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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は啓蒙思想の中でも「幸福」「宗教」「政治」ついてです。啓蒙思想は、人間の幸福をどのように実現しようとしたんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:啓蒙思想は、人間の幸福をどのように実現しようとしたのか?
啓蒙思想
17世紀のヨーロッパでは、科学革命が起きたことによって、自然や社会を理性(人間の考える力)によって理解しようとする試みが急速に発展していきました。
しかし、それらを担っていたのは学者や知識人(貴族や聖職者など)などのエリートたちでした。
なので、新たに発見された知識が、民衆にまで共有されていたわけではなかったんです。

でも18世紀になると、「知識をどのように扱うか?」という考え方が変わっていくことになります。

それまでは学者や知識人が生活や国を良くするための「知識」でした。
知識は一部のエリートのものではなく、「すべての人間の幸福を増やすための道具であるべき」という考え方が広まっていき、それがやがて「啓蒙思想」と呼ばれる考え方が生まれることになりました。

「啓蒙思想」とは、無知や偏見にとらわれた人たちに「正しい知識」を授けることで、物事を感情ではなく、頭でじっくり考えて世界を理解させようとすることでしたよね。意味や詳しい説明については[11-5.5]啓蒙専制主義でご確認ください。
この啓蒙思想を広げるために、学者などの思想家たちは国を超えて手紙や著作を通して議論して啓蒙思想を探究、普及させていきました。
時には政治家(君主や官僚)に直接助言することもあり、人々の啓蒙思想への関心を高めようと努めました。

幸福
「人間の幸福」=「富の増大」
啓蒙思想家たちの考え方はさまざまでしたが、それらに共通していたのは、
「人間はいかにして幸福になれるのか」
という問いでした。

ここで言う「幸福」とは、「来世で救済されること」を意味するものではありませんよ。
「幸福」とは、現実世界で人が快適に生活できることで、苦痛や貧困を減らすことが重視されました。
その「幸福」を実現させるために重要とされたのが「物質的な富の増大」でした。

これをわかりやすく言うと、「生活に必要なモノや財産が増えて行きわたると幸せになれる」、つまり「経済的に豊かになれば、幸福になれる」ということです。

テュルゴ
フランス(ブルボン朝)のルイ16世のもとで、財務総監(実質No.2)をしていたテュルゴは、フランスの財政を見直した際に「重農主義」という考え方に注目しました。
農業こそが富を生み出す唯一の源泉であり、国家は経済に干渉せず自由に任せるべきだとする考え方

国家を豊かにするのは、重商主義ではなく、農業生産を向上させることだ!
そして、農業生産が伸びるためには貿易や商業活動を自由にさせるべきだ!
テュルゴはこの重農主義を基に、フランスの財政改革に取り組みました。
農業を税収の中心として、特権身分や既得権益を壊して、経済活動の自由を拡大して、国や人々の富を増大させようという試みでした。

しかし、特権を失うことを恐れた特権身分(ギルド商人など)などの強い反発もあって、テュルゴーの改革は失敗に終わってしまいました。

アダム=スミス
同じく18世紀後半には、イギリスの経済学者だったアダム=スミスも「人間の幸福」について考えていました。


彼はテュルゴなどの啓蒙思想家と交流していて、特に重農主義の影響を受けていました。
アダム=スミスは、

みんなが富(お金)を持つことができれば、「幸福」になれる。
と考えました。
なので、アダム=スミスが書いた『諸国民の富(国富論)』では、富の源泉は金銀(お金)ではなく、人間の労働そのものにあると主張したんです。
アダム=スミスは、国家による過度な規制や介入(重商主義)を否定して、市場における自由な競争を重視しました。
これは、「人が自分の利益のために働けば、その積み重ねが結果的に富が増大して、社会全体が豊かになる」ということを説いていました。
重商主義にように、国家が商売を管理してしまうと、みんなの「もうけたい!」という思いが薄れて、結果、利益などの富が生まれにくくなると考えたんです。
そこで、逆に自由に商売させることで、「他よりも良いモノを作ってもうけるぞ!」という競争意識が芽生えて、結果、経済が活発になって富が増大すると考えたんです。
そしてこれは、何もルールなしに放っておくのではなく、売りたい人と買いたい人の関係によって、値段や生産量が自然に決まっていく、という考え方に基づいていました。

“自由放任主義”ってやつですね。アダム=スミスは、この経済のメカニズムを「見えざる手」と表現しました。

古典派経済学の成立
以上、テュルゴやアダム=スミスらは、
・人が自由に働き、競争することで生産性が高まる
・国は余計な口出しをしないほうが経済が成長する
という“自由経済”という名の“資本主義”の考え方が打ち出されました。
そして、それらが理論化されて誕生したのが古典派経済学でした。

「古典派」というのは、「資本主義の仕組みを初めて理論としてきちんと説明した経済学の考え方」という意味で付いているそうですよ。
こうして、農耕中心から商業中心へという大きな転換点で、改革に挫折したテュルゴと、理論によって資本主義の考え方を切り開いたアダム=スミスらによって、古典派経済学はその後も他の学者たちに受け継がれて発展していくことになりました。

SQ:なぜ啓蒙思想家は、経済活動を人間の幸福と結びつけて考えたのか?

では、ここまでのまとめとして、なぜ啓蒙思想家は経済活動を人間の幸福と結びつけて考えたんでしょうか?
これは、啓蒙思想家たちが「現実を見ていた」からなんです。
それまでのキリスト教の世界観や封建制などの伝統によって、豊かな生活ができたのは一部の特権階級(貴族、大商人)だけでした。
しかし、[11-6.2]科学革命②(哲学・法学)でも出てきたように、伝統にただ従うのではなく、「理性=人間の考える力」によって社会は変えることができると考えが出てきました。
社会を改善することができれば、自由な経済活動で人々は富を増大することができて、貧困や飢餓といった不幸を解決できると考えたんです。
その結果、みんな(社会全体)が「幸福」になり、「人間はいかにして幸福になれるのか」という、啓蒙思想の理想にたどり着けると信じたんです。
理性によって社会を改善すれば、人々の経済活動が活発になり、貧困などの不幸を減らして社会全体の生活を豊かにできると考えたため。


古典派経済学は、こうした期待によって成立した学問で、啓蒙思想の「幸福の追求」という目的は経済分野によって支えられたんです。
宗教
そして、啓蒙思想は宗教の分野にも大きな影響を与えました。
宗教改革以降、ヨーロッパでは宗派の違いをめぐる対立と迫害が長く続いていました。

国家や君主の信仰と異なる宗派でいることは、しばしば命や財産の危険にさらされました。
こうした状況に対して、宗教的寛容の必要性を強く訴えたのが、フランスの啓蒙思想家だったヴォルテールでした。


ヴォルテールはイギリスに渡った時に、名誉革命による議会政治を体験したことで、フランス絶対王政を否定するようになっていきました。
その後、プロイセンのフリードリヒ2世に招かれて、啓蒙専制主義に影響を与えています。
ヴォルテールらは、信仰の違いを理由に人間が迫害されることは(理性的に)おかしいことだと考え、国家は特定の宗派を強制すべきではないと主張しました。
宗教的寛容とは、宗教そのものを否定することではなく、むしろ、宗教を信じるかどうかは、その人の心の中の問題で、他人や国家が口出しするものではないと考えました。
そして、このような思想は徐々に広まっていき、宗教改革以来続いてきた宗教的対立は次第に落ち着いていくことになっていきます。

影響を受けた東欧の啓蒙専制主義の君主たちは、宗教寛容例を出していましたもんね。
このように啓蒙思想は、宗教でもただ信じるのではなく、理性(人間の考える力)で考え直したうえで、どうすれば人々が幸福になれるのかを模索しました。

政治
そして、啓蒙思想が最も大事にしていたテーマの1つが、「政治権力と人間の自由のバランス」でした。
絶対王政のもとでは、権力が一人の君主に集中して、恣意的(しいてき)な支配がおこなわれていしまう可能性がありました。
恣意的・・・はっきりした基準や理由がなく、その時の思い付きで判断するさま
啓蒙思想家たちは、こうした絶対王政によって制限された人々の自由を守る制度を探し出そうとしました。
その代表的な人物がモンテスキューとルソーという人物でした。

モンテスキュー

そのために、フランスの啓蒙思想家だったモンテスキューが提唱したのが、“権力の分立”でした。
著書の『法の精神』では、歴史上のさまざまな国家や文明を比較して、権力の集中が自由を脅かすことを指摘し、“三権分立”という仕組みを提唱しました。
三権分立とは、立法・行政・司法の権力を分立させて相互に抑制させる仕組みのことで、イギリスの立憲君主政を例に、理想とした政治体制を主張しました。

後に三権分立の考え方は、アメリカ合衆国憲法やフランス革命にも影響を与えることになります。
現代の日本でも使用されている仕組みですよね。

ルソー

一方で、同じくフランスの啓蒙思想家だったルソーは、モンテスキューとは違う視点から文明と自由の関係を探究しました。
ルソーは、文明の発展が必ずしも人間を自由にするわけではなく、むしろ不平等と束縛を生み出していると考えました。

一部の人間が富を独占することで起こる「貧富の差」とかですね。
なので、ルソーは、著書の『社会契約論』で、一人一人が社会と契約して、人間は生まれながらに自由で平等(自然権)であることから、その人たちの「共通の意思」こそが、一番強くて正当な政治権力であると考えたんです。

ここでの「社会と契約」するとは、すべて自由だと無秩序で混乱してしまうので、「自分勝手に振る舞う自由の一部」をみんなで我慢する代わりに、みんなで決めたルールのもとで安全に暮らそうとすることを意味しています。
なので、ここでの政治は「国家を守るためではなく、人々が一緒に生きていくためにおこなわれるべき」という意味が込められています。
よって、ルソーが理想としていたのは、選挙による代表制(間接民主政)ではなく、直接民主政によって市民が政治に直接参加する政治体制だったんです。


ではここで、モンテスキューとルソーについて、共通点と異なる点をまとめておきましょう。
SQ:モンテスキューとルソーの共通点と異なる点は?
2人に共通しているのは、
・君主による恣意的な政治権力を防ごうとした
・政治的抑圧から人間の自由を守ろうとした
という2点でした。
そして、2人の異なる点は、
・モンテスキュー:三権分立などの制度を使った政治権力の制限を重視
・ルソー:直接民主政によって市民が最高の政治権力になることを重視
これらをまとめるとこんな感じになります。
君主の恣意的な権力を抑え、人間の自由を守ろうとした点で共通している。一方で、モンテスキューが三権分立などの制度によって権力を制限することを重視したのに対し、ルソーは直接民主政によって市民自身が最高の政治権力を担うことを重視した点に違いがある。


啓蒙思想といっても、いろいろな考え方があったんですね。
啓蒙思想は、幸福・宗教・政治という異なる分野でも、一つの共通点がありました。
「人間の理性を信頼し、社会の仕組みを理解し、改善しようとする姿勢」
このような考え方に基づいて、知識は閉ざされた学問ではなく、社会をよりよくするためにみんなに共有されるべきものとされていくことになっていきました。

まとめ
MQ:啓蒙思想は、人間の幸福をどのように実現しようとしたのか?
A:人間の理性を信頼し、社会の仕組みを合理的に見直すことで、経済・宗教・政治の制度を改善し、貧困や抑圧を減少させ、現実世界において人々がより豊かで自由に生活できるして、人間の幸福を実現させようとした。

今回はこのような内容でした。

次回は、啓蒙思想の2回目として「世論の形成」についてみていきます。どのようにして「世論」が形成されることになったんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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