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[4-3.5]内乱の1世紀①(改革の失敗と反乱)

4-3.ローマ

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後にはパワーポイントもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は市民間の経済格差の拡大をうけて改革がおこなわれますが、その後「内乱の1世紀」と呼ばれる内乱期が訪れます。

なぜ、ローマで内乱が起こってしまったのか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:ローマの内乱はどのようにして起きたのか?

今回の時代はここ!

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グラックス兄弟の改革

SQ:なぜグラックス兄弟の改革は失敗してしまったのか?

ローマでは長期の征服戦争によって、市民が貴族などの裕福層と無産市民の間で経済格差が広がっていましたね。

没落した中小農民はもともと重装歩兵として軍の中心を担っていたので、彼らが無産市民になってしまうことは、そのまま軍事力の低下に繋がっていました。

なので、このような中小農民の没落による軍事力低下に危機を感じたグラックス兄弟という2人の人物が貧民問題解決のための改革に乗り出します。

グラックス兄弟

兄(ティベリウス=グラックス)

まず一人目がティベリウス=グラックス(以後「グラックス(兄)」と表記)という人物です。

新貴族(ノビレス)出身だったグラックス(兄)は、部将として各地を転戦するなかで、無産市民となって農村を去る人々や、奴隷を使ったラティフンディア(大土地所有制)を目の当たりにして、改革の必要性を痛感しました。

その後にグラックス(兄)は護民官に選出されて、ローマ市民軍を再建するために改革に乗り出したんです。

改革の内容は以下の通りです。

グラックス(兄)の改革

①公有地の制限

②規定以上の公有面積は国へ返還

③返還された土地は抽選で無産市民に分配

まあ、簡単にいうと無産市民に土地を持たせて自営農業を促す農地改革ですね。

グシャケン
グシャケン

太平洋戦争後の日本でも、GHQによって大土地所有を制限されて自作農が推進されましたね。

この内容によって、グラックス(兄)は中小農民の没落によって無産市民が増加するのを防ごうとしました。

しかし改革を実現させようとしたグラックス(兄)は、改革に失敗して殺害されてしまったんです。

グシャケン
グシャケン

なぜグラックス(兄)は殺害されてしまったんでしょうか?

それは、大土地所有を制限される裕福層から反対されたからだと思います。

グシャケン
グシャケン

そうですね。たしかにこの改革は、土地をたくさん持っている貴族や富裕層に不利な内容ですからね。

「国のために、あなたの土地を没収します。」と言われて素直に従う人はそういませんよね。

しかし、グラックス(兄)が殺害された理由は、その改革の内容よりもその「推し進め方」が良くなかったみたになんです。

簡単にいうと、グラックス(兄)はそれまであった慣習やルールを破ってまで改革を実現させようとしたんです。

自分と反対派についた護民官を無理やり解任させたり、再選できない護民官を再任しようとしたりと、改革実現のためには手段を選ばない姿勢を見せました。

反対派
反対派

グラックス(兄)は独裁者になろうとしているぞ!

と思われてしまったことで反対派の不満が加熱し、議会の場で反対派による暴動が起きて、その支持者も含めてグラックス(兄)は殺害されてしまったんです。

グシャケン
グシャケン

この時、殺害されたのは約300人以上にも及んで、そのまま死体は川に投げ込まれてそうです。

議会の場で反対派(主に貴族)がこのような行動に出るほど、グラックス(兄)を憎んでいたんですね。

引用:グラックス兄弟の改革 (y-history.net)

グラックス兄弟

このような形でグラックス(兄)の改革は失敗にわりますが、このあと弟がその意志を受け継いで改革に再び乗り出します。

弟(ガイウス=グラックス)

兄の失敗をみて、その意志を受け継いだのが弟のガイウス=グラックスでした。(以後「グラックス(弟)」と表記)

グラックス(弟)は兄の死後、政治家としての才能を発揮するようになり、兄の意志を継いで護民官に選出されます。

騎士などの支持を得て、グラックス(弟)がおこなおうとした改革は以下の通りです。

グラックス(弟)の改革

①土地法の再制定(グラックス(兄)の改革案)

②穀物価格の上限を設定

③属州統治の不正を裁く組織を元老院から騎士へ移行

しかし、この改革も実現を急いだために、大土地を所有する富裕層から強い反発をうけてしまいます。

そして、反対派による改革の否決に対し、ローマの市民はグラックス(弟)の支持を叫びながら騒ぎを起こしてしまいます。

そうしてグラックス(弟)派と反対派の争いは最終的に武力衝突にまで発展してしまいました。

グラックス(弟)は調停しようとしましたが失敗に終わってしまい、反対派に追われて、最後は自ら命を絶ってしまい、この改革も失敗に終わってしまいました。

グラックス兄弟
SQ:なぜグラックス兄弟の改革は失敗してしまったのか?

経済格差の是正によって市民の没落を防止しようとしたが、改革が急進的だったあまり、反対派の強い反発にあって失敗した。

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内乱の1世紀

グラックス兄弟の改革が失敗に終わってしまったことで、土地の分配は中止になり経済格差はさらに広がってしまいました。

このグラックス兄弟の改革後、閥族派と平民派が武力を使って政治闘争するようになり、なんとこのような時代が約100年にも渡って続くことになります。

この約100年に渡る内乱をローマの「内乱の1世紀」と呼びます。

内乱の1世紀

派閥争い

SQ:なぜ「内乱の1世紀」にローマ共和政は崩壊したのか?

グラックス兄弟の改革失敗後、中小農民の没落はさらに進んだことで軍事力が低下して、ローマ軍は各地で苦戦する状況になってしまいます。

そこで兵力不足を解消するために軍事改革をおこなったのが、将軍マリウスでした。

マリウス

マリウスは護民官を務めた後にコンスル(執政官)となって、軍事改革に着手しました。

その内容とは、それまで徴兵制だった市民軍から、無産市民から志願兵を募集する職業軍人制を導入することで、兵力不足を補おうとしたんです。

これによってマリウスは対外戦争に勝利することに成功して名声を高めました。

ここからマリウスは元老院に不満を持つ騎士などからの支持を受けて平民派の代表的存在へとなっていきました。

それまでローマ軍は徴兵された“国軍“として機能していました。

しかし、無産市民を軍人として雇用する制度ができたことで、莫大な資産を持つ政治家や将軍が「自分だけの軍隊」を作ることが可能になり、軍隊の“私兵化“が起こりました。

雇い主である政治家は兵士の生活を保障するかわりに、兵士たちは雇い主を政治的に支持・奉仕をして、庇護(ひご)の関係が出来上がりました。

庇護・・・弱い立場の人をかばって守ること。

マリウスの軍事改革、無産市民の私兵化

これによって政治の争いに私兵が投入されるようになってしまい、派閥同士で殺し合いがおこなわれるようになってしまいました。

グシャケン
グシャケン

ではこれは共和政の崩壊とどう繋がっているのでしょうか?

共和政は平等のもとで「話し合い」による解決がされるはずなので、殺し合いによる解決は共和政ではないと思います。

グシャケン
グシャケン

そうですね。「言論」ではなく「暴力」によって解決しようとしていますね。

軍隊の私兵化で、政治が議論ではなく“暴力“によって解決するようになってしまったことで、ローマ共和政は事実上の崩壊を迎えることになってしまったというわけです。

SQ:なぜ「内乱の1世紀」にローマ共和政は崩壊したのか?

兵力不足により有力政治家や将軍によって無産市民の私兵化がおこなわれたことで、政治闘争に私兵が投入されるようになったことで共和政は事実上崩壊した。

平民派のマリウスに対して、閥族派はスラという人物を中心として、お互い私兵を率いて敵対派閥を殺害する争いがおこなわれました。

平民派マリウス、閥族派スラ 派閥争い 共和政崩壊

同盟市戦争

ローマの政治が闘争によって混乱するようになると、それに乗じて各地でローマへの反乱が起きるようになりました。

反乱の発端となったのは、同盟市による反乱です。

イタリア半島の同盟市は分割統治によってローマ市民権が与えられていなかったので、征服戦争の利益を得ることができなかったんです。

それに不満をもった同盟市同士が結託して市民権を求めて起こしたのが同盟市戦争でした。

同盟市戦争は数年で30万人以上の死者が出るほど、大規模に発展してローマは手を焼くことになります。

最終的にはローマ側が譲歩して、イタリア半島の全自由民にローマ市民権を与えることになりました。

同盟市戦争
市民権拡大の影響

SQ:市民権拡大によって何が変わったのか?

市民権拡大による変化は大きく2つです。

グシャケン
グシャケン

それまでローマを含めた一部の都市にか与えられなかったローマ市民権が、イタリア半島全体に与えられたことで、それまでローマ市民しかできなかったことが難しくなりました。

それはいったい何でしょう?

それまでローマの政治は民会を中心におこなわれてましたね。

その民会に参加できる条件が“ローマ市民権を持っていること”だったんです。

なので、それがイタリア半島全体に広がってしまったことで、民会が機能しずらくなってしまい、余計に武力による闘争が激化してしまったわけなんです。

市民権拡大の影響

ローマ市民によっておこなわれた民会が機能しずらくなった。

2つ目は、ローマが都市国家ではなくなったことです。

ローマは市民権によって他の都市と差別化して統治・支配していました。

しかし、ローマ市民権がイタリア半島全土に広がったことで、都市国家ローマとしての特権を失ってしまいます。

結果、ローマは「都市国家」から「領域国家」へと変化していったのです。

市民権拡大の影響

ローマが「都市国家」から「領域国家」へと変化した。

まとめるとこんな感じですかね。

SQ:市民権拡大によって何が変わったのか?

市民権がイタリア半島全体に与えられたことで、民会が機能しずらくなり、ローマは都市国家群から領域国家へと変化していった。

スパルタクスの大奴隷反乱

剣闘士

剣闘士とはローマの征服戦争によって戦争奴隷となった者の中から、剣闘士として養成された奴隷をことを言います。

彼らは、円形競技場でお互いに決闘したり猛獣と戦ったりして、「パンと見世物」を求める市民たちの娯楽として楽しまれていました。

剣闘士 資料:『詳説世界史探究』山川出版社

●剣闘士の命は観客が握っていた!?

剣闘士の決闘では相手が死ぬか戦闘不能になるまで闘い合っていました。

どちらかが戦闘不能になってしまった場合、とどめを刺さずに敗北者をどうするのかを観客にゆだねていたんです。

決め方はこうです。

敗北者を生かしたい時(健闘した時など)・・・親指を上に突き立てる

敗北者を殺したい時(逃げ腰や不甲斐なかった時など)・・・親指を下に突き立てる

このようにして剣闘士の命が観客にゆだねられていたこともあり、観客は熱狂して剣闘士戦を観戦していました。

現代では人権の観点からなかなか共感しずらい制度ですね。

剣闘士については映画『グラディエーター』や『ポンペイ』で観ることができるので、参考にしてください。

映画『グラディエーター』 資料:Gladiator Picture – Image Abyss (alphacoders.com)
映画『ポンペイ』 資料:ポンペイ : ポスター画像 – 映画.com (eiga.com)
スパルタクスの大奴隷反乱

その剣闘士たちはいわば「死ぬため」に日々訓練をさせられていたので、ローマに対して不満を募らせていきます。

しかも観客に生死をゆだねるんですから、現代からしても理不尽この上ないですよね。

そうして剣闘士であったスパルタクスによって引き起こされたのがスパルタクスの大奴隷反乱でした。

はじめは百人弱の剣闘士の脱走から始まったんですが、各地に反乱を呼びかていった結果、最終的には10万人を超える大反乱へと発展していったんです。

しかも、スパルタクスは頭が切れて剣闘士たちも普段から戦闘訓練をしているので、ローマ軍は何度も敗れてしまい、ローマは危機に陥るほどになりました。

しかし、反乱軍の中で考えの違いから内輪もめが始まって分裂するなど弱体化していき、最終的には将軍のクラックスポンペイウスによって鎮圧されてしまいました。

スパルタクスの大奴隷反乱

このような暴力による政治闘争や同盟市戦争、剣闘士の反乱が立て続けに起こったことでローマの内乱は頂点を向かえることになりました。

果たしてローマはどうなってしまうのでしょうか、、、

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まとめ

MQ:ローマの内乱はどのようにして起きたのか?

A:没落農民を救済するために、グラックス兄弟によって改革がおこなわれたが裕福層の反対などによって失敗に終わった。その後、兵力不足を解消するために有力政治家などによる無産市民の私兵化がおこなわれたことで、政治闘争に軍事介入するようになり、政治混乱が生じて各地で反乱が起きて「内乱の1世紀」が始まった。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回は内乱の1世紀に独裁者が登場します、世界的に有名なあの「カエサル」さんも登場しますよ。

それでは次回もお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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