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[4-3.4]ローマ社会の変容

4-3.ローマ文明

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回はローマの領土拡大によって、社会はどのような影響を受けたのかについて見ていきます。ローマ共和政にはいったいどんな影響があったのでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:領土拡大はローマ共和政にどんな影響を与えたのか?

今回の時代はここ!

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無産市民の「パンと見世物」

ローマは前2世紀半ばには地中海を制覇して大国に成長していましたね。

しかし、この征服戦争によってローマには深刻な社会問題が起こっていました。

中小農民の無産市民化

SQ:中小農民はなぜ無産市民となり、征服戦争を望んだのか?

ローマでは、征服戦争によって多くの中小農民が財産を失った下層市民である無産市民となって、都市ローマに流入する現象が起きました。

グシャケン
グシャケン

ではなぜこのような事態になってしまったのでしょうか?

中小農民たちは戦場ではどんな役割を担っていたでしょうか?

ローマは大方は侵略する立場でしたが、第2回ポエニ戦争などではハンニバルの侵入などによってイタリア半島が荒らされたりということもありました。

加えて、重装歩兵として参加していた中小農民が長期間に渡って農地を空けていたことで、さらに農地が荒廃して作物を育てられなくなってしまったんです。

それによって中小農民は土地(農地)を手放すはめになり、無産市民として新たな生活を求めて都市ローマに流入することになったわけなんです。

ローマ、中小農民の没落、無産市民

パンと見世物

しかし、こうした職を失った無産市民たちはこぞって、さらなる征服戦争を望んでいたんです。

ではなぜ職を失う原因になった征服戦争を望んでいたんでしょうか?

それは無産市民といえど、市民権を所有していたところにあるんです。

ローマには、当時拡大していた属州から大量の安価な穀物が輸入されていました。

無産市民たちはその安い穀物によって生活が維持できていたんです。

加えて、無産市民は平民会の投票権も持っていました。

なので、政治家たちなどは、

政治家
政治家

無産市民の票を取り込むために、穀物や物品を支給してやれ!

国も市民からの支持率が高いほうが良いに決まっていますから、国も同じように支持率や得票集めのために、こぞって無産市民たちに穀物や金品を無料提供し、見世物(サーカス)を無料で開催するなどしていました。

見世物(サーカス)・・・現代のサーカスとは違い、円形闘技場での剣闘士戦や戦車競走などの見世物がメイン。

こうなると無産市民たちはどうなるかというと、、、

無産市民
無産市民

属州が増えると支給されるものが増えるからガンガン侵略してくれ!

となってさらに強欲になっていきました。

そのような理由から、無産市民は国や政治家に「パンと見世物(みせもの)」を要求するようになり、さらなる征服戦争を望むようになりました。

パンと見世物

このようにして、無産市民は征服戦争によって財産を失いますが、その征服戦争による恩恵に依存するようになってしまったんです。

SQ:中小農民はなぜ無産市民となり、征服戦争を望んだのか?

征服戦争や長期間の従軍によって農地が荒廃し、中小農民は土地を手放すはめになり無産市民となった。しかし、属州からの安価な穀物輸入の影響で、政治家や国などによる「パンと見世物」によって、さらなる征服戦争を望むようになった。

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騎士階級の出現とラティフンディア

騎士階級の出現

ローマの領土拡大は、無産市民だけでなく、裕福層にも莫大な利益をもたらしました。

手に入れた属州の統治を任された元老院議員は、属州が拡大するごとに利益を手に入れていました。

さらに平民の中でも裕福で騎兵として戦争に参加していた騎士階級は、海外貿易などの商業活動に従事し、属州の徴税請負人に指定されたことで、税の中抜きをする形で莫大な富を手に入れていきました。

グシャケン
グシャケン

騎士は次第に軍人としての地位ではなく、裕福な支配階層を意味するようになっていきました。

これによって、騎士階級は新興裕福層として元老院に次いで2番目の支配階層になっていきました。

ローマ、騎士階級

ラティフンディア

属州の拡大によって利益を手に入れた元老院や騎士はその利益を使って、中小農民が手放した農地を買い集めたり、ローマの獲得領土を占有したりして、広大な土地の所有者になっていました。

そこに属州から連れてきた捕虜である奴隷を多数働かせてブドウやオリーブなどの商品作物を栽培させるようになります。

このような大土地所有制(大規模農業経営)をラティフンディアと言い、これによって裕福層はさらに利益を手に入れていたんです。

なので、裕福層たちからしても、

裕福層
裕福層

属州が増えると利益が増えるからもっと侵略戦争をしてくれ!

となって裕福層も征服戦争を望むようになっていきました。

ラティフンディア
グシャケン
グシャケン

ちなみにローマの奴隷制はギリシアよりも発達していたそうですよ。

奴隷は「ものいう道具」として、全盛期では、全人口の約20%が占めていたそうです。

ローマ帝国期の奴隷の様子は邦画『テルマエ・ロマエ』でみることができます。

経済格差の拡大

上記の内容によって、ローマの征服戦争によって土地や奴隷は富裕層に集中していきました。

逆に、無産市民はその恩恵にあずかろうとする傾向が強くなっていきました。

貧富両方から征服戦争が望まれたことによって、ローマはさらに領土を拡大していくことになります。

それによって、都市では市民の間での経済格差がいっきに広がってしまいました。

ローマ市民の経済格差
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閥族派と平民派

共和政の動揺

ローマ共和政は市民の平等が原則だったんですが、市民間の経済格差の拡大によって、その共和政に矛盾が生じるようになります。

軍事的にも、軍の中心を担っていた中小農民が無産市民に没落したことで、ローマ軍は成り立たなくなっていきました。

加えて貧富の差の拡大が進むことによって、それぞれの身分から支持を受けた派閥が台頭するようになって、政治的対立も激化してしまいました。

以下にその派閥をみていきますね。

閥族派

元老院を中心とした伝統的支配を守ろうとした派閥が閥族派(ばつぞくは)といわれる保守派です。

保守派・・・旧来の伝統や考え方などを守って行こうとする立場

閥族派は、古い名門貴族の家系で、元老院の議員を代々してきたような閥族(ばつぞく)で構成されていました。

あとで紹介する反元老院勢力の平民派と政治的に対立する立場でした。

平民派

民会を基盤に元老院に対抗しようとした派閥が平民派とよばれる革新派でした。

革新派・・・古くからの習慣・制度・状態・考え方などを新しく変えようとする立場

貴族によって独占されていた元老院に不満を持つ騎士階級や無産市民から支持され、閥族派と対立していました。

グシャケン
グシャケン

閥族派と平民派の対立は、あくまで既存の支配層である元老院(貴族)と新興裕福層である騎士階級が中心となった利権争いだったので、大衆の権利が争われたわけではなかったことに注意しておいてください。

閥族派と平民派

閥族派・・・名門貴族(新貴族も含む)を中心とした保守派。

平民派・・・新興裕福層(騎士)を中心とした革新派。

閥族派と平民派

この二大派閥の対立によって、この後ローマは混乱の時代を迎えることになります。

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まとめ

MQ:領土拡大はローマ共和政にどんな影響を与えたのか?

A:長期の戦争によって中小農民が没落し、無産市民として都市ローマに流入した。反対に富裕層は属州からの利益を享受し、ラティフンディアなどによって莫大な富を得た。これらの理由から市民間の経済格差が広がり、ローマ共和政の基盤が揺らぎ始めた。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回は、ローマに1世紀に及ぶ内乱が訪れます。この内乱によってローマは帝国へと変化を遂げていきます。いったいどんな経緯で帝国となっていったのでしょうか。

それでは次回もお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓

主な参考文献

『世界史の窓』世界史の窓 (y-history.net)

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社

・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社

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