[12-3.7]ナポレオンの統治と第一帝政

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12-3.フランス革命とナポレオン

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はじめに

グシャケン
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前回はこのような内容でした。

グシャケン
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今回はナポレオンが第一帝政を成立させる過程をみていきます。ナポレオンは革命後のフランスで、どのような社会を築こうとしたんでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:ナポレオンはどのような社会を築こうとしたのか?

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エジプト遠征後の国際情勢とナポレオンの台頭

グシャケン
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ここの章は前回の[12-3.6]フランス革命⑥(ナポレオンの登場と革命終了)の復習にもなります。

ナポレオンがまだ軍司令官だった頃に実施されたエジプト遠征は、イギリスのインド貿易路を断つことを目的にしておこなわれました。

しかし、海戦でフランス艦隊がイギリス艦隊によって壊滅してしまい、軍事的には失敗に終わってしまいました。

そしてこの遠征を受けて、イギリスとの戦争が再開されることになり、フランスは再び厳しい対外戦争に直面することになりました。

エジプト遠征

一方で、ナポレオンはそれ以前のイタリア遠征の勝利によって、北イタリア一帯を制圧して、各地に共和政を名目とする傀儡国家(かいらいこっか)を築きました。

傀儡・・・他人に操られて動く存在

グシャケン
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これらの傀儡国家では、ナポレオン「革命の解放者」として歓迎した勢力を、政府の中心に置いたことで、ナポレオン自身のコントロール下に置こうとしました。

これによって、ナポレオンは自身の影響力を国外に拡大していき、自身の政治的・軍事的な支持基盤にしていきました。

こうした対外戦争での活躍と名声を背景に、ナポレオンはブリュメール18日のクーデタによって政権を手に入れ、第一統領としてフランスの実権を握ることになったんです。

これによって、フランス革命は終わりを告げました。

イタリア遠征と傀儡国家 ナポレオンの実権掌握
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宗教政策と国内外の安定化

宗教政策と国内安定化

SQ:ナポレオンはなぜ宗教の完全排除ではなく、教会との和解を選んだのか?

フランス革命の時期は、財政難を再建するために、教会財産を没収したり、聖職者を国の管理下に置く(国家公務員化)などの脱カトリック政策をおこなったことで、カトリック教会との関係が悪化していました。

この宗教対立は、教会からの反発などから、地方で混乱を招くなどの社会問題を引き起こしていました。

第一統領のナポレオンは、この宗教対立に対して現実的な解決策を打ち出します。

それが、教皇と協約を結んで、カトリックを「フランス市民の大多数の宗教」として認めることでした。

ただし、フランス国内の教会は教皇ではなく国家に従属する形にして、聖職者の任命権も統領政府が握ることになりました。

グシャケン
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これは形式上、カトリック教会に歩み寄りながらも、ナポレオンの実権を維持するための宗教統制でもあったんです。なかなか巧妙ですね。

この宗教政策によるカトリック教会との妥協で、革命期に混乱していた社会は安定するようになり、ナポレオン政権への支持も広がっていくことになりました。

SQ:ナポレオンはなぜ宗教の完全排除ではなく、教会との和解を選んだのか?

宗教対立による社会の混乱を収めるため、宗教を排除せず教会と和解しつつ、国家の統制下に置くことで政権の安定を図ろうとしたため。

ナポレオンはなぜ宗教の完全排除ではなく、教会との和解を選んだのか?

対外関係の安定化

国内の安定化と並行して、ナポレオンは対外関係の安定にも取り組みました。

再びイタリアに遠征をおこないオーストリア軍と戦って講和を結び、オーストリア勢力をイタリアから排除します。

その後、イギリスとの間でもアミアンの和約を結んで、第2回対仏大同盟解散することになり、長く続いた対外戦争を一時的に終結させることに成功しました。

グシャケン
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イギリスはフランスとの戦いでヨーロッパ市場から締め出されていたことと、それによる国内産業の不振によって、講和に踏み切ったそうです。

この「平和」は短期間に過ぎませんでしたが、フランス国民にとっては革命以来初めて訪れた安定した時期になりました。

このように対外関係も安定させたナポレオンは、国民からの人気を背景に、憲法を改正して第一統領の任期を終身制へと変更して、権力をさらに集中させていくことになりました。

対外関係の安定 アミアンの和約
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ナポレオンの諸改革

ナポレオン法典

さらに権力を集中させたナポレオンは、フランス革命の成果を社会に定着させるための改革をおこないました。

その代表的な例が、民法典(ナポレオン法典の作成でした。

このナポレオン法典では、

所有権の保障

法の下の平等

身分制の否定

信仰・労働の自由

といった内容が盛り込まれ、これはフランス革命の理念を宣言にとどめず、具体的な法律として明文化することで、フランス社会に定着させようとしました。

特に、「人権宣言」で示した革命の考え方を、日常生活のルールとして使われる民法に組み込んだことは、革命の成果を一時的なものじゃなく、長く残すことができる大きな一歩だったんです。

グシャケン
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この民法典の作成には、ナポレオン自身も積極的に参加しました。

ちなみに、彼は若い軍人時代に、ビザンツ皇帝ユスティニアヌスの『ローマ法大全』を読破していて、それを引用して他の学者たちを驚かせていたそうですよ。

ナポレオン法典

そして、ナポレオン法典の一番の特徴は、封建的特権を持っていた特権身分中心の時代から、市民階級(ブルジョア)が社会の中心になったことを、法律ではっきりと認めたことでした。

土地の質権・抵当権の承認・・・土地を担保にお金を借りることを認めた。

均等分割相続の規定・・・財産は子どもたちに平等に分けて相続することを定めた。

などは土地(領地)を基盤にしていた封建的特権を否定することになり、身分や特権ではなく、個人の財産と権利を重視する法律を確立させました。

一方で、家族のまとまりを大切にし、家の代表である家長の権限を強めるなど、社会の安定を保つことを重視した、混乱を避けるためのやや保守的な考え方も含まれていました。

保守・・・急な変化を避け、伝統的なしくみを守ろうとすること。

ナポレオン法典の特徴

以上のことから、ナポレオン法典とは、

革命で生まれた自由と平等の考え方を受け継ぎながら、それを社会が安定して動くためのルールとしてまとめ直した法典

と言えることにできます。

このナポレオン法典の考え方は、ナポレオンの征服戦争とともにヨーロッパ各地へと広がっていくことになりました。

そしてその後、ナポレオン法典はヨーロッパ各国の民法典の模範になっていき、結果としてフランス革命の理念は、近代ヨーロッパの法の基礎として定着していくことになったんです。

グシャケン
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ナポレオンは「戦争には勝てなくても、法典は永遠に残る」と言っていて、実際、彼の独裁は崩壊しますが、ナポレオン法典は現在もフランス法の基礎となっているんですよ。

ナポレオン法典

能力主義と経済改革

ナポレオンは、革命によって亡命していた貴族たちの帰国を許して、前歴に関係なく能力によって官僚を採用する制度を整えました。

優秀な成果をあげた者には爵位(しゃくい)を与えて貴族に取り立てて、新しい貴族層も作り上げていきました。

しかし、これはそれまでの血統による旧貴族の復活ではなく、実力に基づく新エリート層の形成でした。

グシャケン
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ここでも、革命の理念である「平等」を崩さない姿勢がみえますね。

ちなみに、この実力主義には、ナポレオンに忠実なエリート層を作る目的もあったみたいですよ。

ナポレオンの能力主義

そして、ナポレオンが第一統領だった時代は、フランス革命期からの混乱によって、フランス経済が深刻な状態になっていました。

グシャケン
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王政の打倒によって、紙幣の価値が紙くず同然になっていたんです。

ナポレオンは政治や法律だけでなく、強国にするには経済も立て直す必要があると考えました。

とくに、フランスを工業国家として発展させてイギリスに対抗するためには、安定した通貨を発行する必要がありました。

そこでナポレオンのもとで設立されたのが“フランス銀行”でした。

ナポレオンは産業の発展を重視していたので、フランス銀行にパリでの紙幣発行の独占権を与えました。

これにより、フランス銀行は中央銀行として通貨の安定を担うことになりました。

そしてフランス銀行は通貨の価値を安定させながら、他の銀行も統合していき、資本金を増やしながら、企業に資金を貸しフランス産業を支える存在になっていきました。

グシャケン
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ナポレオンが没落した後も、フランス銀行は残って、ナポレオン法典と並ぶ「遺産」として、後のフランス産業革命に貢献することになりました。

フランス銀行の設立
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第一帝政の成立

こうした改革によって、国内外を安定させたナポレオンは、国民からの絶大な支持を受けます。

そして、ナポレオンは自分が築いた体制を長く維持させるために、ある決断をします。

それが、“共和政からの脱却”でした。

共和政だと、自分で後継者を決めることができないので、自分で後継者を決められる世襲制にするために、自らが皇帝になるための国民投票をおこないました。

グシャケン
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ここも国民投票で決めるあたりが、国民の意見を無視せずに、フランス革命の理念に沿っていました。

この国民投票でナポレオンは圧倒的多数の賛成を得ることができたので、1804年に彼はナポレオン1世として皇帝に即位することになりました。


これによって形式上の共和政だった統領政府は解散することになり、新たにナポレオン1世を皇帝とする第一帝政が成立しました。

グシャケン
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国民は共和政を捨ててでも「安心して生活できる強い国家」をナポレオンに期待していたんです。

ここから、フランスはナポレオン皇帝のもと、ヨーロッパに対外進出していくことになります。

第一帝政の成立 ナポレオン1世
ナポレオンの戴冠式
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まとめ

MQ:ナポレオンはどのような社会を築こうとしたのか?

A:フランス革命で生まれた自由と平等の理念を維持しつつ、宗教・法律・経済を国家の統制下に置くことで社会の安定を実現し、能力主義に基づく近代的な市民社会を築こうとした。

グシャケン
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今回はこのような内容でした。

次回は、皇帝ナポレオン1世による「ヨーロッパ支配と帝国の終焉」についてみていきます。ナポレオンの支配に反発した人々にはいったいどんな理由があったんでしょうか?

それでは次回もお楽しみに!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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グシャケン
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