[12-4.1]ハイチ革命

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12-4.中南米諸国の独立

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回から中南米諸国の独立についてです。今回はフランス革命に影響を受けたハイチ革命についてみていきます。このハイチ革命にはどんな特徴があったんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:ハイチ革命の特徴とは?

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環大西洋革命

16世紀以降、中南米の大部分はヨーロッパ諸国の植民地として支配されていましたよね。

しかし18世紀末になると、フランス革命とナポレオンの登場によって、ヨーロッパ大陸に革命の理念が広がって混乱が起きると、その影響は大西洋を越えて植民地だった中南米にまで広がっていくことになりました。

グシャケン
グシャケン

ナポレオンがヨーロッパ諸国を支配下に置いたことで、それぞれの植民地が「今だったら独立できるんじゃね?」と思い始めたんです。

アメリカ独立革命から始まり、フランス革命、そして今回の中南米諸国で独立運動と、大西洋周辺で起き一連の革命の流れを環大西洋革命と言います。

環大西洋革命
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ハイチとは?

スペイン支配

そして、最初にして最も過激な革命の舞台となったのが、カリブ海のイスパニョーラ島西部に位置する、フランス植民地のサン=ドマングという場所でした。

グシャケン
グシャケン

このサン=ドマングが後に「ハイチ」と呼ばれる所です。イスパニョーラ島の西側約3分の1を占めていました。

イスパニョーラ島はコロンブスが第1回航海以降に拠点を置いた島で、その後はスペイン人による植民地化が進められていきました。

入植したスペイン人は「金・銀・真珠」などの財宝を略奪して、抵抗した先住民(インディオ)を虐殺していき、生き残ったインディオたちを砂糖プランテーションの労働力として酷使しました。

その結果、疫病と過酷な労働によって島のインディオはほぼ絶滅してしまうことになりました。

サン=ドマング
サン=ドマング イスパニョーラ島

フランス支配

インディオの人口が激減してしまったことで、スペインは新たな労働力としてアフリカ大陸から黒人奴隷を大量に導入します。

やがて島の人口構成は大きく変化していき、黒人奴隷が人口の大半を占めるようになっていきました。

そして17世紀になると、イスパニョーラ島西部に新たにフランスが進出してきて、サン=ドマングと呼ばれるようになります。

その後、ヨーロッパで起きたファルツ戦争の講和条約によって、スペインは島の西部を正式にフランスへ割譲することになりました。

こうした結果、島は、

・西部:フランス領サン=ドマング

・東部:スペイン領サント=ドミンゴ(後のドミニカ共和国)

という構図になりました。

フランス領サン=ドマング スペイン領サント=ドミンゴ

分断された植民地社会

フランス植民地となったサン=ドマングでは、その後、世界最大級の砂糖プランテーションへと成長していきます。

しかし、その繁栄の裏側で、島の社会構造は極端な分断を抱えていました。

サン=ドマングでは、主に次のような身分で構成されていました。

・少数の裕福な現地白人(クリオーリョ

・白人とインディオの混血である自由民(メスティーソ:クリオーリョからは差別、ギルド(同業組合)には入れない

・白人と黒人の混血である自由民(ムラート:下層市民

・人口の圧倒的多数を占める黒人奴隷

このように、社会は自由と不自由が最も露骨に出ていた空間になっていたんです。

特に白人(クリオーリョ)支配者と、ムラートや黒人奴隷からなる被支配層との間で対立が起きて、次第に争いは過激化していくことになりました。

グシャケン
グシャケン

この極端な不平等な社会こそが、やがてハイチ革命と呼ばれる
奴隷反乱を生み出す土台になっていったんです。

ハイチ革命 サン=ドマングの社会構造 クリオーリョ メスティーソ ムラート 黒人奴隷 
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革命の勃発

黒人奴隷の反乱

そのような社会の中、ヨーロッパではフランス革命が勃発して、「人権宣言」が採択されます。

「人は生まれながらにして自由で平等である」

この言葉は、サン=ドマングにも伝えられました。

そしてこれを聞いた黒人奴隷が自由を求めて支配層の白人に対して権利を要求します。

しかし、フランスは彼らの要求を拒否して、指導者を処刑してしまいました。

この対応が、事態を一気に激化させることになります。

ハイチ革命 奴隷反乱

SQ:「自由・平等」を掲げた革命政府は、なぜ植民地での差別を容認したのか?

グシャケン
グシャケン

ではなぜ、フランスは植民地での差別を容認したんでしょうか?

これは、フランスが「経済」と「安定」を優先したというのに原因がありました。

革命政府にとってサン=ドマングは、砂糖の輸出で莫大な利益を生む“フランス経済の心臓部”でした。

なので、奴隷制度が廃止されると植民地経済が崩壊してしまい、革命戦争で財政難に陥っていた革命政府はその損失に耐えることができなかったんです。

さらに、革命政府が黒人奴隷の自由を認めれば、植民地の白人地主(クリオーリョ)が本国に対して反乱を起こし、フランスの支配が崩壊してしまう危険がありました。

なので、革命政府は理念よりも植民地支配の安定を優先したんです。

グシャケン
グシャケン

しかも、革命政府は「人権宣言」の理念は、“本国の白人男性市民”を想定していたので、黒人奴隷はそこに入っていなかったんです。

こうした理由から、革命政府は植民地での差別を容認して、黒人奴隷の要求を拒否したというわけなんです。

SQ:「自由・平等」を掲げた革命政府は、なぜ植民地での差別を容認したのか?

フランス革命政府が植民地の砂糖産業が生む莫大な利益を失うことを恐れ、植民地の白人支配層の反発も避けたかったため、理念より経済と支配維持を優先し、差別を容認した。

グシャケン
グシャケン

この矛盾が黒人奴隷の怒りを爆発させて、やがてハイチ革命へとつながっていくことになります。

「自由・平等」を掲げた革命政府は、なぜ植民地での差別を容認したのか?

こうして、黒人奴隷の要求が弾圧されたことで社会不安が高まっていき、ついに黒人奴隷たちは大規模反乱を起こします。

グシャケン
グシャケン

過酷な労働や暴力、未来のない日常を過ごす彼らにとって、革命の理念は「思想」ではなく、生きるか死ぬかの問題だったんです。

黒人反乱は瞬く間に植民地全体に広がっていき、プランテーションが襲撃され、支配層の白人たちは島の東側のスペイン領へ逃げて支援を求めましたが、反乱を完全に鎮圧することはできませんでした。

このようにして始まったのが、ハイチ革命でした。

ハイチ革命
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革命の拡大と独立

トゥサン=ルヴェルチュールの台頭と奴隷制廃止

この黒人奴隷の反乱による混乱に乗じて、フランス植民地を乗っ取りたいイギリスとスペインも介入してきて、サン=ドマングは「国際戦争+内戦」という複雑な構図になっていきました。

そして、この混乱の中で頭角を現したのが、黒人奴隷の子孫だったトゥサン=ルヴェルチュールという人物でした。

トゥサン=ルヴェルチュール

※トゥサン=ルヴェルチュールは以後「トゥサン」と表記

トゥサンは黒人たちを率いてゲリラ戦と正面からの戦いを自在に使い分けて、フランス軍やイギリス軍、スペイン軍を撃退して翻弄していきました。

グシャケン
グシャケン

トゥサンは読み書きも軍事知識も独学で身につけたそうですよ。

当時のヨーロッパ将軍たちは 「黒人の軍隊など恐れるに足らない」 と考えてしましたが、現実は逆だったんです。 最も過酷な環境で生き抜いてきた人々こそ、最も強靭だったんです。

トゥサン=ルヴェルチュール

SQ:革命の理念は、どこまで「理想」で、どこから「戦略」だったのか?

サン=ドマングで内乱が起こる中、フランス本国でも革命が進んでいました。

革命政府によって「自由・平等」の理念を実現させようとしている中、植民地で黒人奴隷の反乱が勃発したことを受けて、革命政府(国民公会)はフランス植民地での奴隷制廃止」を宣言することになりました。

これは理念だけでなく、黒人たちの支持なしで植民地を維持できなかった背景もあり、現実的な戦略でした。

この決定により、トゥサン率いる黒人たちはフランス側に協力することになり、 イギリス・スペインの干渉を退けることに成功しました。

SQ:革命の理念は、どこまで「理想」で、どこから「戦略」だったのか

革命理念が自由・平等という理念だけで動いたわけではなく、黒人勢力の支持を得て植民地を維持するという軍事・外交上の現実とも結びついていた。

革命の理念は、どこまで「理想」で、どこから「戦略」だったのか?

ナポレオンとの戦い

奴隷制廃止と外国勢力の干渉を退けたことで、トゥサンは事実上の独立を宣言します。

その翌年には独自の憲法も制定して、トゥサン自ら終身総督という要職に就くことになりました。

グシャケン
グシャケン

これはフランスから見れば、明確な独立宣言でした。

しかし、フランス本国ではナポレオンが権力を握り、植民地支配と奴隷制を復活させる方針を打ち出します。

グシャケン
グシャケン

革命の理念よりも自国の経済を優先したので、サン=ドマングの砂糖プランテーションを支配したかったんです。

そして、ナポレオンは独立しようとしているサン=ドマングに対して、2万を超える遠征軍を派遣します。

トゥサンは抵抗しましたが、 「投降すれば独立を認める」というフランス側の策略に騙されてしまい、逮捕されてしまいました。

そして、トゥサンはフランス本国へ送られてしまい、そのまま獄中で亡くなことになりました。

対ナポレオン トゥサン=ルヴェルチュールの逮捕・獄中死

ハイチ独立

しかし、トゥサンが亡くなった後も、後継者たちがフランスに反発したことで独立戦争は継続されることになります。

グシャケン
グシャケン

まさに「革命は、人を殺しても、思想は殺せない」ですね。

そして黒人軍はついにフランス軍を撃破することに成功して、ハイチ共和国として独立することになりました。

グシャケン
グシャケン

フランス軍の敗北には、 熱帯気候・黄熱病・重装備による行動制限など、 ナポレオンの誤算も大きかったみたいです。

このハイチ共和国は、

・アメリカ大陸でアメリカ合衆国に次ぐ2番目の独立国家

・中南米で最初の独立国家

黒人主体の共和国として世界初

という特性を持っていました。

つまり、 人種的平等を掲げた革命が、実際に黒人共和国を誕生させたという、世界史上きわめて珍しいケースになったんです。

ハイチ共和国の成立
グシャケン
グシャケン

しかし、このハイチの独立をフランスが承認するのは、実に20年以上後のことになります。

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ハイチ革命の影響

ハイチ革命は、ナポレオンの政策にも影響を与えました。

莫大な利益を生む砂糖プランテーションを手に入れられなかったナポレオンは、財政難を克服できずに、北米植民地のルイジアナをアメリカ合衆国に売却することになりました。

他にも

・イギリスが奴隷貿易や奴隷制の廃止に動く

・アメリカやブラジルで、奴隷制の賛成派が警戒を強める

などの動きが周辺諸国で起きました。

こうしてハイチ革命の「黒人が自らの力で国家をつくった」という事実は、自由の可能性と同時に、支配者層の恐怖も生み出すことになりました。

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まとめ

MQ:ハイチ革命の特徴とは?

A:黒人奴隷が蜂起し、ヨーロッパ列強を打ち破って独立国家を樹立した世界で唯一の「奴隷反乱から生まれた黒人共和国の独立革命」である点。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回は、中南米のスペイン・ポルトガル領の独立についてです。中南米の独立運動にはどんな共通点と相違点があるんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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