[12-4.2]スペイン・ポルトガル植民地の独立

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12-4.中南米諸国の独立

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は中南米のスペイン・ポルトガル領の独立運動についてです。なぜスペイン・ポルトガル領は崩壊して、次々と独立国家が誕生したんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう

MQ:なぜスペイン・ポルトガルの広大な植民地は崩壊し、独立国家が次々と誕生したのか?

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スペイン・ポルトガルの混乱

ナポレオンがもたらした「支配の空白」

19世紀初め、ヨーロッパではナポレオンが勢力を拡大して帝国を築きましたよね。

このナポレオンの台頭は、実は大西洋の向こう側に大きな影響を与えていたんです。

それが、中南米のスペインとポルトガルの植民地でした。

これら2つの宗主国がヨーロッパでナポレオンの征服戦争に巻き込まれたことで、中南米での植民地支配が急速に弱体化していくことになりました。

ポルトガルはナポレオンの大陸封鎖令に反対したことで、ナポレオン軍の侵攻を受けて首都リスボンを占領されてしまい、ポルトガル国王はイギリス海軍の保護のもと、植民地のブラジルに逃亡することになりました。

これによってポルトガル王室がブラジルに移ることになり、リオデジャネイロを事実上の首都として、ブラジルはポルトガル本国と同じ地位になり、経済が急成長していきました。

グシャケン
グシャケン

ナポレオン帝国が崩壊した後、ポルトガル王室は本国に帰還しています。

一方、スペインでは王位継承問題でナポレオンが兄を国王に就かせたことで内戦状態になりました。

それでスペインの反ナポレオン勢力は対フランス軍で手一杯になり、海の向こう側の植民地への統治どころではなくなってしまいました。

このように、ヨーロッパでナポレオンによる「宗主国の混乱」は、中南米の人々にとってまさに“独立の絶好のチャンス”が訪れることになったんです。

ポルトガルとスペインの混乱

クリオーリョの不満と独立の機運

SQ:植民地社会の中で、誰が独立を求め、誰が現状維持を望んだのか?

この宗主国の弱体化によって、中南米で独立運動を主導したのがクリオーリョ(現地生まれの白人)たちでした。

スペイン領では、このクリオーリョが土地や経済力を握りながらも、政治の実権はスペイン本国から派遣される植民地官僚によって独占されている状況でした。

加えて、スペインが進めていた重商主義政策によって、スペイン本国商人に有利な貿易統制が敷かれたことで、植民地の経済活動は厳しく制限されてしまいました。

こうした理由から、植民地のクリオーリョたちはスペイン本国に対して大きな不満を抱くようになっていきました。

植民地社会の中で、誰が独立を求め、誰が現状維持を望んだのか? クリオーリョの不満

そうした不満を持っていたタイミングで起きたのが、アメリカ独立革命(1776)やフランス革命(1789)だったんです。

「自由・平等」という革命の理念が中南米にも流れ込んできたことで、クリオーリョたちは一気に「独立」を強く意識するようになっていきます。

さらにフランス革命期には、フランス植民地サン=ドマング(現ハイチ)で黒人奴隷たちが蜂起して、ハイチの独立が達成されます。

こうした革命の連鎖によって、大西洋世界全体で独立の機運が高まることになったんです。

植民地社会の中で、誰が独立を求め、誰が現状維持を望んだのか?

そして、この動きを一気に加速させたのが、ナポレオンによるスペイン征服でした。

先ほどもあったように、ナポレオンはスペイン国王を廃位させて、自分の兄を国王に就かせました。

この知らせが中南米にも届くと、スペイン領の植民地ではナポレオンの兄がスペイン国王に就くことに反対する立場を採って、

植民地
植民地

正統な王が不在である以上、自分たちで政治を担うべきだ!

という考えが起こって、独立しようとする動きが本格的になっていきました。

この独立運動の中心になったのはクリオーリョたちでしたが、彼らはメスティーソ(白人と先住民の混血)やインディオ(先住民)との間でも対立していました。

なので、クリオーリョはそのような「本国との対立」と「現地での対立」を抱えながら、複雑な状況の中で独立運動を進めていくことになりました。

グシャケン
グシャケン

こうした背景のなかで、中南米各地で独立をめざす動きが本格化していき、19世紀前半の大規模な独立戦争へとつながっていくことになります。

植民地社会の中で、誰が独立を求め、誰が現状維持を望んだのか?
SQ:植民地社会の中で、誰が独立を求め、誰が現状維持を望んだのか?

独立を求めたのは政治的に冷遇されていたクリオーリョで、現状維持を望んだのは特権を握るスペイン本国の官僚・商人層だった。

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ポルトガル領の独立

ブラジル

ポルトガルの植民地では比較的穏やかな独立運動が展開されました。

上記でも説明した通り、ヨーロッパでナポレオン軍の侵攻を受けたポルトガル王室は、イギリス海軍の保護のもとリオデジャネイロへ避難しました。

これによりブラジルは、植民地でありながらポルトガル国王が直接統治するという「本国」と同じ地位を獲得することになり、イギリスとの貿易が拡大したことで経済が急成長していきました。

そして、ナポレオン戦争が終結するとポルトガル国王は本国へ戻ることになり、ブラジルには息子の王太子が残ることになりました。

しかし、ブラジルの大土地所有者や商人層のクリオーリョたちは、この王の帰国を歓迎しなかったんです。

その理由は2つありました。

・本国による干渉が復活するのではないか → 国王が本国に戻れば、再び植民地として扱われる危険があった。

・奴隷制廃止を強制されるのではないか → 当時のブラジル経済はプランテーションと奴隷労働に依存していたため。

こうした不安を抱いたクリオーリョたちは、残っていた王太子を支持して、ブラジルの自立を守る道を選んだんです。

ブラジル クリオーリョの独立運動

クリオーリョの支持を背景に王太子を皇帝とするブラジル帝国の独立が宣言されました。

ブラジルの独立は、その後大規模な独立戦争が起きずに、ほぼ無血で達成されることになりました。

その後、ブラジルは共和国とは異なり、皇帝を頂点とする立憲君主国としての体制を整えていきました。

ブラジル帝国の独立
ブラジルの独立
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スペイン領の独立

大コロンビア

一方、スペイン領では打って変わって激しい独立戦争が展開されました。

最初に独立戦争が起こったのが、中南米貿易の中心地として栄えていた南米のベネズエラと呼ばれる地域でした。

ナポレオンの征服戦争によるスペイン支配の混乱が起こると、植民地はベネズエラ連邦共和国の独立を宣言して独立戦争の火蓋が切られることになりました。

そしてこの独立戦争の中心になったのが「南米の解放者」と呼ばれたボリバルという人物でした。

グシャケン
グシャケン

彼は富裕なクリオーリョ出身で、若い頃に訪れたヨーロッパでナポレオンの戴冠式を見た時に、「自分も歴史を動かす人物になりたい」と語っていたそうですよ。

ボリバル

ボリバルは独立軍を率いて戦いますが、スペイン軍の反撃によって独立政権は崩壊してしまい、ボリバルはジャマイカへと逃れることになります。

そして逃亡先で再び軍隊を整えて南米大陸に戻ると、アンデス山脈を越えるという大胆な作戦でスペイン軍を奇襲し、決定的な勝利を収めることに成功しました。

この勝利を受けてボリバルは現在のコロンビア・ベネズエラ・エクアドルを含む広大な大コロンビアの独立を宣言して、自ら大統領に就任して独立を達成することになりました。

その後もボリバルの解放運動は続き、ペルーボリビアの独立にも深く関わって貢献しました。

グシャケン
グシャケン

ボリバルが独立に関わった国々は、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ボリビア、ペルーと広範囲に及び、まさに「南アメリカ解放の父」と呼ばれるにふさわしい活動だったんです。

ボリバル ベネズエラ蜂起 大コロンビア、ペルー、コロンビアの独立 
大コロンビア

アルゼンチン・チリ

南米の南部でも独立運動が起こります。

南部の独立運動の解放者として活躍したのが、サン=マルティンという人物です。

サン=マルティン

彼は現在のアルゼンチン出身で、若くしてスペイン軍に入ってナポレオン軍とも戦った経験がありました。

スペイン軍時代に故郷アルゼンチンで独立運動が始まると帰国して、独立運動の中心として活動しました。

アルゼンチンは独立を宣言しましたが、強大なスペイン植民地軍に常に脅かされていました。

しかし、サン=マルティンはアンデス山脈を越える奇襲によって、スペイン軍を撃破して、チリの独立に貢献しました。

グシャケン
グシャケン

標高4000m級の山脈を軍隊が越えるなんて、無謀と思われましたが、 サン=マルティンは「敵が予想しない道を行く」ことで勝利をつかんだんです。 まさに歴史に残る奇策ですね。

グシャケン
グシャケン

しかし、独立後は財政難によって情勢が悪化していき、サン=マルティンは政治の表舞台から退いて、静かに余生を過ごしたそうです。

サン=マルティン アルゼンチンとチリの独立
アルゼンチン、チリの独立

メキシコ

ナポレオンがスペインを征服し、正統な王が不在となると、メキシコでも独立を求める動きが高まりました。

クリオーリョ出身のイダルゴという人物が、支配層の白人に対して、インディオやメスティーソを率いて蜂起します。

イダルゴ

彼らは長年の人種格差からの解放を掲げていましたが、一部の地域では白人(支配層)虐殺するなど、運動は過激化していきました。

このように、この独立運動はクリオーリョに対する革命も兼ねていたので、支配層のクリオーリョたちはむしろ恐怖を抱いて、独立運動を徹底的に鎮圧していくことになりました。

中心人物だったイダルゴは捕らえられて処刑されてしまい、独立運動はほぼ鎮静化されていきました。

メキシコ イダルゴの独立運動

しかしこのタイミングで、スペイン本国で停止していた憲法が復活すると、

メキシコのクリオーリョ
メキシコのクリオーリョ

この憲法が植民地にも適用されたら、俺たちが持つ特権を失うかもしれない。怖い。

という、憲法の適用によって、クリオーリョが持つ政治的な特権が失われる可能性が出てきたんです。

そこでクリオーリョたちはは次のように考えました。

「自由主義憲法で特権を奪われるくらいなら、いっそスペインと決別した方が良い」

ということで、それまで独立運動を弾圧してきたクリオーリョたちが独立を支持するという、逆転現象が起きたんです。

そして独立運動を鎮圧してきたスペイン植民地軍も、情勢の変化を受けてクリオーリョ層と手を結んで、独立を支持する側に転じてしまったんです。

こうして、メキシコの独立が宣言されて、立憲君主政であるメキシコ帝国が成立しました。

メキシコの独立
メキシコの独立

共和国の誕生と社会の変化

独立した国々の多くは共和政を採用して、君主や貴族制・奴隷制の廃止を進めていきました。

しかし、独立諸国の社会が一気に平等になっていったわけではなかったんです。

クリオーリョが政治や経済の主導権を握り続ける国も多く、中には奴隷制を維持した国々もありました。

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イギリスとアメリカの思惑

イギリスの支援

19世紀の初め、イギリスは大西洋の制海権を握っていました。

イギリスは大西洋をまたいだ貿易を独占することができたので、中南米諸国が独立すると自由貿易をおこなうことができました。

それによって利益を得ることが期待できたので、中南米諸国がヨーロッパの宗主国から独立しようとすると、積極的に支援して、独立を影から応援しました。

アメリカのモンロー宣言

中南米での独立運動が急速に進んでいた頃、ヨーロッパでは、オーストリアやプロイセン・ロシアなどの勢力が独立運動を抑え込むために再びアメリカ大陸への干渉を強めようとしていました。

グシャケン
グシャケン

自分たちの国で革命が起こるのを恐れたんですね。当時、スペイン領の再征服計画すら検討されていたそうですよ。

こうした中南米への干渉に対して、危機を感じたのが北米のアメリカ合衆国でした。

当時、誕生したばかりのアメリカ合衆国からしたら、すぐそばの中南米が再びヨーロッパ諸国の植民地になると、脅威が増えてしまうという危険があったんです。

将来、アメリカ合衆国が勢力を拡大させていくことも考えていた第5代大統領のモンローは、ヨーロッパ勢力が中南米に進出してくるのを防ぐためにある宣言を出します。

モンロー

それがモンロー宣言と呼ばれるものでした。

イギリスの支援 アメリカ合衆国のモンロー宣言
モンロー宣言の内容

・アメリカ大陸は今後ヨーロッパ諸国の植民地化の対象にならない

・ヨーロッパの政治体制・紛争にアメリカは干渉しない

・ヨーロッパもアメリカ大陸の独立国家に干渉してはならない

このアメリカ合衆国の相互不干渉を掲げたモンロー宣言によって、中南米諸国の独立を間接的に守る役割を果たすことになりました。

グシャケン
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このモンロー宣言による「孤立主義」は、アメリカ外交の基本政策になっていき、第一次世界大戦(20世紀初頭)まで続くことになりました。

モンロー宣言
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まとめ

MQ:なぜスペイン・ポルトガルの広大な植民地は崩壊し、独立国家が次々と誕生したのか?

A:ナポレオン戦争でスペインとポルトガルが統治不能に陥り、もともと不満を抱えていたクリオーリョを中心に独立運動が一気に進んでいったため。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回からは、新章のウィーン体制についてです。ウィーン体制のもと、ナポレオン時代の後のヨーロッパは、フランス革命前に比べて何が変わったんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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