[12-3.6]フランス革命⑥(ナポレオンの登場と革命終了)

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12-3.フランス革命とナポレオン

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は、フランス革命を終わらせたナポレオン=ボナパルトが登場します。なぜ彼の登場によって、フランス革命は終わりを迎えたんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:なぜナポレオン=ボナパルトの登場によって革命は終わったのか?

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革命の拡大と穏健化

革命の拡大

ロベスピエールの恐怖政治が打倒された後も、国外では対外戦争が依然として続いていました。

当初劣勢だった対外戦争では、徴兵制によるヨーロッパ最大級の兵力や、フランス革命軍の士気の高さなどもあり、次第に好転していました。

フランス革命軍は勢いそのままに南ネーデルラント(現在のベルギー)を併合する快進撃をみせます。

グシャケン
グシャケン

これはフランス革命軍が周辺諸国に対して軍事的に優位に立ったことを示していますね。

そしてその翌年には、オランダで共和派がフランス革命軍と手を組んで、総督一家のオラニエ公を追放して、フランス革命を手本にした革命政府が成立します。

グシャケン
グシャケン

これによって、ネーデルランド連邦共和国は終わって、バタヴィア共和国と呼ばれる共和国が誕生しました。

このように、フランス革命はもはや一国だけの革命ではなく、ヨーロッパ全体に広がっていくことになりました。

そしてこの時期、対外戦争を繰り広げていたプロイセンやスペインなどとも相次いで講和条約や休戦を結ぶことになり、国際問題は一時的に安定することになりました。

フランスはこうした外敵の脅威が一時的になくなったことで、国内の政治に集中できるようになっていきました。

国民公会 対外戦争の好転

国民公会の穏健化

SQ:なぜ「理想の実現」よりも「社会の安定」を優先するようになったのか?

国際関係が安定したことを背景に、国民公会は過激な改革から次第に穏健な方向へと舵を切っていくことになります。

恐怖政治の時代に実施された価格統制や脱キリスト教政策などは、社会の混乱を拡大させてしまったので、見直されて撤回されることになりました。

これは革命が「徹底した平等」を追求する段階から、「混乱なく、みんなが安心して暮らせる社会」を築く段階に変わったことを示しています。

グシャケン
グシャケン

フランス革命は、理想を掲げるだけでは国家が維持できないという現実にぶつかったんですね。

SQ:なぜ「理想の実現」よりも「社会の安定」を優先するようになったのか?

対外戦争が一時的に落ち着き、外敵の脅威が弱まったことで、革命政府は理想の徹底よりも、混乱を収めて社会を安定させることを優先する必要に迫られたため。

なぜ「理想の実現」よりも「社会の安定」を優先するようになったのか?
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総裁政府

総裁政府の成立と国内分裂

こうした流れの中で、国民公会は施行されていなかった「1795年憲法」を発布します。

グシャケン
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ややこしい「1793年憲法」については[12-3.5]フランス革命⑤(恐怖政治)をご覧ください。

この1795年憲法は「私有財産の不可侵」をハッキリと掲げていて、一定以上の財産を持つ人が政治に参加できる制限選挙の制度を採用した点に特徴がありました。

これは、廃止した王政の復活と、恐怖政治による独裁の両方を未然に防ぐために盛り込まれたものでした。

この憲法の発布を境に国民公会は解散することになり、恐怖政治による独裁の反省から、総裁政府という、政治を5人の総裁によって決めるという体制が新たに作られました。

しかし、この総裁政府は決して安定した政権とは言えませんでした

国内ではまだ、

・王政復古を目指す王党派

・恐怖政治の理念を引きずる急進派

両方の勢力が残っていたので、総裁政府はこの2つの勢力から常に圧力を受け続けることになりました。

グシャケン
グシャケン

要は、政策決定の邪魔をされていたんです。THE・野党ですね。

そして、王党派は共和政を打倒しようとパリで武装蜂起を起こすなど、過激なクーデターも起こりました。

総裁政府の成立 王党派の反乱

●ここから“あの人”の物語が始まった。

この反乱の鎮圧で、後のフランス革命を終わらせる英雄が登場しました。

それが、当時まだ26歳の若い軍人だったナポレオン=ボナパルトという人物でした。

ナポレオン=ボナパルト

反乱鎮圧では、街中で専門分野だった砲撃を駆使した戦闘によって、王党派の反乱を鎮圧し、その後、頭角を現して国内軍最高司令官へと抜擢されることになりました。

グシャケン
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彼は本土から離れたコルシカ島の没落貴族出身でした。兵学校では砲撃を専門に学んでいたそうです。

ちなみに、ロベスピエールの恐怖政治を支持していたんで、テルミドールの反動の時は、結構立場が危なくなったそうですよ。

ナポレオン=ボナパルトの登場

王党派のクーデターは鎮圧されましたが、その後も政治の混乱は続きました。

総裁政府の政策に対してクーデターが起きたり、総裁政府が他の勢力を排除するために武装蜂起したりと、武装蜂起が当たり前の異常な状態になっていくほどの混乱ぶりでした。

軍隊への依存とナポレオンの活躍

このように国内の政治は混乱してしまい、総裁政府を中心とする議会政治が機能しない状態になっていきました。

総裁政府はこのような状況を打開するために、次第に対外遠征に目を向けていき、戦争に勝つことで権威を維持しようとする体制へと傾いていくことになりました。

その過程でおこなわれたのが、イタリア遠征とエジプト遠征でした。

総裁政府による対外戦争
イタリア遠征

総裁政府はイタリアのオーストリア領に向けて遠征をおこないます。

そして、そこで軍司令官に任命されたのが、王党派クーデターの鎮圧で活躍した若きナポレオン=ボナパルトでした。

彼はアルプスを越えて北イタリアに進軍し、オーストリアに連戦連勝を重ねていきました。

ミラノを占領して、北イタリア一帯を制圧した後、オーストリアと和約を結んで戦争を終結させました。

グシャケン
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この遠征によってナポレオンの名声は高まっていき、同時にイタリアでは共和政や統一国家を求める動きが広がり、後のイタリア統一運動の出発点となっていきました。

エジプト遠征

総裁政府は続いて、イギリスのインド貿易路を断つために、エジプト遠征をおこないます。

ナポレオンはオスマン領だったエジプトに上陸して、カイロを制圧します。

しかし、その後の海戦ではイギリス海軍にだ大敗北してしまい、成果としては失敗に終わってしまいました。

イタリア遠征 エジプト遠征

これらの対外戦争に対して、イギリス・オーストリア・ロシアなどはフランスの革命政府を潰すべく、第2回対仏大同盟を結成しました。

こうしてフランスの総裁政府は、対外戦争という延命措置をした結果、再び厳しい対外戦争に直面することになってしまいました。

グシャケン
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しかし、これらはフランスに新たな英雄を生み出すきっけにもなりました。

それは言わずもがな、ナポレオンですよね。

第2回対仏大同盟
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ナポレオンの台頭と革命の終了

ナポレオンの台頭

SQ:不安と混乱の時代に、人々はなぜ「強力な指導者」を求めるのか?

フランスでは革命が始まってから総裁政府まで不安定な統治が続いていたことで、混乱と経済不安が深刻になっていきました。

このような状況では、議会や制度による政治よりも迅速に決断して、社会を安定させることができる存在が求められるようになっていきました。

そこで登場したのが、遠征で活躍したナポレオン=ボナパルトでした。

ナポレオンは、イタリア遠征での勝利によって「混乱を収め、国を守れる人物」として民衆から人気を得ます。

そして、ナポレオンは軍事的な才能に優れていただけではなく、その勝利を新聞などを通して巧みに宣伝して、世論を味方につける能力もあったことで、その人気は爆発的に伸びていきました。

グシャケン
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ナポレオンは「戦争に勝つ将軍」であると同時に、「自分を売り込む政治家」でもあったんです。

こうして民衆は自由」そのものよりも、まず「安心して生きられる社会」を求めるようになっていたことで、“議会”よりも“強い個人”であるナポレオンに期待するようになっていったんです。

SQ:不安と混乱の時代に、人々はなぜ「強力な指導者」を求めるのか?

人々は議会や制度による政治よりも、迅速に決断して社会に安定と安心をもたらしてくれる強い個人を求めるようになるため。

不安と混乱の時代に、人々はなぜ「強力な指導者」を求めるのか?

ブリュメール18日のクーデタと統領政府

こうして人気を得たナポレオンは一部の総裁と手を組んで、総裁政府を打倒するクーデタを決行します。

ナポレオンはエジプト遠征から急きょ帰国して、総裁などと結託してクーデターを起こし、軍隊によって議会を無理やり解散に追い込みました。

こうして、総裁政府は崩壊してしまい、臨時で3人の統領によって政治をおこなう統領政府を成立させて、憲法改正が宣言されることになりました。

これが革命を終わらせたと言われるブリュメール18日のクーデタです。

ブリュメール18日のクーデタ 統領政府の成立

このクーデターによって新しく成立した統領政府では、第一統領に行政権・軍事権・外交権が集中していました。

グシャケン
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第二・第三統領は第一統領の相談役程度の存在でした。

議会も残っていましたが、役割ごとに複数に分割されたので、議会の力が大きく制限される形になりました。

そして、その権力が集中した第一統領に就任したのがナポレオンでした。

こうして、ナポレオンは共和政でありながら、事実上の独裁政治をも可能にする地位に就くことになったんです。

統領政府 ナポレオンの独裁

革命の終わり

そして、ナポレオンによる統領政府のもとで国民投票がおこなわれて、「賛成:約300万票、反対:約1500票」という圧倒的多数の賛成によって、ナポレオンは正式に国家元首に就任することになりました。

この選挙の結果によって、民衆の蜂起によって体制が変わる「革命の時代」が終わり軍事クーデタによって体制が変わる時代へと移っていくことになりました。

従って、ナポレオンによるクーデタをもって、長く続いたフランス革命は終わることになりました。

フランス革命の終わり
グシャケン
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ここで、革命が始まってから終わるまでの、政治体制の変化をまとめておきますね。

時期政治体制内容・転換点
1789~1791年国民議会:立憲君主政王権を制限し憲法制定。主権は国民にあると宣言
1792年立法議会:王政停止国王の裏切り疑惑と民衆蜂起で王権停止
1792~1795年国民公会:第一共和政王政廃止。恐怖政治で急進化
1795~1799年総裁政府:第一共和政穏健共和政だが腐敗と不安定が続く
1799年統領政府クーデタで革命政府が終焉
フランス革命 政治体制の変化
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まとめ

MQ:なぜナポレオン=ボナパルトの登場によって革命は終わったのか?

A:軍事成功おさめ支持集めたナポレオンが軍事クーデターによって権力を掌握し、民衆蜂起ではなく強力な個人による統治が始まったことで、革命による体制変革の時代が終わったため。

グシャケン
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今回はこのような内容でした。

次回は、ナポレオンによる第一帝政についてです。民衆がナポレオンの支配を受け入れた具体的な理由とはいったい何だったんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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