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万里の長城

史料集
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はじめに

「万里の長城」は、その壮大な規模と長い歴史で世界中から注目を集めています。この記事では、その歴史と建設の経緯について詳しく解説します。

万里の長城とは?

万里の長城は、中国北部に位置し、全長2万km以上ある防壁です。

「長城」と呼ばれていますが、城ではなく壁なんです。

秦の始皇帝が遊牧民族からの侵攻を防ぐために建造したのが始まりで、現存する人工壁の延長は6,259.6 km。

ユネスコ世界遺産にも登録されています。

万里の長城
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変遷

春秋・戦国時代(紀元前770年~221年)

万里の長城の始まりは、紀元前の春秋時代にまで遡ります。

この時代には、現在の中国の東部から中央部にかけての地域に多くの国が存在する群雄割拠の時代でした。

これらの国々は、自国を守るために城壁を築きました。

最も早いものは紀元前650年頃に魯と斉国の間に造られたものです。

春秋時代

戦国時代に入ると、各国は領土と権力を巡って争いを繰り広げました。

この時代には、7つの大国(楚、斉、魏、燕、趙、秦、漢)が形成(戦国の七雄)され、それぞれが自国の防護壁を作りました。

戦国時代 資料:『詳説世界史探究』山川出版社

秦の時代(紀元前221年~206年)

秦の時代になると、秦が最強の国として他の六国を征服し、中国を統一を果たしました。

そこで秦の始皇帝が着手したのが、中国北部の長城建設です。

特に北部は秦、趙、燕の国によって築かれ北方モンゴル高原からの匈奴からの攻撃を防ぐため、一直線の壁が作られました。

そしてそれが現在ある「万里の長城」の一部です。

秦の長城

漢の時代(紀元前206年~西暦220年)

秦の始皇帝の没後、秦の国はその権力がなくなり、権力争いを制した劉邦が漢王朝を建てました。

そして漢の時代は中国の歴史上最も輝かしい時代でもあります。

北部の防衛施設や城壁は、匈奴との国境に沿って数百キロメートルにわたり、さらに強化され、延長されました。

漢についてはこちら!
前漢

明の時代(1368年~1644年)

明時代に入ると、中国は再び栄え、軍隊も拡大しました。

長城は北方の敵からさらに守るために、100年にわたる計画で再建されました。

修復された部分の大半は明の時代に建設されたものです。

現在みなさんが観光地で観るものは、明の時代に建てられたものなんです。

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まとめ

「万里の長城」は、その長大な歴史と規模で中国の歴史と文化の象徴とされています。

この建造物は、中国の統一と防衛のシンボルであり、現在も多くの人々を惹きつけています。

参考文献:万里の長城の歴史 |いつ誰がどこ造ったのかとわかりやすく簡単にまとめ-AraChina中国旅行

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