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[12-1.2]イギリス産業革命①(技術革新)

12-1.産業革命

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回はイギリスで起きた産業革命についてです。産業革命と聞くと、蒸気機関や工場の煙突、機械の音が響いている様子を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?でも、そもそもなぜイギリスで産業革命が起きたんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう

MQ:なぜ産業革命はイギリスで始まったのか?

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イギリス経済の転換

インド綿の影響

17世紀の海外進出を経たイギリスでは、「ある異国」から入ってくる“布”が社会に影響を与えていました。

それが、インドから入ってきた、華やかな模様を持つインド産の綿織物でした。

インド産の綿織物は軽くて肌触りがよく、色鮮やかなのが特徴でした。

この布は、瞬く間にイギリスでヒット商品になり、イギリス中の人々がインド産の綿織物を求めるようになっていきました。

グシャケン
グシャケン

いわゆる、みんながブーム(流行り)の波に乗ろうとしたわけです。

しかし、ここで問題が発生してしまいます。

グシャケン
グシャケン

インド産の綿織物が飛ぶように売れると、困るのはどのような人たちでしょうか?

イギリスで綿織物を作っていた人たちです。イギリス産の毛織物が売れなくなったからです!

グシャケン
グシャケン

その通りですね。まさにイギリス産の毛織物が売れなくなり、それに関わっていた人たちの仕事が奪われてしまったんです。

インド産の綿織物が人気になったことで、イギリスの伝統的な毛織物業羊毛は大打撃を受けることになりました。

この問題に対して、国家は国内産業を守るために、インド産綿織物の輸入を禁止することにします。

しかし、そんなことでインド産綿織物の人気が落ちるわけではありませんでした。

グシャケン
グシャケン

「ダメ」と言われれば、欲しくなるのが人間ですからね。禁止にしたことで、余計に価値が出てしまったんです。

そこで、イギリスは新たな方法を模索しました。

それが、インドから綿花だけを輸入して、イギリス国内で綿織物を生産するという発想でした。

これによって、インド産の綿の利点を活かしつつ、イギリス国内産業も守ろうとしたんです。

グシャケン
グシャケン

そしてこの「国内で作ろう」という動きが、後に起こる産業革命の重要な転換点になることになります。

インド産綿布の流入

海外市場と三角貿易の拡大

イギリスはこの頃、七年戦争(フレンチ=インディアン戦争など)などの植民地獲得戦争に勝利したことで、広大な交易網(制海権)を手に入れていました。

特に大西洋を中心とした三角貿易では、綿織物がイギリスからの重要な輸出品になっていったので、アフリカやアメリカとの交易で、大量に輸出されていました。

このように、国内だけでなく海外でも綿織物の需要が急増したことで、イギリス国内では、

イギリス
イギリス

もっと早く、もっと大量に!

という綿織物を量産することが求められていきました。

国内外の綿布需要の増加 

産業革命の始まり

こうして、イギリスでは18世紀後半に、次々と新しい技術革新が生まれて、産業革命が始まることになります。

SQ:技術革新を支えた要因とは?

グシャケン
グシャケン

では、このイギリスで起きた技術革新を支えた要因とはいったい何だったんでしょうか?

①科学革命の影響

ニュートンやガリレイをはじめとする科学革命によって、新しい知識が、実用的な技術に応用されていき、機械工学や物理学の基礎ができていました。

こうした知識や技術の基礎が、技術革新を生む土台になったんです。

②鉱物資源の豊か

さらに、イギリスは鉄鉱石や石炭などの鉱物資源にも恵まれていました。

これらの資源は、機械の製造や動力源(エネルギー)として使われていたので、後の蒸気機関の発展にも大きく貢献することになりました。

特に石炭は、木材に代わる新たなエネルギー源として、産業革命を支える存在になりました。

グシャケン
グシャケン

石炭は工業化を支える「黒い金」とも呼ばれていたそうでうよ。

このように、「科学革命」と「鉱物資源の豊かさ」という二つの要素が結びついたことで、18世紀後半のイギリスでは、次々と技術革新が生まれていったわけなんです。

SQ:技術革新を支えた要因とは?

科学革命によって築かれた知識と技術の基礎、そして鉄鉱石や石炭などの豊富な鉱物資源が結びついたこと

技術革新を支えた要因とは? 産業革命
産業革命期のイギリス
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繊維産業の発展

産業革命による技術革新の連鎖はインド産の綿を使った繊維産業から始まっていきました。

ジョン=ケイ:飛び杼

18世紀のイギリスでは、まだ機械化が本格的に始まる前に、繊維産業でジョン=ケイと呼ばれる人物が技術革新を起こしました。

ジョン=ケイ

彼によって発明されたのが、「飛び杼(とびひ)」というものでした。

飛び杼

飛び杼の「杼(ひ)」とは、織物をつくる際に横糸を縦糸の間に通すための道具で、それまでは手で左右に動かしていたんですが、ジョン=ケイはこの動きを飛び杼によって高速で動かすことに成功したんです。

グシャケン
グシャケン

飛び杼を使っている様子は、https://youtube.com/shorts/5ac2cKXQThw?si=bEaGXuK2bCQ2A2U-で見てみてください。

この発明によって、織機での生産は約2倍にまで早くなり、布を織るスピードが格段に向上することになりました。

特に綿織物の生産量が増えたことで、イギリスの綿工業に大きな技術革新をもたらしました。

ジョン=ケイ 飛び杼

ハーグリーヴズ:多軸紡績機(ジェニー紡績機)

しかし、この飛び杼によって綿織物の生産スピードが上がったことで、新たな問題も生まれました。

それが、織るための綿糸の供給が追いつかなくなったんです。

この織るスピードに、糸を紡ぐスピードが追いつかなくなってしまうという問題を解決したのが、ハーグリーヴズという大工でした。

それまでは原料の綿から1人で1本の糸を紡いでいましたが、ハーグリーヴズは同時にたくさんの糸を紡ぐことができる「多軸紡績機(ジェニー紡績機)」と呼ばれる紡績機を発明しました。

これは、1人で同時に6~8本の糸を紡ぐことを可能にした画期的な機械で、紡げる数は次第に16本、さらには80本にまで増えていき、綿糸の生産量は飛躍的に増えていきました。

ハーグリーヴスの多軸紡績機(ジェニー紡績機)
グシャケン
グシャケン

多軸紡績機(ジェニー紡績機)の仕組みについてはhttps://youtu.be/6CfhB9m_BJg?si=ASBCVHudQKaKUwiaをご覧ください。

ちなみに「ジェニー」という名前は、彼の妻(あるいは娘)の名前から取られたと言われています。

しかし、この多軸紡績機(ジェニー紡績機)にも、糸が切れやすいという弱点がありました。

人力で動かすので糸の強度が弱くなってしまい、より強度のある糸を求める声が高まっていきました。

ハーグリーヴス 多軸紡績機(ジェニー紡績機)

アークライト:水力紡績機

この紡績機の動力を人力から自動にしたのが、アークライトという人物でした。

アークライト

アークライトは水の力で糸を紡ぐ水力紡績機」を発明しました。

これは、水車の力を利用して、糸に“ひねり”をかけながら巻き取る作業を自動したものでした。

こうして、多軸紡績機(ジェニー紡績機)が人力で細い糸を紡いでいたのに対して、水力紡績機はより太くて丈夫な糸を大量に生産することができるようになったんです。

グシャケン
グシャケン

水力紡績機の映像については紡績以外も映っていますが、https://youtu.be/AloWMoc-3WU?si=IvK5z6rJXKXQ9atxをご覧ください。

この技術革新により、綿糸の品質と生産量が向上して、綿工業は本格的に工場で生産される時代に入っていくことになりました。

グシャケン
グシャケン

ちなみに、水力紡績機の自動化によって、職を失ってしまった手工業者たちが機械を破壊する事件を起こしたりと、時代の変わり目による混乱も起き始めていました。

しかし、水力紡績機には、糸の太さを均一にできないという欠点がまたしても出てきてしまいました。

なので、この欠点を補う技術が再び登場することになります。

アークライト 水力紡績機

クロンプトン:ミュール紡績機

それが、クロンプトンという人物が発明した、ジェニー紡績機と水力紡績機の長所を融合させたミュール紡績機」というものでした。

クロンプトン

「ミュール」とは「力強く働く馬(ラバ)」の意味からきていて、多軸紡績機(ジェニー紡績機)の複数本同時に紡げる多軸と、水力紡績機の強い糸を生む仕組みを融合させたことから、この名が付けられました。

グシャケン
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ミュール紡績機の映像については、https://youtu.be/cBEk0SSEo0w?si=jzevuBtL1mrXdgjxをご覧ください。

このミュール紡績機によって、細くて丈夫な綿糸も大量に生産することが可能になったので、綿織物がより高品質なものになっていきました。

グシャケン
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特に、滑らかで均一な糸を必要とする高級綿製品の生産で重宝されたそうですよ。

でも、細くて平行に走る何本もの糸から目を離せなかったので、労働者は目を酷使することになり、視力が低下する健康被害が起きたそうですよ。

クロンプトン ミュール紡績機
ミュール紡績機 工場の様子

カートライト:力織機

これら糸を紡ぐ紡績技術は機械化によって、綿糸の大量生産が可能になっていきました。

しかし、もう一方の、綿糸を織物にする織布技術は依然として、手動による手工業のままで、ジョン=ケイの飛び杼の発明で止まっていました。

なので当然、綿糸の供給に対して、綿織物の生産が追い付かなくなっていきます。

このギャップを埋めるために、完全な機械化を成功させたのが、カートライトが発明した力織機と呼ばれるものでした。

力織機は、動力によって自動で布を織る機械のことで、それまでの手動の織り機に代わって、織布の工程を格段に効率化することに成功しました。

最初の力織機は水力を動力源にしていましたが、蒸気機関が改良されると、より安定した動力が得られるようになって、工場に本格的に導入されていくことになりました。

グシャケン
グシャケン

力織機の映像については、https://youtu.be/GoX_zx_rtEE?si=NJ6ZLRiNXphqYU06をご覧ください。

この力織機の普及によって、織布も工場で生産されるようになり、綿工業全体の機械化が完成することになりました。

カートライト 力織機
グシャケン
グシャケン

一方で、手織りの職人たちは職を失ってしまい、機械打ちこわし運動などの反発も起きました。まさに産業革命の光と影ですね。

綿工業まとめ
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動力革命

ニューコメン:蒸気機関の発明

18世紀初め、イギリスでは人口の増加によって、家庭用の燃料として使われていた石炭の需要が急激に増えていました。

しかし、石炭を掘り出す炭坑では、底から湧き出てくる地下水が掘削の邪魔になり、いつも悩みの種になっていました。

それまでは馬を使って水をくみ上げていたんですが、労力も費用もかさむので、採算が取れない状況でした。

そんな中、この問題を解決しようしたのがニューコメンという人物でした。

「自動で水をくみ取れるようにならないだろうか。」

この考えから、ニューコメンは蒸気の力で真空をつくって、大気圧でピストンを動かすという“蒸気機関”の仕組みを考え出したんです。

グシャケン
グシャケン

ニューコメンの蒸気機関については「https://youtu.be/GKOZvcgF5G4」の動画がわかりやすいかと思います。

しかし、ニューコメンの蒸気機関は、現代のエンジンのような回転運動ではなく、あくまで上下運動で水をくみ上げるための「揚水機」でした。

しかも、この蒸気機関は燃料の消費が激しく“燃費が悪い”という課題もあったので、まだ改良が必要だったんです。

グシャケン
グシャケン

でも、これが後の産業革命における動力革命の出発点になったんです。

ニューコメン 蒸気機関

ダービー:コークス製鉄法

それまで工場(製鉄など)で使われる燃料は石炭ではなく“木炭”が中心でした。

グシャケン
グシャケン

石炭よりも木炭の方が、高温を維持できたので、石炭はまだ家庭用としか使われていなかったんです。

なので、工場は森林の近くに建てられることが多かったんですが、17世紀にイギリスで製鉄業が発展すると、鉄鉱石を溶かして鉄を生産するために木炭の使用量が急増していきます。

さらに、建築や造船のための木材需要も重なってしまい、イギリスの森林資源が急速に枯渇してしまうことになったんです。

そして、この問題を解決したのがダービーという親子でした。

ダービー(父)は、木材資源の枯渇を解決するために、それまで家庭用燃料だった石炭に注目しました。

ダービー
ダービー

どうにかして、これ(石炭)をもっと高温で維持できるようにならないだろうか?

という考えから試行錯誤を繰り返して、石炭を蒸し焼きにしてつくる「コークス」という新燃料が発明されました。

このコークスは、木炭よりも高温を維持することができたので、製鉄の生産効率を大きく高めることに成功しました。

そして、ダービー(子)父の技術をさらに改良して、高度な鋳造ができるコークス製鉄法というものを完成させました。

こうして、石炭によって鉄を量産することが可能になり、建築や機械、交通などあらゆる所で鉄が使われるようになっていき、産業革命の発展を大きく後押しすることになりました。

ダービー父子 コークス製鉄法

ワット:蒸気機関の改良

石炭分野で改良がおこなわれていた頃、蒸気機関でも改良がおこなわれていました。

先ほどのニューコメンが発明した「蒸気機関」は、炭鉱の排水ポンプとして実用化されてましたが、効率や燃費が悪いという欠点がありましたよね。

製造業者だったワットという人物は、ニューコメン式蒸気機関の修理を依頼されたことをきっかけに、その欠陥に気づきます。

ワット

彼は、その欠点を克服するために蒸気機関を改良して、蒸気のエネルギーをより効率的に使えるようにすることに成功しました。

グシャケン
グシャケン

ニューコメンの蒸気機関については「https://youtube.com/shorts/i5xvhIrbh1k?si=bX-N49prgzFyzZxW」の動画がわかりやすいかと思います。

これによって、作業効率や燃費が良くなったワット式蒸気機関は、織機や紡績機など、さまざまな機械の動力源として使われていくようになりました。

それまでの工場は水力に依存していたので、川沿いに建てる必要があったんですが、蒸気機関の普及によって、都市部でも工場が建てられるようになり、労働力の確保も簡単になっていきました。

これにより、都市への産業集中が進んで、産業革命の波が一気に広がっていくことになります。

グシャケン
グシャケン

ちなみにワット式蒸気機関の功績から、電力の単位が「ワット(W)」となずけられることになりました。

ワット 蒸気機関の改良
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交通革命

綿工業から始まった技術革新は、やがて他の産業にも連鎖していきました。

機械工業では織機や紡績機を製造するための機械が必要になり、製鉄業でも機械の部品を作るために鉄の需要が必然的に増えていくなど、産業全体が拡大いきました。

このような産業の拡大は、「原料や製品をより速く、より遠くへ運ぶ手段」が求められるようになっていき、蒸気機関を応用した交通革命と呼ばれるものが起きました。

フルトン:蒸気船

アメリカでは、フルトンが船の動力に蒸気機関を使う蒸気船を発明して、それまで河川を下ることしかできなかったのが、蒸気機関の力によって河川を遡って航海することが可能になりました。

フルトン

こうして、河川や海の流れに逆らいながらも航海することができるようになり、海上輸送が格段に効率化していきました。

交通革命 フルトン 蒸気船

スティーブンソン:蒸気機関車

そして産業革命の拡大で、馬車に頼っていた陸上輸送でも、より高速で大量に、かつ安価に原料や人の輸送ができる交通手段の発明が求められるようになっていきました。

それを可能にしたのが、イギリスのスティーヴンソンが発明した蒸気機関車でした。

スティーブンソン

この「蒸気機関で動く乗り物」である蒸気機関車が発明されたことで、石炭や鉄鉱石、人までも高速で大量に運ぶことが可能になり、都市部の鉄や石炭の需要はさらに拡大していくことになりました。

1830年には、「マンチェスター~リヴァプール」間の世界初の鉄道も開通しました。

綿工業の中心地マンチェスターと、貿易港リヴァプールを結んで、綿花などの原料を港から工場へ、製品を再び港へと運ぶという、蒸気機関車が可能にした重要な産業ルートになっていきました。

さらに、人々の移動も短時間で可能になったことで、人々の時間の感覚や生活様式も変わっていくことになりました。

グシャケン
グシャケン

ちなみに、当時の学者たちは「蒸気機関車のスピードは人間の脳に異常をきたす」と真剣に唱えていたそうですよ。

スティーブンソン 蒸気機関車
鉄道の開通 マンチェスター~リヴァプール間

SQ:産業革命は「革命」だったのか?

グシャケン
グシャケン

ではここで、産業革命は「革命」とありますが、戦争や政変のような「一夜にして世界が変わる」ような革命だったんでしょうか?

産業革命は、戦争や政変のような「一夜にして世界が変わる」ような革命ではありませんでした。

むしろ、職人や発明家たちの地道な試行錯誤の積み重ねによって、徐々に社会が変わっていったのが、産業革命でした。

それでも結果として、農村中心の社会から都市工業中心の社会に変わっていき、手工業から機械工業への変化を引き起こしました。

このように、人々の暮らしや働き方を根本から変えるほどのインパクトを与えたことから、「革命」と呼ばれるようになったわけなんです。

SQ:産業革命は「革命」だったのか?

「一夜にして世界が変わる」ような急激な変化ではなく、職人や発明家の地道な努力によって徐々に進行したが、最終的に社会構造や人々の暮らしを根本から変えたため、「革命」と呼ばれるようになった。

産業革命は「革命」だったのか?
産業革命 技術革新まとめ
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まとめ

MQ:なぜ産業革命はイギリスで始まったのか?

A:インド綿の流行によって国内産業の危機が生まれ、それをきっかけに綿織物の国産化が進んだこと、さらに科学革命による知識の蓄積や石炭・鉄鉱石などの豊富な資源、広大な海外市場と交易網の拡大が重なり、技術革新と工業化が加速したため。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回は、産業革命の2回目として「社会への影響」についてみていきます。イギリス産業革命は社会にどんな影響を与えたんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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