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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回はインド古典文化が黄金期を向かえます。グプタ朝のもとで宗教や文化はどのように発展していったのか?
それらを一緒にみていきましょう!
MQ:インド古典文化の黄金期に宗教や文化はどのように発展したのか?
今回の時代はここ!

サンスクリット文学
約500年もの分裂期が続いたのち、4世紀にグプタ朝が北インドを統一しました。
そのグプタ朝のもとで、今まで権威が落ち込んでいたバラモンが見直されて復権します。
そのバラモンが使っていたサンスクリットが公用語になり、サンスクリット文学が花開きます。
マヌ法典
前2世紀〜後2世紀ごろにかけて成立したマヌ法典は、4つのヴァルナがそれぞれ守るべき規範が規定されていて、特にバラモンの特権的地位が強調されています。
この法典は単に法律だけではなく、ヒンドゥー教や道徳の規範も記されていて、婚姻や財産相続の詳細もヴァルナ制(カースト制)に基づいて規定されています。

二大叙事詩
叙事詩・・・神話・伝説・英雄の功業などの長文物語
『マハーバーラタ』
この『マハーバーラタ』の「マハー」は”偉大な”という意味で、「バーラタ」は作中に出てくる”バーラタ国”を指しています。
簡単にいうと
マハーバーラタ = 偉大なバーラタ国(の物語)
という意味になりますね。
後期ヴェーダ時代にバーラタ族とクル族の二大部族の戦争を中心に進んでいきます。
そこで、バーラタ族の王子がバラモンのクリシュナという人物との対話を通して、自分の内面や戦争への葛藤に向き合っていく姿が描かれています。
作中にはシヴァ神やヴィシュヌ神などのヒンドゥー教の神々が登場します。
そしてクリシュナという重要人物も実はヴィシュヌ神の化身であり、主人公の王子に哲学を授けて活躍しています。
つまりこの物語を通じて、ヒンドゥー教の道徳や哲学が読者に伝わるような内容になっているんです。


ちなみに作中に登場する「バーラタ国」はインドの正式な国名として使用されているんです。
それだけ、インド人(特にヒンドゥー教徒)には影響力のある叙事詩なんですね。
『ラーマーヤナ』
二大叙事詩の2つ目は『ラーマーヤナ』です。
こちらもインドのヒンドゥー教や文学に大きな影響を与えた作品となっています。
北インドのコーサラ国が舞台で、王子であるラーマは王位継承の地位を追われて、妃であるシーターと弟ラクシュマナとともに都を去っていきます。
そこに魔王ラーヴィナが現れ、シーターをさらってランカー(セイロン島)の居城に連れ去ってしまいます。
ラーマはシーター捜索の途中、猿の王の助けをかりてシーターの居場所をつかみます。
そして最後は猿の勇将ハヌマットなどの活躍によって魔軍を破り、シーターを救出して都に凱旋していくという内容になっています。
この物語はラーマ王子の運命を描いた勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の英雄物語になっていて、インド人の心をつかみ人気となりました。
勧善懲悪・・・善(正義)をすすめ,悪をこらしめること。
ヒーロー(英雄)ものに人気が出るのはいつの時代も一緒ですね。(笑)
しかもこのラーマ王子もヴィシュヌ神の化身とされていたので、物語を通してヒンドゥー教の倫理観を伝える内容になっています。

『シャクンタラー』
『シャクンタラー』はグプタ朝の宮廷詩人であったカーリダーサによって書かれた戯曲(ぎきょく)で、サンスクリット文学の傑作ともいわれています。
戯曲・・・演劇における脚本や台本のこと。またその形式で書かれた文学作品。
狩りに出かけた一国の王が、森の中で仙人の養女であったシャクンタラーと出会い一目ぼれします。
王は努力の末、シャクンタラーと夫婦になることを約束し指輪を渡しますが、シャクンタラーはその指輪を失くしてしまい、その王にもとに会いにいきます。
しかし、王はシャクンタラーのことを認識せず、追い返してしまい、シャクンタラーは悲しみに暮れてしまいます。
その後、いろいろとあってハッピーエンドを迎えて物語は終わります。
この物語を通じて、シャクンタラーが純粋で素直にも関わらず誇りを捨てない女性として描かれています。
『シャクンタラー』はその後、ヨーロッパなどで複数語に翻訳されて多くの作品に影響を与えました。


このようにサンスクリット語を通じてインド文学が黄金期を向かえ、同時にヒンドゥー教の世界観が作品を通して伝えられていくことになります。
数学の発展
ゼロの概念
グプタ朝時代に、数学の分野で発見された記数法がゼロの概念です。
今では誰もが学校で習い、当たり前のように使っている「ゼロ、0」。
グプタ朝以前には、数学で存在しないものに対する表記が無かったんです。
まあ、もともと数字はモノ(目に見えて存在している)を数えるためにできましたからね。ないものを数える必要が無かったんです。
しかし、7世紀頃にインドの数学者の書物には「いかなる数に零を乗じても結果は常に零であること。」や「いかなる数に零を加減してもその数の値に変化がおこらないこと。」など零(ゼロ)の性質が記載がすでにされていました。(引用:世界史の窓、ゼロの概念 (y-history.net))
ちなみに6世紀には十進法によるゼロを使った位上げの記数法がすでに確立されていたそうです。
位上げ記数法・・・いくつかの 数字 を並べて数を表す方法。123、3.14 etc.
これらの数学的概念はイスラーム世界に伝わり、現在使用されているアラビア数字とともにヨーロッパに伝わっていきました。

美術
SQ:グプタ様式とガンダーラの特徴の違いとは?
インドを含む南アジアには、もともとヘレニズム文化の影響をうけたガンダーラ美術が生まれていました。
しかし、その影響から脱して新たに成立したのがグプタ様式です。
ではそれらの違いはいったい何だったのでしょうか?以下の2つの様式をみて考えてみましょう。

ガンダーラ美術はヘレニズムの影響でギリシア彫刻のような顔だちがハッキリとした力強さがあるのが特徴でしたね。

ではグプタ様式の方はどのような印象を持たれましたか?

なんだかガンダーラと比べて素朴な顔立ちでおしとやかな印象があります。

そうですね。グプタ様式では純インド風な顔立ちで、繊細さが強調されているんです。
ハッキリとした顔だちであるギリシア風から、繊細でおしとやかな表情である純インド風な表現へと変わった。

中国の北魏でもガンダーラから純中国風へと変化していきましたね。
はじめは外の文化からの影響を真似て、次第に自国に合ったスタイルに変化していくさまがわかりますね。
このグプタ様式はデカン高原にあるアジャンター石窟寺院でみることができます。
石窟寺院・・・岩壁の岩を削って、仏像を安置したり、壁に仏像を刻み出したお寺のこと
この石窟寺院は前1世紀~後7世紀にかけて造営された30もの石窟からなる寺院で、インド最古の仏教壁画が描かれており、1983年に世界遺産に登録されています。

まとめ
MQ:インド古典文化の黄金期に宗教や文化はどのように発展したのか?
A:サンスクリット文学を通じてヒンドゥー教の世界観が認識され、ゼロの概念などの記数法などと共に多文化へも広がりを見せた。加えて仏教美術もそれまでのガンダーラから脱して、純インド風のグプタ様式へと変化していった。

今回はこのような内容でした。

今回はインド古典文化が黄金期を向かえて、都市の経済活動も活発になり、グプタ朝は繁栄していくこととなります。
しかし、次回はグプタ朝が滅びて新たな王朝で仏教やヒンドゥー教に新たな進展がみられます。
それではお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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コメント
いつもありがとうございます。
3学期には授業がこちらのブログを追い越しそうであたふたしております。
早速質問です。
アジャンター石窟寺院は
アジャンダーと濁るのでしょうか。
アジャンダーと表記のある文献等ありましたらご教示いただきたくご連絡しました。
お忙しい中大変恐縮ですが、よろしくお願い申し上げます。
ご利用いただきありがとうございます。
英語で「ajanta」なので、アジャンターになります。
なのでこちらの表記ミスですので、訂正しておきます。
ご指摘いただきありがとうございます。
今後ともご意見ください。
早速ご確認いただきありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。