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[13-3.1]アメリカ合衆国の拡大

13-3.アメリカ合衆国の発展

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は「アメリカ合衆国の領土拡大」についてです。アメリカ合衆国は、19世紀にどのような背景で領土を拡大し、国家の特徴を形成していったんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:アメリカ合衆国は、19世紀にどのような背景で領土を拡大し、国家としての特徴を形成していったのか?

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領土拡大

独立直後のアメリカ

19世紀のアメリカは、独立直後は北米大陸の東側だけだったのが、わずか100年で領土を3倍以上に、人口も14倍以上に増やしました。

この世界史の中でも例を見ないスピードの成長には、外交・戦争・政治対立・先住民政策・経済変化など、複数の要因が複雑に絡み合っていました。

グシャケン
グシャケン

ではアメリカの領土拡大はどんな手段で進んでいったんでしょうか?

独立直後のアメリカ合衆国

SQ:アメリカの領土拡大はどのような手段によって進められたのか?

ルイジアナ購入

独立したばかりのアメリカ合衆国は、現在の姿からは想像できないほど小さく、ミシシッピ川より東側の地域しか持っていませんでした。

ところが、19世紀に入ると状況が一変します。

1803年、ジェファソン大統領はフランスのナポレオンと交渉し、ミシシッピ川以西からロッキー山脈までのルイジアナを購入します。

グシャケン
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当時、1500万ドルで購入され、現在の価値に直すと約44億5千万ドル(約6~7000億円)に相当するそうです。※1ドル=150円換算

ちなみに、現在のルイジアナ州だけでなく、アーカンソー、ミズーリ、カンザス、ネブラスカ、モンタナなど、実に13州分に相当する地域が含まれていたんですよ。

この買収は突然降ってきたラッキーではなかったんです。

その背景には、ナポレオンの事情がありました。

当時のフランスは植民地だったハイチでの大規模な革命、そしてイギリスとの対立による戦費の増大で、北米の植民地を維持する余裕がなくなっていたんです。

グシャケン
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なので、アメリカは当初ニューオリンズだけの買収を望んでいましたが、ナポレオンは「いっそ全部買わないか」と広大な領土の売却を提案したそうですよ。

西部へ進出したいアメリカにとっても、交易の中心地として重要だったので、「win-win」の関係になり、ルイジアナの売買が成立したというわけなんです。

このルイジアナ買収は、アメリカが「大西洋沿岸の国」から「大陸国家」へと変わる転換点になりました。

ルイジアナの購入 ジェファソン大統領
ルイジアナの購入
グシャケン
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アメリカが購入後、入植者が増えるにつれて、先住民の土地は奪われていくことになり、抵抗した人々は虐殺や強制移住の対象となっていきました。ルイジアナ買収はアメリカの成長を支えた一方で、先住民社会に深刻な影響を与えた出来事でもありました。

フロリダ買収

その後、アメリカはスペインからもフロリダを500万ドルで購入しました。

背景には南部の綿花プランテーションの拡大がありました。

白人地主たちが肥沃な土地を求めるようになり、フロリダ併合の要求が強まっていったんです。

さらに、ラテンアメリカ各地で独立運動が広がって独立を果たしたことで、植民地経営が衰退してしまったスペイン北米の領土を守る余力がなくなっていました。

こうした理由によって、アメリカはフロリダを獲得することになり、アメリカは大西洋沿岸だけでなく、カリブ海にも勢力を伸ばていきました。

フロリダの購入
フロリダの購入
SQ:アメリカの領土拡大はどのような手段によって進められたのか?

大国との交渉による買収(ルイジアナ・フロリダ)と、入植拡大に伴う先住民の土地の奪取によって領土を広げた。

アメリカの領土拡大はどのような手段によって進められたのか?
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アメリカ=イギリス戦争(米英戦争)

開戦と背景

19世紀初め、アメリカ合衆国はイギリスとの間に、アメリカ=イギリス戦争米英戦争が起きました。

ヨーロッパ大陸でナポレオン戦争が起こっていた最中、イギリス海軍がアメリカ船を拿捕する事件が立て続けに起こります。

さらにイギリスはフランスと戦争をしていたので、中立の立場だったアメリカの対仏貿易を妨害します。

こうしたことから、国内ではイギリスへの反発が強くなり、「タカ派(ウォー・ホークス)」と呼ばれる主戦派が台頭するようになります。

こうして、合衆国成立から続けてきた「中立政策」が行き詰まるようになり、ついに議会はイギリスへ宣戦布告することになりました。

アメリカ=イギリス戦争(米英戦争)

アメリカの苦戦と講和

アメリカ=イギリス戦争はアメリカ国内が主戦場となり、情勢はアメリカにとって厳しいものになりました。

局地ではアメリカ軍が勝利しましたが、カナダ方面からのイギリス軍の反撃が強力で、首都ワシントンが占領されてしまい、大統領官邸(のちのホワイトハウス)が焼き払われるほどの敗北を味わいます。

グシャケン
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この後に、ススだらけになった大統領官邸を白く塗りつぶして、「ホワイトハウス」と呼ばれるようになったんですよ。

しかし、ヨーロッパでナポレオンが敗北すると、イギリスはアメリカとの戦争を続ける理由がなくなってしまい、講和条約が結ばれます。

内容は「戦前の状態に戻す」というだけで、領土の変化も賠償もありませんでした。

グシャケン
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講和の知らせが届く前、ジャクソン将軍率いるアメリカ軍がイギリス軍に大勝して、この勝利が国民の記憶に強く残り、「アメリカは勝った」というイメージが広まりました。これによって愛国心が強くなり、この戦争で掲げられた星条旗に感動して作られた歌詞が、のちにアメリカ国歌になったんですよ。

グシャケン
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ちなみに、戦時中、アメリカはイギリスがインディアンを支援しているとして、南部の先住民に大規模な攻撃をおこないました。これによって広大な南部の土地を獲得して、プランテーションを強化していきました。先住民に対する征服戦争でもあったんです。

アメリカ=イギリス戦争(米英戦争)
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戦争の影響

SQ:アメリカ=イギリス戦争は、国内政治や経済にどのような影響を与えたのか?

アメリカ人としての自覚

このアメリカ=イギリス戦争は反対が多かったにも関わらず、結果として「アメリカ人としての自覚」が大きく高まる結果になりました。

この愛国心の高揚は、後のモンロー宣言にもつながることになり、アメリカがヨーロッパと距離を置いて、独自の道を歩む姿勢を確立していくことになりました。

北部で進む産業革命と「市場革命」

戦争のもう一つの重要な影響は、アメリカ経済の自立です。

イギリス製品の輸入が止まってしまったことで、北部では独自の工業化が進んでいき、木綿工業を中心に産業革命が始まります。

さらにイギリスの海上封鎖によって、国内の物流をスムーズにするために交通が整備されて、北部の工業製品や南部の綿花、西部の食糧が結びつく「全国市場」が形成されていきました。

この動きは後に「市場革命」と呼ばれるようになり、アメリカ社会を大きく変えていくことになりました。

この戦争は、アメリカがイギリス経済への依存から脱して、自立した産業国家へと歩み始める転換点になったんです。

グシャケン
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しかし、北部では産業保護のために輸入関税が設定されて、自由貿易を推奨していた南部と対立していくことになり、これが後に起こる南北戦争の引き金になります。

SQ:アメリカ=イギリス戦争は、国内政治や経済にどのような影響を与えたのか?

イギリスへの反発から愛国心が高まり政治的統合が進んだ一方、イギリス製品の途絶を契機に北部の工業化と全国市場の形成が進み、経済的自立が加速した

アメリカ=イギリス戦争は、国内政治や経済にどのような影響を与えたのか?
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党派対立とモンロー宣言

連邦派 VS 反連邦派 

アメリカ合衆国では建国当初からすでに党派対立がありましたよね。

連邦派ハミルトン・・・中央政府の強化、銀行設立、北部の商工業を重視

反連邦派ジェファソン・・・地方分権、自営農民を重視、南部に支持基盤

この党派対立は、フランス革命を支持するか、イギリスとの対立を避けるかでも意見が対立しました。

最終的に初代大統領のワシントンは中立を選びますが、米英戦争をめぐる議論で党派対立はさらに深まっていくことになります。

モンロー宣言

そして、英米戦争後モンロー大統領によっておこなわれたのが、モンロー宣言でした。

これは、ラテンアメリカ諸国の独立後に、欧米諸国の干渉を避けるために、おこなった「相互不干渉」の原則でしたよね。

これが後に「孤立主義外交」の出発となりましたが、同時にこれは、アメリカが西半球を自分たちの勢力圏とみなす姿勢を示すものでもありました。

党派対立とモンロー宣言
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ジャクソン時代

民主化(ジャクソニアン=デモクラシー)

19世紀前半、アメリカでは白人男性に限られてはいましたが、普通選挙がおこなわれ、政治参加が一気に広がっていきました。

グシャケン
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東部のエリートではなく、西部の農民や労働者が政治の主役になり始めた時代だったんです。

その流れの中で登場したのが代大統領のジャクソンという人物でした。

ジャクソン

彼は孤児として育ち、苦学して弁護士となり、米英戦争では司令官として名を上げた、まさに「開拓者精神」を体現する存在として大統領に選ばれた人物でした。

グシャケン
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就任演説では「この日は人民にとって誇るべき日である」と言って、ホワイトハウスを民衆に開放したそうですよ。

こうした民衆の政治参加の広がりはジャクソニアン=デモクラシーと呼ばれて、後に主党の成立にもつながっていくことになります。

グシャケン
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ちなみに、ジャクソン当選前後の選挙では、それまでの約5倍もの投票数だったそうですよ。

ジャクソニアン=デモクラシー ジャクソン大統領 民主党

先住民強制移住と「涙の旅路」

しかし、さっきも言った通り、ジャクソンの民主主義は「白人男性」に限られたものでした。

黒人奴隷制には触れず、何より先住民に対しては冷酷な対応を採りました。

それが、先住民強制移住法です。

ジャクソン政権は、ミシシッピ川以東の肥沃な土地を白人農民に開放するために、西部に獲得した領土に保留地を設けて、先住民をそこに強制移住させる政策をおこないました。

政府は「費用は政府が負担する人道的政策」と説明しましたが、実体はまったく異なるものでした。

・条約で保証された土地は守られず

・白人入植者は先住民を脅迫して、土地を奪取

・抵抗すれば軍隊が出動し、武力で鎮圧

先住民強制移住法 保留地

この政策に対して、先住民の一部は最後まで強制移住を拒びます。

グシャケン
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先祖代々守ってきた土地ですからね。そりゃ嫌ですよ。

しかし、ジャクソン大統領の再選によって状況は悪化していき、内部の分裂もあって移住が決定してしまいます。

そして、約1万3000人におよぶ先住民の西部へ向けて移動が始まることになりました。

馬車50台、毛布1枚、わずかな食料費。 冬の寒さ、飢え、病気、

病人が出ても止まることは許されず、道端に置き去りにされることもありました。

この移動では約4000人が命を落とすことになり、「涙の旅路」と呼ばれるようになりました。

ジャクソン時代の民主主義は、確かに民衆の政治参加を広げましたが、その一方で、非白人の権利は軽視されてしまい、先住民の土地は奪われて、黒人奴隷制は温存される結果となりました。

グシャケン
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ちなみに、2020年、連邦最高裁はオクラホマ州東部を「先住民居留地」と認定しました。 涙の旅路から190年後の判決は、先住民の自治と権利をめぐる問題が今も続いていることを示しています。

「涙の旅路」
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明白なる運命と西漸運動

明白なる運命

19世紀半ばのアメリカでは、「自分たちの国家は西へと広がるよう、神から使命を与えられている」という考え方が広く受け入れられるようになり、明白なる運命と呼ばれました。

これはアメリカの領土拡大を正当化するための強力なスローガンになり、政治家や新聞、一般の人々の間で急速に広まっていきました。

グシャケン
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この言葉を広めたジャーナリストは、以下のように言いました 。

「自由と自治政府からなる連邦という偉大な実験を進展させるために、神が与え給うたこの大陸全体を覆いつくし、所有するのは、われわれの明白な運命である。」

この言葉は、西へ進むことは単なる領土拡大ではなく、神に選ばれた国が果たすべき使命なのだ、ということを示しているんです。

西漸運動

アメリカ独立後、東海岸に住む人々や新たにヨーロッパから渡ってきた移民は、次々と新天地である西部へ移住していきました。

この動きを西漸運動(せいぜんうんどう)といいます。

グシャケン
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西部への移住は、自分だけの土地や仕事、自由といった新しい生活のチャンスを求める人々の願いが、明白なる運命という国家的使命感と結びついて起こりました。

こうして広大な大陸のフロンティア(辺境)」は、移住者の到来によって少しずつ西へ広がっていきました。

19世紀前半には、外交交渉や戦争によって領土が増え、アメリカは西へ進むための足場を次々と手に入れます。

こうした領土拡大と移住の流れが、「明白なる運命」という思想と結びついて、「西へ進むことこそアメリカの宿命だ」という雰囲気がアメリカ全体に広がっていくことになりました。

グシャケン
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しかしその裏では、先住民が土地を奪われ、生活の場を追われていくという深刻な現実がありました。西漸運動は、アメリカの成長の物語であると同時に、先住民社会の破壊の歴史でもあったんです。

「明白なる運命」 西漸運動 フロンティア
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テキサス併合とアメリカ=メキシコ戦争

メキシコ北部のテキサスには、19世紀前半から多くのアメリカ人が入植していました。

そして、奴隷制をめぐってメキシコ政府と対立するようになると、テキサスが一方的に独立を宣言して「テキサス共和国」を成立させます。

テキサス共和国は、財政難とメキシコからの脅威から身を守るために、自らアメリカへの併合を望むようになります。

アメリカ合衆国も西漸運動の最中だったので、これを受け入れてテキサスの併合を宣言します。

これに対して、メキシコは強く抗議します。

アメリカ政府は逆にメキシコ側を挑発して、メキシコ軍が領土侵犯しことを口実に出兵します。

こうして始まったのが、アメリカ=メキシコ戦争でした。

テキサス共和国 アメリカ=メキシコ戦争

メキシコは国内の政治対立や反乱、さらにフランスからの干渉などで混乱していて、アメリカ軍に対して十分な力を発揮できませんでした。

なので、アメリカ軍は次々とメキシコの領土を制圧していき、ついには首都のメキシコ=シティをも占領してしまいます。

そして、最終的に両国は条約を結ぶことになり、敗北したメキシコはカリフォルニアとニューメキシコをアメリカに譲渡することになりました。

メキシコはこの敗戦よって、国土の約半分を失うことになりました。

結果、アメリカはついに西側の太平洋岸へ到達することになり、大陸国家としての体制を完成させることになりました。

アメリカ=メキシコ戦争
アメリカ=メキシコ戦争 テキサス併合 カリフォルニアとニューメキシコの獲得
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ゴールドラッシュ

ちょうどアメリカ=メキシコ戦争が終わった直後、カリフォルニアで歴史を動かす出来事が起こります。

1848年、大規模な金鉱が発見されたんです。

グシャケン
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ヨーロッパでは[13-1.8]1848年革命②(諸国民の春)が起こっていました。

この知らせは瞬く間にアメリカ中に広がって、翌年には約10万人もの人々がカリフォルニアへ押し寄せました。

グシャケン
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彼らは「フォーティーナイナーズ」と呼ばれ、東部から南アメリカ南端を回る長い航海で向かう者もいれば、危険な陸路で大陸を横断する者もいました。

ちなみに「フォーティーナイナーズ」は、NFL(アメリカフットボール)のチーム名にもなっているんですよ。

スライド(画像、フォーティーナイナーズ)

このゴールドラッシュによってカリフォルニアの人口は急増していき、サンフランシスコは無法地帯から州に昇格するほどの大都市へと成長していきました。

グシャケン
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移民でやってきた中国人は洗濯や炊事の仕事に従事し、後に大陸横断鉄道の建設に欠かせない労働力になりました。

しかし、急激な人口増加と資源争奪の中で、先住民の生活はさらに圧迫されていくことになりました。

ゴールドラッシュはアメリカの発展を象徴する出来事であると同時に、先住民社会に深い傷を残した出来事でもあったんです。

ゴールドラッシュ

●ゴールドラッシュで一番儲けた人は?

1849年、カリフォルニアに金を求めて人々が殺到しました。

しかし、実際に大金を手にした人はごくわずかです。

むしろ成功したのは、金を掘る人に道具や生活用品を売った商人たちでした。

ツルハシやシャベル、テント、食料などは大量に必要とされて、価格も高騰しました。

金鉱で一攫千金を狙うより、確実に需要があるものを売るほうが儲かったというわけです。

この話は現代でも「ゴールドラッシュではツルハシを売れ」という教訓として知られています。

●リーヴァイス(Levi’s)の誕生

この時期に成功した代表例が、のちにジーンズで世界的ブランドとなるリーヴァイスでした。

彼は金を掘るのではなく、鉱夫向けに丈夫な作業用ズボンを販売しました。

当初はテント用の厚手の布でズボンを作り、後にデニム生地へと改良されます。

さらに仕立て職人と協力して改良を重ねて、現在のジーンズの原型を作り上げました。

つまり、リーヴァイスはゴールドラッシュの混乱の中で、「鉱夫が本当に必要とするもの」を見極めて、そこに価値を提供することで成功した世界的企業だったんです。

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太平洋への進出

日本開国とアラスカ購入

カリフォルニアやイギリスとの交渉でオレゴンを獲得したことで、アメリカは大西洋だけでなく太平洋にも面する国家になり、アジアへの関心を一気に強めていきました。

これまでヨーロッパとの関係が中心だった外交が、太平洋を越えた東アジアへと広がっていくことになったんです。

その象徴が、中国との正式な国交樹立でした。

19世紀半ば、アメリカは清朝と条約を結んで、貿易の拡大を図りました。

イギリスやフランスがアヘン戦争を通じて中国に進出する中、アメリカも太平洋を越えた市場獲得を目指したんです。

アジアとの結びつきは、領土拡大の限界に達したアメリカにとって、新しい経済的なフロンティアを獲得することになりました。

さらに1853年、アメリカは東アジア政策の一環としてペリーを日本へ派遣します。

ペリー

黒船来航は日本の開国を促し、アメリカは日本との通商関係を確立しました。

この出来事は、日本にとっては幕末の大転換点になり、アメリカにとっては太平洋地域での存在感を高める重要な一歩になりました。

清朝との国交樹立 日本の開国 ペリー

そして1867年、アメリカはロシアからアラスカを購入します。

当初は「氷の箱」と揶揄されていましたが、アラスカは北太平洋の戦略拠点となり、後に資源面でも大きな価値を持つ地域になっていきました。

グシャケン
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19世紀後半は「金」、20世紀に入ってからは油田が発見されました。

こうした一連の動きによって、アメリカは太平洋方面にも確かな勢力を伸ばしていき、後のアジア太平洋政策の基盤を築いていきました。

こうしてアメリカ合衆国は、19世紀後半以降のハワイ併合やフィリピン獲得へとつながる「太平洋の時代」が始まることになり、世界規模で影響力を持つ大国へと変貌していくことになりました。

グシャケン
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太平洋への進出は、アメリカが国際政治の中心へと歩み出す大きな転換点になったんです。

アラスカの購入
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まとめ

MQ:アメリカ合衆国は、19世紀にどのような背景で領土を拡大し、国家としての特徴を形成していったのか?

A:買収・戦争・西漸運動を通じて領土を急拡大し、「明白なる運命」という理念のもとで先住民社会を犠牲にしながら大陸国家へと成長し、北部の工業化・南部の奴隷制・西部のフロンティアという多様な地域性を併せ持つ国家としての特徴を形成した。

グシャケン
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今回はこのような内容でした。

次回は、アメリカ合衆国の奴隷制問題についてみていきます。北部と南部ではなぜ奴隷制を巡って対立が起きたんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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