世界史を手軽に学びたい方に向けて授業形式でブログ記事を書いています。復習や予習の際に使いやすい内容になっています。「問い」の設定や記事の最後には使用したパワポもダウンロード可です!それではスタンダード世界史探究をどうぞ!※あくまで1例なので、「MQ」や「SQ」、スライド等は自由にアレンジしてください。
はじめに
前回のこのような内容でしたね。
インダス文明の衰退後、南アジアは新たな民族が進入してくることで次のステージに入っていきます。
この時代に身分の差ができて、形成された身分制度が南アジアで現在でも根強く残っています。
それではみていきましょう!
MQ:アーリア人は南アジアにどんな影響を与えたのか?
今回の時代はここです!
アーリア人の進入
ヴェーダ時代
インダス文明は先住民でもあるドラヴィタ系の文明でしたよね。
ですが、前1500年ごろにヒマラヤ山脈とスレイマン山脈の間にあるカイバル峠を超えて新民族アーリア人が進入してきます。
進入理由は定かではないですが、気候の寒冷化と考えられています。まあ寒くなったら暖かいところに移動するのは自然ですよね。
牧畜民であったアーリア人はパンジャーブ地方に進入し、貧富や地位の差があまりない部族制の社会を作っていました。
この時代に自然神を崇拝したさまざまな祭祀が行われ、それらをまとめた最古の文献をヴェーダと呼んでいます。
その中でも1028もの賛歌集の『リグ=ヴェーダ』は、当時の多神教文化を知ることができます。
なぜ『リグ=ヴェーダ』が神々への賛歌集とわかったのか?
なぜ文献に書かれた詩が神々への賛歌だとわかったのか?
それは「詩」の内容で判断していたからなんですね。
例えば日本で有名な「世界に一つだけの花」の歌でいうと、
「花」をコンセプトにしているから、ある特定の花に宿る神への賛歌ではないか!?
という感じで判断してたんですね。この例えは極端ですが、数千年後に「世界に一つだけの花」が神への賛歌になっているかもしれませんね。笑
これらのヴェーダがつくられていた時代はヴェーダ時代とも呼ばれます。
アーリア人は牧畜民でしたが、先住民と同化していく中で農耕技術を手に入れ、さらに肥沃な土地を求めて移住し始めます。
前1000年ごろに、より肥沃なガンジス川上流域に移動し始め、そこで定住型の農耕社会を作っていきます。
この時代になると、稲作も始まり農地拡大のための森林の開墾で鉄器が使われるようになったり、鉄の刃先をつけた犁(すき)を使う牛耕が使われるようになります。
どれも穀物生産をあげるために考えられた技術ですね。どの時代も生活を便利にするための技術革新は起こるものですね。
ここからは安定した農耕社会の出現と多様性によって生まれた「カースト制」について話していきます。
この身分制は過去インドで生活のさまざまな場面で制約をうけ、たくさんの人を苦しめてきました。現在インドでは憲法で禁止されていてもなお差別は無くなっていないといいます。
ではこのカースト制はどのように誕生し、そのような歴史をたどって現在の形になっていったのかを見ていきましょう。
カースト制の誕生
SQ:カースト制はどのような身分制度なのか?
安定した農耕社会によって、余剰生産物ができます。そしてそれを管理する指導者や、それを守る武士、専門知識を有する司祭など生産に従事しない人々が現れます。
その中で指導者は支配を正当化するために司祭たちを保護して、専門知識を独占し強い権力を握る王として民衆を支配していきます。
これも以前に同じ内容がありましたね。
そういう中で南インドは、大きく「職業」と「民族」とに合わせて4つの身分に分かれていきました。これをヴァルナ制といいます。
①バラモン(司祭)
②クシャトリア(王侯、武士)→ 主に行政に従事
③ヴァイシャ(農民・牧畜民・商人)→ 後に商人を指すように
④シュードラ(隷属民)→ 後に農民や牧畜民を指すように
アーリア人と先住民(ドラヴィタ系)は皮膚の色が違い、アーリア人は先住民を「黒い肌の者」と呼んで支配していたので、この身分制度は「色」を意味するヴァルナという言葉が使われています。
さらにこのヴァルナ制にすら入れない人々も存在しました。その被差別民を不可触民(ダリット)といいます。不可触民の人々は主に汚れ仕事(血を扱うなど)に従事していた人々でした。江戸時代の「えた・ひにん」に似ていますね。
このヴァルナ制は子孫にも世襲され、そのほとんどが生まれた時のヴァルナで一生を過ごします。ここも江戸時代の武家社会の身分制に少し似ていますね。
特にバラモン(司祭)たちは、
この複雑な司祭は正確に行わなければ神々からの恩恵が受けられん。
よってそれができる我々は特別な存在なのだ!
ということで自分たちを最高の身分に位置付けたんですね。王もバラモンの神託をもとに政治していたでしょうから、頭が上がらないわけです。
なのでバラモンたちが司っていた宗教はそのままバラモン教と呼ばれました。
さらに時代が過ぎると、特定の信仰や職業と結びついたり他の集団との結婚や食事を制限したりして、その集団の絆や関係を強くするジャーティ集団が各地に誕生します。
ジャーティ・・・「生まれ」を意味する言葉
まさに「家柄」で生活の全てが決まってしまうということです。
現在の多様性を認め合う社会とは真逆ですね。比較的小さなコミュニティに依存するようになります。
このジャーティ集団はヴァルナ制と組み合わさって、互いにどちらが上の身分か主張し合うようになります。その階層の数は2000〜3000近くあるそうです。
簡単にいうとヴァルナ制の中にジャーティ集団の階層ができて、めちゃめちゃ複雑になったんです。
この身分制度が南アジアの社会制度の基になっていき誕生したのがカースト制度と呼ばれるものなんです。
カースト・・・ポルトガル語で「血統」を意味するカスタからできた言葉。インドではジャーティの方が使われている。
「SQ」の「カースト制はどのような身分制度なのか?」をまとめるとこんな感じです。
文字にすると難しいですが、簡単にいうと「とても細かく分けられた身分制」という感じでしょうか。しかも食事や住居、結婚もカーストを意識しなければいけないので大変です。
このカースト制度への不満が、後に新宗教の誕生に繋がっていきます。日本で最も信仰されているとされる仏教もその一つです。それも後々やっていきましょう。
SQ:このカースト制は現代でどのような差別を生んでいるのか?
ここで現代でもなお残っているカースト制による差別には、どのようなものがあるか見てみましょう。
以下の記事は、ヴァルナ制にも入れなかった不可触民(ダリット)のカーストに属していた人々に対する差別の記録です。かなりショッキングな内容なので、閲覧はご自由に。
この記事を読んでどのように感じましたか?
どれもつい最近の出来事です。いまだにインドを中心とする南アジアでは、このようなことが起きていることを歴史を学ぶ我々はしっかりと認識しておく必要があると思います。
まとめ
MQ:アーリア人は南アジアにどんな影響を与えたのか?
A:農耕技術を発展させたことで先住民等を支配する階層が現れ、4身分制のヴァルナ制ができた。そこに生まれによって特定の集団へ帰属するジャーティ集団と組み合わさり、カースト制が展開されることとなった。このカースト制度によって南アジア特有の細かい上下関係による差別的な社会制度が完成された。
今回はこのような内容でした。
今回のアーリア人は今後のインド文明を中心を担っていく存在となっていきます。
その中でヴァルナ制やカースト制が熟成していき、その中でバラモンなどに不満を持つ勢力が新宗教を創造するなど台頭していきます。
それに対応する形でバラモン教も改革を経て、現在のインドで主流のヒンドゥー教へと変貌していくことになります。
それは今後取り扱っていくのでお楽しみに!
次回はまた場所が変わり中国の古代文明へと入っていきます。日本人にも馴染み深く関係が深い中国文明。そのルーツを一緒に探っていきましょう!
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!
「愚者は経験から学び、賢者は歴史に学ぶ。」by ビスマルク
この記事で使用した授業スライドのダウンロードはこちら↓
・『世界史の窓』、世界史の窓 (y-history.net)
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男・橋場 弦(2022)、『詳説世界史探究』、山川出版社
・木村 靖二 ・岸本 美緒 ・小松 久男(2017) 、『詳説世界史研究』、山川出版社
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