この記事で使用したPowerPointスライドは「note」にてダウンロード可能です。PowerPointスライドやWordプリントのダウンロードは記事の最後に貼ってあるURLから!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!
はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は、前回帝政が始まったローマ帝国に危機が訪れます。
その危機によって社会にはどんな影響が出たんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:ローマ帝国の危機は社会にどんな影響を与えたのか?
今回の時代はここ!

「ローマの平和」の終焉
アウグストゥスの時代から約200年間続いた「ローマの平和(パクス=ロマーナ)」でしたが、五賢帝最後のマルクス=アウレリウス=アントニヌスの時代から陰りが見え始めていました。
マルクス=アウレリウス=アントニヌスの時代から、北方のゲルマン民族や東方のパルティアとの戦争によってローマ帝国の財政は悪化していってたんです。
加えて疫病も流行するなど、ローマ帝国の経済がさらに悪化して不安が広がっていました。
政治では異民族の侵入や経済悪化の影響で皇帝の権威が低下していました。
社会への不満が皇帝に向けられていたわけです。

皇帝の政策のせいだ!もっとしっかりしてくれ!
みたいな感じですかね。今でいう「支持率低下」ですね。
なので、次の皇帝が誰に就くかは帝国の重要課題となっていったんです。
ということで、マルクス=アウレリウス=アントニヌスの死後は、その皇帝の座を巡っての争いが激しくなってしまいました。
このように、経済も悪化し政治も混乱したことで約200年続いた「ローマの平和」は終わりを告げました。

軍人皇帝の時代
軍人皇帝の誕生

SQ:なぜ多数の軍人皇帝が擁立(ようりつ)されたのか?
3世になると、各属州の軍人たちが独自に皇帝を立てて、短期間に多数の皇帝が即位する軍人皇帝の時代になりました。

この時代は、なんと約50年もの間に18人もの皇帝が即位しました。なので単純計算で2~3年に1人の割合で皇帝が交替していたんです。
では、いったいなぜこれだけたくさんの皇帝が入れ替わったのでしょうか?
当時は北のゲルマン人や東のパルティアやササン朝ペルシアなどとの戦争によって、軍人たちの影響力が増していたんです。
なので、政治でも軍隊の意向によって左右されるようになっていき、皇帝も軍隊から支持された軍人が就任するようになっていったんです。

わが軍を率いる方こそ、今のローマ帝国には必要だ!
皇帝として帝国を率いるべきだ!
みたいにね。

なので、その軍人皇帝も軍隊の意向に合わせた政治をおこないます。
逆にいうと、軍隊の意向に沿わなかったら皇帝の座を引きずり降ろされました。
しかも、各属州ごとに軍団があったため、軍団同士の派閥争いも起きて軍人皇帝が暗殺されることも度々起こりました。

ちなみに軍人皇帝18名のうち、なんと16名が暗殺および戦死によって命を落としているんです。
まさにカオスですね。
なので、短期間に多数の軍人皇帝が誕生したというわけなんです。
異民族の侵入により軍人の政治的地位が高まり、政治が軍の意向に影響されるようになった。その結果、軍の支持を受けて就任した軍人皇帝たちは、意向の不一致や派閥争いによる暗殺などで、短期間に次々と擁立される事態となった。

[4-1.2]セレウコス朝、バクトリア、パルティア、ササン朝で紹介したササン朝のシャープール1世に敗れて捕虜となったウァレリアヌスなどは軍人皇帝の代表的人物ですね。
3世紀の危機
帝国内では戦争の長期化によって物価の高騰が止まることを知りませんでした。
しかも軍人皇帝も暗殺や戦死、敵国の捕虜になるなどコロコロと変わっていったので、政治は混乱して社会不安がとても大きくなっていました。
異民族の侵入によって都市の荒廃も進んでいき、ローマ帝国は3世期になって帝国分裂の危機に陥ったのです。
これを「3世紀の危機」と呼びます。
社会変化
経済の衰退
SQ:なぜ都市経済は衰退していったのか?
ローマ帝国は領土を限界まで広げた結果、長い国境を常に異民族から守らなければいけなくなりました。
加えて帝国内の属州でも内乱が起こるなど、軍隊の増強やその維持が必要不可欠になっていました。
軍隊の維持費もハガになりません。
今までは征服戦争によって戦利品や領土拡大による利益によってその戦費を賄っていました。
しかし、ローマ帝国はもうすでに限界まで領土を拡大しきっていましたよね。
要はもう領土拡大の利益は見込めないということです。


ではこの財政難を乗り越えるためにはどうすれば良いでしょうか?

増税です!

そうですね。残された手は“各都市への増税”だったんです。
このようにして、ローマ帝国は各都市に重税を課すことになりました。
軍隊の維持のための重税によって、各都市の経済活動は当然衰退してしまいます。
ただでさえ異民族侵入によって被害が出ているところはダブルパンチを食らうことになります。
特にゲルマン民族の侵入が激しかった西側の都市の衰退がひどくなっていきました。
異民族侵入と軍隊維持のための重税によって都市経済が衰退した。

コロナトゥス(小作制)
SQ:なぜラティフンディア(奴隷制農業)に変わってコロナトゥス(小作制農業)が普及したのか?
都市の経済衰退は、農業の仕組みにも影響を与えました。
都市に重税が課されたことで、その重税から逃れようと都市を出ていく人々が現れます。
特に特権階層身分は都市から田園への移住が顕著でした。
まあ、富裕層の税金逃れはいつの時代もやってますからね。
田園に逃れた富裕層たちは大土地所有による経営をおこないました。

今までおこなわれていた大土地所有制を何というか覚えていますか?

ラティフンディアです!

すばらしい。ではその特徴は?

奴隷を使って商品作物を栽培する大規模農業です!

そうでしたね。しかし、労働力だった奴隷は征服戦争によって供給されていましたよね。

あ!もう領土拡大は終わったので、もう奴隷が供給されないですね。
今までおこなわれていたラティフンディア(大土地所有制)は、征服戦争で生み出された捕虜などを奴隷として使うことで成立していました。
しかし、領土拡大が終わってしまったローマ帝国には、もう奴隷を供給する手段がなかったのです。
そこで大土地所有者は不足する労働力を補うために、都市から逃げだした下層市民や家族を持つことを許可された解放奴隷などに土地を貸し出して小作人(コロヌス)として働かせて、大規模農業をおこなったのです。
この小作人(コロヌス)は奴隷ではなかったのですが、土地に縛り付けられて、土地と一緒に売買の対象にされるなど、奴隷に近い扱いでした。
このような農業体制をコロナトゥス(小作制)と呼び、それまでのラティフンディアに変わって普及していきました。
征服戦争の終了によってラティフンディアの労働力だった奴隷が供給されなくなり、重税によって都市から逃げ出した下層市民を小作人(コロヌス)として働かせるようになったため。



この土地経営は中世ヨーロッパでもおこなわれ、「農奴制」とよばれるようになりました。
まとめ
MQ:ローマ帝国の危機は社会にどんな影響を与えたのか?
A:異民族の侵入激化によって、軍人の地位が向上して軍人皇帝の時代が訪れ、短期間に多数の皇帝が即位する政治的混乱が起きた。都市には軍隊維持の重税が課せられ、田園に逃れた大土地所有者が、下層民に小作人(コロヌス)として土地を貸し出して大土地経営をするコロナトゥス(小作制)が普及した。

今回はこのような内容でした。

次回は分裂の危機を迎えたローマ帝国で新たな政治体制が誕生します。それはいったいどんなものだったのか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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