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[10-3.6]清の文化

10-3.清

この記事で使用したPowerPointスライドは「note(グシャケン|note)」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドやWordプリントのダウンロードは記事の最後に貼ってあるURLから!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は清の文化についてです。清の文化にはどんな特徴があったんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:清の文化の特徴とは?

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学問

考証学

清の時代になると、明の文化のような豪華で華やかな芸術文化から、全体的に落ち着いて洗練された文化になっていきます。

清の時代でも中国の伝統を重んじて朱子学(儒学)が基準になりましたが、なかでも考証学と呼ばれる学問が発達しました。

考証学とは、宋から明にかけて流行した哲学的な考え方で、「宇宙の根元」のような抽象的なものを追求するのではなく、文献や言語を細かく分析して、古典の当時の意味をちゃんと確かめて(実証的)、明らかにしようとした学問でした。

漢の時代から研究されていた古典に注釈をつける訓詁学とは違い、考証学では注釈だけでなく、文字の形態や意味、音韻(おんいん)まで幅広い分野を扱って、研究・考察がおこなわれていました。

音韻学・・・どのように発音されていたかを研究する学問

考証学

この考証学は明末から清の初めに生きた顧炎武(こえんぶ)という儒学者が始めた学問だといわれています。

顧炎武

顧炎武は明の官僚の家に生まれて、清になった際に仕えることを拒否した学者でした。

彼は放浪しながら、王朝が明から清に代わる混乱の中で、

顧炎武
顧炎武

社会の秩序を回復させるためには、理想の空論ではなく、実証に基づいた世の中に役立つ研究が必要なのだ!

という考えを持つようになり、実証的な研究をおこなう学問を説いて考証学の基礎を作っていったんです。

こうして、「学問は世の中の役に立つべきだ。」という顧炎武の考え清中期の儒学者たちに受け継がれていき、考証学が発展していくことになりました。

グシャケン
グシャケン

ヨーロッパから来たキリスト教宣教師が持ち込んだ、西洋学問(天文学、数学)にも影響を受けて、より実証的になっていったそうですよ。

考証学 顧炎武
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文学

紅楼夢

文学では紅楼夢』(こうろうむ)という長編小説で、乾隆帝の頃の社会を舞台に上流階級などの世の中の様子や人の感情を細かく描き、とても人気があった作品でした。

グシャケン
グシャケン

上流階級の主人公の青年が、その豪邸に同居する美少女たちとの恋愛の様子や、感情の移り変わりが細かく描写されていて、その非現実感から人気が出たそうです。

「紅迷(ホンミー)」と呼ばれる熱狂的なファンがいたほどで、現代の日本でいう村上春樹さんの小説に対する「ハルキスト」みたいな感じでしょうか。

需林外史

そしてこの『紅楼夢』と並んで代表作と呼ばれるのが、需林外史(じゅりんがいし)という長編小説です。

この作品は、明の時代の士大夫を題材にしていて、当時の官僚が出世欲と金銭欲で腐敗している様子を皮肉りながら書かれていて、その細かい描写は読者たちを当時の世界観に引き込んで人気が出ました。

『紅楼夢』 『儒林外史』
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科学

イエズス会宣教師

科学では、明の時代から続いてヨーロッパから交易と共にやってきたキリスト教のイエズス会宣教師が発展に貢献しました。

アダム=シャール

ドイツ出身のアダム=シャール(湯若望)は、明末期から清にかけて中国を訪問して、暦法の改定や大砲の製造などに携わりました。

明の末期に『農政全書』を書いた徐光啓と一緒に、ヨーロッパの暦法を取り入れた『崇禎暦書』を作りましたが、完成目前に明が滅亡してしまい、その後、清に実力を認められて彼の暦法が採用されました。

グシャケン
グシャケン

暦がすごく正確だったので、天文台長官に就任するなど清からVIP待遇を受けていました。

弟子だった徐光啓についても[9-1.6]明後期の文化でご確認ください。

フェルヴィースト

ベルギー出身のフェルヴィースト(南懐仁)は、康熙帝の時に伝えた大砲の技術が、三藩の乱の鎮圧に貢献したことから皇帝に気に入れられて重宝され、その後天文学でも知識を発揮した人物でした。

グシャケン
グシャケン

康熙帝がこの時に西洋の技術の高さに関心を持ったことで、清はキリスト教に寛容的になったといわれているんです。

ちなみに先ほどのアダム=シャールが就いていた天文台長官を引き継いでもいます。

アダム=シャール フェルヴィースト
ブーヴェ

フランス出身のブーヴェ(白進)も、康熙帝の時代に中国を訪れて、数学や天文学の知識を伝えました。

特に幾何学や測量技術に優れていて、康熙帝の命で中国の実測地図である『皇輿全覧図(こうよぜんらんず)』の作成にも関わりました。

グシャケン
グシャケン

康熙帝はヴーヴェの精密な測量技術に感銘を受けて、彼を重用しました。

ちなみに『皇輿全覧図』は中国全土の地図で、明末のマテオ=リッチが作った『坤輿万国全図』は世界地図なので、間違えないように注意しておきましょう。

カスティリオーネ

イタリア出身のカスティリオーネ(郎世寧)は、清の雍正帝・乾隆帝の時代に画家や建築家として活躍しました。

雍正帝から乾隆帝の時代にかけて離宮として西洋風の庭園を持つ円明園を設計したことで知られています。

グシャケン
グシャケン

円明園はフランスのヴェルサイユ宮殿をモデルに建造されて、中国で初めて噴水がる庭園でした。

でも第2次アヘン戦争の時にイギリス・フランス軍の略奪と破壊によって、現在では廃墟として残っています。

ブーヴェ 『皇輿全覧図』 カスティリオーネ 円明園
カスティリオーネ作の乾隆帝
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典礼問題とシノワズリ

典礼問題とキリスト教布教の禁止

こうしてイエズス会は科学技術を伝えることで、清の皇帝の心を射抜き、中国でのキリスト教宣教を可能にしていました。

加えて、イエズス会宣教師は中国の伝統を尊重して、中国人信者に先祖崇拝や儒教儀礼(典礼)をすること認めるなど、寛容的な布教活動をしたことで、中国でのキリスト教布教を成功させていました。

しかし、このイエズス会のやり方に対して、後からやってきた他の宗派の宣教師たちから、

他派の宣教師
他派の宣教師

そのやり方は神への冒涜(ぼうとく)だ!間違っている!

とイエズス会を批判してローマ教皇に訴えたことから、典礼問題としてローマ=カトリック教会内や清との間で問題になってしまいます。

典礼問題

そして議論の結果、教皇は中国の先祖崇拝や儀礼(典礼)を認めるイエズス会の布教方法を禁止してしまいます。

これに対して当時、清の皇帝だった康熙帝が、

康熙帝
康熙帝

典礼を認めるイエズス会でなければ中国での布教を認めない!

という理由で、清は典礼を認めない宣教師の入国を禁止にしました。

その後もキリスト教の布教は認められていましたが、雍正帝は次第にイエズス会の宣教師の活動に疑惑を感じるようになっていき、

雍正帝
雍正帝

キリスト教の考えは中国の伝統や秩序を脅かすのではないか?

ということで、雍正帝が皇帝に就くと、全面的にキリスト教の布教が禁止されることになってしまいました。

グシャケン
グシャケン

イエズス会のフィリピンや日本での奴隷貿易や強制労働を知っていたので、それらを危険視したようです。

ちなみに清では日本で起きたような弾圧は起きず、布教禁止後も宣教師を宮廷で雇って技術者として重宝していました。

典礼問題 清のキリスト教の布教を禁止

シノワズリ

このように、キリスト教宣教師は中国にヨーロッパの科学技術を伝えて中国の文化発展に貢献しましたが、逆に中国の文化や情報をヨーロッパに伝える役割も果たしていました。

儒教や科挙などの中国文化や制度がヨーロッパに渡って、中国の政治制度についてヨーロッパと比較して、優れた点や劣っている点を議論する研究がおこなわれました。

また、陶磁器などの中国の工芸品をコレクションすることがヨーロッパ貴族の中でステータスとなっていき、芸術において「シノワズリ(中国趣味)」が流行するようにもなりました。

シノワズリ(中国趣味)
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まとめ

MQ:清の文化の特徴とは?

A:明代の華美な様式から転じて、実証性と洗練を重視する方向へと展開した。朱子学を基盤に考証学が発展し、実証性が重視された。西洋科学の導入により自然科学が進展し、文学では『紅楼夢』『儒林外史』に代表される精緻な描写が特徴的的な長編小説が書かれた。中国文化はヨーロッパにも影響を与え、シノワズリ(中国趣味)として受容された。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回からは、近世時代のヨーロッパに入っていきルネサンスについてみていきます。なぜヨーロッパでルネサンスが起こったんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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