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[5-1.6]イスラーム文化②(学問、文学、建築、美術)

5-1.イスラーム教の誕生と拡大

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回はイスラーム文化の文学、美術、建築についてです。

前回と合わせてイスラーム文化にはどう成立してどんな特徴があるのでしょうか?

MQ:イスラーム文化はどう成立して、どんな特徴があるのか?

今回の時代はここ!

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学問

アッバース朝時代のもとで、インド、イラン、ギリシアなどの文化がイスラーム信仰と融合していろいろな学問が発展しました。

アラビア数字

現代のみなさんのなじみ深いものといえばアラビア数字ですね。

アラビア数字とは一般的に「0・1・2・3・・・」と表記する数字のことです。

みなさんが普段学校や生活で使っている数字はアラビア数字だったんですね。

これはインドから持ち込まれたインド数学の中の「ゼロの概念」と「十進法」が組み合わさってできたものなんです。

他にもインドからは医学や天文学も持ち込まれました。

まさに文化融合のたまものですね。

アラビア数字

「知恵の館」

イスラーム世界で、さまざまな他文化の学問(外来の学問)が急速に発展したのは、9世紀初めに首都バグダードに建設された「知恵の館(バイト=アルヒクマ)」での研究でした。

「知恵の館」とは、ムセイオンにあったギリシア語の文献をアラビア語に翻訳する大規模なプロジェクトを行った研究所であり、イスラーム世界における「外来の学問」の研究の中心地でした。

主に「知恵の館」ではギリシア文化の医学、天文学、幾何学、倫理学、哲学などの文献が翻訳されました。

これらのアラビア語文献がイスラーム政権の拡大とともに、ヨーロッパなどの世界に広がっていき、各地の学問研究に影響を与えたわけなんです。

グシャケン
グシャケン

ちなみに翻訳の主任になった人物は多国語に堪能なネストリウス派キリスト教徒だったんですよ。

ネストリウス派はローマ帝国で異端として追放されて、イスラーム世界で「啓典の民」として受け入れられたんですね。

それにしても異教徒を主任に任命するとは、イスラームの学問の世界は実力主義だったようです。

「知恵の館」

特にアリストテレスの哲学が熱心に翻訳、研究されたらしく、それが後のイスラーム神学に大きな影響を与えています。

イスラーム神学は、神秘的な信仰と現実的な理性のバランスがとれているのが特徴で、これはアリストテレスなどのギリシア哲学の方法論などが使われているからだそうです。

この「知恵の館」から輩出された代表的な人物には、

「知恵の館」代表的人物

フワーリズミー(数学)

イブン=シーナー(医学)

フワーリズミーはアッバース朝の都バグダードで活躍したイラン人数学者です。

彼はインド数学の「ゼロの概念」を初めて使い、代数学や三角法を開発した人物として知られています。

代数学・・・数字の代わりに文字などを使って方程式を解く方法。「χ、α」など。

三角法・・・三角比を使って図形に関する計算をする方法。「sin・cos・tan」を使った公式。

グシャケン
グシャケン

ちなみにフワーリズミーの著書はヨーロッパに渡ってからしばらく教科書として使用されていたそうですよ。

なんでも錬金術などにも使われたとか。

イブン=シーナーはイスラーム文化を代表するイラン人医学者です。

彼はもともとあったアラビア医学にギリシアやインドの医学を融合させた人物です。

彼が書いた『医学典範』は臨床(りんしょう)などの理論がまとめられていて、ヨーロッパに伝わってラテン語に翻訳された後、何世紀にもわたって教科書として使われたほど良くできていたそうです。

臨床・・・医療現場で実際に患者に接して診察・治療をする現場または学問のこと

フワーリズミー、イブン=シーナー 「知恵の館」
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文学

イスラーム教の『コーラン』はアラビア語で書かれたものだけが本物なので、広大なアッバース朝を背景にして、アラビア語文学も発展しました。

代表的な作品としては『千夜一夜物語』(『アラビアン=ナイト』)があります。

これはアッバース朝の全盛期だったハールーン=アッラシード時代を舞台にした説話集になっています。

ィズニーが映画化して有名になった『アラジンと魔法のランプ』などの冒険ものだったり、恋愛系の説話も多く載っています。

この『千夜一夜物語』は、アッバース朝の支配下だったインドやイラン、アラビア、ギリシアにあった説話を集約したものになっているんです。

グシャケン
グシャケン

なのでアラビアオリジナルというよりは、オムニバス作品といった感じですね。

『千夜一夜物語』(『アラビアン=ナイト』)
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美術、建築

美術や建築の分野では、ビザンツ帝国などの技術を引き継ぐ職人・技術者がウマイヤ朝やアッバース朝のもとで活躍しました。

建築では各地にその地域ごとの特色をもったモスクが建設されました。

モスクには尖塔であるミナレットを持つものが多く、イスラーム都市の特徴的な街風景をつくり出しています。

イスタンブールのモスク 資料:https://beautiful-photo.net/sultan-ahmed-mosque-blue-mosque-in-istanbul-in-the-sunny-summer-day-turkey

イスラーム教では偶像が禁止されていたので、モスクには植物や文字を組み合わせたアラベスクという装飾美術が発展しました。

グシャケン
グシャケン

人物や動物の装飾も避けられていたので、独特な幾何学的文様ができたといわれています。

こうした文様は「アラビア風」という意味でアラベスクと呼ばれているそうです。

アラベスク
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イスラーム文化

SQ:なぜイスラーム文化は多様的なのか?

アッバース朝の時代にもなると、イスラーム政権(ウマイヤ朝、アッバース朝など)は広大な領土を支配していました。

なので、それらの支配した地域の文化とアラブ人の文化が融合していき、いろいろな学問に発展していきました。

これはもともと先にあったインドやイラン、ギリシアなどの先進的な文化を吸収して、自分たち(アラブ人)のイスラーム信仰とアラビア語とが混ざり合ってイスラーム文化ができたんです。

要はイスラーム文化とは融合文化なんです。

グシャケン
グシャケン

イスラーム教が他の文化よりも後に成立したことで、他の文化を吸収しやすかったんですね。

SQ:なぜイスラーム文化は多様的なのか?

先進的な文明があった地域を支配下に置いたことで、各地域の文化とイスラーム信仰が個々で融合したため。

イスラーム文化

アッバース朝以降も、イスラーム教が各地に伝わっていくごとに、地域ごとの文化と融合してさまざまな特徴を持ったイスラーム文化が誕生しました。

・イラン=イスラーム文化

・トルコ=イスラーム文化

・インド=イスラーム文化 など

グシャケン
グシャケン

特にイベリア半島にアラビア語で持ち込まれたギリシア哲学や科学などは、その後ヨーロッパに受け継がれたことで、後のルネサンスに繋がっていくことになります。

世界史的にもイスラーム文化の拡大は各地に大きな影響を与えているんですね。

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まとめ

MQ:イスラーム文化はどう成立して、どんな特徴があるのか?

A:各先進的文化の地域を支配下に置いたことで、各地の文化とイスラーム信仰及びアラビア語が融合してイスラーム文化が成立した。各地域の文化と個々に融合したことで、各地域ごとに特色あるイスラーム文化が成立したのも特徴である。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回はイスラーム政権が分裂して、複数のイスラーム政権が割拠することになります。どのような経緯で分裂してしまったのか?

それでは次回もお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓

主な参考文献

『世界史の窓』世界史の窓 (y-history.net)

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社

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