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はじめに

前回はこのような内容でした。


今回は科学革命の1回目として「近代科学の誕生」についてみていきます。科学革命はどのような経緯で誕生したんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:科学革命が起こった要因とは?
中世の自然科学
ずいぶん前の授業になりますが、中世ヨーロッパにおける自然科学の研究は、基本的に古代ギリシアやローマの哲学者たちの記録(著作)に基づいておこなわれていましたよね。
アリストテレスやプトレマイオスなどの著作を頼りにしていて、自然界の現象は神の意志や聖書の内容を前提にして理解されていました。

要は、『聖書』に書かれていることを、古代ギリシア哲学で説明しようとしたんです。
なので、中世ヨーロッパでは、観察や実験よりも文献の権威が重視されるようになっていました。
このような学び方は、キリスト教世界と強く結びついて、長らく変わることはありませんでした。
しかし、15世紀末からヨーロッパ大航海時代が始まったことで、ヨーロッパ以外の地域との交流が盛んになり、16世紀以降のルネサンスや宗教改革によって新しい表現や考え方も生まれます。
こうして、伝統的だった知識に対して、

本当にこれで合ってるの?矛盾してない?これってどうなってるの?
と、それまでの「常識」に疑問を抱くようになったんです。

自然科学の転換
新世界の発見(未知の発見)
SQ:なぜアメリカ大陸の「発見」が、自然科学の転換につながったのか?
そして、中世の自然科学の考え方を変えるきっかけになった1つが、「新大陸」の発見でした。
ヨーロッパ大航海時代に、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したことは、ヨーロッパ人にとって衝撃的を与えました。
古代ギリシアやローマの文献には記録されていなかった未知の新大陸は、人々にロマンを与えました。
ヨーロッパ人が見たことない自然や動植物、先住民文化は、古代の知識が必ずしも世界の全てを説明していないことを明らかにしたんです。
この「新大陸」の未知の自然や文化との出会いが、それまであった知識の限界を知るきっかけになりました。
そうして人々は、

これは自分たちの目で自然を観察し、解明するしかない!
と、文献にはない自然現象を観察と実験によって理解しようとする人たちが現れるようになるんです。
古代文献にない未知の自然や文化との出会いを通じて、既存の知識の限界を明らかにし、人々が自然を自ら観察・実験して理解しようとしたため。

ルネサンスと宗教改革(知識の再構築)
そして、ヨーロッパの海外進出によって、海外の情報や文化が入ってきた影響で起こったのが、「ルネサンス」と「宗教改革」でしたよね。
ルネサンスは、「人間らしさを表現」するヒューマニズム(人間中心主義)を掲げて、芸術や文学だけでなく、自然への関心も高めました。
レオナルド=ダ=ヴィンチのような万能人も現れ、人体解剖や自然観察を通して、解明されていない真理に迫ろうとしました。

このような文芸活動が、その後の科学を探究するきっかけになっていったんです。

一方、宗教改革はカトリック教会の権威や腐敗に対して、「カトリック教会の言うことをそのまま信じてていいの?」という疑問から始まりました。
そこから「神への向き合い方」を自分たちで考え直したことで、誕生したのがプロテスタントという新しい宗派でしたよね。

つまりこれは、「伝統だから従う」じゃなくて、「自分で信じる道を見つけよう」という動きが広がっていったということなんです。
この宗教改革の流れは、自然界の研究においても、昔からの権威(ギリシア哲学)に頼るのではなく、自分たちで観察して解明しようという姿勢を後押しすることになりました。

具体例としては、錬金術や天文学(地動説、地球球体説など)の研究・発見などがそうですね。

科学革命
科学革命の始まり
ルネサンスや宗教改革による影響を受けて、17世紀に入ると、自然科学に対するアプローチに決定的な変化が訪れます。
未知の自然現象を観察して、実験を通して法則を導き出すという、現代の科学の基本的な手順が確立されていったんです。
こうして始まったのが、科学革命です。

ガリレイ

17世紀はじめ、イタリアの天文学者だったガリレイは、高精度な望遠鏡を使って天体を観測して、コペルニクスが打ち出した地動説を実証した人物でした。

月のクレーター、金星の満ち欠け、木星の衛星なども発見して、当時の「天は完全で不変」という常識を覆しました。
しかし、彼の地動説の実証はカトリック教会の教義と衝突することになります。

カトリック教会は聖書の言葉から“天動説”を唱えていましたから。
ガリレイは宗教裁判にかけられてしまい、地動説を異端とされて撤回を求められます。
それを否定し続けたガリレイは、最終的に終身禁固を言い渡されて、自宅で軟禁生活を送りながら研究を続けることになりました。

宗教裁判中に言った「それでも地球は回っている」という言葉は有名ですが、これを言った根拠はないので、本当に言ったかどうかは定かではないそうです。
ちなみにガリレイの宗教裁判が誤っていたことが認められたのは、約350年後の1992年でした。

ニュートン

もう一人、科学革命の象徴的な存在だったのが、イギリスのニュートンという人物でした。
彼は『プリンキピア』を執筆して、「万有引力の法則」と「運動の三法則」を提示しました。
・万有引力・・・すべてのものは、離れていてもおたがいに引き合っている力。(例:月と地球)
・運動の三法則・・・①慣性の法則(止まってるものは止まり続け、動いてるものは動き続ける)、②運動の法則(力=質量×加速度)、③作用・反作用の法則(押せば押し返される)
これによって、天体の運動だけでなく、地上の物体の運動も説明できる法則を発見しました。

ニュートンは天体観測以外に、錬金術にも深い関心を寄せていて、近代科学の父とされながら、前時代的なものにも触れていたことを示しています。要は科学革命は一日では成らなかったということですね。

ボイル


科学革命を支えたのは、なにも個々の天才だけではなかったんです。
17世紀には、科学者たちが知識を共有して議論を交わす場として、イギリスで「王立協会」が創設されて、ニュートンなどがメンバーとして研究をおこなっていました。
そして、この王立協会で活躍したのがボイルというメンバーでした。
ボイルは「ボイルの法則」で知られ、気体の体積と圧力の関係を明らかにしました。
・ボイルの法則・・・気体の体積は、圧力が大きくなると小さくなり、圧力が小さくなると大きくなるという法則

風船を手で押すと、中の空気が圧縮されて風船が小さくなりますよね?
逆に、手を離すと空気が広がって元の大きさに戻ります。これがまさにボイルの法則です。
ハーヴェー
また、イギリス人のハーヴェーもこの時代の重要な科学者であり、心臓を原動力にして血液が循環することを観察と実験で証明した血液循環論を唱えました。

ハーヴェー以前は血液の流れについてはアリストテレスやガレノスの説が主流でした。

アリストテレスは、食物が消化されて心臓で血液に変わり、動脈と静脈を通じて体に栄養を運ぶと考えていました。
ガレノスは、肝臓が血液を作り、心臓が「生命精気」を送り出すと説きましたが、血液が循環するという発想はありませんでした。
しかし、ハーヴェーは、

心臓の収縮によって血液は動脈に押し出され、全身を巡って静脈を通って心臓に戻る!
という血液循環を観察と実験で証明したんです。

この発見は、古代医学の常識を覆す発表となり、現代の循環器学や生理学の基礎となっています。
ハーヴェーは医師としても高い評価を受けて、ジェームズ1世とチャールズ1世の侍医(じい)を務めていました。
侍医・・・国王や王族など、高位の人物に仕える医師のこと
しかし、ピューリタン革命によってチャールズ1世が処刑された後は、ハーヴェーは王党派として不遇の待遇を受けてしまい、ロンドンから追放されながら研究を続けました。

ジェンナー

当時、ヨーロッパでは天然痘(てんねんとう)という感染症が社会問題になっていました。
天然痘・・・高熱と全身の発疹が起きて、高い致死率を持つ感染症。

ちなみに、天然痘は古代エジプトや中国、ローマ帝国の時代から記録がある人類最古級の感染症なんですよ。現在では根絶が宣言されて、人類が初めて完全根絶した感染症としても知られています。
そして、この天然痘に立ち向かったのが、ジェンナーというイギリス生まれの医師でした。
当時、天然痘には有効な治療法がなく、予防のために「天然痘患者の膿を接種する方法」がおこわれていましたが、重症化や死亡のリスクが高く、決して安全とは言えませんでした。
そんな中、ジェンナーは地元の「ある言い伝え」に注目しました。
「牛痘(ぎゅうとう)にかかった乳しぼりの女性は、天然痘にかからない」
牛痘・・・牛に自然に発生するウイルス性の皮膚病で、人間にも感染することがあるが、
天然痘よりもはるかに軽く、命に関わることはほとんどない。
彼はこの“迷信”を20年にわたって観察して、牛痘にかかっていた農民から膿を取って、他の人に接種する免疫実験をおこないました。
そして、数週間後に本物の天然痘の膿を接種したところ、被験者は免疫を獲得して発病せず、この種痘法によって世界初のワクチンが誕生することになりました。

現代の予防接種も同じ原理なんですよ。予防医学はここから始まったんですね。
ちなみにドイツでは功績を称えて、ジェンナーの誕生日は祝日になっているそうです。
ライプニッツ

科学革命の波はイギリスにとどまらず、ドイツではライプニッツが微積分学を発展させました。

彼は数学だけでなく哲学にも精通していて、ドイツの選帝侯のもとで外交官もしていた万能人でした。
ライプニッツは微積分で記号法(∫やdなど)を考案するなど、単なる計算技術だけではなく、自然現象を数式で記述するという近代科学の基盤を作り上げました。

実はニュートンも先に微積分を見つけて体系化していたんですが、現代の微積分で使われている記号の多くは、実はライプニッツの発明なんですよ。

リンネ

18世紀後半、ヨーロッパでは世界中から新種の植物が持ち込まれていたんですが、名前や分類方法がバラバラでまったくまとまっていませんでした。
そんな中、「すべての生物に共通のルールで名前をつけよう」と考えたのが、スウェーデンのリンネという植物学者でした。
彼は「属名+種名」で命名する「二名法」によって、約6000種にも及ぶ植物を分類しました。

この方法は今でも生物の学名の基本になっているんですよ。
たとえば、私たち人間は「ホモ=サピエンス(Homo sapiens)」ですよね。
ホモ(属名)=「人間」、サピエンス(種名)=「賢い」
というふうに、属名は大文字で、種名は小文字で表記するというルールもリンネが定めたものなんですよ。
リンネはその後、動物の分類もおこない、彼の分類体系は現代でも世界中で使われるようになりました。

ちなみにさっきの例で出した「ホモ=サピエンス」もリンネが命名したんですよ。

ラヴォワジェ

当時の化学の世界では、まだ「火・水・土・空気」の四元素説や錬金術の影響が色濃く残っていました。
しかし、そこで実験と観察によって、物質の本質を明らかにしようとしたのがラヴォワジェというフランスの化学者でした。

パリの裕福な弁護士の家の生まれだそうです。
ラヴォワジェは燃焼(ねんしょう)の研究に取り組み、燃焼とは物質が空気中の酸素と結びつく反応であることを突き止めました。
そしてその後、物質の基本単位を「元素」と定義して、酸素・水素・窒素など33種類の元素を命名しました。

ちなみに現在での元素の数はおよそ118種類あります。そのうち、自然界に存在するのはおよそ90種類ほどで、残りは人工的に合成された元素になっています。
また、「質量保存の法則」も明らかにして、ラヴォワジェは錬金術から近代化学への決定的な転換を築くことになりました。
質量保存の法則・・・「ものの重さは、変化しても全て合わせれば変わらない」という法則。

紙を燃やしても、灰や煙、熱に変わるだけで、もとの重さはどこかにちゃんと残っているということです。

ちなみに、彼はフランス革命中に徴税請負人だったことから処刑されて亡くなってしまいました。


まとめ
MQ:科学革命が起こった要因とは?
A:アメリカ大陸の発見やルネサンス・宗教改革によって、古代の権威や聖書に頼る中世の自然観に疑問が生まれ、人々が自ら観察や実験を通じて自然を理解しようとする姿勢が広がったため。

今回はこのような内容でした。

次回は、科学革命の2回目として「哲学」と「法学」についてみていきます。自然科学の近代化は哲学にどんな影響を与えたんでしょうか?
それでは次回もお楽しみに!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
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