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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回はフランス革命の4回目として、「王権の失墜」と「第一共和政」が成立していく過程をみていきます。なぜ立憲君主政から共和政に変わることになったんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:なぜ立憲君主政を維持できずに、共和政へと転換したのか?
貴族の亡命とヴァレンヌ逃亡事件
貴族たちの亡命
1789年に始まったフランス革命は、封建的特権の廃止や人権宣言の制定によって、「旧体制(アンシャン=レジーム)」のし社会から大きく変えようとしていました。
しかしその一方で、そのフランス革命を受け入れられない人々もいました。
それが民衆から目の敵にされていた特権身分の貴族たちでした。
フランス国内の有力な貴族の多くは、革命が進んでいくにつれて国外に亡命するようになります。

だって、封建的特権の廃止などの改革で一番損をするのは貴族ですし、民衆から目の敵にされていたので、命の危険を感じたんでしょうね。
そして、亡命した貴族たちは周辺諸国に対して、

フランス革命を潰すために軍事介入してくれ!
と革命を潰すための軍事介入を働きかけるようになり、革命によって失われた特権と身分を、外国の軍事力によって取り戻そうとしたんです。
このような貴族たちの動きは、フランス国内で、

革命は外からも脅かされているぞ、、、
という強い危機感を生み出すことになりました。
このように、フランス革命はもはや国内の問題だけではなく、周辺諸国も巻き込んだ国際問題に発展していたんです。

ヴァレンヌ逃亡事件
こうした状況のなか、1791年の夏に、フランス革命の流れを決定的に変える事件が起こります。
それが、国王ルイ16世と王妃マリ=アントワネットが国外へ亡命しようとしたヴァレンヌ逃亡事件でした。
ヴェルサイユ行進によって、国王一家はヴェルサイユ宮殿を離れ、パリのテュイルリー宮殿に移されていましたよね。
形式上は幽閉じゃなかったものの、民衆からの圧力に身の危険を感じていた国王夫妻は、次第に国外脱出を考えるようになります。
そして王妃マリ=アントワネットの実家であるオーストリアへの亡命を企てて、密かな逃亡計画を実行しようとしました。

ちなみにこの計画を準備したのは、マリ=アントワネットの愛人と噂されていた将校だったと言われています。

深夜にルイ16世は召使いの服装に変装して、王妃などの国王一家とともにテュイルリー宮殿を脱出します。
国王一家は大型の馬車で東の国境までいき、護衛と合流するはずでしたが、村人に国王であることがバレてしまい、国王一家はそのままヴァレンヌという町で拘束されてしまいました。
そして、亡命に失敗した国王一家は、パリへ連れ戻されることになってしまいました。


王権の停止と立法議会の内部対立
王権の停止
SQ:国王が国外逃亡を図ったことは、立憲君主政にどのような影響を与えたのか?
このヴァレンヌ逃亡事件を受けた立法議会は“王権の停止”を宣言しました。
そして、連れ戻された国王一家は再びテュイルリー宮殿に戻されて、半ば幽閉状態になりました。
一応形式上、ルイ16世はまだ国王でしたが、「国王でありながら国を捨てようとした」という事実は、民衆に「王への不信感」を募らせることになりました。
なので、この事件で国王は「革命を内側から支える存在」ではなくなり、「革命を裏切り、外国と手を組む存在」とみなされるようになってしまいました。
国民議会が作った立憲君主政の前提であった国王への信頼は、ここで大きく崩れ去ることになったんです。
そして、このヴァレンヌ逃亡事件をきっかけに、

こんな国王はもういらない!国王なしで政治をおこなうべきだ!
という、「王政の廃止」と「共和政の成立」という声が民衆の中で高まっていくことになります。
立憲君主政の前提であった国王への信頼が崩れ、王政そのものへの不信が高まり、立憲君主政は成り立たなくなっていった。

立法議会の派閥対立
フランスの議会では、1791年憲法を制定したことで国民議会は解散した後、新たに立法議会が開会されましたよね。
この立法議会は、立憲君主政のもとで、法律を整備しながら政治を運営する目的で招集さされた議会でした。
しかし、その内部では政治体制などを巡って、価値観の違いによって派閥が形成されていくことになりました。
フイヤン派
立憲君主政の定着を目指す穏健派。

フイヤン派修道院の中に別なクラブをつくったのでフイヤン派と呼ばれるようになりました。
ジロンド派
より民主的な共和政を求める改革派。

第三身分のブルジョワジーを支持基盤にしたクラブでした。
当初の立法議会は、立憲君主政を重視するフイヤン派が議員の多数を占めていました。
フイヤン派は革命をこれ以上、短期間で過激化させることには慎重な立場を採っていました。
それに対してジロンド派は、国王と妥協を図りながらも共和政を実現させようとしていたので、フイヤン派と対立することになりました。


しかし、立法議会が直面した最大の問題は、国内の改革ではなく「介入してくる諸外国と戦うべきか?」という国際問題でした。
対外戦争の勃発
緊張の高まり
革命が起きて間もなくの頃、オーストリアやプロイセン、ロシア、イギリスといった周辺の強国はというと、フランス革命を静かに見守っていました。

ライバルだったフランスの混乱による弱体化は、彼らにとって好都合ですからね。
それに伴って、国民議会も国内の改革で手一杯だったので、周辺諸国との衝突は避けようとしていました。
しかし、ヴァレンヌ逃亡事件が起きたことで、状況が一気に変わることになります。

ヴァレンヌ逃亡事件後、オーストリアとプロイセンの君主たちは、

フランスの王政が崩れれば、革命の波が広がる危険性がある。ヨーロッパ諸国の君主にとって、フランス王政は守るべき共通の利益だ!
という考えのもと、フランス国王の地位を守ることを求める「ピルニッツ宣言」をヨーロッパ諸国に出して警告を鳴らしました。
これに反応して、亡命したフランス貴族たちも隣国のドイツ西部に集まって、反革命運動の準備を始めようとしていました。
こうして、亡命貴族による反革命運動と、周辺諸国の軍事的圧力が強まっていったことで、フランスは「外敵の脅威」にさらされる状況になっていきました。

加えて、1791年は農作物が不作で穀物価格が高騰してしまい、都市や農村で食糧難が深刻化していました。
この食糧難によって、民衆の不満の矛先が立法議会に向くようになり、立法議会は民衆の不満の矛先を国内から国外へ向ける必要に迫られるようにもなっていったんです。

開戦
このような状況で、立法議会では開戦を巡って議論が激化していきました。
・ジロンド派
開戦支持:対外戦争で革命運動を守り抜いて、その勢いで国内の反革命勢力を一掃できると主張。
・フイヤン派
開戦支持:対外戦争に負ければ革命運動が終わり、立憲君主政が回復することを期待
このように、動機は正反対だったんですが「戦争を望んでいる」ことだけが一致することになり、議会内で開戦派が多数を占めるという、変わった状況になりました。
そして、立法議会はオーストリアに対して、「亡命した貴族を送還せよ。」という最後通牒を突きつけます。
しかし、オーストリアはこれに応じなかったことから、立法議会は満場一致でオーストリアへの宣戦布告を決議することになり、対オーストリア戦争が始まることになりました。

ちなみに、半幽閉状態だったルイ16世と王妃マリ=アントワネットは、オーストリアが勝つのを期待していたそうですよ。
フランスは戦争の相手をオーストリアに限定しようとしましたが、プロイセンとオーストリアは同盟関係だったので、結果としてオーストリア・プロイセン連合軍と戦うことになりました。

革命の危機と8月10日事件
しかし、戦争は初めからフランス軍が劣勢に立たされることになりました。
指揮官の多くが貴族出身だったため、やる気がなく、将校の亡命や裏切りが相次いで起こりました。
こうしてフランス軍は各地で敗北と退却を重ねてしまい、革命は崩壊の危機を迎えてしまいます。

マリ=アントワネットが軍事情報を敵国に流していたとも言われています。
オーストリア・プロイセン連合軍は国境を越えてパリに迫ってくるなか、立法議会は非常事態宣言を出します。

祖国は危機にあり!
この宣言によって、全国各地から革命を守ろうと、連盟兵(義勇兵)が続々とパリに駆けつけてきました。

この時に、マルセイユから来た義勇兵たちが歌っていた軍歌が、後にフランス国歌となる「ラ=マルセイエーズ」だったんですよ。
日本語版の歌詞を見たら、びっくりするぐらい過激な言葉が使われているんですよ。
革命派の下層市民(サンキュロット)たちも武器を持ってパリに集結し、義勇兵たちと共に革命軍を編成していきました。

これに対し、猛攻を見せていたオーストリア・プロイセン連合軍は、

国王ルイ16世に危害を加えればパリを破壊するぞ!
と警告をしてきます。
これについては、実はルイ16世とマリ=アントワネットが密かに要請していたことだったんです。
この事実を知ってしまった革命派市民(サンキュロット)は、国王一家に対して怒りを一気に爆発させることになりました。
1792年8月10日、サンキュロットと義勇兵による革命軍は、国王一家が幽閉されているテュイルリー宮殿を襲撃します。
宮殿を守っていた傭兵との激しい戦闘が起きた結果、宮殿は革命軍によって陥落し、国王ルイ16世一家は捕らえられて、革命軍によって監禁されてしまいました。

この時、宮殿を守っていたスイス人傭兵約600名は全滅し、革命軍も約400名もの死傷者が出る激しい戦闘だったそうです。
この出来事は後に「8月10日事件」と呼ばれるようになりました。

SQ:なぜ戦争の失敗は、国王への攻撃へとつながったのか?

ではここで、なぜなぜ戦争の失敗は、国王への攻撃へとつながったんでしょうか?
それは、戦争での連続した敗北によって「国王が革命を裏切り、敵国と手を組んでいる」という疑念が決定的になったからです。
具体的には、国王ルイ16世とマリ=アントワネットが敵国に協力していた事実(亡命貴族・敵国への情報提供、国王保護を名目としたパリ破壊の警告)が明らかになったことでした。
これにサンキュロットが「国王こそが祖国の危機を招いている存在だ」と認識した結果、革命を守るためには王権を排除するしかないと考え、「8月10日事件」が起きたというわけなんです。

この流れは、[戦争の失敗]→[国王不信の拡大]→[革命防衛のための武装蜂起]という関係で整理できますね。
以上をまとめるとこんな感じです。
戦争での敗北が続く中、国王が敵国と結託して革命を裏切っていることが明らかになり、国王こそが祖国の危機を招いていると考えられたため、攻撃の対象となった。

国民公会の成立と第一共和政
この事態を受けて、立法議会は重大な決断を下しました。
それが立憲君主政を支えてきた“王権の停止”でした。
しかし、王権の停止は立法議会が目標としてきた立憲君主政を放棄することを意味していました。
なので、この決断を受けて立法議会は役割を終えたと判断し、議会を解散させることにしました。
そしてその後、国家運営のための新たな議会を招集するために、人権宣言に即した方法が採られました。
それが男子普通選挙でした。
この選挙ではそれまであった財産制限が撤廃されて、男性であれば誰でも投票できるようになるという「平等」に即した方法でした。

女性はまだ社会に貢献していないという理由で参政権は与えられませんでした。
こうして、フランス史上初めて男子普通選挙が実施されて、この選挙によって成立したのが 国民公会とよばれる議会でした。

国民公会は1792年から1795年までの約3年間続き、フランス革命の最盛期を担うことになります。
この「民衆(※女性は除く)」によって初めて組織された国民公会でしたが、まだオーストリア・プロイセン軍の脅威が残っていて、革命の危機には変わりない状況でした。
しかし、ヴァルミーの戦いでフランス軍(革命軍)がプロイセン軍を撃退することに成功したことで、 革命軍は大きな自信を付けることになりました。

砲兵の活躍や悪天候、伝染病や食糧と水不足、フランス農民のゲリラなどが勝利の要因だったそうです。
革命軍は「負ければ国を失う」ぐらいの気持ちで戦っていたので、士気がとても高かったんです。

そして、ヴァルミーの勝利の翌日、国民公会が正式に開会し、すぐに王政の廃止が決定されます。
こうして、フランスは史上初めての共和政が誕生することになり、 ここに第一共和政が成立しました。
革命は、もはや「国王を制限する政治」ではなく、 「国王なき政治」へと踏み出したんです。
その後、権力を失った国王は国民公会のもとで裁判が行われ、旧国王ルイ16世と王妃マリ=アントワネットは処刑されることが決まり、ギロチンによって公開処刑されることになりました。

この出来事は、フランス革命が完全に王権と決別したことを意味していますね。


まとめ
MQ:なぜ立憲君主政を維持できずに、共和政へと転換したのか?
A:国王と貴族が革命を受け入れず、国外勢力と結託して革命を裏切ったことで、立憲君主政の前提であった国王への信頼が崩壊し、革命を守るために王政そのものを廃止せざるを得なくなったためである。

今回はこのような内容でした。

次回は、フランス革命の5回目として「恐怖政治」と「革命の終わり」についてみていきます。フランス革命はどのような形で終わりを迎えたんでしょうか?
有名なあの人も登場しますよ。
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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