世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回は内乱が頂点を向かえる中、実力者たちが政権を握る「三頭政治」なるものがおこわれます。
この「内乱の1世紀」はどのように終息していったのか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:なぜローマではカエサルのような独裁者が現れたのか?
今回の時代はここ!
第1回三頭政治の結成
SQ:なぜ私的同盟である三頭政治が結成されたのか?
三頭政治とは、これから紹介する三人の実力者が非公認な私的同盟を結んで政権を握ったことを指します。
ではなぜ、このような政治がおこなわれたんでしょうね?
ローマでは「内乱の1世紀」が始まって、スパルタクスの大奴隷反乱などの内乱によって混乱していましたね。
元老院などはこれに対処しようとはしましたが、対応が後手に回ってしまって上手く対処できていなかったんです。
なので、この内乱は最終的に私兵を投入した実力者たちによって鎮圧されていきます。
ポンペイウス、クラッスス
まずこの内乱鎮圧で活躍したのが、将軍のポンペイウスとクラッススという人物でした。
“クラッスス”と前回の[4-3.5]内乱の1世紀①(改革の失敗と反乱)で登場した“グラックス兄弟”は混乱しやすいので、覚える際は注意しましょう。
このポンペイウスとクラッススは、あのスパルタクスの大奴隷反乱を鎮圧するなど、私兵と財力を兼ねそろえた敏腕将軍でした。
この2人は内乱の平定後に民衆から人気を得ますが、元老院にはその人気ぶりに2人を警戒します。
元老院(閥族派)からは警戒され、民衆からは歓迎されたため、2人は平民派の支持をうけて元老院と対立するようになるんです。
まあ、ポンペイウスもクラッススも私兵軍隊を持っていますから、元老院からしたらやっかいな存在ですよね。(笑)
カエサル
もう一人の重要人物がカエサルです。
カエサルは平民派のマリウスの甥っ子にあたり、ヒスパニア属州の総督として資産を築いた将軍でした。
ローマに帰ってからは、カエサルは抜群の話術と、財力を駆使した買収によって急速に権力を築き上げていきました。
例えば、見世物や宴(うたげ)を開催して、その費用をすべて自己負担するなど、莫大ばお金を使って民衆のための政策をおこなったりしていたんです。
そりゃ民衆から人気でますよね。
ちなみにこの時に大量の借金を抱えてしまい、その費用はさきほどのクラッススに払ってもらったそうですよ。(笑)
そしてカエサルはどちらかというとブ男だったんですが、口が上手かったので女性からの人気もあり、部下からは「禿の女たらし」と呼ばれていたそうです。(笑)
ですがここでもやはり、カエサルの人気ぶりは元老院(閥族派)から警戒されてしまいます。
当然、平民派からは期待の星として歓迎されたので、カエサルも平民派として元老院と対立するようになりました。
三頭政治の結成
カエサルは再び属州ヒスパニアの総督で資産を築いて、それを元手にコンスル(執政官)に立候補します。
その当時、政治の世界で力を持っていたのは富豪クラッススと名将ポンペイウスでした。
2人とも元老院と対立していましたが、お互いに功績や人気度で対抗心を燃やしていて不仲になっていたんです。
カエサルはコンスル(執政官)として元老院の権力に立ち向かって新しい政治をするためには、実力者である2人の対立を解消して、取り込むことが必要と考えて彼らを説得することにしました。
そして2人を説得して、元老院に対抗するために有力な実力者である3人が私的な政治同盟を結びます。
それが非公認で秘密裏に結成した第1回三頭政治だったんです。
三頭政治は民衆から人気のある実力者3人が裏で結託することで、元老院よりも政治的な影響力が大きくなり、実質的に政権を左右する存在となっていきました。
カエサルは民衆に「パンと見世物」を大量に提供して、ポンペイウスなどは土地を私兵に分配し、有力者にお土産を贈り、クラッススはそれらを財力を支える関係によって、民衆からの支持を広げていったのが功を奏したみたいですね。
第1回三頭政治の崩壊
カエサルのガリア遠征
第1回三頭政治が結成された頃、ガリア属州ではゲルマン人部族が度々侵入してきてローマ領を脅かす事態が起きていました。
ガリア・・・ほぼ現在のフランスにあたる地域
これをコンスル(執政官)としてさらに優位に立てるチャンスと捉えたカエサルは、自ら軍隊を率いてガリア遠征をおこないます。
そして複数回の遠征によって、カエサルはその巧みな軍事戦略と戦術でゲルマン部族を打ち破ることに成功しました。
このガリア遠征は、カエサル自ら書いた『ガリア戦記』に詳細な記録が残っていて、貴重な歴史的資料として評価されています。
このガリア遠征の成功によってカエサルの名声や人気はさらに上がっていきました。
クラッススの死と三頭政治の崩壊
カエサルがガリア遠征で成功し、ポンペイウスも東方の領土拡大に成功して名声を上げていくなか、クラッススだけが大きな功績をあげることができず悩んでいました。
2人に負けない武功を挙げないと、、、
ということで、当時クラッススの管理下にパルティアが迫ってきていたことから、クラッススはパルティア遠征を強行します。
しかし、この遠征は反対も多く無謀なものだったことから、クラッススは激戦の中で戦死してしまいました。
2人に追いつこうとして焦ってしまったんですね。
これによって三頭政治のバランスが崩れてしまい、カエサルとポンペイウスは互いに距離を置くようになってしまいます。
カエサル VS ポンペイウス
カエサルはガリアを平定してローマに帰ろうとしますが、すでにローマではポンペイウスが元老院と手を組んで独裁を企てようとしていました。
なので遠征に成功して人気絶頂のカエサルを警戒したポンペイウスは、元老院と共に、カエサルに武装解除を命令します。
カエサルはこの命令に従えば自分の立場がなくなってしまうことを悟り、
賽(さい)は投げられた。
という言葉とともに、カエサル軍(私兵)は命令を無視して、境界線であるルビコン川を渡って、ポンペイウスを討つためにイタリア半島に侵入したのです。
ポンペイウスは一旦ギリシアに逃れてカエサルとの決戦に挑みましたが、カエサルが勝利してポンペイウスはエジプトへ逃亡してしまいます。
しかし、当時のプトレマイオス朝エジプトはカエサルとの関係を優先したので、ポンペイウスはエジプト内で殺害されてしまいました。
残りのポンペイウス派もカエサルによって弾圧されてしまい、敵がいなくなったカエサルは絶対的な権力を手にすることになりました。
カエサルの独裁と暗殺
独裁
敵対勢力を一掃したカエサルは、その軍事力を背景に10年任期の独裁官に就任します。
この時には、元老院はカエサルの軍事力と名声には歯が立たず、口出しできない状態になっていました。
独裁官(ディクタトル)はもともと任期が6か月の期限付きの緊急時の役職だったので、もう誰もカエサルに異論を唱える人がいなかったのでしょうね。
しかも独裁官には議決権や軍事権が一任されていたので、これはもうカエサルの事実上の独裁を意味していました。
しかし、カエサルは独裁を敷いたのちも民衆から絶大な人気があったんです。
それはカエサルがおこなった政策にあります。
・植民活動によって退役軍人に土地を分配
・貧民に安価な穀物を提供
・元老院を大幅に増員して新しい人材の登用(元反対派も恩赦)
・太陽暦に基づいたユリウス暦を制定して暦のズレを調整(←対農民政策)
この「ユリウス暦」は中世ヨーロッパでさらに改良されて「グレゴリウス暦」となって、現代のカレンダー(暦)として使われているんですよ。
たしかにこれは民衆からの人気もあがりそうですね。
このようにして民衆や兵士から絶大な支持をうけたカエサルは、最終的に終身独裁官に就任することになりました。
要は“一生独裁”ができるようになったんです。すごい人気ぶりですね。
暗殺
カエサルは独裁を進める中で最終的に自らの「神格化」をしようと企てます。
しかし、共和政を守ろうとする一部の元老院議員たちはこれを察知して、カエサルの皇帝化を危険視するようになります。
そして共和派の元老院議員たちは、入念な計画のもと元老院の議場に訪れたカエサルを襲撃して暗殺してしまったのです。
この時、カエサルは23か所もの傷を負い、最後は信頼を寄せていたブルートゥスも暗殺に加わっているのをみて、「ブルートゥス、お前もか。」と言って抵抗するのもあきらめたそうです。
政治闘争に勝利して独裁を手にし、神格化を目指したカエサルでしたが、道半ばで共和政を守ろうとした元老院たちによって倒れてしまいました。
ではこの後、ローマには共和政が復活したのでしょうか?
それともまた政治闘争によって混乱してしまうんでしょうか?
まとめ
MQ:なぜローマではカエサルのような独裁者が現れたのか?
A:征服戦争の恩恵を使って兵士や民衆への政策を充実させた実力者が、私兵と政治的支持を背景に、元老院よりも政治的影響力が大きくなっていた。そして実力者たちの政治闘争を制したカエサルは、その圧倒的人気と軍事力によって元老院を差し置き、独裁政権を手にすることができた。
今回はこのような内容でした。
次回はカエサル亡きあと、その座を巡って再び政治闘争が起きます。最終的に「内乱の1世紀」を制したのは誰だったのか?
次回ついに「内乱の1世紀」が終わりを向かえます。それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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