世以来、国土回復運動(レコンキスタ)がおこなわれ、イスラーム勢力とキリスト勢力で激しい攻防を繰り広げていました。
結果、ポルトガル王国とスペイン王国が中心となって、イベリア半島のイスラーム勢力を一掃することに成功して、大西洋への出口がキリスト教勢力によって確保されることになりました。

ここでも新たなビジネスを求めて交易ルートの新規開拓がおこなわれたんですが、イスラーム勢力と激しく戦ってきたポルトガル王国やスペイン王国は、

イスラーム教徒に負けないように、キリスト教をさらに海外へ広げていくべきだ!
これに加えて、国土回復運動(レコンキスタ)が完成する前には、東のキリスト教の大国だったビザンツ帝国がオスマン帝国に滅ぼされてしまう出来事はあったので、海外へのキリスト教布教の熱意が上がっていました。
なので、ポルトガル王国とスペイン王国の海洋進出は、新規の交易ルートの開拓に加えて、キリスト教徒による宣教活動もセットでおこなわれていくことになっていきました。

特にローマ=カトリック教会よる布教活動が活発になりました。

そうしてポルトガルとスペインの大西洋進出を先頭にヨーロッパの大航海時代が幕を開けることになり、ヨーロッパ諸国が次々と海洋進出していってアジアへの航路を開拓していきました。
加えて、当時まだヨーロッパが認知していなかった南北アメリカ大陸を発見することになり、この大陸を支配していくことになります。

大航海時代はこの「アジア航路開拓」と「南北アメリカ大陸の開拓」の2本柱で進んでいくことになります。詳しい内容は次回以降にみていきましょう。
・アジア航路の開拓
・南北アメリカ大陸の開拓

まとめ
MQ:なぜヨーロッパ諸国は海洋進出していったのか?
A:需要が増していたアジア産の香辛料を直接入手できる期待感と、イスラーム勢力との対抗意識からキリスト教を海外へ布教するという宗教的使命感が重なったため。

今回はこのような内容でした。

次回は、大航海時代のアジア航路開拓編についてです。ヨーロッパの航路開拓はアジアにどんな影響を与えたんでしょうか。
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
PowerPointスライドは他の記事も合わせて「note」にてダウンロードし放題!ダウンロードは下のURLから!

Xのフォローお願いします!
ブログやnoteの更新などを投稿しています。
noteの更新投稿をリポストすると、powerpointスライドやWordプリント、イラストを割引や無料でダウンロードすることができます!
ぜひX(旧Twitter)でフォローしてみてください!フォローはここから→https://twitter.com/s_w_history
コメント