世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロードできます!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回はこのような内容でした。
今回はイエスの死後、誕生したキリスト教が世界宗教へと発展していく様子を追っていきます。
どのようにしてキリスト教は広がっていったんでしょうか?
それでは一緒にみていきましょう!
MQ:キリスト教はどのようにして世界宗教になったのか?
今回の時代はここ!
使徒
イエスの死後、その弟子たちによってイエスの復活が信じられ、イエス=キリストを信仰するキリスト教が誕生しましたね。
その後、弟子たちによってイエスの教え(キリスト教)を広げる伝道活動が始まりました。
この弟子たちのことを使徒(しと)といいます。
この使徒とは、“イエス=キリストの教え(福音)を伝えるために遣(つか)わされた者”を意味しています。
特に弟子としてキリスト教の発展に尽力した12人の弟子たちをまとめて「12使徒」と呼んだりします。
ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、ピリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、ヤコブ、タダイ、シモン、ユダ(『新約聖書』マタイ伝第十章)
※ユダはイエスを裏切ったので後に十二使徒から外され、替わりにマッテヤが入ります。
※パウロは、伝道で重要な役割を果たしましたが、イエスの死後に回心したので十二使徒には入っていませんが、広い枠での「使徒」には加えられています。
今回は伝道で重要な役割を果たした中心人物であるペテロとパウロについて一緒にみていきましょう。
ペテロ
ペテロはイエスの最初の弟子になった人物で、12使徒の中心的人物です。
このペテロを中心にパレスチナのユダヤ人たちにイエスを教えを伝える活動が始まりました。
ペテロはパレスチナ以外(現在のトルコ周辺など)のユダヤ人に教えを広めたり、信徒の団体である教会の設立にも先頭に立って尽力しています。
ペテロは聖地イェルサレム協会の指導者にもなっています。
ペテロは都ローマにも教えを広げようと赴きますが、当時おこなわれたネロ帝のキリスト教徒迫害に巻き込まれてしまい、殉教(じゅんきょう)してしまいました。
殉教・・・信仰する宗教のために自分の命を捨てること。
パウロ
もう一人の重要人物がパウロと呼ばれる使徒です。
実はこのパウロ、イエスが生きていた頃はパリサイ派に所属していて、イエスとは敵対していたんです。
しかし、イエスの処刑後に「なぜ私を迫害するのか?」という声を聞いて、回心して使徒になったといわれています。
そして使徒となったパウロは伝道活動を積極的におこなっていきます。
神の愛(絶対愛)はユダヤ人以外にも及ぶはずだ。
イエスの死は、神の子として人間の罪をあがなってくれたのです。
と、考えたことでユダヤ人以外の民族にも教えを広げていきました。
このような活動は、パウロがローマ市民権を持っていたことで、ローマ帝国内の移動が簡単にできたからなんです。
パウロの伝道活動によって、「イエスは、ただのユダヤ人の救世主ではなく、神自身であり、全人類を愛し、救済する存在である。」という考え方が広がっていきます。
これによって、ユダヤ教の宗派とは異なる「キリスト教」となって、世界宗教へと変化していったんです。
パウロは現在のキリスト教の教義の基礎を築いて、世界宗教へと広げていったことで、使徒の中でも最も重要な役割を果たしたといえますね。
パウロはローマで精力的に伝道をしましたが、ペテロと同様にネロ帝による迫害によって殉教してしまいました。
教会
世界宗教としてキリスト教がローマ帝国内で広がっていくと、信徒たちの拠り所である教会も帝国各地に建てられました。
ローマ、アレクサンドリア ← 教会の指導的立場
他、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、ギリシアなど
教会も次第に組織として整備されていき、頂点として司教がいて強力な指導権を持ち、その下に司祭や執事などが置かれました。
・教皇・・・最上位の聖職者。
・大司教・・・教皇に次ぐ高位聖職者。大司教区を管理(一国や一地方の代表的存在)。
・司教・・・大司教に次ぐ高位聖職者。司教区内の教会の司祭を指導。
・司祭・・・司教の指導のもと、村落などの教会で民衆を直接指導。
ローマ帝国全土への布教
SQ:なぜ3世紀ごろにローマ帝国全土へ急速に広がっていったのか?
3世紀半ばごろになると、キリスト教はローマ帝国全土に急激に広がっていきました。
では、なぜ「3世紀」に急激に広がったのでしょうか?
まずは、3世紀にローマ帝国で何が起こっていたかを思い出してみましょう!
ローマでは「3世紀の危機」が起きてました!
そうです!
ローマ帝国では軍人皇帝時代にあたり、戦争による物価上昇や、異民族の侵入などによる都市が荒廃するなど、カオスな状況でしたね。
ではここからが本題ですが、なぜこの時代にキリスト教が広がったのかを考えてみましょう。
イエス=キリストの考え方を復習して、当時の社会状況と重ねるとおのずとわかるかもしれませんよ。
「3世紀の危機」は簡単にいうと、不安と混乱の時代だったんです。
なので当時は、戦争や異民族侵入によって、土地や資産を失って貧しくなってしまった民衆が数多くいました。
そこにイエス=キリストの教えである、
神の愛はみなに平等であり、心から信仰すればイエス様はあなたを救済してくださるでしょう。
これを聞いた民衆たちは、
この苦しい状況から救われるのなら信じます!!!
という人が続出したわけです。
不安と混乱の時代だったからこそ、個人的な救済を求める人々にキリスト教の教えは響いたんですね。
このようにして、キリスト教は奴隷や女性、下層市民などの社会的に弱い立場の人たちに急速に広がり、次第に富裕層にも信仰する人も現れ始めました。
『新約聖書』
キリスト教がローマ帝国全土に広がっていく過程で、使徒たちによって伝えられたイエスの言動を記した福音書と、それに関連する手紙などが集められ、キリスト教の教典が作成されました。
それは『新約聖書』と呼ばれ、ギリシア語の共通語であるコイネーで記されています。
この『新約聖書』の内容は主に、
・福音書:イエス・キリストの生涯、教え、死、復活を伝える4つの書。
使徒行伝:ペテロやパウロによる布教の様子を記録した書。
パウロの手紙:パウロが教会や信徒に宛てた手紙。
黙示録:キリストの再臨を示す幻の書。
キリスト教ではこの『新約聖書』に加えて、ユダヤ人と神であるヤハウェの救いの約束を記した『旧約聖書』も教典として定めています。
まあ、イエスはもともとユダヤ教徒として活動していましたからね。
ユダヤ教の考えが基礎になっているんですね。
2つの聖書の分け方としては、『旧約聖書』はユダヤ人とヤハウェ神の救いの約束を記録しているのに対して、イエス=キリストによる救いの約束が記されているのが『新約聖書』と覚えておきましょう。
まとめ
MQ:キリスト教はどのようにして世界宗教になったのか?
A:「イエスは神として全人類を愛し、救済する。」というパウロの考えから、ユダヤ人以外にも伝道したことで、キリスト教として確立され、世界宗教として広がっていった。
今回はこのような内容でした。
次回は、キリスト教の迫害と国教化の過程をみていきます。ローマ帝国はキリスト教へどんな対応をしていったのか?
それでは次回もお楽しみに!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓
・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
コメント