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[4-3.7]内乱の1世紀③(第2回三頭政治)

4-3.ローマ

世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後にはパワーポイントもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。

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はじめに

グシャケン
グシャケン

前回はこのような内容でした。

グシャケン
グシャケン

今回は「内乱の1世紀」の最後の記事になります。

独裁者カエサルの亡きあと、ローマの内乱は誰の手によって平定されたのでしょうか?

それでは一緒にみていきましょう!

MQ:「内乱の1世紀」はどのような形で終わったのか?

今回の時代はここ!

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第2回三頭政治の結成

カエサルの死後

前回、独裁を手にしたカエサルでしたが、元老院支配を維持したい共和派のブルートゥスらによって暗殺されてしまいました。

独裁者カエサルがいなくなった後は、元老院の共和派によって元老院支配の体制に戻そうという動きになります。

しかし、それに待ったをかけたのが、亡きカエサルの部下たちでした。

アントニウス

カエサルの部下だったアントニウスは、最も信頼されていた人物で、ガリア遠征やポンペイウスとの戦いで活躍した人物でした。

アントニウス

なので、このアントニウスがカエサルの兵士や民衆の支持を引き継いで、元老院共和派と対立します。

グシャケン
グシャケン

ちなみにカエサルが亡くなった際は、このアントニウスによって葬儀が執りおこなわれたそうです。

レピドゥス

同じくカエサルの部下で、アントニウスと共に実力者として元老院共和派と対立しました。

レピドゥス
オクタウィアヌス

このオクタウィアヌスは、カエサルの養子として育てられた人物です。

オクタウィアヌス

カエサルには男の子に恵まれなかったので、決断力と意志が強かったオクタウィアヌスを養子にとって後継者として育てていました。

グシャケン
グシャケン

ちなみにこのオクタウィアヌスが今回の記事主人公的存在になっていきます。

なので、部下筆頭のアントニウスはカエサル後継者になれると思っていたところ、カエサルが指名した後継者がオクタウィアヌスだったので、アントニウスのもくろみが外れてしまい、アントニウスとオクタウィアヌスは対立するようになります。

アントニウス、レピドゥス、オクタウィアヌス

三頭政治の結成

SQ:第1回と第2回の共通点と相違点は?

この頃、元老院は第2のカエサルの出現を恐れていました。

元老院
元老院

カエサルの部下筆頭だったアントニウスはカエサルのように独裁者になろうとしているのでは?

ということで、アントニウスの独裁化を恐れた元老院は、敵対しているオクタウィアヌスを支持するようになります。

これを受けたアントニウスは、

アントニウス
アントニウス

いま元老院の力を抑えるためには、オクタウィアヌスと手を組むしかないな。

となって、レピドゥスに仲介してもらい、オクタウィアヌスと仲直りをして結成されたのが、第2回三頭政治だったんです。

この政治同盟である三頭政治によって、元老院共和派の中心人物を死に追いやって政治での影響力を強めていきました。

ちなみに、この第2回三頭政治は本来「国家再建」を目的として作られた委員会組織でした。

なので第1回三頭政治は極秘に結成された私的な政治同盟でしたが、第2回はローマの公式な組織として三頭政治と呼ばれるようになったんです。

グシャケン
グシャケン

だから、第2回三頭政治から「三頭政治」という言葉が使われるようになったので、その前の第1回も「三頭政治」と呼ばれるようになったんですよ。

SQ:第1回と第2回の共通点と相違点は?

元老院の権力を抑える点では共通していたが、第1回は私的な政治同盟だったのに対して、第2回は公式な政治体制であった点が異なっていた。

第2回三頭政治
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第2回三頭政治の崩壊

アントニウスとクレオパトラ

三頭政治結成後、アントニウスは東方遠征をおこなってパルティアと交戦しますが苦戦が続いてしまいます。

アントニウスはこれを打開しようとプトレマイオス朝エジプトに支援を求めました。

この時にアントニウスと会談をおこなったプトレマイオス朝エジプトの女王だったクレオパトラでした。

クレオパトラ

アントニウスはクレオパトラとの会談で、見事に彼女に惚れてしまいます。

実はこのクレオパトラ、あのカエサルとも関係を持っていて、当時カエサルとの息子までいたんです。

しかしカエサルが亡くなってしまい、新しい後ろ盾を必要としていたクレオパトラは、アントニウス接近します。

そうして2人は結ばれることになって、エジプトに留まることになったわけですが、これを良しとしなかったのがオクタウィアヌスでした。

オクタウィアヌスは第2回三頭政治を強固にするために、自分の姉をアントニウスに嫁がせていたんです。

要は、アントニウスは不倫したんですね。

なのでクレオパトラと結ばれたアントニウスに対してオクタウィアヌスは対抗心を燃やしていくことになります。

アントニウス、クレオパトラ、オクタウィアヌス

レピドゥスの失脚

オクタウィアヌスは、アントニウスがエジプトに留まっている間に、アントニウスとの決戦に向けて軍を強化していきました。

オクタウィアヌスの勢力が強くなると、三頭政治の緩衝材かんしょうざいとなっていたレピドゥスは次第に不必要になっていきました。

そうしてオクタウィアヌスは、アントニウスとの仲介役だったレピドゥスを政界から追い出してしまいます。

こうして、第2回三頭政治は完全に崩壊することとなりました。

レピドゥスの失脚、第2回三頭政治の崩壊
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内乱の終結

アクティウムの海戦

アントニウスはクレオパトラと結ばれたことで、オクタウィアヌスの姉と離婚します。

まあ、現代の倫理感では最低ですね。

そのタイミングを見計らってオクタウィアヌスは、プトレマイオス朝エジプトの討伐を名目に、地中海の覇権をかけたアントニウスとの決戦に挑みます。

その決戦がおこなわれたのが、アントニウスの勢力圏だったギリシア沿岸のアクティウムの海戦でした。

この戦いではオクタウィアヌス側が数では劣勢だったのですが、敵よりも小回りの利く軍船だったことで、アントニウスとクレオパトラの連合軍を翻弄(ほんろう)します。

そして、オクタウィアヌス軍の火攻めが功を奏して敵船は次々に炎上し、クレオパトラは負けを悟って途中で退却してしまいました。

そうしてオクタウィアヌス側が勝利をおさめて、アントニウスもクレオパトラを追いかける形で退却していきました。

アクティウムの海戦

アントニウスとクレオパトラの自殺

アントニウスはアクティウムの海戦で敗戦後、クレオパトラを追ってエジプトに逃れました。

しかし、クレオパトラはもはやアントニウスを見放していたので、アントニウスからの復縁を拒否してしまいます。

クレオパトラは自分の後ろ盾が欲しかっただけですから、もうアントニウスは必要なくなったわけです。

要は捨てられたんですね。なんだかかわいそう。

アントニウスは権力闘争の敗戦と失恋のダブルショックで最終的に自殺して生涯を閉じました。

クレオパトラは逆に再起を目指してオクタウィアヌスに(男女関係のアタックをします。

なかなか巧妙な女王ですね~。生きる力を感じますね。

ですがオクタウィアヌスはクレオパトラからの誘いを断ってしまいます。

これによってクレオパトラはもう自分には未来が無いと悟り、自殺してしまいました。

アントニウスとクレオパトラの自殺

内乱の終結

クレオパトラの死によってプトレマイオス朝エジプトはローマによって滅亡し、属州となってしまいました。

これによってオクタウィアヌスの政敵はいなくなり、地中海周辺平定されて約100年続いた「内乱の1世紀」は終わりをむかえたんです。

グシャケン
グシャケン

最後はオクタウィアヌスの1人勝ちで幕を閉じました。

この後、オクタウィアヌスによってローマは新しい段階へと入っていきます。

オクタウィアヌスによる地中海平定
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まとめ

MQ:「内乱の1世紀」はどのような形で終わったのか?

A:カエサルの死後、その部下たちを中心に第2回三頭政治がおこなわれた。しかし内乱が再発し、最終的にはオクタウィアヌスが政治闘争に勝利して地中海が平定され、「内乱の1世紀」は終わりを迎えた。

グシャケン
グシャケン

今回はこのような内容でした。

次回は内乱の平定によってローマに久々の平和が訪れます。平和の中でローマはどのように変化していったのでしょうか。

それでは次回もお楽しみに!

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク

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